第一章 銃撃
一九八二年十月 ある日の昼下がり
白瀬川の水は北からやってきてしばらく真っすぐ流れ、やがて南東にある海に消えてゆく。
川の西側になる新港町は数年前から急速な発展を遂げ、人や建物を吸い込んでいる。
東側の山のふもとの神丘町は時間がゆっくりと流れ、真んなかの双葉町は活気を失った商店が並んでいる。南浜町はかつて物流で栄えたが、今はひっそりとした倉庫街となっていた。
──光が体を突き抜ける。音がすぐそばだ。
偶然出くわした空間はオレのなかにあった…
「うーん、そういう例は今までありませんね。まぁ、ステロイド系の薬も処方してますので、何ていいますか一種の興奮状態から感じるものではないでしょうかね」担当医はそう説明した。
「坂上おまえはここへ赴任して間なしだから知らんだろうが、白瀬川の東側の街は今ヤバいことになってる。
西側の新港町に新しい駅ができバイパスが通ったりで一挙に開発が進んじまった。こっちがさびれだしたことをいいことに南浜のドン、内田のおやじってぇのが新興勢力の村瀬組をつかって東側の中心地、双葉町の土地を狙い始めた。
だが、ここは古参の伊吹組のシマだ。双葉町の要グリーン・ロード商店街にまで手を出したからナンバー2の鬼頭が村瀬とこの若いもんを蹴散らした。ところが、今度は鬼頭が狙われる発砲騒ぎだ。そのうちとんでもないことになるかもしれん…
「三上さん!」聞き込みから戻った石橋刑事が駆け寄ってきた。小柄だが精悍な顔つきをしている。
「例の女ですが見たことがあるという男を見つけました。どうも川の西側にある帝都建設に勤めているとのことで行ってきたんですが……」
「身元わかったのか?」
「えぇ、本村亜希という二十歳そこそこの娘で現場で監督補佐をやってるようです。家の住所も聞いてきました。神丘町の人間ですね」
「そうか、よし坂上と一緒に行ってしょっぴいて来い。ぶっ放したヤツの顔見てるかもしれん。何があったのか全部吐かせるんだ、オレは村瀬んとこ乗り込んで締め上げてやる」三上は吸っていたタバコを荒々しく灰皿に押し付けた。
「神丘町にずっと住んでるようです。二歳の時、両親と自動車同士の事故に遭い両親は死亡、後部座席にいたこの娘だけが無傷で助かってます。
祖父母に引き取られ今現在住んでる家で育てられてます。このじいさんが、三年前に亡くなってるんですが小さい空手道場をやっていて幼い頃から空手を習っていたようです。
子供の頃から荒くれで地元じゃ有名だったそうです。中学を卒業後、新港町の工業高校に入学し無事卒業。現在、東方建設の下請けの帝都建設で現場監督代理みたいな仕事をしているようです。
いろいろ当たってみましたが怪しい団体や組織には所属してません。村瀬のとこともまったく繋がりは見当たりませんね。なぜ鬼頭さんを守ろうとしたのか、さっぱり訳がわかりません。
あとですね、瀬戸中央病院の方ですが...担当医には会えたんですが本人がいないもんで、会社の人間を名乗ったんですが、どうにも歯切れが悪くて...血液内科ってのもね、ただの貧血ぐらいであの娘が病院に通うわけないし...仕事を続けさせていいのか、それとなくいうと安静が必要で入院をすすめてはいるっていうんですよ。こりゃ、ちょっとヤバいんじゃないかと思いましたね…」
右手に見える龍門館、高級中華料理店だ。その前にある駐車スペースの左手の角に黒いワゴン車がとめられその脇に黒っぽいコートを着た男が立っている。襟を立てじっと龍門館の入り口に集中している。コートの右の腰あたりのところが少し盛り上がっている。
男とは距離があった。気づかれないように龍門館の入り口へにじり寄る。
扉が内側から開いた。
グレーの三つ揃え、黒いサングラス、きっちりと撫で付けた髪。
ヤクザそのもの。あとから舎弟みたいなのが出てくるのが見えた。
アスファルトを蹴った。ヤクザの腰あたりに両腕を巻きつけ近くの植え込みの陰に引っ張り込む。
「何だ、てめぇ!」同時に乾いた破裂音。続けてもう一発。
ガラスの割れる音、遠くで女の悲鳴が聞こえた。
伏せたまま左後方を見る。男が黒いワゴン車に乗り込み逃げ去るのがわかった。
素早くヤクザから飛びのく。舎弟は尻もちをついたまま目を見開きこっちを見ている。
「おめぇ、女か?何のつもりだ、知ってたのか」ヤクザはゆっくりと立ち上がりながらいった。
「……」
「何とかいいな、オレを誰だか知ってるのか?」
数人の野次馬が近づいてくる。
ヤクザが目をやった瞬間、踵を返し駆け走った。
「待ちやがれ!」
──待つわけないだろ!
遠くでパトカーのサイレンの音が聞こえてきた…
「大丈夫ですか?鬼頭さん」水谷はあわててかけ寄る。
鬼頭は逃げ去った女の方を睨んでいた。
「ありゃ、村瀬の仕業ですよ絶対!」
──あれ?何か落ちている。水谷がそれを拾い上げた。
「瀬戸中央病院……鬼頭さん、これあの女の...」
「何ぃ!」
「病院の診察券ですね。本村亜希…」
鬼頭が取り上げる。じっと睨んでいる。
「水谷、山村に連絡してこの女調べさせろ!」
「はい、すぐやります!」
鬼頭はタバコに火をつけ、まだ女が去っていった方を見ていた。サイレンの音が近づいてくる。
午後の白瀬川は静かに流れ無数の光の粒を踊らせていた。
河川敷では子供がサッカーの練習をしている。
昔からこうやって土手に座り人を眺めるのが好きだった。
──そういやぁ、じいちゃんにここでこっぴどく叱られたなぁ...
中学生の時となり町の不良グループをボコボコにして意気揚々と帰ってきたら、じいちゃんがいきなりオレの襟つかんで河川敷に引っ張り出した。
いきなり「正拳を突いてみろ!」っていわれた。
「……?」
またいうので仕方なく突いて見せると「もう一度突け」という。
ため息をつき、もう一度突くと、じいちゃんはその拳をつかんだ。
「これは何だ?」という。
──はぁ?何いってんだ。
「これが正義の鉄拳か?」
オレはたまらなくなっていった。
「あいつらにはウチの学生が何人もやられてんだよ!やり返して何が悪いんだ?正義はこっちにあるんだ」
じいちゃんは今まで見たこともない恐ろしい形相でいった。
「正義など人の数ほどあるのだ。おまえの拳は普通の拳ではない、追い込まれて追い込まれて引くに引けず最後に突き出す魂の叫びでなくてはならない。二度と正義という言葉を使うな!」
あん時は腹が立って腹が立って涙が出た。
──何いってんだよ、悪いヤツはぶちのめさなきゃ何もわかんねぇんだよ。
オレはふてくされたが、相手が病院送りになったことでそれどころではなくなった。じいちゃんは賠償金を払わされることになり、オレは校長と担任に大目玉。一番辛かったのはクラスの子もオレを避けるようになったこと。孤独だった。不良グループのヤツラは近づいてきたがオレがいい顔しなかったから話しかけてくる者はいなくなった。
中学卒業後、クラスのほとんどが白瀬川の東側にある私立や公立の高校に進んだがオレは西側の工業高校を選んだ。
ひとりで生きていこう、友だちなんていらない。
その時、そう思ったら晴れ晴れとした気持ちになれた。
「亜希さぁ〜ん」
ん?あっトシキか…
キーキーとブレーキの軋む音をたてながらひどく座高の高い自転車で現れた元同級生。色あせたジーンズと白いスニーカー、少し長めの前髪が風でグシャグシャになっている。
「タメなのにさんづけはやめろよ」
「いや、亜希さんは亜希さんでいいんですよ」
トシキは工業高校時代の同級生だが中退している。一度カツアゲされそうになっていたところ助けてやってからやたら慕ってくるようになった。
オレもこいつとは妙にウマが合う。
「どこ行ってたんだ?」
「自動車の教習所、いつまでもふらふらしてられないんで運送屋に入ろうかと思って…亜希さんこそこんなところで何、黄昏てんですか?」
「……実はさぁ、健康診断引っかかって大きな病院に行かされてな、いろいろ検査されてさ...急性の白血病だっていうのよ。完治も無理らしいわ」
「……」
「……」
「ぷっ、ちょっと待ってくださいよ。亜希さんそういうのいえる人なんスね」
「わりぃ、わりぃ。この面で白血病はないわな。ありゃ、どっかの、かよわきお嬢さまの病気と決まってるもんなぁ」
「そうですよ、そりゃそうとオレこの前の競馬ちょい当てましてね、そこらで一杯行きましょうよ。ビール好きでしょ、奢りますから」
「いいよ、わりぃからさ」
「いいんですよ、亜希さんに会えて嬉しくて嬉しくてねぇー、すぐそこに一軒ありますから付き合ってくださいよ」
昼間っからやってるその居酒屋はグリーン・ロードの北の入り口すぐのところにあった。
店に入ると煙草の煙、焼いている魚と醤油の焦げたような匂いがした。カウンター席が六つと小上がりのテーブルが三つの小さな店。カウンターに座る。
「とりあえずビールと何つまみます?」
「オレは何でもいいよ」
「亜希さん、オレってのやめたらどうです?何かもったいないっスよ」
「もったいない?」
「亜希さんだって、もう少し髪伸ばして口紅でもつけりゃ志穂美悦子みたいになれんのに」
「んなのいいんだよ、早く頼めよ」
トシキはニヤケながらビールと適当につまみを注文した。
ビールと料理がきて軽く乾杯。
「うめー、昼間っから飲むビールもいいっスねぇ」
「まぁ、たまにはな」
「……あっ、ひとつ聞いていいですか?亜希さんとこのおばあさん何であんな無愛想なんスか?」
「確かにな。小さい時オレの両親自動車事故で死んじゃっただろ。あれオレが熱出して病院向かう途中だったんだよな。オレも後部座席にいたんだけど親だけ死んじゃって…オレだけ無傷で助かったもんだからさ、一人息子亡くしたばあちゃんはオレのこと恨んでるわけ。『あんたが熱出さなきゃ…』ってちっちゃい頃よくいわれたなぁ」
「そうスかぁ、そりゃ、相当辛かったんでしょうねぇ」
「あとさ、笑っちゃうんだけどさ、三年前ぐらいにじいちゃんが心臓発作かなんかで死んじゃったんだけどさ...外の女の家で見つかっちゃってさ、ばあちゃんは恥ずかしいやら情けないやらでさ『葬式なんて一切やらない』っていい出して大騒ぎ。結局、道場に来てた教え子たちが取り仕切って全部やってくれたの」
「それ強烈なエピソードっスね」
「もともと口数少なかったのが、よけいひどくなってさ用事が済むたび本片手に一日中詰将棋してんの。いったい何が面白いんだか……」
「でも何かに気を持って行かないと、いたたまれない気持ちになるんじゃないっスかね、あっ」
「?」
「すいません、ちょっと電話して来ます、忘れてた」
「女かぁ?」
「えぇ、まぁ...今度連れて来ます」
トシキが店の外に出たのでビールをもう一杯頼んだ。
──え?金の場所が…
──今すぐってわけじゃねぇけどよ...
二つ空いた左隣の席、二人の男がヒソヒソと話しているが、今のオレの耳にはすぐそばで話しているようにはっきりと聞こえてきた。




