第4章 新たなる感情2
次の日、吉田がいつも通りいち早く教室に入って来た。
吉田は教室のパソコンの電源を入れ、USBを差し込んだ。ジョイパッドをインプットし終わったその時、小林が入って来た。
「よう、貴司。怪我は大丈夫か?」小林があまり深刻な面持ちをしていない。
「ああ。」吉田はパソコンから目を離さずに言った。
「まあ、それだけ動かせるってわけだからな。それはそうと、貴司。」小林は吉田の隣に椅子を持ってきて、ドカッと座りながら言った。
「今日のHRは臨時学年集会だとさ。」
「は?どこで手に入れた?その情報。」
「電光掲示板に書いてあったさ。お前が登校してから変わったのかな?
」
「………そうか?それにしても、生活指導に関する事じゃないか?わざわざ、転校生を送りつけて来たり、学年集会を設けたりだとかさ。」
「何でも、校長がこの高校を批判された………というより、茨城県の県教育委員会で結構問題になっているらしい。この間の数学の時間………ベクトルの授業なのに、貴司は数列やってたんだろ。」小林は別に責めるような口調ではなかった。
「まあ、三項間漸化式が分からなかったからね。何せテスト前だったじゃないか。お前あのテスト何点だった?平均は38だけどさ。」
「74だった。しかし話をそらすな。お前あの時、お偉いさんが授業の査察に来てたじゃないか。それで、貴司はお偉いさんに『君はもうベクトルは終わったの?』なんて聞かれてたよな?」
「そうか………74か。僕は72だったから久しぶりに勝ったかと思ったんだがな。」
「質問に答えろ。」
「…………聞かれたさ。だから、『まあ、そんな所です』って言った。」吉田は薄ら笑いを浮かべた。 「あのな、あのお偉いさんは、茨城県教育委員会の差し金なのさ。俺が校長室に盗聴器を仕掛けたのは知ってるよな?」
「ああ、知ってるさ。校長室で、教育委員会の奴等が、お叱りをしてたのか?」
「………ああそうさ。でも弱冠違うな。その会話のテープが部室にある。昼休みに取ってきてやるよ。」
「ほう。何を校長にふきこん…………」
吉田は突如黙った。教室の後ろのドアが開いたのだ。エミュレータの音や、小林との会話をしていたとはいえ、いつもは些細な物音を聞き分けられるのだ。吉田の中に今日は土曜日だから朝早くは誰も来ない。との油断があったのかも知れない。
入って来たのは黒澤だった。
「おはよう。」小さい声がしたが、小林も吉田も僅かに会釈しただけだった。
「オッス!」海老澤と金子が入ってきた。吉田と小林は完全無視を決め込んだ。
「………あの………貴司君?小林君?」黒澤が静かに聞いた。
「はい?」吉田がやがて言った。
「………あっ、……えー………」
「何だい?」小林が代わりに容赦なく聞いた。
「吉田。お前と蛯原さんは付き合ってるのか?」金子が聞いた。小林は黒澤から目を放して、金子をマトモじゃないという目で見た。
「あん?何で?」
「こいつがさ、写真見してくるからさ………」金子は海老澤を見やりながら言った。
「ほら。」海老澤はニヤニヤしながら、吉田と小林に携帯を見せた。
そこには、蛯原が吉田に泣きながらしがみついている姿を捕らえた写真だった。
「いつ撮った?携帯のシャッター音は消せないはずだ。」吉田が顔をしかめながら言った。
「まあ、全力でスピーカーを指で塞いだだけだ。いつ撮ったかは、あの闘いのときだよん。」海老澤が楽しそうに言った。
「それだけで?しかもあの時、蛯原さんは人質にされただろ。恐怖から解放されたら、誰が相手でもいいから、抱擁したいんだな。」小林が言った。
「真面目に答えんなよ。」金子が言った。
「じゃあ………美樹の好き?」 黒澤が聞いた。
「……………。」
「ねえ…………。」
「えっ僕ですか?」吉田は本当にビックリしたように言った。
「はい。」
「そんなこと言われても、人を好きになるとどうなるか分からないから、答えられませんよ。」 「またまた。意味深なこと言って誤魔化そうたってそうはいかねーぞ。」海老澤がやはり楽しそうに言った。
「いや、貴司の場合は有り得る。」
小林はせせら笑いを浮かべながら言った。
「何故かはどうでもいいとしてだな。貴司。」
小林は吉田に向き直った。吉田はパソコンの電源を落としていた。
「蛯原さんに抱きつかれた時、ドキドキしたか?」小林が言った。金子と海老澤が吹き出した。
「………あの時は……いや、そんな気持ちはしなかった。」
「じゃ、どんな感情がした?」
「早く退いてくれと思った。」吉田は即答したと思った。
「マジか?俺も抱擁は緊張するんだぞ。」海老澤が言った。海老澤は好少年だったので、既に彼女持ちだった。
「ふーん。だってさ、金子。吉田が蛯原に好意を抱いている訳じゃないことを理解できたか?」
「じゃあ、貴司君と美樹の関係は何なの?」黒澤が聞いた。
「『仲間』ですよ。」吉田が自ら答え、ゴシップは完全に終わった。
「貴司、いい加減初恋をしたらどうだ。心の成長には必要だし、得られる物もあるんだぜ。」小林が言った。
「………ハイハイ。」吉田が聞いているふりをしていることが、小林には分かった。乱戦となるその日の朝はこうして終わった。