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(バク……ばく……VAKU!)
不意に鹿子は我に返った。
再び暗闇に一人、立っている。
(あたし………?)
鹿子は蘇った『記憶』を抱えて立ちすくんだ。
鹿子は母親に殺されかけたのだった。父親に疎まれていたのだった。
その事実を突きつけられ、鹿子は自分の中の何かが、あの時のように再び危うくなっていくのを感じた。
(あたし……生きていちゃいけなかったの?)
あの声は、すすむ、だったのだ。
あの夜、そう、おそらくあの夏祭り、すすむはたまたま通りかかったのだろう。
六歳の彼は、既に自分のVAKUとしての力に気づいていた。
女が子どもの首を絞めている、その光景にたじろぐことがなかったのも、いろいろな『記憶』を吸い込んでいたせいかも知れない。
ただ、あの時、すすむは、それまでの傍観者でいる立場を捨てて、なぜか鹿子を助けたのだ。
すすむは鹿子の『記憶』を封じた。封じるために自分の放出口を与え、鹿子の『記憶』をもっと穏やかで平凡なものとすり替えた。
鹿子は目を閉じた。
光景がゆっくり巡る。
女達に囲まれるすすむ。
浮気性で、そのくせ鹿子から離れないすすむ。離れないのではなく、離れられなかったのだ。
鹿子との接触を失えば、自分も世界も崩壊する。
かと言って、鹿子から放出口を取り戻せば、今ほど覚悟を決めていなかった頃の彼女なら、これほどのショックに耐え切れず、その時点で狂っていたかも知れない。
(あたしの……ため…? あたしがすすむを追い詰めてた? あたしがすすむを……苦しめてたんだ……ずっと昔に……お母さんを苦しめたみたいに……)
鹿子の心が二重の罪悪感に呻いた。
光の中を走る『炎』の姿が蘇る。
自分を全うすることで、大切な人を殺していく。
そういう星の下に産まれた存在が確かにある……強いて言えば、今の鹿子だ。鹿子が何も知らずにのんびり暮らしていた裏で、すすむは人知れず苦しんでいたのかも知れない、浮気男、と罵倒されながら。
青い、青いすすむの顔が脳裏に浮かんだ。苦しそうな、辛そうな顔。
放出口を取り戻したことで、すすむは別の意味で苦しむかも知れない。鹿子を見捨てたと苦しむかも知れない。鹿子が居ても居なくても、すすむは苦しんでしまう。
(なら……本当に……いない方がいいのかも……知れない…なあ)
鹿子は悲しく笑った。
本当なら、六歳のあの夜に尽きていた命だったのだ。
何もかもを諦めようとした鹿子の心に、その時、一つの声が響いた。
『放出口を取り戻す……でも、その時、鹿子はある事を思い出すはずだ。どんな事を思い出しても、いいかい、ぼくが、今まで、ここに居たことを覚えていてね』
すすむの声。優しく、限りなく優しく囁かれた声。
突然、鹿子の体一杯に、違う『記憶』が溢れた。
悪夢を溜めながら、どうしてすすむは放出口を取り戻さなかったのか。
ーー『世界なんて滅びてもいい』ーー
あの『記憶』の破壊が始まった時、すすむはなぜ、鹿子から放出口を取り戻すことを渋ったのか。
ーー『嫌だ』ーー
そもそも、なぜ、放出口を与えたりしたのか、死にかけている少女一人に。
鹿子、と遠い所ですすむが呼んだ気がした。
行くな、鹿子、と。
なぜ、助けたか、わからない?
なぜ、あえて『記憶』を溜めることを選んだのか、本当にわからないのか、鹿子……。
鹿子は微かに心を震わせた。
(信じて…いい……?)
どこへともなく問いかける。
(あんたが……待ってるって……あたしが……帰るのを……)
鹿子は目を閉じ、息を詰めた。体の中に『記憶』を抱きかかえる。
(そうだ、もう一つ、方法がある。あたしが生きていて、それでもすすむを苦しめない方法……あたしがこの『記憶』を、自分で処理してしまばいいんだ。そう……これは、あたしの、もの)
傷みと苦しみに満ちた六歳の『記憶』。しっかり抱いて、それでも揺らぐことなく、未来を見て、今も捨てないで。
鹿子は大きく息を吸った。
心の中で宣言する。
(もう、大丈夫。あれは、六歳の時。もう乗り越えられる)
鹿子……。
遠い声が、また、呼んだ。
(今、行く)
鹿子は水の表面に昇る泡のように、闇の中を明るい方へ浮き上がっていった。




