第87話 約7万秒の差異の理由
2019/07/26 01:10頃 後書きを更新しました。
金曜日の更新をお休みさせていただくため、次回の更新は日曜日の予定です。
「さあさあ、理香。後生ですから、黙ってテスト問題を全部教えるのです」
図書館で勉強していたキイナが、理香の姿を見つけて駆け寄る。そして縋るような目を向けて訴えたのがこれである。
この図書館は、酒挽と理香が、白雪姫の蔵書検索を依頼したところだ。
ここから文化庁に理香の名前が通報され、キイナによる真夜中の全裸での来訪に繋がる、いわば始まりの場所であった。
そんな、ある意味感慨深い場所だというのに、キイナの切実な訴えのせいで、感傷に浸る暇すら与えてもらえない。
「何があった、当利?」
しがみついてくるキイナの腰に手を回して、軽く抱きしめ返しながら、理香が尋ねる。
「惨憺たる結果の賜物だよ」
そういうと、酒挽は、さっきキイナにやらせたテストの結果を提示する。
「これは……」
酒挽による採点結果がそこに書かれていた。
点数ではない。出題の数中、何問に正解できているか、という分数が書かれていた。
全科目を合計しても2桁に到達できなかった。それが、突き付けられた現実であった。
「……ここまでひどいとは」
点数換算するまでもなく、赤点確実な正答率である。
「なぁ、理香。本当に何とかなるのか?」
「とても何とかなるとは思えないのです! だ、んぅっ!?」
「図書館では、静かにな」
人差し指と中指をキイナの唇に押し当てて、その動きを抑え込みながら、理香は忠告する。キイナはそれに、黙って2度首を縦に素早く動かして応じる。
理香は指を話すと、キイナの横に回り込み、肩を抱くようにしてその体を引き寄せる。
「安心しろ、キイナ。別に、ドイツ人が作ったフランス語の問題文を読んで、アラビア文字で答えろと言われているわけではない。日本人が、日本語と英語で作った問題を読み解いて答えるだけだ」
「……随分、極端なのです」
唇を尖らせて、キイナが反論する。
「だが、決して不可能ではないことは、理解できるだろう?」
「むぅ……そう言われると、確かに大したことではないような気がしてくるのです」
日本語を日本語としてきちんと読解しさえすれば、簡単に答えられるような気にさせられる。
「テスト問題というのは、出題者と回答者のコミュニケーションに過ぎない。出題者が記した問題から、自分に何を求められているかを察知し、それを答案用紙に書き記すだけの話だ。そしてボクはすでに、その求められる何かを入手している」
「じゃあ私は、求められる内容をきちんと読み解いて、それに対応する答えを用意すればいいのです?」
「わかったのなら、早速、我が家で特訓だ。時間は有限なのだからな」
「了解なのです」
警官の敬礼を真似るような仕草をして、キイナはさっきまで座っていた席に出しっぱなしの荷物を片付けに行く。
「相変わらず、上手いな、その気にさせるのが」
一方、何一つ自分の荷物を出していなかった酒挽は、カバンを肩に引っ掛けて、すでに帰れる態勢が整っていた。
「モチベーションが低ければ、効率も上がらないからな」
そう答えたところで、早々にキイナが戻ってきた。
「じゃあ、行くのです!」
酒挽から見たキイナは、心なしか楽し気に見える。さっきまで、あまりの自分のできなさ加減のせいで絶望に打ち震えていたとは思えない程の回復ぶりだ。
まぁ、最初から「絶対不可能」という思い込みで自分を追い込んでいたところに「もしかするとできるかも」という希望の光を見い出せたのだから、当然なのかもしれない。
そんな、ややテンション高めのキイナに、理香は告げる。
「安心しろ、キイナ。連休のおかげで、時間は約10万秒もある。それだけあれば、赤点を回避するだけのことは教えてやれるさ」
「……ん?」
酒挽は首を捻り、キイナの表情からは笑みが消える。
「10……万秒、なのです?」
「十分な時間が確保されていると思わないか?」
「いや、2日間を秒で換算されても……」
酒挽の突っ込みは、キイナに掻き消される。
「それなら172,800秒でないとおかしいのです! 約17万秒。7万秒は、どこに消えるのですか!?」
「素晴らしいな、キイナ。そこで瞬時に疑問を呈することができるとは」
キイナの指摘どおり、2日間=48時間=2,880分=172,800秒である。差分の7万秒は約19時間相当。
「ボクも人間なのでな。キミの勉強に付き合うのは吝かではないが、最低限の睡眠時間及び食事の時間ぐらいは確保したい」
それが10時間弱×2日間。
「そうすると、この2日間は休廷ということでいいのです?」
「実質的にはそうなるだろうな」
「……実質的、なのです?」
キイナが首を傾げる。だが、酒挽には、理香の言葉が何を意味するのか、あっさりと理解ができてしまった。
「閑梨さんに大見得を切ったのだ。キイナに赤点を取らせるなんてボクのプライドが許さん。なので、きっちり追試で一発合格できるレベルになるまで、その身柄は人間界に留め置かせてもらう。裁判を口実に童話世界への逃亡を図られては敵わんからな」
裁判の審理を行うには、弁護人である酒挽が童話世界に出向く必要がある。
そして、異世界である童話世界に通じる扉を作り、酒挽を法廷へと導くことができるのは、弁護保佐人であるキイナだけ。
その二人の身柄、少なくとも、童話世界への扉を作ることができるキイナを人間界に留めておけば、法廷を開くことはできず、休廷へと陥ることになる。
「そんなことしたら、テールさんに怒られてしまうではないですか!?」
「『早く再開を』と督促する本人は、童話世界にいるわけだが?」
「テールさんも扉を作って、人間界に来られるのです!」
理香はそれを知っている。ほんのついさっき、テールと直接会っているのだから、当然、童話世界から人間界への往来手段は持っていることは、火を見るよりも明らかだ。
酒挽も、閑梨にキイナと居酒屋へ呼び出された時に、どうやら隣にテールがいたらしい、という未確認の情報を得ている。テール本人によるものかどうかはともかく、何らかの手段を講じて人間界との行き来が可能だということは理解している。
「しかし、追いかけては来るまい」
「なぜ断言できるですか!?」
キイナが食い下がってくる姿を見ると、相当テールにこっぴどく催促をされた経験があるのだろう。
それも、お互いが、検察側、弁護側と相容れない立場で、勝率百パーセントを誇っている以上、今回の裁判が始まってからの話になる。
「キイナが言ったのではないか。基本、弁護側の都合に合わせて審理が行われる、と」
「だからと言って、テールさんが督促しに来ないとも言い切れないのです!」
実のところ、理香はテールから、この連休中は休廷にする確約を直接本人から得ている。
しかし、極秘裏に会談をしている以上、その事実を伝えることはできない。
理香はため息を一つ吐いて、告げる。
「なら、閑梨さんに、こちらの邪魔をさせないよう申し入れを依頼するだけだ。幼女検事と文化庁には、何らかの連絡手段がある。そのルートを使って、釘を刺しておけばいい」
「むぅ……」
「確かにな」
酒挽とキイナは、閑梨に呼び出しを食らった時のことを思い出しているのだろう。
「閑梨さんからは、キイナに赤点を取らせないようにとの厳命を受けている。邪魔立てされるようなことがあれば、依頼の達成は難しい、と言えば、素直に応じるさ」
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