第84話 問われた挨拶
「お手間を取らせてすみません」
部屋に通された理香は、待ち構えていた人物に深々と頭を下げる。
場所は、先日酒挽とキイナが、閑梨たちと会合をした居酒屋。
個室になっている部屋にいたのは、文化庁文化部認知外文明管理課民間伝承係に籍を置く、閑梨琴、一人だけだった。
「いえ、こちらは一向に構わないのですが……でも、よかったんですか? キイナに無理矢理期末考査を受けさせるなんて」
「これくらいしないと、真に自由な時間を作れないものですから」
そう答えながら、閑梨が手で勧めてくれた向かいの席へと腰を下ろす。掘りごたつなので、制服のスカートでも、座り方を気にしなくて済む。
「それほど、キイナの相手は大変ですか?」
「大変ですね」
そう答えた瞬間、店員がやって来た。飲み物の注文を求められたので、オレンジジュースを依頼する。
「大変なのであれば、こちらの方で対応させていただきますが……」
「いえ、大変なのは夜の相手だけですから」
「……そうですか」
閑梨の返答まで、一瞬だけ間が開く。
どうやら、そこまでは監視も情報把握もしていないようだった。どちらかをしていれば、あるいは、キイナから話を聞いていれば、それが理香の嘘だと、すぐにわかるはずだ。理香がキイナを構って遊んでいることの方が圧倒的に多いのだから。
とはいえ、このまま虚偽の事実を鵜呑みにされても困る。
理香はさらりと言葉を続ける。
「多少寝不足気味でして。こちらがまだ眠っている時間でも、扉を出現させて開けるよう要求してくるのだけが大変です」
これは嘘ではない。理香が予測したことに対し、その裏付けのために裁判記録の確認を依頼すると、大抵朝早くにノックの音で起こされる。
そして、称賛されるのだ。「すごいのです。理香の言ったとおりだったのですよ」と。
キイナの気持ちはわからなくもない。
白雪姫裁判の第一審裁判記録を確認して、裏付けが取れるのは、うれしいのだろう。なにせ、積めば天井まで届くほどの記録を確認するのだ。無駄な努力にならないことが確定すれば、それはテンションも上がる、というものだ。
「なので、折を見て、キイナからの電話連絡を許可していただけると助かります」
人間界と童話世界とを繋ぐ扉を、自由に出現させることのできるキイナ。扉は取っ手がなく、人間界側から押すことでしか開けることができない。
しかし、扉に近づけば、人間界から童話世界に持ち込んだスマホが、電波を拾うため、電話やメールが辛うじて可能なのだ。
「……さすがにそれは、機密事項に該当しますので、そう簡単には」
「私よりもむしろ、酒挽くんに対して連絡するように許可を出してください。スマホを持っているのに、学校ではいつも一緒にいる彼と、一度も電話連絡を行っていないのは、不自然に思われます」
「う……」
閑梨の言葉が詰まる。
「私はいいのです。校内は基本スマホの使用が制限されていますし、キイナとは一緒に私の家に帰りますから。夜も一緒だと思われているため、電話をかける必要性がない理由は、いくらでも立てられます。
しかし、酒挽くんの場合はそうはいかない。むしろ、四六時中私と一緒にいるからこそ、隠れてコソコソメールのやり取りをするぐらいの関係性がなければかえって奇妙です」
「それで、キイナさんと酒挽さんを直接電話連絡できるようにして、あなたには、どのようなメリットがおありなのですか?」
何の前触れもなく戸が開かれた空間に、セーラー服の少女が立っていた。
理香がそちらに目線を動かして、彼女の顔を見据えてから答える。
「裁判記録を何度も見返さなければならないことに対する愚痴の捌け口になってもらおうかと」
「なるほど。確かに彼女にとっては、語れるのは、酒挽さんかあなたしかいないわけですからね」
少女は部屋の中に入ると、後ろ手で戸を閉める。
「遅くなりました」
そう言うと、閑梨の隣に座る。
「ちょっと! こっちの話が終わったら呼びに行くって言ったじゃないですか!?」
「あら? 隣で待機させたということは、閑梨がピンチになったら問答無用で駆けつけて欲しいという気持ちの表れだと思っていました」
セーラー服少女が、肩を竦めながら閑梨に軽口を叩いている。
言われた方は「そんなわけないじゃないですか……」と額を押さえていた。
「……初めまして、というべき? それとも『お久しぶりです』とご挨拶するべきかしら?」
理香の顔を見つめたまま座るセーラー服に身を包んだ幼女検事、テールが尋ねてくる。口元には不敵な笑みを浮かべているが、目が全く分かっていないのが見て取れる。
一方の理香は、穏やかな表情でテールのことを見ている。ただ、その表情は、微笑を顔に貼り付けているように見える。
「ということは、あなたはボクに、会った記憶がある、ということだな?」
今でも時折見る現実離れした光景。幼いころの記憶。
その中に、テールの姿があったことを、理香は何となく覚えている。
彼女の言葉を聞かなければ、おそらくそのまま夢で処理されていただろう、曖昧な記憶。
それが今、テールの発言で、現実だったと確定した。
「おっしゃるとおりです。平理香」
こちらから名乗りを上げていないにもかかわらず、フルネームを告げてきた幼女検事。
「あの……せっかく二人盛り上がっているところ、申し訳ないのですが」
閑梨が、いたたまれない様子でそろそろと手を挙げる。
「先に、表向きの用件を済ませてよろしいでしょうか?」
理香とテールの視線が、閑梨に突き刺さって数秒。無言で先を促されることを察して、分厚い封筒を取り出す。
「では、こちらが依頼されたものです」
「拝見いたします」
封筒を受け取った理香は、中身を取り出さず、上から覗き込むようにして中の書類を改める。
見たところ、試験問題なのは間違いないようだ。
「確かに。ありがとうございました」
封を閉じ、通学カバンへと丁寧にしまう。
「あの、くれぐれも、キイナが赤点を取るような事態だけは避けていただきたく……」
「それは、お約束いたします」
「随分と自信満々に言い切りますね」
頬杖をついたテールが、呆れたような口調で告げる。
「キイナの性格と能力から考え、最も効率的な方法で教えますから」
そういう理香の手は、厭らしくワキワキと蠢いている。
「なるほど。体に覚え込ませるわけですか」
「覚えなかったら、どんな目に遭うかを、ね」
察しのいいテールに対して返した理香の答えを聞いて、引き攣った笑いしか見せられない閑梨なのだった。




