第82話 キイナのスマホ
おそくなりました。
――電話をしたい。時間が空いたタイミングでメールが欲しい。
夕食を食べ終わった酒挽がスマホを確認すると、理香からそんなメッセージが届いていた。
部屋に戻ってから、了承の返信をすると、すぐに電話がかかってくる。
『すまないな、時間を取らせて』
電話の向こうで、理香がそう言ってくる。
「いや。で、どうする? そっちに、行こうか?」
何でもないことのように、さらりとした口調で言ってみる。
元々酒挽は、夕食を食べるために一旦帰宅した。だから、夜遅くに女子の家に出向く、ということを意識していないと主張するために、敢えて自ら話題に出した。もちろん、内心では全く平穏ではない。
『キイナには童話世界に戻ってもらっている。当利が言っていた裁判記録を確認に行っているが、少し時間がかかるのではないだろうか』
その言葉に一瞬息を呑む。
それはつまり、今理香の部屋に行くと、二人きりになる、ということだった。
おそらく理香はそんなシチュエーションでも平然としているだろう。
一方の酒挽は心中を穏やかにするために、どれだけの演技力を動員しなければならないだろう。
『ま、幸いにも明日は半日授業だ。慌てずとも時間はある。キイナの調査結果を待ってからの方が、話はスムーズだろう。だから、今日はいいのではないか?』
言われてみれば、今日は金曜日だ。童話裁判を夜行うことにすれば、いつもより時間は確保できる。
『それに、少し今までの話について整理をつけておきたい』
電話を切った理香は、大きく息を吐き出す。
今更ながら、あの幼馴染と部屋で二人きりになることに躊躇する日が来るとは思わなかった。
放課後の部室。酒挽とのキスシーンを演じてみた。
中学の時、童話「白雪姫」の舞台を、二人で演じたらしい。そしてその時、理香は酒挽にキスをしてしまったらしい。
自分には記憶にないが、酒挽の反応から、それはほぼ確実なのだろう。
だから、どうしても知りたくなってしまったのだ。その時と同じ状況を作り出したら、彼がどのような反応を示すのか、を。
結果、酒挽は怒った。困惑ではなく、怒りの感情を出してきた。
――ボクとの思い出が、よほど大切なのだというのは、自惚れなのだろうか。
茶化すつもりでしたわけではない。
だが、軽々しく再現を、などという考えを見透かされていたのかもしれない。
だから、彼はキスを拒絶した。
もちろん、理香もするつもりはなかった。なかったのだが、止まらなかったのだ。
結局、酒挽が寸前で止めて、事なきを得た。
――事なきを得た?
大事に至らずに済んだ、という自分の思考に思わず苦笑いをしてしまう。
失われた「白雪姫」の記憶のどこかに、中学の時のキスシーンが紛れている。その時の二人は、何をどうして気まずさから関係を回復できたのか。
そして、今の理香に、それができる自信はなかった。
――まだまだ、修行が足りないな。
理香はじっと鏡を見る。
そこには、顔を引き締めようとしているにもかかわらず、僅かに笑みが零れている自分の何とも言えない表情が見えた。
――さて。
掌で頬を軽く打ち付け、スマホを手に取る。
操作して電話帳から選び出したのは「閑梨」の名前。少しだけ画面を見つめて、緑のボタンを押し、耳に押し当てる。
呼び出し音が数回。
『閑梨です』
文化庁文化部認知外文明管理課民間伝承係の役人。キイナの身柄を、理香に預けている立場の存在だ。
「夜分にすみません。七つ坂高校の平理香です。今少しお時間、大丈夫でしょうか?」
『構いませんよ? キイナのことでしょうか?』
「いいえ。童話裁判のことでお聞きしたいことがありまして」
『どういったことでしょう? 正直申し上げると、守秘義務に抵触することになりますので、あまり詳しくはお話しできないのですが』
「キイナが持っているスマホですが、あれはそちらで用意したものですよね?」
『ええ。そうです。連絡用にお渡ししました』
だからこそ、櫛の鑑定で休廷が3日間に及んだ際、タイミングよくキイナに連絡が入ったわけだ。
おそらくGPSでの追跡も行っているだろう。そうでなければ、人間界にいる間に連絡ができないだろう。よもや童話世界にまで携帯電話会社の電波が繋がっているとは思えない。童話世界の存在を知るのは、ごく一部の人間のはずだ。
だからこそ、疑問が生じる。
異世界人の存在は、極秘裏とされている。
一方で、キイナは、童話世界との扉を好き勝手に出すことができる。
扉を出す場所とタイミングを指示してあげなければ、無関係の人間に目撃されてもおかしくはない。
ならば考えられる可能性は一つ。
異世界との通信手段が、実は存在するのではないか。
理香はそう推理した。
だが、理香が知る限り、キイナが持つスマホは、ごくごく普通の物にしか見えなかった。
特別な処置が施されていなければ、可能性が一つだけある。
「キイナからなら閑梨さんに電話やメールができるのではありませんか? 童話世界からでも」
しばしの沈黙。
『……なぜ、そう思いましたか?』
否定ではなく疑問。それが答えになってしまっていると、閑梨は気づいているのだろうか。
あくまでも可能性の問題だった。
「童話『白雪姫』の第一審で極刑の判決が下り、私と酒挽くんが図書館に出向いて「白雪姫」の名前を告げるまで、どれだけの期間があったかはわかりません。
しかし、二人が図書館に行ったその日の真夜中に、ピンポイントで私の家、それも部屋に登場するのは、あまりにもタイミングが良すぎますし、情報も的確過ぎます。
かといって、毎日キイナが人間界に現れては、目撃されるリスクが大きい。
おそらく、キイナは扉をどこか目立たないところに出現させ、その近くでスマホを操作。童話世界から扉は明けられなくても、人間界の電波は受信できるのではないかと考えました」
閑梨から「白雪姫を知る者現る」とメールでも留守電でも入れておけば、キイナは任意のタイミングで電波を拾い、情報を入手することができる。
必要とあらば、閑梨に電話をして、扉を出現させる場所とタイミングを確認して、そこに言われたとおりに作り出せば、往来が可能になる。
思えばキイナが最初に理香の家に扉を出現させたときは、ノックと理香の名前を呼びかける声でその存在を主張した。そこまでしなければ人間界との往来ができないのであれば、不思議な扉の存在はもっと都市伝説級に広まっていてもおかしくはないはずなのだ。
電話の向こうで、ため息が聞こえる。
『キイナが酒挽さんの話しかしなかった不自然さに、もっと早く気が付くべきでした。あなたの方がよっぽど警戒すべき人物だったわけですね』
「誉め言葉だと思っておきます」
『それで、そんなことを確認して、どうしようというのですか?』
もはや隠し立てするつもりもないらしい。
「一つ、伝言をお願いします」
『キイナになら、明日直接言えばいいではありませんか』
理香は「いいえ」と首を振る。もっとも、閑梨には見えていないだろうが。
「テール検事に、キイナには秘密裏にお会いしたいと、お伝え願います」




