第73話 キスシーン
すみません。遅くなりました。
「そもそも、何でキスシーンがあるんだ?」
七つ坂高校、放課後の演劇部室で、酒挽が腕を組みながら天井を睨みつけていた。
すでに通常の活動は終了し、他の部員は帰っている。
この後、昨日の宮廷の続き――王子の証言を求めることになるため、3人は物語の検証を行っていた。
テーブルには、理香が書いた『森の姫君』の台本。ちょうど、王子が姫にキスをする場面が開かれている。
隣に座る理香は、台本に落としていた目線を、そのまま酒挽へ。下から覗き込むような形になる。
「シーンごとに要否を検証されたら、物語なんでものは成立し得ないのだが」
「いや、そうなんだけど……」
いくら見た目が美しい女性とはいえ、相手は棺に入っている死体なのだ。通りがかった王子が唐突にキスをする不自然さは、どうやったって拭い切れない。
その点は、理香も認めていることだ。
「死体を棺ごとお持ち帰りすることの方が、よっぽど不自然だと思うのです」
もう一人残っているキイナが応じる。
童話裁判の対象となっている童話『白雪姫』では、王子は白雪姫とキスすることなく、棺に入ったままの死体をそのまま城へと運ばせた、という証言が出てきている。
「目覚めたときに、自分を助け出してくれた王子様の顔が間近にあるのは、ロマンチックだと思うのです」
うっとりとした表情で、神様に祈りをささげるように手を組み合わせるキイナ。
「理香は、何を思って書いたんだ?」
「インパクト重視だな」
「……身も蓋もないな」
「思春期真っただ中の高校生が演じる劇で、キスシーンをやれば、黄色い悲鳴が上がるほどのインパクトが与えらえる。キスする行為自体のインパクトが大きいから、なぜキスをする、という理由は、観客の中では些末な問題に格下げされる」
随分と打算的な脚本構成だ。これならまだ、キイナの主張する「ロマンチック」の方が、なんぼかマシな回答のような気がしてならない。
「だからこそ、このシーンでは王子の演技力の高さが試される」
理香はそういうと、伸びをするようにイスの背もたれに自分の背中を預ける。
「姫について小人から説明を受けた王子は、ただの一言も言葉を発することなく、姫にキスをする。間と表情、仕草……それだけで王子役はすべての心情を語らなければならない。むしろ、無駄にセリフで説明してしまうと、死体を前に興奮する変態が、言い訳をしているようにしか聞こえないと思うのだ」
セリフで心情を説明する。それは確かに演劇的なのかもしれない。
しかし、それが過剰に行われれば、どうしたって陳腐さが滲み出てしまうことになる。
「……とはいえ、王子役に演技力がなければ、そんなことも言っていられないのでな。一応、作ったセリフはある」
あまり乗り気ではない表情を浮かべて、理香は頭を掻いた。
「へぇ。どんな?」
理香は酒挽にちらりと視線を向ける。
「……やって見せるから、そこに寝ろ」
理香が指差したのは、長机だった。
「お姫様チックに頼む」
「……俺に姫君をやれってのかよ」
他の解釈があったら教えて欲しいところだが、酒挽には多少抵抗をしたくなる気持ちがあった。
これは、中学の時にやった舞台『白雪姫』の再現だ。王子を理香がやり、白雪姫を酒挽がやった思い出の舞台。
「無理にとは言わん。ボクとしては恥ずかしいセリフを吐かなくて済むからな」
常に冷静な理香をして「恥ずかしい」と言わせるセリフ。是非喋らせてみたいという好奇心が疼く。
酒挽はあっさり机の上に横たわった。両手を胸の上で組み、目を閉じる。
「そこまでしてボクを辱めたいか」
「興味があるからな」
「私も、理香の恥ずかしがる芝居を見たいのです」
「……いい性格しているな、二人とも」
ため息を一つついた後、理香は大きく深呼吸をする。ゆっくりと吐き出すのに合わせてゆっくりと瞼を閉じた。
フッと勢いよく息を吸い込んだ理香は、目を開く。
理香の雰囲気が一変していた。
「この美しい方は、本当に亡くなっているのか? まるで眠っているかのようではないか」
普段の理香から見れば少し低い声。いきなり理香は王子になりきっていた。
王子は伸ばした手の甲で、そっと姫君の頬を撫でる。
「もう3か月だと? 馬鹿な! こんなにも生き生きとしているではないか!!」
そう言うと、王子は、横たわる姫君の上半身を抱き上げる。
「この赤い頬。血が通っていないとはとても思えん……そうか、お前たちも死んでいると信じたくはないのだな」
王子は、姫君の周りで悲しみに暮れている小人たちを見回し、大事なものを扱うように、そっと姫君の体を横たえる。
「私がここに来たのも何かの縁。先例に倣い、弔問客の一人として、別れの挨拶をさせていただきたい」
王子は胸に手を当てて一礼をすると、ゆっくりと顔を姫君に近づけて、そのみずみずしい唇にそっとキスを――。
「待った!!」
お互いの唇同士が触れる直前、酒挽の人差し指がその接触を阻んだ。
理香が閉じていたまぶたを開く。
「のめり込み過ぎだろう?」
少し赤い表情で、酒挽がたしなめる。
傍に立っていたキイナは、顔を両手で覆っていたものの、指の隙間はしっかり様子を覗ける程度に開いていた。
「ああ、すまない。つい夢中になってしまった」
一センチまで接近していた距離を数十センチ後退させ、理香は謝罪する。その表情には照れや動揺は全く見られない。
「とまぁこんな具合だ。とても素面じゃやっていられん」
「……酔っ払ってなきゃ、やってられないってことかよ」
「自己陶酔の一つや二つしていなければ、あんなセリフは吐けんぞ」
ニヤリと笑いながら理香は答えた。上手いこと言ったつもりなのだろうか。
「……そうかよ」
酒挽の声には怒気が少し籠っていた。
キスシーン。
生身の男子と女子なら、一大イベントだ。
なのに理香は、酒挽の事を単なる芝居上の相手役としか捉えられていないように振る舞っている。まるで「相手は誰でもいい」と言わんばかりに。
酒挽は半身を起こして机から降りる。
「先に帰る」
酒挽がカバンを乱暴に掴んで部室を出て行こうとするのを、理香は「ああ」と応じて大人しく見送るだけだった。
「え? あれ?」
部屋の中の空気が一気に険悪になったことを、キイナは敏感に感じ取ったのか、酒挽と理香を何度も見比べる。
「キイナも当利と帰れ」
そう言うと、理香はしばらく部室に残ると言わんばかりに、イスに座ってしまった。
「でも……」
「わかっている。当利の機嫌が悪いのはボクのせいだ。少し時間を置いて、謝るさ」
理香は手の仕草で「行け」と言う。
「じゃあ……また後でなのです」
キイナは理香をちらりと見てから、酒挽の後を走って追いかけて行った。
「まったく……長い付き合いなのだから少しぐらいボクの嘘を見抜いてくれてもいいだろうに」
誰もいなくなった部室で理香はぽつりと呟く。
それは、愚痴を言っているようでもあり、本心を見抜かれずにホッとしているようでもあった。
部室には夕刻の太陽が差し込み、彼女の顔を赤く照らしている。彼女の口元はわずかに綻んでいた。




