第39話 第三の殺人未遂――証拠品『櫛』
物証が出てきた以上、それを確認しないという選択肢はない。
テールが証拠品を持ったまま証言台を離れる。
「お使いになります?」
尋ねられた酒挽は、テールに近づくと、ジッパー付ビニール袋に入ったままの櫛を受け取った。
「裁判長。証拠品の鑑定結果を確認したいのです」
弁護側の席からキイナが声を上げる。
「では、検察側から説明を」
裁判長が告げる。どうやら証拠品関係は、検察側の領分らしい。もっとも、弁護側には物証を収集する機会も能力もないわけなのだが。
テールは、自席に戻って、座ることなく話を始める。
「先程説明したとおり、櫛は小人の家で押収しました。
小人の申告では『毒が含まれている可能性がある』とのことでしたので、分析した結果、ヒスタミン、セロトニン、アセチルコリン、ホーネットキニン、マストパラン、マンダラトキシン、ベスパキニン、ホスホリパーゼ、プロテアーゼの成分が、櫛の表面から検出されました」
とはいえ、そんなカタカナを羅列されたところで何が何やら。酒挽には全く理解できない。
「簡単に言えば、スズメバチの毒に含まれている成分です。炎症作用を起こすもの、神経毒などが含まれています」
キイナが裁判記録で見たという内容どおりのようだ。表面から検出された、ということは、毒が櫛に塗られていたということになる。
「外形は非常に綺麗に仕上げられています。が、櫛の性能としては出来は良くない、というのが評価になるでしょうか……櫛の歯の部分に問題があります」
櫛の歯、というと、実際に髪を通す細い部分だ。
「歯の部分の仕上げが雑で、ザラつきが見られました。髪を梳く際に、なめらかに通らず、多少の引っ掛かりを覚えるものと想定されます」
白雪姫の証言に『上手く梳けずに髪が引っ張られたのかと思った』とあった。白雪姫の髪が傷んでいたのか、櫛の出来のせいか、あるいはその両方が原因だと考えられる。
テールの説明は続く。
「また、歯の先端は若干丸みに欠けるため、頭皮を傷付ける恐れがあります」
恐らく、そのせいで白雪姫の頭皮が傷つき、櫛に塗られた毒が体内へと侵入。アナフィラキシーショックを引き起こしたのだろう……そう思ったのだが、こちらの考えを見通しての事なのか、テールは淡々とこちらの想定を覆してきた。
「――ですが、被告人の頭皮に傷の痕跡はありませんでした」
「傷痕が、ない……?」
酒挽が思わず聞き返す。
「ええ。もちろん、時間経過とともに治癒している可能性も否定はできませんでした。しかし、櫛に含まれていた『ヒスタミン』は炎症作用を引き起こします。その痕跡すらありませんでした。
さらに付け加えるなら、もし、証拠品により被告人の頭皮等が傷ついたのであれば当然付着するはずの皮膚成分が付着していませんでした」
テールは勝ち誇ったような表情を浮かべて補足してきた。
想定されたのは、蜂毒が白雪姫の体内に侵入したことでアナフィラキシーショックを起こした結果、意識を失ったということ。
しかし、今の話を総合すると、櫛は白雪姫の肌のどこも傷を付けていないため、塗布された毒が体内に侵入する要素がないのだ。
「また、証拠品からは、小人の指紋だけが検出されました」
テールは「以上になります」と宣言すると、着席した。
酒挽は、一つ深呼吸をする。まずは情報の整理が必要だ。
キイナが裁判記録で確認した症状から、理香は白雪姫が「アナフィラキシーショック」を引き起こしたものと想定した。
そして、実際櫛には、スズメバチの毒の成分と同じものが仕込まれていた。
もちろん、スズメバチの毒が体内に入ったからといって、必ずアナフィラキシーショックを起こすわけではない。が、王妃なら自分の子である白雪姫が、どのようなものでアナフィラキシーショックを引き起こすのか、把握していた可能性は高い。
だから、第三の殺人未遂事件でも、王妃の犯行の可能性を排除できない――それが、こちら側の理屈であった。
しかし、テールが今説明した内容では、白雪姫の体内に毒は入りこんでいないことになる。
そこが否定されれば、王妃の関与の可能性は主張困難になってしまう。
「櫛が洗われた跡は?」
「されていれば、塗布されていた毒も流されていたでしょうね」
「確認するが、白雪姫や物売りのものと思われる指紋は?」
「先程も述べたとおりです。小人以外の指紋は、一切付着しておりませんでした」
テールがきっぱりと断定する。
可能性は低くない。
白雪姫の証言では、物売りの婆が櫛を見せたところ、どうしても欲しくなって家に入れてしまい、その後、物売りが「髪を梳いてあげよう」と言って櫛を使ったことになっている。
白雪姫自身が商品を手に取ったかどうかは、実のところ証言されていない。
「白雪姫。あなたは、自分でこの櫛を手に取りましたか?」
「あの……お金をお支払いしたら、すぐにおばあさんに『梳いてあげる』と言われたので……一度もそれには触っていないんです」
それなら、白雪姫の指紋が検出されなかったのも頷ける。
では、物売りの婆はどうなのか? 指紋が付かない可能性は2つ。去る時に指紋を拭き取るか、あるいは……。
「物売りのおばあさんは、手袋をしていませんでしたか?」
白雪姫は酒挽の質問に、少し考える仕草を見せてから、答えた。
「していたと、思います……あ、いえ、していました。髪を梳いて貰う時に、手袋をしていたのを確かに見ました」
最初は自信のない口調。転じて断定。
ある意味予想どおりであった。
指紋を残さないもう一つの可能性は、指紋をふき取ること。
しかし、そんな事をするぐらいなら、櫛をそのまま持ち去れば事が足りてしまう。わざわざ櫛を放置する理由がないのだ。
「裁判長、一応、白雪姫の蜂毒アレルギー検査をお願いしたいのですが」
酒挽が訴える。
せめて、白雪姫が蜂の毒でアレルギー症状が出るかどうかだけでも確認しておくべきだ。
一矢報いたいがための抵抗、というわけではない。
なぜ現場に毒を塗った櫛が残されていたのか。その理由を考える必要がありそうだと、酒挽は考えたからだった。
「ま、そんなことを調べたところで、反証にもならないと思いますが」
テールはため息交じりに呟いて、酒挽の依頼に同意をした。




