192 幼女、頼もしく思う
「今の現状は、ユラたちにお願いして、このスタジオの外側から、もともと沼のあった『源泉』へ向けて範囲を狭めながら、異常がないか探って貰ってるの」
穂乃香の報告に、なるほどとうなずいた茉莉は、いつものスマホではなく、ノート大の端末を取り出して電源を入れた。
「茉莉お姉ちゃん、それは?」
「見てくれたらわかると思うけど」
茉莉は言いながら操作すると、白い画面に無数の黒い線が描かれた図面が現れる。
「このスタジオの見取り図、色々とメモしておいた方がいいかと思って」
「おおっ」
画面に表示されたスタジオの見取り図は、各部屋の大きさで入り口が一見するだけでわかるようになっていた。
もっとも、各部屋の使用用途や部屋名などは記載されていないので、詳細までは補足が必要な白地図のようなものである。
「これに、情報を追加していけば、管理も容易いかなと思って……」
そう言いながら、茉莉は素早く指を動かして、見取り図に描かれた部屋の一つを中心にして拡大して見せた。
「えと、ここがここ?」
コテンと小首を傾げた穂乃香に、茉莉は頷きで応える。
「そう、ここがこの控室」
「なるほどぉ、これは便利かも……」
見取り図を見つめながら、穂乃香は感心した様子で深く頷いて見せた。
すると、そこへ、千穂がひょっこりと顔を見せる。
「穂乃香ちゃん、茉莉、何見てるの?」
「千穂お姉ちゃん!」
顔を上げて、その名を呼ぶまでは良かったものの、続く言葉が思いつかずに穂乃香は動きを止めた。
これまでであれば、そこでしどろもどろになった穂乃香が、焦りで事故を引き起こしてしまうのだが、今隣には優秀な相談相手であり、頼れる弟子がいる。
「ああ、スタジオの見取り図を見て、お手洗いの場所とかを教えてたの、ここ建物が古いから結構複雑でしょ?」
「えー、その役、私がやりたかった~」
「気付かない千穂が悪いんです」
「むぅ」
澱みのない展開で、さらりと千穂に不信感を抱かせることなく会話を進めた茉莉は、二ッと笑みを浮かべた。
その表情の変化に、拗ねて頬を膨らませていた千穂が、わずかに表情を曇らせる。
が、千穂のそんな表情も、続く茉莉の言葉によって、笑顔に塗り替えられた。
「そんな顔しないで、千穂も一緒に教えるのに参加したらいいじゃない」
「え、いいの?」
子供のように目を輝かせて、千穂は茉莉に問う。
茉莉はそれに頷きながら「別に、教える役を独占したいわけじゃないし、あーただ……」と返した。
「ただ?」
ごくりとつばを飲み込みながら喉を鳴らした千穂は、茉莉の続く言葉を待ち構える。
「穂乃香ちゃんが、いいよって言ったらね?」
茉莉の言葉に目を丸くした千穂だったが、それもそうだと納得すると、早速視線を穂乃香に向けた。
対して、穂乃香は苦笑を浮かべつつ頷く。
「やったー、じゃあ、私も参加します!」
はーいと右手を上げて宣言した千穂に、穂乃香は「よろしくおねがいします」と頭を下げた。
千穂に、撮影の見学に来てる月奈のテストをすると聞いた穂乃香は、見取り図を前にした茉莉に後を頼むことにした。
「茉莉お姉ちゃん、ユラが仲介をしてくれるから、まずは見取り図をお願いします」
茉莉にしか聞こえない程度に絞った声で、穂乃香が囁く。
ついで、穂乃香と茉莉の間に戻ってきたユラが声を発した。
『茉莉、我の声が聞こえるかの?』
穂乃香の脳裏に、普段の音を介さないユラの声が響く。
これは『伝心』と呼ばれる思念を直接対象の脳裏に伝える能力であり、眷属となったユラ、青葉、蜜黄、黒華であれば、互いに交わし合えるものであった。
そこには、距離、空間といった物理的障壁はなく、地上と上空数百メートル、数千メートルでも、あるいは音を遮断する防音室の中と外でも、海中であっても隔たれることはない。
一方で、使用者がいかにターゲットに認定したとしても、魔力的素養がないものには一切聞こえない類のモノであった。
それゆえに、茉莉にユラの声が届くかどうかは試すしかないため、何の前振りもせずに、穂乃香は声を掛けさせたのだが、数日前からこれまでの経過の中で、才能を開花させたのか、あるいはもともと素養を持っていたのか、茉莉は口元に笑みを浮かべると、耳を指さしてから、OKとばかりに親指と人差し指で輪を作って見せる。
『ふむ、では、主殿はこの場を離れるが、我らは見取り図を作り上げるかの』
「穂乃香ちゃん、こっちは済ませておくから、安心して友達の応援をしてきて」
ユラの言葉に頷きつつ、茉莉は誰に聞かれても問題がない言葉を選んで、穂乃香にそう告げた。
だが、妙に勘の鋭い千穂が首を傾げる。
「済ませるって何を?」
その千穂の問いに、わずかに肩を震わせた穂乃香とは対照的に、茉莉は冷静で落ち着いていた。
「後片付け、ゆかりさんに協力してもらって、帰る準備をしておこうかと、ね」
「え、そうなの? じゃあ、私も……」
「私を手伝ってくれてもいいけど、千穂は穂乃香ちゃんを、月奈ちゃん達のところに連れて行かなくていいの?」
「あ、そうだった! ……じゃあ、ここは茉莉に任せるよ」
「了解~」
そうして会話を終えた千穂に手を引かれて歩き出した穂乃香は、茉莉の頼もしさに感動を覚える。
様々な思いを込めて、振り返りながら穂乃香は空いてる手を振った。
「ありがとう、茉莉お姉ちゃん、後はお願いします!」




