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諸所諸々のエッセイ  作者: 粘土
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出逢い

タイトルに出逢いと書きましたが、実際には主のタイトルです。皆さんはそんな『出逢い』が有りますか?

 世界に、此の星に息づく人は現在十三億だと云う。数えられていない、認知されていない人達も居るのだから、実際には恐らく、少なくとも後一億人は居るだろう。詰まり、此の世界には人が満ち溢れているという事だ。間違いが有っては困るので判然はっきり云うが、僕は其れを責めているのではない。寧ろ、数えられていない、世界と世間に生きる人達の方が自由だ。自由闊達だ。彼等は外から来る者達を否定しないし、かと言って、其の事で人を妬んだりはしない。世界に圓満えんまんする欲と云うものを最も忌み嫌っているのだ。自らの住む村には田んぼも在る。蛋白源として鳥も、豚も、田んぼを耕す牛も飼う。其れの何処に戒める理由が有ろうか。だからして、彼等に罪は無く、寧ろ外からの珍客を持てるばかりのもてなしを以って、奇跡の様な『出逢い』に感謝し、心からの畏敬の念を本当に、本気で伝えて呉れる。場合に因っては、其の客人の村を去る時には泪を流し、別れを惜しむ人も居る。彼等にとっては他の国から来た人間は極稀なのだ。然も、文明やら、独自のまつる神々に対しての御礼おんれいと、奇跡と云っても過言でない程の『出逢い』と、たった一時ひととき交流に美しき泪を、想いの証として、此方の想いに応えて呉れる。本来、人との交わりとはそういうものなのだ。奇跡、偶然、有るくしての邂逅かいこうんな『出逢い』も、其れが真実なのであり、本来在るき姿なのだ。そして、其れは野生の動物にも云える事。何故、唐突にそんな事を云うのかと怪訝に思う人が之を読んで思う事の一つだと思う。ならば、問い返そう。自然と、其処に生きる命が無ければ人は之まで生きては来れなかったからである。全く以って凡ては人の為せるわざではないのだ。時折起きる僥倖ぎょうこうに従って、新たな境地を、いや、忘れていた幸福へのみちを思い出すのだ。其れは正に運命だと云えるだろう。何故なら、人は奇跡を起こせない。僥倖など造れるものではない。一つだけ持っているのは“偶然”だけだ。其れにしても起こってからでないと何一つ解らない。即ち、人とは万能な訳でもなく、優秀な訳でも無いという事だ。『出逢い』が有ってこその今に生きる方策なのだ。其れも、望めば必ず適う訳では無い。我慢、辛抱、経験、努力の賜物なのだ。一応云って置くと、我慢と辛抱とは少なからぬ相違が有る。そんな事は誰でも解り切っていると思いたい。いや、何時いつしか解って貰えると願いたい。そして、其の時には之を書いた意味を理解して貰えると信じたい。まぁ、僕はプロではないので独りよがりの勝手な妄想だと思って呉れたら好い。最後にちょっとだけ愚痴を洩らそう。「不眠症とは、てんかんの持病持ちにとって、最低、最悪の病だ」。いずれ死んだ時には“カミサマ”に喧嘩を売りに行こう。若しも勝ったなら、君達に幸福を捧げよう。そして、好いかい? 此の世界は『出逢い』が凡てだ。能く能く考えて呉れたまえ。

何故、タイトルが出逢いなのか解りますか? 平仮名に戻して並べ直してみて下さい。有名な哲学者の唱えた『世界』の名になりますよ。

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