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諸所諸々のエッセイ  作者: 粘土
13/66

遺書に近い物

実際、死にそうです。

 私は何も出来ませんでした。働きに於いては無に等しいでしょう。兎も角、何も出来なかったのです。最早無価値と云える私を、あなた方は営みの一部として、最期まで支えて呉れました。だのに、私の出来る事は一つだけ。只、“生きる”と云う事だけでした。然し、其れすら全う出来ず、今、正に死に近付いています。そもそも、私には生きると云う事の意味が解らないのです。“生きる”とは何んな意味が有るのか? 誰にとって好い事なのか。其れが全く解らないのです。私一人居なくとも、町も社会も世界も廻ります。ならば、私と云う存在は何の為に在るのか? 判らないのです。手を取る人も居ないのに、何故此の存在を認めなければならないのでしょう。何度考えても答えが出ません。自身が笑う事にすら興味が有りません。他人ひとが笑う事にしか興味が有りません。

 私が喜ぶのは自愛であり、只の自己満足なのです。例えば、私が何んな苦しみにあっても、誰かが笑って呉れるなら、其の方がずっと嬉しい。自分が楽しむのは大いに結構。然し、自らの力で他人を笑わせる方が遥かに嬉しいのです。他人が笑って呉れる事にこそ、私の幸せだから。極端に云えば、私は死んでも好い。私の行いで笑って呉れるなら、死んでも好い。其処に私が書き物をする理由が有るのです。少なからず、私の書き物に感銘を受ける人が居るならば、ポジティブでもネガティブでも、マイノリティーでもマジョリティ―でも、たとい、インディビジュアルでも意味の有る物として待って呉れて居る人が居る事に喜びを覚えます。プロでなくとも、其れは価値の有る事。故に、私は他人の喜ぶ事を自らながらの命よりも、私の物を持って行く人を支えたい。たとい、其れが、他の人から見たりなば、無駄であるとしても。何うか其れを御理解頂きたい。草々。

遣れるまで、遣ります。

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