第1話 花びらは内緒に
登場人物紹介
◆柴崎 小春
白藤女学院・高等部一年生。高等部から入学した外部生。
「ごきげんよう」の挨拶にも、お茶会の作法にも、まだ緊張してしまう。真面目で一生懸命だけれど、張り切るほど少しずつ空回り。頭の中では、意外と冷静に自分へ突っ込んでいる。
憧れの玲と案内当番で組むことになり、旧館の見取り図を作り始める。学院の道は覚えられても、先輩との距離の縮め方は勉強中。
◆早坂 玲
白藤女学院・高等部二年生。生徒会副会長。
初等部から学院に通う、落ち着いた物腰の先輩。細やかな気配りと綺麗な笑顔で、小春が入学式の日から憧れている人。
仕事は頼もしくこなす一方、紙の花の形にこだわったり、案内の準備に張り切りすぎたりすることも。小春の前では、つい笑いをこらえきれなくなる。
推理小説は、読み終わるのが惜しくて手を止めようとするものの、結局「あと一章だけ」が続くらしい。
◆三枝 まどか(さえぐさ まどか)
白藤女学院・高等部一年生。小春の同級生で、初等部からの内部生。
学院の空気に慣れない小春を、気負わない言葉と軽いからかいで助けてくれる友人。普段はさっぱりしているが、好きな本を勧めるとなると、なかなか一冊に絞れない。
宮沢奏と組み、一年生向けのおすすめ本を紹介する活動に取り組む。離れて暮らす姉からもらった一冊を、今も大切にしている。
早坂玲先輩は、私の知る限り、学院でもっとも優雅な方だった。
少なくとも、入学式から今日の昼休みまでは。
「柴崎さん。少し、手を貸していただける?」
旧館の談話室で、先輩はそうおっしゃった。
窓からは藤棚が見えた。まだ花の少ない枝の向こうに、礼拝堂の尖った屋根が覗いている。白いクロスを掛けたテーブルにはカップが並び、入口の扉は午後のお茶会を待つように開け放たれていた。
その扉の前に立つ先輩は、右手に紙の花、左手にはセロハンテープの台をお持ちだった。
そして、両方が繋がっていた。
「……何があったんですか」
「飾りを一人で留めようと思ったの」
先輩が右手を上げる。紙の花が揺れ、伸びたテープに引かれて、左手まで少し上がった。
私は鞄を近くの椅子へ置いた。
「鋏は、ありますか」
「そちらの箱に。ありがとう。左の袖も、お願い」
袖も繋がっていた。
なかなか大きな飾りになっている。
先輩に台を机へ置いてもらい、私は鋏を開いた。紙の花と袖を繋いでいるところだけ、慎重に切る。
右手が自由になると、先輩は少し恥ずかしそうに説明を続けた。
「花を留めたあとで、位置を変えたくなって。剥がしたテープも使えるかと思ったのだけれど」
「余計に大変になってしまったんですね」
「ええ。いま、そう思っていたところ」
この方を、私は知っている。
高等部二年、生徒会副会長、早坂玲先輩。
入学式では来賓を案内し、少し早く礼をしてしまった私の母にも、さりげなく頭を下げてくださった。落ち着いた声も、肩までの黒髪も、姿勢のよさも、あのときから何一つ変わっていない。
いま増えているのは、テープだけだった。
私は袖に残った端をつまんだ。
「引っ張ってしまったら、ごめんなさい」
「大丈夫。制服の生地は、案外丈夫なのよ」
先輩にそう言われると、本当に大丈夫な気がした。
入学して十日。私は白藤女学院の制服を、まだ借り物のように扱っている。紺のジャンパースカートに白いブラウス。座った拍子にスカートへ皺をつけただけでも、何か大切なものを傷つけた気分になるのだ。
ようやく袖からテープを剥がすと、紙の花が一つ床へ落ちた。
二人で同時に屈みかけ、私は慌てて身を引く。
「失礼しました」
「こちらこそ。ぶつからなくてよかったわ」
先輩は花を拾って立ち上がり、微笑んだ。
入学式で見たのと同じ、綺麗な笑顔だった。
私は思わず姿勢を正し、それから、その笑顔のすぐ上を見た。
「早坂先輩」
「なあに?」
「髪にも、ついてます」
先輩の手が止まった。
「どのくらい?」
「花びらが、一枚」
「……それは、飾りに見えるかしら」
「外しましょう」
言ってから、遠慮が足りなかったかと不安になった。
けれど先輩はくすりと笑い、少し膝を曲げて、私に頭を寄せてくださった。
急に、近い。
黒髪の表面に、薄桃色の紙が張りついている。私は端をつまみ、髪を引っ張らないよう、少しずつ剥がした。
人の髪がこんなに柔らかいことを、いま知る必要はなかった。
「取れました」
「ありがとう。柴崎さんは、頼りになるのね」
「テープを剥がしただけです」
「私は、つけてしまったもの」
そのおっしゃりようが可笑しくて、私はとうとう笑ってしまった。
先輩も笑う。
談話室の扉を、上級生が軽く叩いたのはそのときだった。
「玲、準備は進んでいる?」
背の高い方だった。細い縁の眼鏡をかけ、腕に名簿を抱えている。
胸元の名札に『葉山薫』とあった。入学式で挨拶をされた、生徒会長だ。
「ええ。柴崎さんが手伝ってくださって、とても助かっています」
玲先輩は答えながら、テーブルの端へ寄せてあった鋏を箱にしまった。
「それはよかったわ。あと十分ほどで皆さんをお連れするから」
葉山先輩は私にも微笑み、隣の準備室へ入っていった。
私は玲先輩を見た。
先輩は私を見て、それから、私の手に残った花びらへ視線を落とした。
「……髪のことは、内緒にしてくださる?」
「テープのことは、いいんですか」
「そちらも、できれば」
学院でもっとも優雅な方が、少しだけ眉を下げた。
私はもう一枚、紙の花を手に取る。
「では、残りを飾ってしまいましょう。私が押さえますから、先輩が留めてください」
「ええ。そうしましょう」
先輩の声が弾んだ。
窓の外で、藤の枝が揺れている。
私は入学して初めて、この部屋へまた来たいと思った。
そもそも、私は早く来すぎたのだった。
今日は土曜日。午前の授業を終え、持ってきたお弁当を食べたあと、私は本日の案内をもう一度確かめた。
新入生歓迎茶会。午後二時。旧館一階、談話室。
友達になったばかりのまどかは、その紙を覗いて言った。
「そんなに何回も見なくても、場所は変わらないよ」
「でも、旧館って入ったことないし」
「玄関入って右。大きいほうの部屋」
「大きい部屋が二つあったら?」
「人のいるほう」
初等部からここへ通っている人の案内は、頼もしいのか大雑把なのか、ときどき分からない。
結局、私は集合の二十分前に教室を出た。
まどかは図書室で借りた本を返し、時間に合わせて来ると言う。先に行くね、と告げた私は、談話室の入口で花と格闘している先輩に出会ったのだった。
名前を名乗ると、先輩は『一年生の案内当番の集まりはこちらで合っているわ』とおっしゃり、それから、さっきのお願いをされた。
新入生が四月に上級生と組んで、学院の場所や行事の準備を教えてもらう。それが案内当番である。
参加は希望者だけで、一か月ほど続く。
同じクラスの何人かは、どの先輩と組めるかを話していた。私は先輩の名前もよく知らないので、希望する見学先の欄に『旧館』とだけ書いた。
入学式の日に外から見て、綺麗な建物だと思ったのだ。
そんな理由で、よかったのだろうか。
「柴崎さん。その花は、もう少し左へお願い」
「はい」
私は背伸びをし、扉の脇の掲示板に花を当てた。玲先輩が新しく切ったテープで留めてくださる。
並んだ紙の花は、近くで見ると少しずつ大きさが違った。花びらの端が丸いもの、尖ったもの。芯をぎゅっと絞りすぎて、飴の包み紙みたいになっているものもある。
「これ、全部、先輩が作ったんですか」
「いいえ。何人かで。私も作ったけれど」
先輩の視線が、いちばん小さな花へ向いた。
ぎゅっとしている。
とても、ぎゅっとしている。
「……こちらですか?」
「分かるものなのね」
「いま、見ていらしたので」
玲先輩は小さく息をつき、それから笑った。
「もう一度、作り直そうかと思ったの。皆さんがお上手だったから」
「私は、これも好きです」
先輩が私を見た。
私は慌てて、花を指した。
「小さいのがあると、大きいのも綺麗に見えますし。全部同じより、お庭みたいで」
言い終えてから、説明を足しすぎた気がした。
けれど先輩はしばらく花を眺め、指先で花びらを少し開いた。
「そうね。残しておいてよかった」
私が花を扉のいちばん内側へ押さえ、先輩がテープで留めた。
手を離しても、小さな花は落ちなかった。
廊下から声が近づいてきた。何人かの生徒が旧館へ入ってきたらしい。
玲先輩は残った材料を箱に集め、扉のそばに立った。
「ごきげんよう。どうぞ、お入りになって」
背筋がすっと伸びる。声まで、廊下の奥へ届くように変わった。
私も急いで隣へ並ぶ。
「ご、ごきげんよう」
入ってきた同級生が、ちょっと驚いて私を見た。
私はもう一度、頭を下げた。
次の生徒にも、その次の生徒にも。
四人目がまどかだった。
「小春、何してるの?」
「お迎え」
「小春も招かれてる側だよね?」
玲先輩が、口元に手を当てた。
私の歓迎茶会は、まだ始まってもいなかった。




