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歌姫、鬼神を飼う。ー連環の計の駒?いいえ、鬼神の主は私です。未来知識で天下を操る。ー  作者: チャプタさん


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8-2:計算外の牙

8-2:計算外の牙

 その日も、私は慈愛院を訪れていた。あの場所は、戦乱に焼かれ、希望を失いかけた子供たちの、ささやかな避難所であり、私自身にとってもまた、心の支えであった。

 木漏れ日の差し込む中庭で、子供たちが笑い声を上げながら駆け回る姿を見つめると、胸の奥に灯る温もりが、戦乱の陰を一瞬だけ忘れさせてくれる。そこには血も剣もなく、ただ「生きている」という実感が息づいていた。


 月――まだ言葉を発することはできないが、大きな瞳と表情で全てを語る、あの小さな少女も、他の子供たちと一緒に遊んでいた。焼け跡から抱き上げたあの日と比べ、今の彼女は笑い方を知り、仲間と寄り添うことを覚えた。まるで凍り付いた心に、少しずつ春が訪れているかのようだった。

 その姿を見て、私は密かに確信していた。――私がこの乱世で成し遂げようとしていることは、決して夢物語ではない。争いの渦に巻き込まれた子らに「未来」を与えることができるのだと。


「さあ、皆。そろそろ華雄おじさんに、お昼ご飯を届けに行きましょう」

 私が声をかけると、子供たちは一斉に「はーい!」と答えた。無邪気な声が、青空に溶けていく。その響きは、軍営の重苦しさを一瞬で払う、何よりの癒やしだった。


 今日の当番は、月と、少し年上の元気な少年。二人は、湯気の立ち上る粥の桶を手分けして運びながら、誇らしげに歩いていた。兵士たちは、私たちの姿を見かけると笑顔で挨拶し、道を空ける。軍営には今、かつてない活気と秩序が満ちていた。誰もが「勝利の軍」の一員であることに誇りを抱いていた。


 ――だが。

 その穏やかで誇り高い空気を、突如として破壊する轟音が、空を裂いた。


 カン、カン、カン――!

 物見櫓から鳴り響く非常の鐘。耳をつんざくその音は、軍営全体を震わせた。

「火事だーっ! 炊事場から出火! 水を運べ!」

 瞬間、あらゆる方向から怒号が飛び交い、兵士たちが慌ただしく走り始める。私が振り向くと、軍営の一角から黒煙が噴き上がり、火の粉が風に舞っていた。乾いた木材に火が燃え移り、炎は赤々と舌を伸ばす。混乱と恐怖が、たちまち空気を塗り潰していく。


 護衛についていた兵士たちも、顔を歪めて叫んだ。

「貂蝉様、申し訳ございません! すぐに戻ります!」

 そして消火に駆け出していく。残された私は、小蘭に腕を引かれた。

「お嬢様、急ぎましょう! ここは危険です!」


 だが、そのとき、私の胸の奥で不吉な鐘が鳴り響いた。

(……おかしい。この火事、あまりにも都合が良すぎる……まさか……!)


 その直感は、次の瞬間、恐るべき現実へと姿を変える。

 火事は陽動だったのだ。牢の番兵までもが持ち場を離れ、残されたのは足の悪い老兵ひとり。――それは、ほんの一瞬の隙。しかし、追い詰められた猛獣には十分すぎる隙だった。


 華雄。

 牢に捕らわれ、敗北の屈辱と憎悪に苛まれていた男は、この時を待っていた。荒れ果てた姿の裏で、彼は冷静に周囲を観察し、脱出の機会を狙い続けていたのだ。

 そして――ついに訪れた、千載一遇の瞬間。


 月が、無垢な瞳で粥の器を抱えて近づいたとき。

 牢の格子から、蛇のように伸びる逞しい腕が、小さな身体を捕えた。


「きゃっ……!」

 初めて月の口から洩れた悲鳴は、か細く、胸を抉るように響いた。


 華雄は彼女を牢内へ引きずり込み、その首に太い腕を絡ませると、鬼のように叫んだ。

「動くな! 少しでも動けば、このガキの首を折るぞ!」


 次の瞬間、壁に叩きつけられた食器が砕け散り、鋭い陶片が刃のように光る。それを月の喉元に突き立てながら、彼は老兵を睨み据えた。

「鍵を開けろ! さもなくば、この子の血で牢を赤く染めてやる!」


 震える老兵の顔は死人のように青ざめ、鍵を差し込む手が止まらない。カチャリ――無情な音を立てて、牢は開かれた。


 解き放たれた華雄は、獣のような速さで飛び出す。荒れ狂う炎の光が、彼の狂気に満ちた眼を照らし出す。

 彼は月を人質にしたまま、私の前へと立ちはだかった。


「動くな、貂蝉!」

 低く唸る声は、獲物を追い詰めた獣そのものだった。


「どうした、聖女様!」

 彼は狂気の笑みを浮かべ、陶片の刃を月の首筋に押し当てる。

「お前の慈悲が、裏目に出たな! 子供を使って俺を籠絡したつもりだろうが――今度は俺が『子供』を使ってやる。どうだ? 自分の策が、自分に牙を剥く気分は!」


 その瞬間、私の心臓は氷に包まれたように凍りついた。

 恐怖、後悔、怒り――すべてが一度に押し寄せ、喉を締め上げる。


(私のせいだ……! 私が甘い希望を抱き、この子を危険にさらした……!)


 計略が生んだはずの慈悲は、今や子供の命を奪う刃に変わっていた。

 その痛恨の事実が、容赦なく胸を抉る。


 ――私は、自らの策に、牙を剥かれているのだ。

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