7-5:鬼神の一撃
7-5:鬼神の一撃
呂布は――動かなかった。
四方から、鋭く研ぎ澄まされた殺意の刃が迫ってくる。
常人であれば反射的に身を翻し、防御に移るか、必死に後退する場面だ。だが、呂布は一歩も動かず、まるで夜風に吹かれる巨岩のように、静かにそこに立っていた。
その横顔には、戦場に慣れ切った者だけが見せる、異様な落ち着きが漂っていた。
わずかに揺れる黒髪、篝火に照らされた瞳孔は、冷たく細められ――まるで獲物を品定めする猛禽のよう。
華雄の手下たちは、その静止こそが油断だと信じ、怒涛の勢いで踏み込んだ。
刃の煌めきが幾筋も重なり、空気を裂く音が四方から迫る――
だが、その寸前。
呂布はただ、肩に担いでいた方天画戟を、ゆるりと持ち直した。
そして――その場で、一回転。
ゴォォンッ――!
夜の闇を震わせる、重く低い風切り音が轟いた。
銀の穂先が弧を描き、篝火の光を一瞬で反射して、閃光の輪となる。
次の瞬間。
「ぐああああっ!!!」
「がはっ!」
「うわああっ!」
地鳴りにも似た衝撃音とともに、五つの人影が宙に舞い上がった。まるで突風に吹き飛ばされた木の葉のように、為す術もなく。
鎧ごと叩きつけられた肉体が、骨の軋む音を伴って地面に転がる。
死んではいない――だが、立ち上がることは不可能だ。
腕は不自然な方向に曲がり、脚は膝から逆に折れ曲がり、呻き声すら息に変わらず、ただ痙攣するだけ。
それは、一撃だった。
たったの一撃。しかも、一呼吸すらかからぬ瞬間に放たれた回転の一振りで、五人の歴戦の兵が、戦闘不能にされたのである。
篝火の明かりが、その異常さを鮮烈に浮かび上がらせていた。
倒れ伏す兵士たちの間を、方天画戟の穂先から滴る赤黒い血が、静かに地面へと落ちる。
華雄は――動けなかった。
目の前の光景が現実だと理解するのに、数拍の時を要した。
背筋をつたう冷たいものが、皮膚の内側を這い回る感覚。汗が滝のように流れ、頬を伝い、顎から滴り落ちる。
「……ば、化け物……」
声は掠れ、喉が焼けるように乾いている。
己の武勇に誇りを持ち、幾度も死地を踏み越えてきた。
だが、この男――呂布は、自分の知るどの戦士とも違う。
力、速さ、そして殺気。それら全てが、人間の域を逸脱していた。まるで戦場に現れた鬼神。
呂布はゆっくりと、獲物を仕留める獣のように、歩を進めてくる。
その足音は、夜の静寂に不釣り合いなほど重く、響き渡った。
ドン……ドン……。
一歩ごとに、華雄の心臓が打ち据えられる。
「さて……残るは、お前一人だな」
その低く押し殺した声に、華雄は思わず息を飲んだ。
恐怖が喉を塞ぎ、呼吸が浅くなる。頭では逃げるべきだと叫んでいるのに、脚が地面に縫い付けられたように動かない。
次の瞬間、華雄は叫びとともに飛び出していた。
それは勇気ではなく、恐怖に背を押された衝動だった。
「おおおおおっ!」
渾身の力で大刀を振り下ろす。その一撃に、彼の全てを込めた。
キィィィン――!
甲高い金属音が、夜空に鋭く響く。
呂布は、こともなげに戟の柄でそれを受け止めていた。
しかも片手で。
受け止めた瞬間、戟が微かに震え、その震動が華雄の腕に走る。
「な……っ」
驚愕が声になる間もなく、呂布は軽く手首を返し、大刀を弾き返した。
華雄の身体が、大きく前へと泳ぐ――がら空きになった胴へ、呂布の膝が鋭く突き上げられる。
「ぐ……ふっ!」
息が完全に潰され、華雄は地面に崩れ落ちた。
視界が揺れ、耳の奥で鐘が鳴るような音が響く。
初めて――本物の「死」が、すぐ目の前にあると悟った。
そして、それと同時に、武人としての誇りを完全に踏みにじられた「生き恥」の感覚が、全身を焼いた。
呂布は倒れた華雄の首筋に、方天画戟の穂先をそっと突きつけた。
その冷たい鋼の感触が、皮膚を通して背骨まで届く。
華雄の喉が、ひゅう、と小さく鳴った。
――逃げ場は、どこにもなかった。




