6-6:法の天秤
6-6:法の天秤
数日後――空は雲ひとつない快晴でありながら、軍営の広場には、まるで嵐の前のような張り詰めた気配が漂っていた。
呂布軍の全兵士、実に一万を超える兵が、幾重にも取り巻くように集結している。武具の金属音や馬のいななきすら、どこか遠慮がちで、兵たちの表情には緊張と不安が浮かんでいた。
耳に入ってくるのは、途切れ途切れの囁き声。
「……裏切り者が出たらしい」
「見せしめに、首がいくつか刎ねられると聞いた」
「まさか自分たちの中からとは……」
噂は砂嵐のように広場全体を駆け巡り、その一つひとつが兵たちの胸をざわめかせる。
広場の中央には、急ごしらえの壇上が組まれ、そこに向けられる視線はすでに怯えと好奇心をないまぜにしていた。絞首台こそないものの、空気はまるで処刑場。息を吸うのもためらわれるほどの重苦しさがあった。
やがて、壇上に縄で縛られた男――李粛が、兵士たちに引きずられるようにして現れた。
その顔は土のように蒼白で、唇は血の気を失い、震えている。彼はすでに、自らの末路を悟っていたのだろう。視線は足元に落ち、肩は落ち込み、わずかな物音にもびくりと反応する。
彼と行動を共にしていた古参兵たちは、列の後方で固く口を閉ざし、壇上を凝視している。自分たちにもいつ刃が向けられるのか、胸を締めつけられるような恐怖に、誰もが息を呑んでいた。
そこへ、壇上に三人の影が現れた。呂布、張遼、陳宮――軍の中枢を担う三名の姿に、兵士たちは一斉に姿勢を正す。空気が一瞬で凍りつき、広場全体が異様な静けさに包まれた。
しかし、その場に進み出たのは呂布ではなかった。
――私、貂蝉だった。
その瞬間、ざわりと兵たちの間に波紋が走る。
「なぜ、貂蝉様が……?」
「女が裁きを……?」
訝しむ声、驚きの声が混ざり合い、場は再びざわめき立つ。
私はそれを制するため、静かに片手を上げた。
たったそれだけで、先ほどまでの騒めきが嘘のように消え去った。
おそらく、その場にいた誰もが、私の姿に目を奪われたからだ。
今日のために選んだのは、最も質素でありながら、最も清廉さを際立たせる純白の衣。装飾は一切排し、ただ「法」を体現する者として壇上に立つ。陽光を受けて布は淡く輝き、風が裾をかすかに揺らした。兵たちの目には、それがまるで神殿から降り立った裁きの女神のように映っただろう。
「これより、李粛の罪を裁く、公開裁判を執り行う!」
私の声は大きくはない。しかし、不思議なほど広場の隅々にまで響き渡り、誰一人として聞き漏らす者はいなかった。
「裁き手は、呂布将軍のご命により、この私が務める!」
壇上の中央で、私は李粛と向かい合った。
「李粛。貴方は、自らの罪を理解していますか?」
彼は怯えを隠そうともせず、しかし最後の抵抗とばかりに声を張り上げた。
「……何の罪だ! 俺は何も知らん! これは、俺を陥れるための罠だ!」
私は一歩も退かず、淡々と告げる。
「そうですか。では、一つずつ、確認してまいりましょう」
合図と共に、陳宮が集めた証拠の数々が壇上に運ばれてくる。
「某月某日。城外の林にて、商人風の男と密会。その男が董卓の密偵であることを、貴方は知っていた。違いますか?」
「……知らん! ただの知り合いだ!」
「では、その知り合いから受け取った、この金子袋――これは何です? なぜ、ただの知り合いが貴方に大金を渡すのですか?」
兵士が金袋を壇上に放り出すと、ずしり、と重く響く音が広場に広がった。
「そ、それは……借りただけだ!」
「なるほど。では、この軍の配置図。これも、ただ見せただけと?」
私は高く掲げる。絵師が描いた、李粛が密偵に軍の機密を渡す瞬間の絵図――そこには彼の顔まではっきりと描かれている。兵たちの間から、息を呑む音が一斉に漏れた。
李粛の表情が歪み、額から汗が溢れる。
私はさらに畳みかけた。
「その金子を用い、一部の兵士に酒を振る舞い、こう囁いた。『将軍は女に誑かされ、并州武人の誇りを忘れた』――軍の結束を乱す言葉です。これも否定されますか?」
その場にいた李粛派の兵たちが、明らかに動揺し、互いに視線を交わす。
李粛はもう反論の言葉を見つけられなかった。顔色は死人のように青ざめ、膝は震えている。
「李粛! 汝、これらの罪を認めるか!」
私の声は広場の空気を震わせるほどの力を帯びていた。
沈黙ののち、彼は力なく項垂れた。
「……認める」
そのか細い声は、広場に満ちた静寂の中、恐ろしいほど鮮明に響き渡った。
その瞬間、全兵士は理解した――法の天秤はすでに傾き、裁きは下ったのだと。




