5-1:鬼神からの招待状
5-1:鬼神からの招待状
「慈愛院」の設立は、私が思い描いていた以上の波紋を洛陽にもたらした。
古びた寺が生まれ変わり、瓦の一枚一枚が朝日に輝くその姿は、通りを行く民に新たな希望を与えていた。
門前には日々、噂を聞きつけた者たちが集まり、子供たちが庭を駆け回る姿を見ては、笑顔をこぼす。
洛陽の路地裏では──「あの方は天女の生まれ変わりだ」「董卓に抗うため、天が遣わした姫だ」──そんな言葉が、酒場や市場の隅々にまで広がっていった。
だが、その噂が私に与えた影響は、ただの評判にとどまらない。
呂布はさらに私を意識し、陳宮や張遼はその心根を改め、私を真の主として見始めた。
そして──思いがけない招待状が、私のもとへ届く。
上質な厚紙の封を切ると、ふわりと墨の匂いが広がった。
そこには、力強くもやや乱暴な筆致で、こう書かれていた。
「貂蝉殿、先日の慈愛院、誠に見事であった。子供たちの笑顔、俺の心にも深く残っておる。さて、お前の創ったものも見たのだから、次は俺の創ったものを見てほしい。俺が鍛え上げた、天下最強の軍勢の演習に、お前を招待したい。そして、お前の清らかな目で見て、この軍に何が足りないか、忌憚なく教えてはくれまいか」
私は指先でその文字をなぞった。
筆圧の強さが、紙の裏まで浮き出している。まるで彼の心が紙を突き破らんばかりに伝わってくるようだった。
おそらく、陳宮に代筆させることもできたはずだ。だが、彼は自分の手で書いた。
その理由は単純だ──最強の軍を、愛する女に自慢したい。そして、自分をただの男としてではなく、一軍の将としても認めさせたい。
この手紙は、そんな彼の無邪気さと野望の匂いが混ざった、愛おしくも危険な贈り物だった。
「絶好の機会ね」
胸の奥で、私の計略が静かに形を変え始める。
軍の内部、兵の練度、将たちの息遣い……すべてをこの目で見れば、呂布という「剣」を、より鋭く、より私のために振るえるものに仕立て直せる。
それは甘く危うい誘惑だった。
私はすぐに返事を書いた。
「呂布将軍にお招きいただき、光栄の至りに存じます。女の浅知恵ではございますが、将軍の天下最強の軍を拝見し、何かお役に立てることがあれば、これに勝る喜びはございません」
完璧なまでに謙虚でありながら、知性と自負を滲ませる文面。
この一文を読んだときの彼の得意げな笑みが、目に浮かぶようだった。
しかし、この知らせは屋敷を波立たせた。
最初に反応したのは、小蘭だった。
「お嬢様、本気でございますか? あんな男所帯、刃物のような空気の中に、お嬢様が……」
彼女の声は震え、握った袖に爪痕がつくほど力がこもっていた。
やがて陳宮と張遼も屋敷を訪れ、真剣な顔で進言する。
張遼は低く抑えた声で言った。
「貂蝉様、軍営は戦場と同じ。何が起こるか分かりませぬ。もしお身に何かあれば……将軍は取り乱し、この洛陽に血の雨が降るやもしれませぬ」
その眼差しには、武人としての冷静さと、私を守ろうとする真心が混ざっていた。
陳宮はもっと直接的だった。
「貂蝉様、貴女様は我らの柱。その柱が傷つけば、我らは崩れます。主君の剣を研ぐためであっても、どうか……ご自愛を」
彼の言葉は理路整然としていたが、その奥には焦燥があった。
私は三人を見渡し、静かに告げた。
「お気持ちは嬉しく思います。ですが、私は行かねばなりません。呂布将軍は董卓を討つための剣。その剣を正しく導くのは、私たちの責務です。軍を見ることは、そのために不可欠なのです」
言葉に込めた響きは、反論を許さなかった。
陳宮と張遼は短く視線を交わし、やがて諦めの息をついた。
そして出発の日の朝。
洛陽の街はまだ霧に包まれていたが、軍営へ続く道の先に、赤い影が見えた。
それは陽光を浴びて燃えるような毛並みを持つ赤兎馬。その背には、鬼神のごとき呂布が座していた。
「貂蝉、よく来てくれたな!」
朝の空気を裂くその声は、誇りと喜びに満ちていた。
私は微笑みを返しながら、その瞬間を胸に刻んだ──この日から、彼の「剣」に触れる物語が始まるのだ。




