3-1:鬼神を釣るための舞台
3-1:鬼神を釣るための舞台
「次の段階に進む」——
養父・王允のその一言は、私にとってまるで二重の刃を持つ宣告だった。
ひとつは、私を呂布という鬼神の懐に送り込むための、危険極まりない命令。
そしてもうひとつは、その命令を遂行する中で、私自身が密かに掲げる“反逆”の旗を高く掲げるきっかけとなる狼煙だった。
それからの数日間、屋敷は表面上こそ平穏を装っていたが、奥底ではじわりと熱を帯びていた。
王允は来たるべき計略の第一段階に向け、水面下で着々と根を張るような準備を進めている。
廊下を行き来する家臣たちの足音は増え、その顔には一様に緊張と期待が混じった色が浮かんでいた。
まるで城の中に、まだ姿を見せぬ巨大な獣が潜んでいるのを知っている者たちのように、誰もが声を潜め、息を詰めていた。
その獣こそ、天下無双の鬼神・呂布。そして、その獣を私の足元に跪かせるための壮大な舞台が、今まさに築かれようとしているのだ。
ある朝、王允の使いが私の部屋を訪れ、「書斎へ」とだけ告げた。
廊下を進むにつれ、胸の奥にある心臓の鼓動が、まるで太鼓のように大きく響く。
王允の書斎の扉をくぐると、そこは昨夜よりもさらに戦場じみた空気を纏っていた。
机の上には地図や木簡が乱雑に積まれ、幾つもの蝋燭の燃えかすが、彼が夜を徹して思考を巡らせていた証として散らばっている。
窓から差し込む朝の光が部屋の埃をきらきらと舞わせ、それが異様なまでの非日常感を醸し出していた。
「貂蝉よ、来たか」
王允は地図を睨んでいた鋭い視線を私に向け、一度だけ頷いた。
その目には、もはや以前のような父親としての優しさは微塵もない。
そこにあるのは、自らの計画を成功させるための最重要の「駒」を見据える冷徹な光だけだった。
彼は、私が彼の意のままに操られる美しい傀儡であると信じきっている。
いや、信じきっていなければ、自らの命をかけるこの計略など打てはしないのだろう。
「数日後、呂布を屋敷に招き、私的な宴を催すことにした」
王允の声は、戦の作戦を告げる将軍のように淀みなく響く。
「表向きは、先日の働きを労うための席だ。だが真の目的は違う。その場でお前の舞を披露し、奴の心を完全に奪うのだ」
言葉には、計略の成功を微塵も疑わぬ揺るぎなさがあった。
「呂布は単純な武辺者。美しいものに弱い。お前の美貌と舞の前では、いかなる鬼神とてただの男になる。骨抜きにしてくれるわ」
その声音の奥には、呂布を力だけの獣と見下す傲慢さが潜んでいた。
彼は呂布を“操りやすい巨獣”としか思っていない。
しかし、私は知っている——巨獣は牙を隠し、時にその一噛みで王の首をも落とすのだ。
そして、その油断こそが私にとって最大の好機となる。
王允の描く筋書きは、私が脚本を書き換えるための下絵にすぎない。
「……お父様のお心のままに」
私は静かに頭を垂れた。
伏せた顔には従順でか弱い娘の表情を貼り付け、心の奥底で燃える闘志の炎を完璧に隠す。
この演技も、もはや呼吸をするほど自然になっていた。
「いよいよ始まる」
胸の内でその言葉を反芻すると、背筋を駆け上がる感覚があった。
だがそれは恐怖ではない。むしろ、これから始まる大勝負を前にした、武者震いに似た高揚感だった。
私は駒として盤上に置かれる——しかし駒は時に、王をも食らう。
それを、この計略の発案者である王允に、骨の髄まで思い知らせてやるつもりだった。




