11-9:歓声と静かな視線
11-9:歓声と静かな視線
「うおおおおおおおおっ!」
「董卓が――董卓が、死んだぞ!」
「漢室は、救われたのだ!」
その叫びは、最初は一人の喉から絞り出された細い声に過ぎなかった。だが、次の瞬間、それはまるで野火のように、都全体に燃え広がっていった。
民衆は、恐怖という長い枷から解き放たれた鳥のように、家々から、路地から、広場から、雪崩れ出てきた。誰もが信じられぬといった顔で互いを見合い、やがて、張り詰めていた沈黙が一気に破れたかのように、歓喜の声が大気を震わせた。
ある者はその場に崩れ落ち、顔を両手で覆って泣いた。ある者は隣にいた見知らぬ者の肩を抱き、子供のように無邪気に跳ね回った。老いた母は震える手で孫を抱きしめ、若者は空を仰いで「生きていてよかった」と叫んだ。
長い、長い冬が終わったのだ。
絶望の闇の中に閉じ込められていた洛陽に、ようやく、春の息吹が訪れたのだ。
歓声は風に乗って波紋のように広がり、やがて都全体を包み込んだ。城壁さえも揺るがすその叫びは、まるで大地そのものが解放を祝っているかのようであった。
宮殿の楼閣に立つ王允は、その光景を見下ろし、満足げに、いや、狂おしいほどに陶酔した笑みを浮かべていた。
「見たか、貂蝉よ!」
彼は声を張り上げ、私に振り返った。
「これぞ、儂が長年夢見てきた光景よ! 漢室は、この王允の手で甦ったのだ! この歓声を聞け! この人々の涙を見よ! 皆、我らの偉業を讃えておる!」
その目は、勝利の美酒に溺れた権力者のものだった。彼は信じて疑わなかった。自分こそが新たな秩序の主導者であり、この熱狂の波を背に天下を掌握するのだと。
私は、その横顔を静かに見つめていた。
――まるで、都全体が一つの巨大な劇場と化し、彼がその舞台の中央に立っているかのように。
だが、彼の笑みの下に潜む思惑を、私は見抜いていた。
この祝宴が終われば、彼は真っ先に私と呂布をどう処分するかを考えるだろう。彼の中では、既に段取りができあがっているに違いなかった。
私は群衆の歓声の輪から、少し離れた楼閣の隅に立ち、冷ややかな視線でその光景を見守った。
民衆は泣き、笑い、抱き合い、歌い、踊っていた。その姿は確かに美しかった。人が人としての尊厳を取り戻す瞬間。その熱狂の渦に身を任せれば、きっと私の心も震えるだろう。
――だが、私は震えなかった。
董卓は死んだ。
一つの時代は、確かに終わった。
けれど、私は知っている。
真の戦いは、ここから始まるのだと。
王允は、この群衆の歓声を自分の栄光として飲み込み、やがてその酔いに溺れて破滅するだろう。彼もまた、旧き時代の残滓にすぎぬ。民の歓声を自らの力と錯覚する者は、必ずその声に呑み込まれる。
私の瞳は、歓喜に浮かれる王允の背中に、静かに、しかし冷徹な光を注いでいた。
その姿は、既に未来の屍であった。
やがて人々の熱狂は、夜空を焦がす炎のようにさらに広がっていくだろう。だが、私の心は冷たい水面のように、揺れもせず、ただ静かに未来を見据えていた。
(ここからが、私の物語だ)
呂布の戟が董卓を討ち、民の歓声が漢室を覆った。
だが、そのすべては、新たな舞台の幕開けにすぎない。
楼閣の高みで、私は人々の歓声を背に、ひとり密やかに微笑んだ。
その微笑みは、喜びではなかった。
未来への誓いと、冷徹な覚悟の証だった。
――そう。ここからが、私の真の物語の始まりなのだ。




