加護の姫
「見て、ユーカリ! 青空よ」
氷山の中腹に達したサラが晴れわたる空に嬉々とした声をあげた。
「おっ、そうですね。うわあ、この北方でこんな空を見られるとは」
ユーカリは先に登るサラの横をひょいひょいと抜かしていき、その場所へひらりと到着した。そして、サラに手を伸ばす。
「平気よ」
サラはユーカリの手を借りず、その場所へと。
「ここが見晴台ね」
サラは眼下に広がるヒャドを眺めた。その瞳が城に集まる民と兵士をとらえる。
「もう始まってますね」
ユーカリは目を細めて見ている。
「見て!」
サラは指をさし嬉しそうに言った。サラの瞳はすでに眼下にはなく、遠くを見ている。ユーカリはサラの指さした方向へと視線を向ける。
「あ、あれは黒宮?」
懐かしい輪郭が見えた。
「ユカリは元気かしら?」
サラの呟きが眼下に移り、それをとらえた。
「あ、いた。兄上だわ」
氷山の前を陣取っている。
***
「……」
イザナは見上げた氷山に、そぐわない出で立ちのサラを確認すると、言葉を胸の内におさめた。
『お転婆もここまでいけば、天晴れだな』
サラが大きく手を振っている。そして、何やら指をさしている。
『……わかるわけないだろ。お転婆な上にこの上なく天然すぎる』
イザナは苦笑いした。何故なら、イザナの周りにはヒャドの兵士がポカーンとサラを見上げているのだ。もちろん、ヒャドの兵士といってもデイルに着いた者たちである。
「すまぬな、あれが『青の奇跡』だ」
イザナは肩を竦めた。奔放なサラ姫に、周りの兵士らは乾いた笑いで返す。ヒクヒクと口角を何とかあげて。
しかし、
「あ……」
瞬時に感嘆の声が溢れた。
「天の歌声……」
サラが歌いはじめたのだ。
「サラ」
王間に向かっていたデイルの足が止まる。愛しく呼ぶその名の響きが廊下に流れた。歌声にしばし酔いしれる。
「何時も、この歌声は心に響きますね」
フェラールがデイルの肩をポンポンと叩いた。デイルがはにかむ。
「姫に遅れをとりましたな、さあ行きましょう」
ザラキがニヤリと笑って発した。その歌は、サラが関門で歌ったもの。デイルへの想いの歌だから。デイルは外を見る。青い空が広がっている。
「奇跡の青空ですね」
王子のひとりがぽつりと呟いた。
その青空など見れぬ状況に陥っているのは王間に集うものらだ。
「ど、どうなっているのだ!!」
男の悲鳴ほど見苦しいものはない。ザイールは怒りと恐れを重臣たちに振り撒く。
「わ、わたくしが、見て参ります!」
名乗りを上げる者すでに三人目。王間に戻ってこぬそれら。それが意味することを、集った者らは一様に理解している。よって、
「いや、待たれよ! わしが行こう!」
数名がわらわらと扉に向かう。
「逃げるのか!」
ザイールは一喝し、剣を握る。
「ひぃっ、め、滅相もありません」
血走った目のザイールは、扉に向かった三人の前へ。カタカタと震える剣がザイールの心を現している。
「い、いいか、王子らが来たら! ……捕らえるのだ、いいな!!」
その叫びのあと、扉の向こうから複数の足音が聞こえ、ザイールは慌てて玉座に走る。
「近衛! 脇を固めよ!」
声はさらに震えていた。王間から逃走しようと試みた者らも、扉から逃げるように玉座のもとへ向かった。
ーーバターンーー
扉は前置きなく開いた。扉の前を守る兵士もすでにいないのだ。
「……」
デイルはまっすぐに玉座を見た。
「ぶ、無礼な!」
バレットが叫ぶ。だが、その腰は引けている。ザイールは視線をさ迷わせていた。デイルを先頭に七か国の王子らが玉座に進む。それに反応して近衛隊がじりりと玉座を守るように動いた。一定の距離で止まった七人の王子。従者らが扉の付近で片膝を着いた。
「兄上、久しくあります」
デイルは淡々と発する。
「何をしに来たぁ?!」
ザイールは金切声をあげた。
「玉座を退いてください、兄上。そこは父上の席です」
ザイールの声とは反対に落ち着いた声でデイルは答える。
「な、なにを言うか!! 父上はすでに死んだではないか! 故に私が玉座にいるのだ! 私がヒャドの王だ!」
シーンと静まる。秘密裏であった王の死が公になった。ここには、各国の王子がいるのだから。
王間は一瞬静まる。
「ヒャドの新王にあられるぞ! ご挨拶を!」
バレットが声を張り上げた。しかし、それにどの王子も反応しない。ザイールは王子らをキッと睨む。稚拙な行いだ。
「父上の死を公にせず、玉座にいる者に挨拶せよと? 父上の死に疑念を持つ私が、父上の玉座に座る者に挨拶などできましょうか?」
デイルは冷淡に笑みを浮かべた。
「き、貴様ぁぁぁ!」
ザイールは鬼の形相で立ち上がる。肩を怒らせフゥフゥと息を吐き出している。デイルは哀しげに兄ザイールを見た。
「貴方を頂と仰ぐ者は、今ここにいる下衆な者らだけです。兄上、もうお辞めください」
デイルはザイールから近衛へと視線を向ける。
「父上の墓標は、地上にあるべきだ。お前らとてわかっているはずだ」
近衛の瞳が揺れた。
「何をしている?! たった七人ではないか、さっさと捕らえよ!」
ザイールが発狂した。その命に扉前に控えていた従者らが立ち上がる。しかし、どの王子らも片手を上げそれを制した。
「いいでしょう!」
そう軽やかに発し、フェラールが前へ出た。
「競い合いに参加した者らを倒せば、あなたを認めましょう。ただ、頂と認めるのでなく、『青の奇跡』を加護するものとしてですが。そのために我々はここに集ったのです。競い合いに参加していない貴方が、『青の奇跡』を不当に手に入れようとしているのですから。欲しいなら、我らに勝ってからだ!!」
ザイールはフェラールの気迫に押される。そして、近衛は対峙する二つの頂を見て、項垂れた。ザイールから近衛の守りが離れる。
「な、何をしている?」
自身を守る砦がひき、ザイールは声を震わせた。
「ザイール様、王であるというならば、どうか王である姿をお示しくださいませ」
近衛隊長が静かに発した。王である姿とは、フェラールの発言を受け入れろということ。正々堂々と戦えということ。
「な、何を言っている? お前、お前ら、私を守るべきだろう! 何をやってるんだ!」
ザイールは近衛隊長に詰め寄るも、皆頭を垂れて動かない。ザイールは目を世話しなく動かし、側近らをとらえると、
「おい! 何とかせよ! 役立たずが!」
側近らは壁に張りつくように立っている。各国の王子らの視界から逃れようとだ。あのバレットでさえも。ザイールはここでやっと玉座の周辺に誰もいず、自身だけがポツンとなっている状況に小さく体が震えだした。ザイールをもてはやした者らは、真の忠臣にあらず。玉座の前で茫然としているザイールにデイルは最後のとどめをさす。
「約二十年前の赤き不吉な星は、今日これをもって終わりとなる!
父上がその死をもって導いてくれたのだ。
北方三か国はこれより手を携えて歩んでいく!」
ザラキとネザリアの若き王子がデイルと固く握手した。また、各国の王子らも互いに認めあう。ザイールだけが膝から崩れ落ちたまま。近衛が頭を上げ、ガシャンと槍をたてた。その視線はデイルへ。命令をまっているのだ。
「兄上を自室へお連れしろ」
デイルは淡々と発した。そして、壁に張りついた者らを一瞥する。
「ヒャドを崩壊させようとした者らは、地下牢へ。逃げた者も捕らえよ!」
近衛が素早く動く。
「キールはまだか?!」
近衛だけではここの収集はつかない。そこにちょうどのタイミングでキールが到着する。
「城内、及びに城下町の統治を完了しました。物語はシェードとリザによって語られはじめております!」
デイルはフッと笑った。ソラドの申し出で、シェードとリザ、そしてソラド自身も物語を流布しているのだ。天を読める者の言葉で。
「さあ! デイル殿、姫様をお迎えに行きましょう」
フェラールがデイルの肩をポンポンと叩いた。
***
「サラ姫様、どうやら一件落着したみたいですよ」
ユーカリが目を細めて眼下を確認している。イザナの横に各国の王子らが到着したようだ。サラはうふふっと笑ってデイルの姿を見つめる。
「あ、登りはじめましたね」
その姿を目に焼きつける。あの籠の塔では見れなかった姿を。口元の笑みに一筋の滴が流れた。
「もう、頑張らなくてもいいのよね……もう、羽ばたかなくてもいいのよね」
ユーカリは振り返りサラを見た。そこにいるのは、今まで見たこともないサラの顔。お転婆な姫はやっと自分の加護を見つけたのだ。
「立派な女性にお成りで」
ユーカリはサラの脇に膝を着いた。そして、時を待つ。サラの目に、小さかったデイルの姿が徐々に大きく映っていく。
ーーガツッガツッガツッーー
氷山を登る鉄の爪の音。
「サラ」
愛しい声にサラは胸がいっぱいになった。
「惑わずにす、すみ……、ヒックグズッ……、惑わずにの、ぼった……勇気、のある者よ。その頂の者にぃ、託そう。我が最愛の娘を!」
サラはクツナ王からの親書を読み上げた。その親書をポイッと放りなげ、サラは愛しいデイルの胸へ。
「ああ、サラ。惑いはなかったよ。俺の心に惑いはもうない。一緒にヒャドで暮らそう」
見晴台で抱き合う二人のかげに、ヒャドが歓喜に包まれていた。
「あ、何か落ちてきますね」
イザナはそれをひょいと掴む。それを確認すると、ハァーと深いためいきをついた。
「イザナ殿、どうしたのですか?」
ザラキはイザナに問うた。
「父上の親書です」
イザナはガクリと肩を落とす。
「はっ?」
「へ?」
「ええっ?」
数人の王子が声を上げた。フェラールだけがブックックと笑っている。
「サラにかかれば、王の親書もこんな扱いです」
イザナが眉を落とす。王子らはポカンとしている。
「まあ、ラフトでもそうでしたよ。あれほどの姫様を扱えるのはデイル殿だけでしょうな。塔から飛んだときも受け止めたのですから」
ザラキもフェラール同様にクックックと笑った。他の王子らも笑い出す。ヒャドに王子らの笑い声がこだました。
これは、加護の姫の物語。
南国一のさえずりは、多くの国を魅了した。
物語は語り継がれる。
空を舞う小鳥のさえずりのように、見上げてその可愛いさえずりにフッと笑みがこぼれるように。
終わり
完結まで読んでいただきありがとうございました。
桃巴。
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何故奇跡は苦境の時にしか現れないのか?
……いや、苦境の中でしか奇跡は生まれない。
人は、平穏が奇跡であると感じることがないからだ。
物語はいつだって苦境の中で輝く。
王子がこれ見よがしに現れなくとも!
強き味方が現れなくとも!
たった独りでも、姫は奇跡に手を伸ばす。
咲き誇れ、
『凜』として……
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『瑠璃の女神一凛』本日午後より公開します。
籠の姫で出てきたいにしえのお伽噺です。サラ姫が愛読していた『青の奇跡』。その主人公イチリン姫の物語になります。
たった独り城に残されたイチリン姫が奇跡の勝利を掴むまで……愛する者の手を掴むまで……
本日午後開幕




