【11】愛の在り方・壱(不知火琳、京奈千冬)
「市花、ちょっといい?」
「な、何でしょうか、不知火さん···?」
突然険しい顔で琳に睨まれた市花は驚き、掠れた声で返す。
「市花、この前遅くなってごめん、何でも言うこと聞くから、と言ったよね?」
「な、何のこと···でしょう、かね?」
覚えているとも。あの時市花は禁じられた言葉「何でも言うこと聞くから」を発動していた。琳の目付きがもう少し和んでいたらそう言えた。
「そう、市花が覚えていなくとも、私が覚えているから別にいいけど」
やはり無理だった。市花はいま一度、自分が何をやらかしたかを振り返る。が、覚えがない。自分が何をして、琳に怒られるようなことをしただろう。
「あ、あの、不知火さん?私が、その、不知火さんが怒るようなこと、何かしましたっけ?」
市花は自分が酷い仕打ちを受けることを覚悟の上で、琳に訊いた。
「···別に、特に市花がした訳じゃない、ただ···」
琳は言い終えると、顔を赤くしてもじもじと体揺らし始めた。
「ただ?」
そんな琳を無視するかのように、市花は訊く。
「今度の土曜日、一緒に、えっと···遊園地に、行きたいの」
なぜ琳は照れているのか、それは初めてだからだ。誰かを遊びに誘うこと、誰かと休日に笑うこと、琳はそれらをやったことがない。
「ん?それ、だけ?」
「え?」
緊張した琳が間違っているような、そんな雰囲気になった。
「え、いや、遊園地···だよ?」
「うん、遊園地に行きたいんでしょ?」
ぎこちない空気、琳は市花が理解できず、市花は琳が理解できない。
「市花、もしかして私、考えすぎた?」
琳は表情1つ見せずに首を傾げたが、手汗の量が半端ではなく、足も小刻みに震え、涙を堪えているようにも見えなくはない。
「あ···えっと、遊園地、約束、ね」
耳を赤くした琳は、早く会話を切りたいのか、早口で簡潔だ。
「う、うん。約束···」
***
「んっ、はぁ···。アリス、食べさせ合いはもうやめない?」
呆れた顔をした千冬を横に、アリスは昼食の小魚を一口サイズに細かく別ける。
「別にいいじゃん。千冬だって、最初は乗り気だったんだし」
アリスは細切れになった小魚の一部を笑顔で千冬に向ける。千冬はアリスか小魚か、どちらを見ればいいのか悩んだあと、アリスを見ることにした。
「···恥ずかしい」
「今さら何を言ってるの?」
千冬自身でもそう思う。食べさせ合いは今に始まったことじゃないし、千冬も嫌々やってるわけじゃない。
「···うぅ···ッ!」
「え?」
千冬はうめき声を上げ、何かを決心したかのように、アリスの左手を掴み、自分の胸にアリスの手を当てた。
「アリスに食べさせてもらうと、凄く恥ずかしいし、緊張する。でも、その、嬉しくて!心臓がバクバクして、止まらない···だから私はイヤなの、心臓が張り裂けそう···」
千冬が顔を赤くしながら話す、その全てに間違っている点はない。いい終えると、また鼓動が激しくなった気がする。
「千冬···」
千冬の言葉と鼓動で、アリスは何を思っただろうか。千冬には考える余裕さえなかった。
「分かった、やめる。でも――」
「え?――んふっ!?」
アリスは千冬の警戒が緩くなったその瞬間を逃さず、千冬にキスをした。今回のキスはいつものとは違い、異様に舌を絡ませてくる。それに、千冬の口内に異物が入ってきた。
「ハァ、ハァ。これ、は?」
千冬はアリスが口の奥に流し込んでくるものだから、その異物を飲み込んでしまった。
「口移しだよ?」
アリスの無邪気な声は聞き慣れた、天然なのか、そうでないのか、千冬には分からない。
「え?く、口移···し?」
少しの間をおいて、千冬の顔は真っ赤になった。
「あ、千冬鼓動が激しくなってる!」
「あ、あ、アリスの、バカァ!!」
***
五時間目、美術、クラスの大半の生徒が美術室に向かった中、市花は1人、前の席を眺めていた。
「市花、移動教室。早く行かないと遅刻する」
冷めた声の琳が、市花の見つめる先、憂の席の前に立つ。
「あ、そっか···」
市花は急いで美術の用意をする。
「行こ、不知火さん」
その時の市花の笑みは、自分は悲しくないよ、と琳に訴えるような、無理をした笑みだった。
「えぇ、行きましょう。遅刻したら先生に怒られる、から」
途中、琳の言葉に間ができた。だが、特に市花は気づかなかった。
「市花、先に行ってて、先生には遅れるって伝えといて!」
「え、ちょっ、不知火さ、ん···」
市花の返事を待たずに、琳は美術室と反対にある階段を下り、そのまま走っていった。
***
「来てたのね、憂」
陽成中学で、最も高い木と言われると、校庭にある大きな桜の木だろう。憂は桜の木の陰で、琳を待っていたかのように、琳を見つめる。
「うん、ちょっとね。不知火さんに会いたくなったんだ」
「···どうして私?」
琳は、憂が市花に会いたくなったと言い出すと思っていた。自分の名前が出て、琳は疑問に思う。
「単刀直入に訊く。不知火さんって、市花のことが好きなの?」
風が靡き、桜の木の葉っぱがいくつか地面に落ちた。
「別に、好きってわけじゃない。ただ、」
「ただ?」
琳は下を向き、不快そうな顔をする。
「市花は誰にでも優しくて、皆に愛想を振り撒く人だから···愛してもらえる人を失った私を、愛してくれると思ったから。私はただ、市花に愛してもらいたいだけ」
「···そっか。不知火さんってやっぱ色々あるんだね」
異様な反応、憂が別人のように見えた。琳の話を聞く前より、暖かな表情になっていた。
「···ごめん、憂」
「どうして謝るの?」
分からない、何だか切なくなって、悲しくなって、今の自分が言えることを探した結果、憂に謝ること、それだけだった。
「憂は市花のことが好きなのに、私が市花に愛してほしいとか言って、ごめん。でも、今言ったことは嘘じゃない、誰かに愛してほしい、それが私の望み」
カミングアウトした気分はどうだろう、凄く心が締め付けられて、憂がいなかったら今頃、座り込んで泣いているだろう。
「···そう言われると心配になってくる」
憂は何かを企んだかのようにニヤついて、琳のそばに寄る。
「憂、どうしたの?」
琳が足を引いて訊くと、憂は、笑顔で言った。
「私が、不知火さんを愛すよ」
「え?」
何を言っているのか分からない、予想もしなかった憂の言葉に、琳は言葉を呑み込むしかできなかった。
「とはいえ、不知火さんは私の親友。これでどう?」
「···ありがと、憂」
もしこれが嘘だったとしても、私に笑顔を見せてくれる人、その人がそばにいるだけで無性に安心感を得られる。
「じゃあ、私は不知火さんのことを琳って呼ぶね!」
その後は2人で親友としての会話をした。凄く長い時間だった、悲しくも、寂しくもない、そんな時間だった。




