岩塩
下痢患者が増える頃には雨季に入ったのか、連日の雨であった。その頃には私もとうとう下痢をしはじめた。雨合羽を頭から被って、雨の中の便所通いは本当に嫌なものである、しかも一晩に7回も8回も通ったのでは全く参ってしまう。これはあの腐乱死体に祟られたのではないかと思った程である、雨の中出入りするため敷いてある藁が靴跡で湿気を帯びて居心地の悪さは増し、食べ物は欠乏し動けば腹は減るしで寝てばかりではあったが、執拗にたかる南風を追う手は休めるわけにはいかなかった。
そうして動かずじっとしているともっぱら思い出すのは郷里の事、そして食べ物のこと、イカの刺身に握り寿司とか羊羹などの甘味が無性に懐かしくなり時たま夢にまで見るほどである。夜になるとハエと交代してマラリア蚊のお出まし、耳元にぶーんとやってくると殺意さえ芽生える、本当に参ってしまいそうになる。時々食っていた硬すぎるそら豆さえも残りわずかとなってきた。
雨が上がった。家の前の池を見ると魚がいるのだろうか、水面に時々波紋がたっている。腹が減るとこうまで食い物に敏感になるのか、もしかしたら養魚池でないのかと思い久しぶりの運動だと小隊の健康な者を指揮して鍬などで池の土堤を掘り割る。空きっ腹には少々重労働だが致し方ない。水が減っていくにつれ魚の背びれがいくつもいくつも見えはじめた。だいぶ居るぞ!ずいぶん大きいぞ!と、俄然張り切ってくる。寝ていた反病人の兵達も嬉し気に池の水面を指差しているのが見える。
いたいた、30センチ40センチくらいの鯉と鮒の合いの子のような魚が7、80匹くらい獲れたようだ。早速指揮班や各小隊にも分かちて、焼いたり煮たりしてみる。焼いている魚の匂いは久しぶりの腹の虫を唸らせるような香ばしい良い匂いであるがさてご馳走様になるかと、口に入れると身は柔らかくて小骨多く、味付けの調味料が無いため味も何も無い。ただただ生臭い魚の匂いだけである。では煮た方はどうかと言うと、これも本当の水煮で味も何もない。然し空腹とは恐ろしいもので、塩気がないとか水臭いとかいいながらも結局は全て平らげてしまったのである。
今尚記憶に残るのは、魚の脇腹の骨の先の方が二つに分かれていて、身は柔らかく、煮ても焼いても味がなかったことである。
そしてこの時以降は如何なる場合に於いても絶対に味の素である岩塩だけは手放さないと誓い、必ず携行したのである。南支広西省付近の防御戦闘においても各自に携行させていた岩塩が大いに役立ったものだ。
空腹であり下痢も材料がなくなったのかあまりしなくなったようではあるが、皆一様に痩せて色は青黒も目だけは異様に底光を呈しており何も指揮旺盛、一貫して、作戦が始まれば下痢くらいふきとんでしまうんだと皆一様に張り切って言っていた。
ちょうどこの頃だったか
海軍航空隊の下駄履機の隊長であるN少佐が南昌飛行場の攻撃に際し、南昌上空に於いて散華したとの報を耳にしたのは。




