溯行作戦中の苦戦②
擲弾筒 手榴弾を飛ばすための迫撃砲
尚また今度は朝からの連戦につき弾薬も欠乏し始めた。先行した部隊には連絡は出していたが連絡がついたのかつかないのか、なかなか弾薬も来なければ連絡も来ない。
弾薬を節約し、固まって前進してくる敵には擲弾筒で射撃を加えるなどして頑張っていたが、敵は我が方の射撃が衰えだと見るや否や攻撃ぶりが大胆となり、彼我の距離100メートル〜150メートル程まで攻めて来た。この頃各隊長は集合し、前後策を協議した。
我々はいよいよ最後が来たかと観念したが、残り少ない弾で一発必中の狙撃で敵の進撃を食い止めようと必死に奮戦する。付近一帯硝煙燻りて、各隊共に十数人の死傷者続出となり、傷の痛みに苦痛を訴える者、目を血走らせて、敵があそこに!いやそこにもきた!とわめき叫ぶ声、正に修羅場とはこのことかと思う。陣地内に勇敢にも突入して来た数名の敵兵を殴り倒してみると、彼らは歳の頃十五、六歳くらいの少年兵だった。いわゆる童子軍である。
彼らは徴集時より必勝の信念というか、弾丸が命中しても絶対に死なないと…無知を利用されて教育されていたのであった。だからこそ目の前でバタバタと倒れる戦友を見ても狂信的に攻撃してきていたのだった。
この盲信的な童子軍の攻撃振りは立派なもので、流石の強者も驚いたほどである。
その後我々はこの戦場を離脱する作戦を決め、まず戦死傷者を急造担架で本隊に追求させると共に、残った我々はかき集めた弾薬で、至近距離まで侵入してくる敵に対し猛反撃を開始し、発煙筒を山麓へ投げ飛ばし逐次離脱を開始、私達は1番最後の殿として敵に射撃を加え発煙筒の煙が山頂に吹上げるころに、急ぎ離脱し部隊に追求する。
各人の顔は汗と、ほこりで真っ黒となっていたが 何かしらホッとしたような顔つきであった。
祖父に昔聞いた事を思い出しました。銃弾が飛び交う中は怖くないのかと。
当たったら死ぬから怖いに決まってる。けど、自分には
当たらないと思わないと動くことさえできなくなる。部下も居たから自分が行かないわけには行かなかった。
そう答えたのをこれを書いていてふと思い出した。




