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【第92話】ちょっと場所を変えましょうか



 その後も、会話はさほど盛り上がりを見せることなく、晴明たちが着ぐるみに入る時間になった。


 成の口数が明らかに少ないのは、晴明にとっては気がかりだったが、ライリスとピオニンに入ってしまえば、「やれるとこまでがんばる」という言葉を信じるしかない。それに、ピオニンに入った成はきびきびと動作を確認していて、先ほどまでの疲れを感じさせなかった。


 佐貫と泊が、「がんばってきてね」と声をかけてくる。晴明は右手を突き出して、親指を立てることで答えた。


 晴明たちがスタジアムの外に出たとき、空はさらに灰色を濃くしていた。スマートフォンで見た降水確率は三〇パーセントだったが、晴明には数字以上に雨が降りそうな気がした。


 着ぐるみにとって雨は、手入れがしにくくなるのでご法度だ。


 今、ライリスたちは念のため、透明な雨合羽を被っている。カサカサと雨合羽が擦れる音を、晴明は妙な気持ちで聞いていた。


 それでも、ライリスたちの到着を、ハニファンド千葉とモンテスク山形のサポーターは、手放しで歓迎してくれた。雨に濡れることも辞さない雰囲気は、晴明の心を持ち上げて、暗く暑い中でも笑顔を作らせた。


 今日は山形のマスコットキャラクター、モンテ伯爵は来ていない。


 ライリスとピオニンとカァイブ。代わり映えしないメンバーでも、山形のサポーターはもちろん、千葉のサポーターも新鮮なリアクションを返してくれる。


 温かい声援に応えるべく、晴明たちはまずは写真撮影のために、横一列に並んだ。


 しかし、サポーターの姿を見まわしていくうちに、晴明は気がついてしまった。


 莉菜がいないのだ。


 普段なら由香里の隣にいるはずの莉菜が、この日は見当たらない。


 人だかりに隙間はさほど見られなかったが、晴明にはそこだけ、ぽっかりと穴が開いてしまっているように思えた。ただ単に遅れているだけだといいのだが。


 心配が杞憂に終わることを願いながら、晴明は写真撮影やグリーティングをこなした。山形サポーターからはさくらんぼ味のお菓子をプレゼントされたけれど、この日ばかりは晴明は、素直に喜べずにいた。


 やがて、グリーティングは進み、由香里が晴明の前にやってくる。


 「ごめんね、妹は今向かってる途中なんだ」とライリスに話しかけていて、晴明の不安はいくらか解消された。


 それでも、由香里とだけ手を繋いだり、写真を撮ったりしていると、晴明の胸には空しさがこみ上げてくる。


 由香里は気丈に振る舞っていたが、二人の笑顔を見ることで自分は元気をもらっていたのだと、今になってようやく実感していた。


 晴明はどこか宙ぶらりんな心のまま、由香里とのグリーティングを終えた。


 次のサポーターとのグリーティングを終えてから、晴明は由香里が去った方を向く。視線の先では由香里と桜子が何やら話していたが、内容までは晴明には聞こえてこなかった。


 天気は何とか雨を降らすことなく、すんでのところで持ちこたえていた。




 晴明はライリスに入って、入場者を出迎える正午からの二〇分間に、莉菜が自分の前に現れることを望んだ。


 だが、莉菜は一向に入場口に来てはくれなかった。


 もちろん任された仕事は、しっかりとこなす。ピオニンやカァイブ、それに人KENすすむくんと一緒に、晴明は入場者に、手を振り、握手をし、時には記念撮影にも応じた。


 隣では、佐貫が入った人KENすすむくんが、身体を大きく広げて自らの存在をアピールしている。白い肌に黄緑色の服を着た人KENすすむくんは、ライリスたちほど人気があるとは言えなかったが、めげずに動き続ける姿は、晴明にはとても健気なものに見えた。


 ピオニンやカァイブも、がんばってくれている。


 だけれど、莉菜が来ないことが晴明をどこか上の空にしていた。


 莉菜はシーズンチケットを持っているから、一般入場に先駆けて先行入場ができる。自分たちが登場する前に、スタジアムを訪れているのだろう。晴明はそう信じることにした。


 結局、莉菜が入場しないまま、ライリスたちによる出迎えは終わり、晴明たちは会議室に戻った。


 相変わらず少しばかり鈍重な空気の中を、晴明は桜子や成と話をすることで過ごした。


 成もピオニンに入っているうちに、少しずつ調子を取り戻してきたのか、先ほどよりはスムーズに話せるようになっていた。それでも、成は反対側の席に座る佐貫達を見ようとはしていなかった。


 少しばかりの休憩時間を終えて、晴明たちは再び着ぐるみに入る。今度はスタジアム内での出番だ。


 司会の野々村と一緒にピッチサイドに出た晴明は振り返って、まず由香里が座っている方向をさりげなく確認した。


 だが、そこに莉菜はいなかった。メインスタンドをぐるりと見回してみても、莉菜らしき人影は見つけられない。


 晴明は心配と落胆を覚えたが、それでもライリスに入っている以上は、明るく元気に振る舞わなければいけない。


 聞こえてくるシャッター音に、ピースサインをすることで答える。


 視界に雨合羽を着た腕が映る。雨はまだ降っていなかった。


「皆さん、今日は雲行きが怪しい中、スタジアムに足を運んでくださってありがとうございます! 私、ハニファンドTVの司会をさせていただきます、野々村美恵と申します!」


 野々村が自己紹介をし、次に三人のマスコットを紹介する。お決まりの流れだ。


 晴明は自分が紹介されたときに、両手を高く掲げて思いっきり振った。


 拍手で迎えられて、嬉しいことは嬉しいのだが、ふと由香里の隣に莉菜がいないのを見ると、不意に寂しくなってしまう。


「今日は人権啓発スペシャルマッチということで、特別ゲストに来てもらっています。人権啓発大使の人KENすすむくんです! 皆さん、どうぞ拍手でお迎えください!」


 野々村が大きな声で呼び込むと、客席の下で待機していた人KENすすむくんが、手足を目いっぱいに動かしながら登場した。


 真っ白な肌が佐貫の分かりやすい動きによって、血色を帯びているように晴明には感じられる。


 観客たちと同様、晴明も拍手で人KENすすむくんを迎える。スタジアムには朗らかな空気が流れていた。


 佐貫は晴明の横までやってくると、振り向いて小さいお辞儀をした。メインスタンドだけでなくゴール裏やバックスタンドにも、頭を下げている。やはり中央省庁所属のキャラクターだけあって、礼儀は身についているようだ。


 野々村に「フカスタに来ることができて嬉しい?」と問われた時も、はしゃぎすぎることなく、こくりと頷いて返していた。


 小さなしぐさだったが、大型スクリーンに映って、その様子はスタジアム中に伝わる。人KENすすむくんを邪険に扱う者は、ここにはいなかった。


「では、人KENすすむくんも登場したところで、一緒に人権についてのビデオを見ていきましょう。ライリス、すすむくんと一緒にVTRへのフリ、お願いできる?」


 まるで芸人みたいだなと思いつつ、晴明は言われるがまま、佐貫と向かい合った。


 視線を交わして頷きあう。晴明には佐貫のほころんだ表情が、目に浮かぶようだった。


 二人がまた正面を向くと、野々村が「準備はいいね?」と呼びかけてくる。


 「それではVTRスタート!」とのかけ声とともに、晴明は右手を、佐貫は左手を大きく振りかざして、肩の位置まで振り下ろした。


 二人で考えたオーソドックスなフリ。それでも、メインスタンドの観客を沸かせるには、十分だった。


 大型スクリーンの音声が切り替わったのを機に、晴明たちも画面の方を向く。


 画面には有名な俳優が出演した、ドラマ仕立てのビデオが流れ始めていた。親子のさりげない日常を舞台に、基本的人権の尊重を訴えかける構成となっていた。


 二分ほどのミニドラマの後には、選手が練習場をバックに、いじめやハラスメントは止めようだったり、お互いを思いやる気持ちを持とうだったり、至極真っ当なことを言うVTRが流れた。


 画面に映った三人の選手の中には柴本もいて、一人一人が個性を持った、かけがえのない人間だと話していた。


 いつもフレンドリーに接してくれる柴本の、真面目な表情は少しおかしかったが、真っすぐなメッセージは晴明の胸にすっと入りこんだ。


「基本的人権は、誰しもが生まれながらにして持つ権利です。どんな理由があっても、いじめや差別は許されません。ハニファンド千葉はその当たり前のことを、これからも様々な活動を通して周知し続けます」


 ビデオが終わって、野々村がもっともなことを言う。晴明は正当性を伝えるために、話に合わせて頷いた。


 狭い視界では隣は見えないが、人KENすすむくんも、物腰柔らかに立って、野々村の話に説得力を持たそうとしているのだろう。


 中に入っている佐貫のことを思うと、晴明はなんだか温かい気持ちになる。野々村が言い終えた後に、鳴った拍手が、佐貫の三年間を認めているようにさえ感じられた。


 恒例のハニファンドコールをしてから、晴明たちはスタジアムを一周する。


 だが、すぐに歩き出すわけにはいかなかった。


 一緒にスタジアムを歩くボランティアが、「基本的人権を理解して守ろう」という横断幕を広げるまで、待たなければならなかったからだ。


 選手入り口から横断幕を持った人たちが出てきて、ようやく晴明たちは歩き出すことができる。ライリスと人KENすすむくんを先頭に、横断幕、ピオニン、カァイブが続く形だ。


 晴明は東側メインスタンドの前で、足を止めた。見上げてみると、由香里の隣にまだ莉菜はいなかった。涼しい風がマッチデープログラムをなびかせていて、余計空白を感じさせる。


 人KENすすむくんが歩み寄ってきたことに気づいた晴明は、手を組んでガッツポーズを作る。


 スマートフォンのシャッター音と、降りかかる人々の視線。だけれど、晴明の心はどこか満たされないままだった。




 会議室に戻った後、晴明は用意されていた弁当に手をつけることもなく、着ぐるみを脱いで汗を拭くとすぐに、会議室から飛び出していた。


 由香里に、莉菜はどうして来ていないか聞くことで頭がいっぱいで、ボランティアスタッフ用の黄色いビブスをつけることさえ忘れていた。


 すぐさま桜子が後を追いかけてくる。晴明は休んでいるように言われると思ったが、桜子は晴明に黄色いビブスを突き出して、自分も一緒に行くと言った。


 晴明はライリスの中に入っているから、あくまでも由香里とは、今日はまだ会っていないという設定が必要だと諭され、晴明の頭は少しだけ冷静さを取り戻す。あやうくライリスの中の人が、発覚してしまうところだった。


 晴明は桜子の言い分を聞き入れ、後ろについていく。桜子も歩調が速く、莉菜が気がかりなことが窺えた。


 晴明たちがメインスタンドに着いたとき、既にピッチでは、ゴールキーパーのウォーミングアップが始まっていた。


 該当のブロックまで行くと、二人はすぐに由香里を見つけることができた。キャッチングの練習をするゴールキーパーを、容器に盛られたソーセージを食べながら眺めている。


 桜子は時間が惜しいと言わんばかりに大胆な足取りで、由香里のもとへと向かっていた。


「ああ、文月さん。それに似鳥さんも。一週間ぶりですね」


 足音に気がついたのか、由香里は二人が自分の段に降りる前に、振り返って声をかけてきた。首にはライリスがプリントされたタオルマフラーを巻き、唇がソーセージの油で少し照っている。


 目に深刻そうな色は見えず、スタジアムでの時間を楽しもうとしていたが、それが晴明にはかえって寂しかった。


「はい、ご無沙汰してます。最近はかなり涼しくなってきましたけど、どうですか? お身体の方は?」


 桜子が同性ならではの気づかいで、スムーズに会話を繋ぐ。


 屋根から覗く空は、相変わらず曇ったままだ。昼なのに薄暗くて、雨が降っていないのが不思議でさえある。


 当然、気温も下がり、汗が乾き始めて寒気すら晴明は覚えていた。


「大丈夫です。変わりありません。でも、そろそろ秋物引っ張り出さないとですね。今日帰ったら、虫干しとかしよっかなって思ってます」


 にこやかな表情を浮かべながら答える由香里。だけれど、晴明にはその笑みが、はぐらかしているように感じられてしまう。


「由香里さん、一つお聞きしたいんですけど、莉菜ちゃんは今日はどうされたんですか? 試合開始までには来ますよね?」


 桜子が慎重に、だけれど力強く直球を投げ込んだ。だけれど、由香里は表情を変えない。まるで暗記してきたみたいに、訥々と述べる。


「すいません。今日は莉菜は来ないんですよ。ちょっと体調を崩してしまって」


「そうなんですか。そういえば、先週も少し顔色が優れなかったですもんね。大丈夫です? 熱とかありません?」


「ええ、今は家でゆっくり寝てると思います。実は三日前にインフルエンザに罹ってしまって。症状はもう改善してるんですけど、ほら、治っても数日は外出できないじゃないですか。だから、心配には及びません。気遣ってくれてありがとうございます」


「えっ? もうですか? まだ九月なのに早くないですか?」


「なんか今年のウィルスは強力みたいですよ。お二人も早めに予防接種、打っておいた方がいいと思います」


 桜子は由香里の説明に納得しかけていたが、晴明は違った。インフルエンザを持ち出すには時期尚早だろう。


 会話を終えようとしている二人に、晴明は慌てて割って入る。


「由香里さん、莉菜さんが静養していて来れないなら、せめて声だけでも聞かせてもらえませんか? 来月のホームゲームには来れるのかどうか聞きたいです」


「でも、ここだとチャントも鳴ってるし、周りの人にも迷惑なんじゃ……」


「それなら、コンコースに言って話しましょうよ。ここよりは少しは静かなはずです」


 なぜこんなにも意固地になっているのかは、晴明自身ですら分からなかった。莉菜の声を聞いて安心したいのかもしれない。またライリスと会ってくれるという、確約がほしいのかもしれない。


 晴明の押しの強さは想定外だったようで、由香里は目を瞬かせている。桜子も晴明の側に回って頼み込む。


 すると、由香里は席から立ち上がった。


「ちょっと場所を変えましょうか」



(続く)

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