↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
84/201

【第84話】君たちもしかして



 翌朝。晴明はいつもより二時間早く起きて、人もまばらな電車に乗り、通勤客もさほどいない千葉中央駅に降り立った。上総台の制服を着た学生は、一人も見られない。


 冬樹を説得するのは骨が折れたが、成績を落とさないという条件で何とか許可を取りつけた。


 桜子には嘘をついても仕方ないので、正直にラインで話した。突然すぎて今日は無理だが、いつかは参加するかもしれないという返事だった。


 晴明は今、一人で傘を差しながら、きぼーる通りを歩いている。雨は少し弱くはなったものの、相変わらず降り続いて、晴明を心もとない気持ちにさせていた。


 佐貫が住むマンションは、千葉中央駅からきぼーる通りを歩いて、三つ目の信号を右折した先にあった。ソリッドな見た目が、新築であることを思わせる。


 晴明が入り口で呼び出しをかけると、すぐさま佐貫は応じてくれた。眠気を感じさせない、快活な声だった。


 エレベーターで佐貫の部屋を目指す。他には誰も乗ってこなくて、心細さを晴明は覚えた。


 六階でエレベーターは開いて、薄橙色のカーペットが姿を現す。


 佐貫の部屋は六〇一号室。角部屋だ。


 晴明が部屋のインターフォンを押すと、Tシャツにハーフパンツ姿の佐貫が迎えてくれた。その奥には、座布団に座った渡と芽吹の姿も見えていた。


 オレンジの香りがかすかに漂う部屋の中を、晴明はぎこちない足取りで進んでいく。カーテンも家具も淡い黄緑色で統一されたリビングは、高校生男子の部屋とは思えないほど片付いていて、埃一つなかった。


 四二インチのテレビが、堂々と存在感を主張している。本棚には小説や参考書が整然と並べられ、大きな姿見が天井照明を反射して輝いている。


 ショールームみたいに整った部屋に、晴明は緊張を抱かずにはいられなかった。


「似鳥、雨大丈夫だったか? 何か飲む? 冷たいもんならコーヒーと麦茶、それとサイダーがあるけど」


「いえ、僕は大丈夫です。もう約束の七時になりそうですし」


「それもそうだな。じゃあ、さっそく始めようか。あっ、マトも芽吹もコップはそのままでいいから。後で俺が片付ける」


 佐貫は一つ伸びをして、台本と姿見を持って、玄関の方へと向かって行った。ドアが開いて、晴明が見たのは、天井に備え付けられたエアコン以外は何もない、フローリングの部屋だった。


 生活感が感じられないが、この部屋だけでも人が十分住めそうな、そんな広さの部屋だった。


 本当に余っている部屋があるという驚きとともに、晴明には佐貫はなぜこんないい部屋に住んでいるのだろうかと疑問も湧いてくる。


 だけれど、ありがたく使わせてもらう以上、下手に聞いて佐貫の機嫌を損ねるわけにはいかなかった。


「普段は友達が泊まる部屋として使ってるんだけど、昨日片づけといたから。これなら思う存分練習できるだろ?」


 微笑みかけてくる佐貫に、三人はありがたさと申し訳なさが混ざった、あいまいな反応を返していた。


 だけれど、佐貫はまるで気にしていないかのように、即座に部屋に入って照明をつけ、姿見を立てかける。


 晴明が足を踏み入れると、冷房も入っていないのに、少しひんやりとした空気を感じた。


「じゃあ、始めよっか。とりあえず最初からでいいか?」


 渡が姿見の前に立ち、芽吹が台本を持つ。二人が頷くと、佐貫は「よし」と言って、晴明の方を向いた。


 晴明は促されてスマートフォンを取り出す。


 防音がしっかりしているのか、外からは車が走る音さえ聞こえてこない。


「じゃあ、最初からな。似鳥、準備ができたと思ったらキュー出して」


 晴明は三人の顔を見回す。そして一呼吸おいてから、成がやっているように声を出した。


「では、いきます。よーい、スタート」




 練習は一時間ほどで終わった。朝とは思えないほど、渡も芽吹も集中していて、佐貫のアドバイスにも熱が入る。


 冷房は効いていたのに、終わった頃には晴明もじんわりと汗をかいていて、時間の濃密さを感じた。


 四人はリビングに戻った。ワイドショーを三人は特に会話もせずに眺めて、その後ろでは佐貫がコップを洗っていた。


 最上級生にやらせてしまうのは晴明には気が引けたが、かといって佐貫の持ち物を、自分が勝手に触っていいとも思えなかった。


「台風、大変だな」


 制服に着替えて、寝室から戻ってきた佐貫がテレビを見て口にした。


 ワイドショーは昨日の台風による、被害状況を映し出している。暴風域はもう過ぎたものの、まだ雨は降り続いていて、千葉の東部では大雨洪水警報も出たらしい。


「本州直撃ですからね。静岡の方では避難勧告も出てたみたいですよ」


 返事をする芽吹は、足を伸ばしてくつろいでいた。


 晴明は礼儀が足りていないのではないかと思ったが、佐貫の自然な表情を見ると、心配はどうやら杞憂らしい。


「最近異常気象多いよな。五〇年に一度の大雨が毎年起こってるような」


「そうですね。どうなっちゃうんでしょうね、地球」


 いきなり目的語が大きくなったから、晴明は心の中で吹き出した。芽吹もけろりと言っていたから、言葉はそこまでの重大さを持たずに、微笑に塗り替えられていく。


 ワイドショーは既に話題を切り替え、地球の反対側の大統領選を報じている。誰も関心を持っておらず、アナウンサーの声がただのBGMと化していた。


「佐貫先輩って親御さんに家賃払ってもらって、ここに住んでるんですよね」


「当たり前だろ。高校生がちょっとバイトしたぐらいで、こんないいとこ住めるかよ」


「本当いいとこですよね。ここ。角部屋で日当たりもいいですし、セキュリティもしっかりしてますし。俺も大学生になったらこういうところ住んでみたいです」


 そう言うと、芽吹は床に手を置いて、天井に向かって大きく息を吐いた。


「芽吹、一人暮らししたいのか?」


「いや、だって一人暮らしって何か憧れるじゃないですか。好きな時間に起きて、好きなものを食べて、好きなものを見て、好きな時間に寝れるじゃないですか。そういう自由な生活に、興味がないって言ったら嘘になりますね」


 今度は佐貫が大きく息を吐いた。そして、渡と晴明にも一人暮らしをしたいのか聞いてくる。


 晴明は自信はなかったが、渡が小さく頷いていたので、首を縦に振って場の空気に合わせた。


「あのな、お前ら。一人暮らしってそんないいことばっかりじゃないぞ。ゴミ出しや掃除や、洗濯や食器洗い。面倒なことも、全部自分でやんなきゃいけないんだから。家を出る前にそういう習慣をつけとかないと、後々苦労することになるぞ」


「それ、体験談ですか?」


 佐貫はバツが悪いように笑ってみせる。その笑顔は場を和ませる空気を発揮していた。


「それはともかく、芽吹、大学に行こうと思ってるんだな。親は何て言ってるんだ?」


「特に何も言ってないです。ウチ、結構な放任主義なんで、俺が大学行きたい、一人暮らししたいって言ったら、そうさせてくれると思いますよ。まあ授業料はともかく、家賃は払ってくれるかどうかは分かんないので、何かバイトしながら通うことになるんじゃないですかね。部屋もこんないい部屋じゃなくて、多分ワンルームです」


「まあ、それがいいよ。いきなり広い部屋与えられても、持て余すだけだから」


「佐貫先輩のところはいい親御さんですね。だって、こんないいとこに住まわせてくれるなんて。それだけ佐貫先輩のことを大切に思ってるっていう、証拠じゃないですか」


 口では笑い声を漏らしているが、佐貫の目元は笑ってはいなかった。その複雑な表情に、芽吹はこの前のランニングにいなかったなと、晴明は思い返す。


 デリケートな話題に、佐貫は「そうだな」としか返せず、空気はほんの一瞬だけひりついた。


「じゃあ、そろそろ出るか。傘、忘れんなよ」


 足元に置いてあったスクールバッグを手に取り、佐貫が三人に呼びかける。家主の意向に逆らうわけにもいかず、三人は立ち上がった。


 テレビの電源が消されると、急に雨音が立体感を持ち始める。


 不思議そうにしている芽吹を、渡がそれとなく視線で説得していた。




 土曜日は午後のみの練習となった。平日と変わらない時間帯の練習は、晴明にとっては勉強をする時間が確保できるのでありがたい。


 立ち稽古も劇の後半に差しかかっていて、来週にはもう劇を止めずに最後までやる通し稽古に入れそうだった。


 少しずつ下がっていく気温が、晴明に秋の訪れを感じさせる。本番である大賀祭までは、あと半月を切っていた。


「それでは、これで今日は終わりにします。机と椅子を元に戻してから、帰ってください」


 泊が言うと、残りの部員が口をそろえて返事をする。外はすっかり日が落ちて、鈴虫がじりりと鳴いている。


 会議室には弛緩した空気が漂い始める中、晴明は足を重ねられている机と椅子の方に向けた。ここの会議室の机と椅子にはキャスターがついていないので、片付けるときは折り畳んで重ねるしかないのだ。


 幸い一人で持てる重さだったので、晴明たちは机を脇に抱え、入室時と同じ位置に戻していく。全員で協力してやれば、大した時間はかからない。


「似鳥さ、一二ページのシーンの音楽ってどうなってる?」


 会議室をあらかた元に戻し終わった後で、成が聞いてきた。手には何も持っていなかったから、晴明は落ち着いて答えることができた。


「少し悲しい感じでしたよね。重い雰囲気のあるマイナーコードが中心の曲を、今探しているところです」


「それって、明後日までに間に合いそう?」


「はい、何とか」


 そう答えると、成は「ありがと。じゃ、よろしくね」と、晴明から去っていった。話している泊と佐貫に躊躇なく割りこんでいる。その朗らかな様子を見ていると、三人が複雑な関係で結ばれているとは、晴明にはとても思えない。


 ぼんやりと眺めていると、桜子が「ハル、そろそろ帰ろっか」と声をかけてくる。会議室に残る理由も特になかったので、晴明は素直に頷いた。


「ハル、明日一時半で大丈夫?」


「うん。問題ない。さすがにその時間帯には起きてるだろうし」


「帰りまた遅くなるけど、冬樹さんや奈津美さんは何て言ってるの?」


「寄り道せずにまっすぐ帰れだってさ。まあ認めてくれるだけありがたいよ」


「なら、よかった」


 二人は会話を交わしながら、階段を下る。すると、ロビーに一人の女性が壁に寄りかかっているのが見えた。晴明と同じくらいの背丈で、日焼け止めを塗っているのか、肌は桜子よりも白い。


 着用されたピステスーツにあしらわれたイラストだけで、晴明たちはその女性の身元を察した。


 軽く会釈をすると、女性は階段を下りた二人に、ずんずんと近づいてくる。


「君たち、もしかして上総台高校のアクター部の人?」



(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。