【第68話】とっておきのプレゼントを
勝呂が再び手を叩いて、晴明たちの本番のような練習がスタートした。
歩きながら、成が身振り手振りをしてくれるのに合わせて、晴明も考えつくジェスチャーを繰り出す。成が右手の手の平を返すと、雨が降ってきた合図だ。晴明は頭を下げて、膝を屈めて雨に打たれていることを表現する。
それから、傘を持っていない二人は両手で傘を作って、近くの建物に逃げ込むふりをした。手で水滴を払いのけ、体を震わせて寒さを表現する二人。
だが、そこからのアイデアが浮かばない。
先ほどまでの意気込みはどこへやら。晴明はすっかり困り果てていた。三分間が永遠みたいに長く感じる。一応全て最後まで演じきっていた佐貫と渡が、実はとんでもないことをしていたのだと、今になって気がつく。
二人が困り果てていると、勝呂が二回手を叩いた。ようやく三分間経ったのだろうか。
ホッとしたのもつかの間、勝呂はまるで脅すような低い声で言った。
「もう結構です。着ぐるみを脱いでください」
厳しい声音に自分たちは不合格だったのだと、晴明は瞬時に悟る。
成と一緒にブルーシートに戻り、着ぐるみを脱いで見上げると、体育館の時計はようやく三分が経ったところだった。
晴明は袖で汗を拭ってから、三度勝呂のもとへと集合する。
「おそらくやる気はあるのでしょう。下手なりにがんばろうとしているのも伝わってきました」
褒め言葉を、晴明は額面通り受け取れなかった。次に襲ってくる言葉に、怯えるばかりだった。
「ですが、それ以外は一切認めません。動きの質も量も圧倒的に不足しています。まるで素人です。二人とも、今まで着ぐるみに入って人前に立ってきたんですよね?」
さすがに自分のことを言われて、ショックを受けたのだろう。成でさえ、何も言い返せていない。もちろん晴明が何かを言えるはずもなく、体育館の熱気は押しつぶされそうな重たい空気に姿を変えていた。
「もっと普段から、お互いの動きを見合って、問題点や改善点を伝えあってください。なあなあな、あなたたちに一番不足しているのは、そのコミュニケーションです。本日はもう着ぐるみを着ての練習は行いません。一人ずつエチュードをやって、お互いの良いところ、悪いところを指摘しあいましょう」
過酷な宣告が晴明にのしかかる。返事をするのが少し遅れてしまった。
晴明たちは勝呂に促されて、着ぐるみを片づける。袋に入れる間際に見たトータルくんの目が、自分をあざ笑っているように晴明には思えた。
「佐貫先輩の家ってカレーには牛肉ですか? それとも豚肉ですか?」
カートを押しながら、成が嬉々として聞いている。まるで、後ろにいる二人を気にしていないように。
佐貫が「牛肉」と答えると、「ですよね! やっぱりあの柔らかい食感がたまらないですよね!」なんてより上気しているから、晴明は苦笑するほかなかった。そのままのテンションで、ニンジンや玉ねぎといった野菜を、次々とかごの中に放り込んでいく成。
芽吹が、「南風原、よくあんな元気でいられるよな」と少し呆れるように口にしていたが、晴明も全く同感だ。
午後四時になって、練習を終えたアクター組の四人は、一度館山リスタディに戻って裏方組の三人と合流していた。勝呂の指導は的確だが、いささか厳しく、ただ動くよりも晴明は体力を消耗していた。それでも、桜子や泊、芽吹に快く迎えられると、少なくとも精神的には回復の兆しが出てきていた。
それから少し休んで、買い出しの担当を決めるジャンケンがあった。その結果が、アクター組三人に芽吹を加えた四人である。残った三人は、先に入浴等をして体を休めている。明日はそっくり担当が交代する予定だ。
スーパーマーケットは館山リスタディから、車で一〇分ほどのところにあった。
晴明はそのわずかな時間も睡眠に当てたかったが、後部座席で成が盛んに話していたので、できなかった。主に芽吹に勝呂が厳しかったという愚痴をぶつけていた。植田もいる手前、あまりネガティブな話題を出すのはどうかと晴明は思ったが、成はそんなことお構いなしに、話し続けていた。
だが、いざスーパーマーケットに入ると、成はすぐに上機嫌に切り替わり、楽し気にカートを押している。
部員で買い出しをする非日常に、心が躍っていたのは晴明も同じだったが、成の元気と変わり身の早さには改めて驚かされるばかりだ。
そして、今も成のテンションは落ち着くことを知らず、「どうします? いっそのことシーフードカレーにしちゃいますか?」なんて、先ほどの話は何だったのかという話を佐貫にしている。
佐貫ももう慣れているのだろう。適当に相手をして、体力を消耗しないように心がけていた。
兄妹にすら見える二人を眺めながら、晴明と芽吹も必要なものを少しずつかごに入れていく。一〇キログラムの米やら、数本の二リットルのペットボトルやらで、既にカートを押す手が重たい。
スナック菓子を買いたがっている成と、やんわりと宥める佐貫の姿は、もはや親子のように晴明には見えた。
「仲いいですよね。南風原先輩と佐貫先輩。学年が違うとは思えないほどに」
呟く晴明。だが、芽吹から返事があるまで少し間があった。
小さく笑みをこぼした芽吹に、自分が何かおかしいことを言ってしまったのかと、晴明はかすかに不安になる。
「本当。高校からの付き合いとは思えないよな。もっと前から一緒にいたみたいな」
少し寒いくらいの冷房。オリジナルと思しき音楽が、同じ県内でも遠くまで来たことを晴明に思わせた。
四人はレジへと向かっていく。財布は佐貫が持っているので、晴明たち三人はカートを佐貫に預けると、レジの向こうで会計が終わるのを待った。
八つのかごに満遍なく入った商品は、会計にそれなりの時間がかかり、偶然当たった店員が少し気の毒そうだった。
会計が終わった商品から袋に入れていく。結局魚介類はなく、ビーフカレーにするようだ。
最後は佐貫も協力して、商品を入れ終わった四人は店を後にする。
佐貫は一〇キログラムの米と、二リットルのペットボトル六本を両手に持っていた。合計で重さは二〇キログラムを超えるので、さすがに腰が曲がっている。
野菜だけを持っていた成や芽吹がしきりに、「持ちましょうか」と声をかけていたけれど、佐貫は「大丈夫だから」とあくまでも車まで運びきろうとする。
幸い植田の車は、出入り口のすぐ近くに止められていたので、佐貫もレジ袋もなんとか持ちこたえることができた。
トランクに商品を積んで、晴明たちは車に乗り込む。今度は芽吹が助手席に乗った。
真ん中に座った佐貫は少し手を振って、何事もなかったかのように涼しい顔をしている。それでも、手の平にはくっきりとレジ袋の紐の跡がついていた。
「今日は何にするんだ?」
走り出してすぐ、植田が聞く。「カレーです」と佐貫が答えると、「おっ、いいな」とまるで大きな子供みたいなリアクションをした。
「佐貫先輩、手大丈夫ですか? 痛くありません?」
矢継ぎ早に成が心配性を発動させて、「大げさだな」と佐貫は笑ってみせた。
「でも帰り、坂上ってくじゃないですか。朝、荷物を持ちながらでもけっこう大変だったのに、お米に飲み物持って歩けます? どっちか私持ちますよ」
「いいよ、南風原にそんな重いもの持たせるわけにもいかないし。ですよね、ウエケン先生」
急に名指された植田は振り向くことなく、「えっ? 俺?」なんて驚いている。
だけれど、晴明がバックミラー越しに見た植田の顔は、まるっきり嫌だという渋い表情でもなかった。
「そうですよー。ウエケン先生、買い物中もずっと待ってただけですし。ちょっとは手伝ってくれないと」
畳みかけるように成が軽い口調で言う。
植田は合宿の準備や午前中の指導に尽力してくれたのに、勝手だなと晴明は思う。
しかし、植田も「しょうがないなぁ」と言いながら、満更でもなさそうだ。初めての合宿に浮き足立っているのは、部員だけではないらしい。
「で、何持てばいいんだ?」
「お米をお願いします」
「分かった。何キロのやつだ?」
「一〇キロです」
「買ったなぁ」
バックミラー越しに植田がはにかむから、車内は穏やかな空気に包まれる。勝呂の指導で受けた心のへこみも、晴明のなかで少しずつ癒えていく。
窓の外には海が見える。はじめて見たわけでもないのに、成が佐貫に一緒に見るように促していた。
晴明たちが館山リスタディに戻ってきて、交代で入浴を済ませた後、アクター部は料理班と洗濯班に分かれることになった。
再びジャンケンをした結果、晴明は渡や泊と洗濯班に回ることになった。ネットに入れられた各人の洗濯物を受け取り、玄関を出る晴明たち。
六時前になって少しずつ日が傾きはじめ、道路を一列に並んで歩く三人にも、長い影ができていた。
コインランドリーは館山リスタディから歩いて一五分のところにあった。すっかり日も暮れて、隣のコンビニエンスストアとともに、無邪気な光を屋外へと放っている。
屋内に入ると、洗濯機は一台も稼働しておらず、乾燥機にも洗濯物は残されていなかった。地元局のラジオだけが流れる空間は、晴明にはミニチュアのドールハウスみたいに思えた。
晴明たちは男女別に洗濯乾燥機に洗濯物を放り込み、スイッチを押す。洗剤が勝手に投入されるタイプで、生まれてはじめてコインランドリーを訪れた晴明は大いに戸惑ったが、慣れている泊を見るとこれで正解らしい。
洗濯と乾燥が完了するまで、一時間と表示される。とりあえず二人がけのベンチ二つに男女分かれて座ったが、スマートフォンぐらいしかもってきていない晴明には、時間の潰し方があまり分からなかった。
いくつか棚に置かれている漫画は興味を持てなかったし、ラジオを聞いているだけでは退屈だ。
渡もただ回る洗濯物を眺めているだけで、話してくれそうにない。口を開いたのはやはり泊だった。
「どう? 今日勝呂さんに入ってもらって、初めての練習だったけど。やってけそう?」
「すごい厳しかったですよ。あれが違う、これが違うって言われまくりで。正直へこみました」
泊の隣にいた渡が訴えるように答えていた。ハードだと感じたのは自分だけではないなと、晴明は頷きながら思う。
「まあ最初の挨拶から薄々分かっていたことではあったんだけど、そっかー、厳しかったかー。ご飯食べた後の読み合わせも勝呂さんは見てくれると思うんだけど、そう言われると不安になってきちゃうな」
「とりあえずは、真剣にやるしかないんじゃないですか。勝呂さんに認めてもらうためには。ていうか、南風原なんて『絶対に認めてもらいますから』って宣言してましたし」
「なぁ、似鳥」と言われたので、晴明は再び首を縦に振る。疲れているだろうに、渡はいつになく饒舌だ。泊といることで安心しきっているのだろうか。
「成らしいね」と言う泊は人懐っこい笑顔を見せていて、晴明の緊張も瞬時にほどけていく。
「泊先輩たちの方はどうだったんですか? 宿でどんな練習してたんですか?」
「別に普通だよ。今度、ショッピングモールでやる着ぐるみショーの台本考えたり、着ぐるみに入っている体で、アテンドの練習したりとか。あと、フミが書いてきた脚本を、皆で実際に喋ってみて、セリフをちょっと直したりもしたかな。マトたちが帰ってくる前に、そこのコンビニで印刷しといたから、ご飯食べて後片付けをしたら、すぐ読み合わせに入れる」
「今日の予定はそれでおしまいなんですよね」
「うん、一〇時くらいまでやる予定だけど。もしかして自分に上手くできるかどうか心配?」
「そ、そんなことないですよ」と言いながらも、渡の身体は先ほどよりも縮こまっていた。朝、成に重要な役だと言われているから、慄いているのだろう。
不安そうに洗濯乾燥機を見る渡は、泊の格好の餌食となった。
「配役は、夕食の後に発表しようと思ったけど、もう言っちゃうね。マトは準主役、臆病なクマの役だよ」
泊は茶目っ気たっぷりに言っていたけれど、渡はそうはいかない。二回も聞き直していて、泊の思うつぼにはまっている。
「準主役っていっても、かなり重要な役だからね。正直、この劇の成功はマトにかかってるといってもいいかも」
容赦なく畳みかける泊に、晴明は六月の大道芸フェスティバルのことを思い出す。今渡にプレッシャーをかけている泊は、そのときとまるで変わりない。渡がうろたえる姿を見て微笑んでいる。やはりどちらかというとサディストだ。
度を超したからかいに晴明は思わず、「大丈夫ですよ。渡先輩ならできますって」とフォローに回ったが、そんな晴明にも泊は平気で、「えっ? 似鳥も出るんだよ」と言い放つ。
「僕もですか?」
「そう。佐貫が主役で、マトが準主役。そして、似鳥が準々主役。三人しか舞台には出ないから、似鳥の働きも重要だよー」
からかいの矛先が自分に向いても、晴明は意識してうろたえないように努めた。六月と同じ轍を踏むわけにはいかない。
「分かりました。精一杯やらせていただきます」と言うと、「うん、がんばってね」とやはり泊は微笑みかけてきた。どちらに転んでも、泊には楽しめるシステムになっているらしい。完全に手の平の上でもてあそばれていることに、晴明は今さらながら気がついた。
そこから降りたい気持ちが、無理やり口を開かせる。
「そ、そういえば泊先輩、明日誕生日じゃないですか」
必死に考えて話題を逸らしても、泊の反応は「うん、そうだけど」とあっさりとしていて、余裕を晴明は感じた。
「おめでとうございます。何才になったんですか?」
「いや、分かってるでしょ。一八だよ、一八。何? なんかくれるの?」
「いや、そういうわけじゃないんですけど……」
「実は、泊先輩にとっておきのプレゼントを用意してるんですよ」
先ほどまでしぼんでいた渡が、急に会話に割り込んできて、晴明はその言葉とともに二重の驚きを覚えた。
そんな話は全く聞いていない。自分が塾に行っている間にこっそり計画していたのだろうか。
教えてくれてもいいのにと思う晴明の向こうで、泊は「えっ? なになに?」と興味津々だ。
だが、そんな先輩のキラキラした目も、渡は「そんなのここで教えられるわけないじゃないですか。明日のお楽しみですよ」と受け流す。
口を尖らせる泊。今度は渡が泊をからかっているようで、晴明は思わず笑みをこぼした。泊が「ちょっと似鳥ー、どうして笑うのー」と言ってきたのが余計おかしくて、晴明は大口を開けて笑いたい思いを何とか堪える。
乾燥が終わるまではあと四〇分はかかる。だけれど、この二人といると退屈しないでいられる気が、晴明にはしていた。
(続く)




