【第49話】ぴったりの役割を
次の朝。今度こそ晴明は、七時半に間に合うように校門に到着した。今日は桜子も、家からついてきている。
昨日の今日だから、自分たちよりも早く登校しているかもしれないと、桜子は不安がっていたが、下駄箱にはまだ芽吹の上履きが置かれていた。天はまだ晴明たちに、チャンスをくれているらしい。
二人は校門の側で芽吹がやってくるのを待った。とはいっても、立ち止まったままだと先輩たちに声をかけられてしまう恐れがあるので、時折昇降口へと向かうふりもしながら待ち続けた。
その甲斐あってか、投稿してきた成や渡、佐貫や泊が、二人に声をかけることはなかった。本当はとっくに二人の意図に気づいていて、あえて話しかけなかったのかもしれないが、あまり事を荒立てたくない二人には、かえって都合が良かった。
登校のピークが過ぎ、ホームルーム五分前の予鈴が鳴っても、芽吹は現れなかった。
もう教室に行ったほうがいいのではと急く晴明を、桜子があと少しだけ待ってみようと宥める。だが、もはや校門をくぐる学生は、片手で数えられるほどしかいない。
二人が今日は欠席だと結論づけて、昇降口に向かおうと決めたときになって、芽吹は姿を現した。
遅刻ギリギリだというのに全く焦っておらず、淡々と歩を進めている。二人には気づいていたが、無視を決め込んでいた。
二人は駆け足で芽吹のもとへと向かっていく。だが、芽吹が足を止めることはなかった。音楽でも聴いているかのように、周囲には目もくれていない。晴明が回り込んでも、躱されてしまった。
こうなったら、立ち止まる瞬間を狙って話しかけるしかない。二人は黙って芽吹についていき、下駄箱を開けたタイミングで、晴明がとっさに尋ねた。
「あの、芽吹先輩、アクター部のことなんですが……」
芽吹が晴明を見ることはない。慣れた仕草で、上履きに履き替えている。
「また、その話? そっちの子には昨日も言ったけど、俺はアクター部には戻れないから」
つっけんどんな返事。だけれど、晴明はそこに活路を見出す。
「それって戻りたくないわけじゃないんですよね。戻ることができないっていう意味ですよね」
下駄箱を閉める音が、三人しかいない昇降口に響いた。カバンを持って、立ち去ろうとする芽吹を、晴明は呼び止めるように発した。
「芽吹先輩が戻ってこれるよう、ぴったりの役割を見つけました」
その言葉に驚いたように、芽吹は動きを止めた。
しかし、間もなくホームルーム開始を告げるチャイムが鳴る。急いで教室に向かおうとする芽吹を、二人が止めることはもうできない。
だから、角を曲がる前に、晴明はもう一度呼びかけた。
「もし興味があったら、昼休み、西校舎の裏に来てください。僕たちは待ってますから」
芽吹は返事をすることなく、角を左折して姿を隠してしまう。自分の提案は届いたのだろうか。
晴明が思いを馳せる間もなく、桜子が「ほら、私たちも急がないと」と手を引っ張ってくる。二人はまだ傷が浅いうちに、急いで自分たちの下駄箱に向かった。
「で、何だよ、話って」
芽吹が現れたのは、晴明と桜子が西校舎の裏に来てから、一〇分ほど後のことだった。全くの手ぶらで、どうやら昼食は済ませてきたらしい。
改めて向き合ってみると、晴明より頭二つ分ほど高い視点は、ただでさえ人を威圧するのに十分なのに、彫りが深い分、余計に恐ろしく感じられる。値踏みされるような思いを感じながらも、晴明は意を決して口を開いた。
「あの、お忙しい中わざわざ来てくれてありがとうございます」
「そういうのいいからさ、まず用件を言ってくれない? 俺も暇じゃないんだよ」
先輩風を吹かされて、晴明は思わず背後にいる桜子のことを振り返りたくなる。しかし、すんでのところで堪えた。
芽吹の心証を悪くしないためにも、今は自分の力だけで話さなければならない。
「芽吹先輩って、黒崎ダイアのツイッターも運用してますよね」
口にした途端、芽吹がぐいっと距離を詰めてきた。腰を曲げてクレーンカメラのように晴明を凝視している。晴明は怒られるかと思ったが、芽吹から出てきたのは、「あまり大きい声で言うんじゃねぇよ」という注意のみだった。
「すいません。でも、こまめに呟いたり、動画の反応にいいねをつけたり、ファンにリプライを送ったりしてるんですよね」
「そうしないと、見てもらえないからな」
「それです。それをアクター部でやってほしいんです」
「は?」と間の抜けた声。男子学生の騒ぐ声が校舎をすり抜けて、真剣な三人を冷やかした。
芽吹の厳しい目元に少しだけ隙が生まれる。またとない好機だ。
「僕なりに今のアクター部に何が足りないのか考えたんです。僕、今ライリスっていうサッカーチームのキャラクターに入ってるんですけど、いったんスタジアムの外に出たら全然人気なくて。どうしたらいいんだろうって考えたら、宣伝が足りないんじゃないかって気づいたんです。だから、芽吹先輩にはオンラインでもオフラインでも、ライリスをはじめとしたキャラクターの、広報や宣伝をしてほしいんです」
晴明の提案に芽吹は、頷きもたじろぎもしなかった。晴明には、今打てる最善手を打ったつもりだ。却下されたら、もう打てる手はない。
晴明は祈りを込めた視線を送る。背後から声が聞こえていないことを見るに、桜子もじっと芽吹を見つめているようだ。
「それは泊先輩でもできるんじゃ……」
「いや、芽吹先輩にしかできないんです。バズった経験もあって、SNSの運用にも慣れている芽吹先輩にしか、お願いできないんです」
「どうかお願いします」と頭を下げる晴明に、桜子も同じ文言で続く。芽吹が頼みを断れない性格であることに、二人は賭けた。
しばらくすると、期待通りに頭を上げるように言われる。顔を上げると、目の前の相手が一本の針葉樹のように晴明には見えた。
「分かったよ。考えとく」
まだYESと決まったわけではない。断られる可能性の方が、高いかもしれない。それでも二人は手を取り合って喜びたい思いに駆られた。
あとは芽吹次第というところまでは、いくことができた。大きな進歩である。
それでも、嬉しさを表情に出さず「ありがとうございます」と礼をするだけに、二人は留めた。
「じゃあ、俺そろそろ戻るから」
踵を返して校庭の方角へと去っていく芽吹を、晴明は無言で見送らなかった。伝えたいことはもうなかったが、聞きたいことはまだあった。
「ちょっと待ってください」と、間髪入れずに呼び止める。振り向いた芽吹は胡乱な表情を向けてきていたが、晴明は勢いのまま問いただす。
「去年、アクター部でディズニーに行きましたよね?」
「それも南風原から聞いたのか?」
晴明は首肯した。回り道をしている時間はない。
「そのディズニー、もっと言えばジャングルクルーズで何があったのか、よろしければ教えていただけませんか」
成の話には、ジャングルクルーズで芽吹と渡に何があったのかという、重大なポイントが抜け落ちている。晴明が直球を投げると、芽吹は気怠そうに一つ息を吐いた。
突っ込んだことを聞いているのは承知の上だ。それでも、知らなくては芽吹も渡も説得できない気が、晴明にはしていた。
「俺が嫌だって言ったら、マトに聞きに行くんだろ?」
「はい」
「はいって。正直かよ」
右手で頭を掻く芽吹。抜け落ちて肩の上に載った一本の髪の毛を、なんてことないように払い落としている。
「あのさ、俺迷惑してんだよね。朝止められたり、昼呼び出されたり。帰るときに待ち伏せするのも含めて、今後そういうことは一切しないって、約束してくれっかな」
「約束したら、話してくれますか?」
「どうせここで話さなかったら、また待ち伏せして、聞き出そうとするんだろ?」
頷くことはもちろん、首を振ることも嘘をつくようで、晴明は何のリアクションも取ることができなかった。
昼休みが始まってずいぶん経つのに、中庭の話し声はやむ気配がない。それどころかやかましさを増して、三人をのけ者にしようとしている。
「で、どうすんの。約束すんの? しないの?」
二択。だが、取れる答えは一つしかない。
「はい。もう芽吹先輩に迷惑をかけるような行為はしません」
「そっちは?」
「私も金輪際しません」
二人分の宣言を受けて、芽吹は小さく頷いていた。あたりを見回して誰もいないことを確認してから、二人に一歩近づいてくる。
頭上に輝く太陽が三人を、ぎらぎらと照らしていた。
「二度は言わねぇからな」
晴明は固唾を呑む。
芽吹は小さく口を開いた。
「みなさん、こんにちは。私はこのアマゾン号の船長・粕谷です。危険がいっぱいの、ジャングル探検にようこそ」
陽気に自己紹介をした船長役のキャストは、一番前に座る子供を軽くいじったりして、クルーズを盛り上げようとしていた。舵に触れていなくても船は、うっそうとしたジャングルの中を進んでいる。
芽吹はぼんやりと船の外を眺めていた。作り物のカバが大きく口を開け、シマウマやキリンが気長に佇んでいる。他の乗員もキャストのトークに耳を傾けたり、目に映るものにときめいたりと思い思いの時間を過ごしていた。
「お前さ、今何センチあんの?」
振り返ると渡は外の景色を見てはいなかった。ただ自分のみを見ているように、芽吹には感じられた。流れる滝の音も耳に入っていないかのようだ。
「なんだよ、急に」
「いや、何となく気になって」
その質問に答えてしまうと、迷路に足を踏み入れてしまうように、芽吹には思われた。だけれど、無視をすることもできない。
「この前測らせてもらったら、一七〇センチだった」
聞かれた通りに答えたけれど、渡は「へぇ」と素っ気ない返事をするだけだった。自分から話を振ってきたくせに、他人事みたいな態度に、少し反発を覚えてしまう。
「どうだよ。高一になって急に成長期を迎えた気分は?」
語尾が下がっていて、単なる好奇心ではなさそうだった。華やかな雰囲気をぶち壊す口ぶりに、芽吹の返事も強くなる。
「別にいいことなんてそんなねぇよ。制服も作り直さなきゃいけないし、革靴も買い替えなきゃなんねぇ。それに急に大きくなると、不気味がられてかえってモテなくなるしな」
「それだけじゃねぇだろ」
船内には聞き覚えのあるメロディが流れている。雄大な音楽も、今の二人にはまるで効き目がなかった。
「お前、もう着ぐるみに入れねぇだろ。それでもアクター部続ける気あんのかよ」
芽吹が言わないでいた懸念を、渡は恐れることなく口にした。
後にして思えば、すぐ返事をしていればよかったのかもしれない。だけれど、このときの芽吹は返す言葉に迷ってしまっていた。着ぐるみに入れない自分にアクター部での存在意義はあるのか、考えたことがないわけではなかったからだ。
船は神殿へと入り込む。壁に掘られた顔面が、二人を蔑むように見つめていた。
「あるに決まってんだろ」
「じゃあ、何で黒崎ダイアなんて始めたんだ?」
二人の間に沈黙が落ちる。仕掛けに大げさに驚いてみせる乗員の声が、芽吹きにはわざとらしく聞こえてしまう。
「別にただの興味本位だよ。お前には関係ねぇだろ」
「お前さ、今の自分に満足できてねぇんだろ」
「そんなわけねぇだろ」
「いや、お前は短期間、しかも着ぐるみの中とはいえ、人前に出ることで注目される快感を知った。だけれど、もうそれが得られないのが悔しいんだろ。だから黒崎ダイアをはじめて少しでも注目されようとしてる。違うか?」
「違ぇよ」
否定した声が自分でも焦るぐらい食い気味になっていて、芽吹はふと我に返った。
神殿を抜けて、船は木漏れ日を全面に浴びる。だけれど、屋根に遮られて、二人に届くことはない。
「今動画を一本作んのに、大体一〇時間かかってんだからな。それだけやって再生数は一〇〇〇回もいかねぇし。正直何もせずに寝ていた方が、よっぽどいいなって思ってるよ」
「じゃあ、なんでそこまでしてやんだよ」
自分から墓穴を掘ってしまった。芽吹は悔いたけれど、口にした言葉は取り消せない。
渡から目を逸らす。だけれど、外の景色も人工的なもので、その冷たさが芽吹をかばってくれることはなかった。
「お前、もしこの先黒崎ダイアが、バズったらどうすんだよ。それでも、同じように部活に来れんのか?」
「来れる」。そう断言するのは簡単だ。ただ、そう言ったとして、渡が信じてくれる保証はない。
沈黙しても状況は改善されないが、それでも芽吹は、黙って船の外を見続けた。それっきり渡も口をつぐんでしまったので、投げかけられた疑問は、濁った川の水に溶けて形をなくした。
二人が何も喋らないまま、船はスタート地点に戻る。自分たちを見て不審がっている成たちに、何があったのかを悟られないよう、芽吹はいの一番に船から降りて、さっさと乗り場の外に出た。
渡とは、成たちがジャングルクルーズを楽しんでいる間も、一言も口を利かなかった。
必要のない意地を張ってしまっていた。
(続く)




