表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/201

【第4話】違う人間にはなれないよ




「決心はついたってわけだ」


 成の声は落ち着いていて、小さい体が傾き始めた太陽に照らされていた。校舎の窓から見下ろす者は一人としていない。


 晴明と成、そして、桜子は再び西校舎の裏にいた。吹奏楽部のロングトーンが聞こえてきて、三人の所在を浮かび上がらせる。


 晴明は両手を握って、小さく頷いた。桜子が心配そうに見下ろしているけれど、気にすることはなかった。


「南風原先輩、先週は俺を部活に誘ってくださってありがとうございました」


 晴明が切り出すと、ロングトーンの音が止んだ。少し冷たくなった風が、三人を撫でる。


 あえて選んだ一人称。この一人称が受け入れられなければ、勧誘を断ると晴明は決めていた。


「まぁうちも部活続けられるかどうかの瀬戸際だしね」と成が答える。


 じっと成を見つめる晴明。桜子は口を挟むことはしない。


「アクター部は演じること専門の部活なんですよね。違う人間になれるんですよね」


「いや、違う人間にはなれないよ。どんなに役に入り込んだとしても、根っこは自分のままだから」


 晴明のすがりつくような言葉を、成はバッサリと切り捨てる。だけれど、藁をもつかむような思いで、晴明は続ける。


「でも、自分を忘れられるって……」


「それは、自分とは違った顔になれるっていう意味。違う顔で物事を見ると、案外目線も捉え方も違ってくるからね。君が山羊だとしたら、紙だって美味しそうに見えるでしょ。まぁこれは大げさだけれど、演じている間は、自分とは違う考え方ができるようになるってこと」


 風がはたと止む。地面から昇る暖かさだけが、三人を知っている。触れたら音を立てて壊れてしまいそうな、微妙なバランス。互いが互いをけん制しあう。


 均衡を破ったのは、晴明だった。


「それでもいいんです。俺、自分が嫌いで。少しでも自分じゃなくなりたいんです。自分を大切にできるのは自分しかいないのに、密かに悪い言葉で傷つける。自分を嫌いな自分が、嫌いなんです。こんな考え方で、ずっと過ごしていきたくないんです。だから、お願いです! 俺をアクター部に入れてください!」


 空気が揺れる音がした。晴明は深く頭を下げる。桜子は首を傾げているだろうと、なぜだか感じていた。自分じゃなくなりたいなんて、桜子は口が裂けても言わないだろうから。


 無言でいることに、言葉が重く受け止められていることを知る。成は頬を緩めない。


「もちろん。というか、こっちから言いたいくらいだよ。どうかアクター部に入ってください。お願いします」


 そう言って、成も頭を下げる。互いの頭が互いの身体を向いていて、二人は相手に心を開いてもらおうと誠意の限りを尽くしていた。


 桜子が迷うには十分すぎるほどの時間の後、二人は頭を上げる。


 成は笑っていて、晴明の表情にも固さは薄れていた。


「じゃあ、部室にいこっか。みんな待ってるから」


 再び吹奏楽部のロングトーンが鳴り出す。空にあった雲もいつの間にかなくなっている。


 成は振り返って歩き出し、晴明はそれに続いた。桜子は二人の後ろ姿を見送る。


 もう大丈夫だろう。


 踵を返して二人から離れようとすると、後ろから成の声が飛んできた。


「ちょっと、フミ。どこ行こうとしてんの? あんたも来るんだよ」


 その言葉に桜子は、つい留められてしまう。足音が聞こえているが、動くことはできなかった。


 振り返ると、成がすぐそこまで来ていて、怪訝な目で自分を見上げている。


「いや、あの。私はハルの付添人だから、ここまでかなぁと」


 目が泳いでいるのが、自分でも分かる。しかし、桜子がようやくの思いで発した言葉も、すぐに成にねじ伏せられてしまう。


「あんたもアクター部に入るんじゃないの? てっきり私はそう思ってたんだけど」


「いや、それは言葉のあやといいますか……」


「あのさ、ウチはまだまだ部員が足りてないの。入ってくれるよね?」


 成は桜子に上目遣いをよこす。挙動は影を踏むように、桜子の心を縛った。


 離れて自分たちを見つめる晴明が、少しぼやけて見える。


「まあ、その見学だけなら……」


「なら、よかった」


 にこりと微笑む成。しかし、桜子はそれを額面通り受け取ることはできない。


 しばし立ち止まってはみたものの、このままでは成に手を引かれると気づき、桜子は晴明のもとに歩き出した。


 小さく首を傾げている晴明のもとへと。


 




 文化部の部室棟は、西校舎の南側にあった。すぐ後ろが道路に面していて、車の往来が聞こえる。


 二階建ての部室棟の一階に、アクター部の部室はあった。水色に塗られたドアはところどころ錆びていて、晴明には、やけに物々しく見える。


 中では、何やら物音が鳴っている。


「じゃあ、開けるけど、二人とも用意はいい?」


 晴明と桜子は、何のことか分からなかったけれど頷いた。歓迎を受け止める準備をしておけということなのだろうか。晴明が疑問に思っていると、物音が止んで、辺りにシンとした空気が立ち込めた。


 成がドアを二回ノックする。中から「いいぞ」という声に促されて、ドアが開けられた。


 二人が目の当たりにした光景は、想像とは違っていた。


 いくつもの拍手で迎えられるかと思いきや、中にいたのは小柄な男が一人だけだった。頭をきっちり七三に分けて、制服ではなくベージュのスーツを着て、右手にマイクを持っている。腕章にはCBSと謎のアルファベット。その両脇にはカメラの模型と、棒につながれたガンマイクが置かれていた。


 晴明の頭をよぎったのは困惑だった。これが高校なのかと、間違ったカルチャーショックを受けていると、後ろから雑音の混じった音声が聞こえてきた。


「臨時ニュースをお伝えします。本日午後四時、千葉港から上陸した怪獣Tは、みなと公園を通過し、ただいま千葉駅方面へ向けて進攻中。甚大な被害が予想されますので、中央区、若葉区、稲毛区の皆さんは至急区外へと避難してください。繰り返します。本日午後四時、千葉港から上陸した怪獣Tは……」


 振り向くと、入り口近くの棚に置かれたスマートフォンから、その音声は流れていた。成の声とは似ても似つかない穏やかな声が、ノイズに乗せられている。


「ちくしょう。怪獣Tめ。俺たちの千葉市をめちゃくちゃにしやがって。このテレビ塔から見ていることしかできないのかよ。おい、南風原。カメラいつになったら回るんだよ」


 小柄な男は、みかけによらず大きい声をしていた。「すいません。佐貫(さぬき)さん」という成の言葉で、二人は男の名を知る。唇の下の黒子が印象的な男だった。


 成は駆け出し、カメラを構える。ひょいと持ち上げたところを見るに、それほど重くはないらしい。


「今、画角の調整に手間取っていて。もう少しで終わると思います」


「大丈夫かよ。もう本番の時刻過ぎてるんだぞ。スタジオからも早くしろって、しきりに指示が飛んできてんだ。急げよ」


「はい、なるべく早く済ませます」


「ところで、ADの(とまり)はどうしたんだよ。あいつなんで来てねぇんだよ」


「なんか渋滞に巻き込まれたみたいで、今走ってこっちに向かってるみたいです。もうすぐそこまで来てるみたいですけど」


 それから佐貫と成は、少し口喧嘩をしていた。責任のなすりつけ合い。堂々巡りで、晴明はリアクションに困ってしまう。隣の桜子も経ったまま動けず、状況を飲みこむのに苦労しているようだった。


 成のスマートフォンが振動する。成はカメラを置いて、スマートフォンに走っていく。


 少しスマートフォンをいじると、今度は勇ましい音楽が流れ始めた。軍隊が出征するかのような勇猛なBGMだ。


 すると、それを合図になったのか、部室に女性が飛び込んできた。


 桜子ほどではないが背が高く、Tシャツにジーンズという飾らない格好でも、晴明の目にはその女性がどこか凛々しく見えた。わざとらしく息を切らして、手にはスケッチブックを抱えている。


 晴明たちの横を通って、佐貫たちに合流する女性。彼女が話に出てきた泊であること以外は、何も分からない。


「二人ともすみません。遅れてしまって。もう時間がないですよね。早く段取り終わらせて、中継受けましょう」


「それはこっちのセリフだよ。まぁいいや。スタジオからはあと二分が限界だって言われてるから、急いでくれよ」


 右往左往する三人。何かを持ち上げるふりをしてみたり、意味もなく走り回ってみたり。音楽は鳴りやむことはない。


 どうする。突っ込んだ方がいいのか。


 晴明は意を決して、口を開こうとしたが、泊の「準備できました!」という声が覆いかぶさる。


「それじゃあ、本番行きます。5、4、3、2、1、ハイ!」


「はい。こちら千葉テレビ塔の佐貫です。信じられません。全く信じられません。しかもその信じられない事件が今我々の眼前において展開されているのであります。今や、怪獣Tの通過した跡は炎の海と化し、見渡せば千葉みなと駅から問屋町、新田町、幸町方面は全くの火の海です。ただいま怪獣Tは移動を開始いたしました! どうやら、汐見丘町方面に向かう模様であります。テレビをご覧の皆さま、これは劇でも映画でもありません。現実の奇跡、世紀の怪事件です。我々の世界は一瞬のうちに二百万年もの昔に引き戻されたのでありましょうか。果たして我々は無事に生還することができるのでしょうか。現場からは以上です」


 プロレスを実況する昭和のアナウンサーよろしく、佐貫がまくし立てる。まるでドアの向こうに何かがいるように。


 いったい彼らには何が見えているのだろう。晴明の混乱は増していく。


「一旦、インターバル入ります!」


 泊が言っても、佐貫は肩を強張らせたまま、透明な何かから目を離さない。四月なのに、手に汗が滲んでいるのが見える。


「おい、カメラちゃんと撮れてるか? 数字とんでもないことになってるらしいぞ」


「大丈夫です。怪獣Tの全身ちゃんと入ってます」


「そうか。音声はどうだ? ちゃんと怪獣Tの雄叫び録れてるか?」


 佐貫は左を見て言った。そこにはガンマイクが置かれているのみで、誰もいない。声だけが床に落ちる。


 カオスのさなか、晴明は視線を感じた。三人がじっとこちらを見ている。だが、その視線は晴明を通り過ぎて、隣の桜子に向けられていた。桜子は三人をかわるがわる見やる。


 佐貫が「おい、音声の文月! ちゃんと録れてるのか!?」と追撃を放った。


 すると、桜子は三人の視線を振り切るように首を振って、息をつく間もなく、駆け出した。棒を手に取り、ガンマイクを空中に向ける。天井に着きそうなガンマイクは、ゆらゆらと揺れている。


 そして、分かりやすく息を吸ってから発する。


「ばっちりです! 問題ありません!」


 意を決したその声は大きく、隣の佐貫が少しおののくほどだった。


 カオスに桜子さえも飲みこまれ、晴明はどうすべきかまったく分からなくなっていた。かえっておかしいのは自分ではないかとすら思ってしまう。


 四人は思い思いに即興で動いていて、まさにてんやわんやという言葉が相応しい。


「おい、怪獣T、どんどんこっちに向かってきてるぞ! 逃げた方がいいんじゃないのか!?」


「佐貫さん! 気持ちは分かりますけど、私たちが逃げたら、誰が怪獣Tの恐怖を伝えるんですか! これは報道に携わる者としての使命なんですよ!」


「そうですよ! こんなスクープ映像めったに撮れませんし、人を動かす映像が撮れるって言うのは、カメラマン冥利に尽きます!」


「もうちょっとだけ踏ん張りましょう! 正面に立つ佐貫さんが怯えていてどうするんですか!」


 逃げ腰の佐貫に、続々と発破をかける三人。桜子までが、違和感なく馴染んでいて、ますます晴明は取り残される。


 役者としてのスイッチが入ったのだろうか。できれば、そのまま切っておいてほしかったのだが。


「分かった。でも、これは俺だけで判断できる問題じゃない。似鳥D、どうしますか!? まだ続けますか!?」


 名前を呼ばれて、とうとう魔の手が自分にも及んだことを晴明は知る。どう返せば正解なのか、皆目見当もつかない。ただ、目を泳がせて、両手を握って、ただでさえ小さい体をますます丸めるだけ。


 なんとか絞り出したのは、「う、うん……。まぁ……。はい…………」というあってもなくても変わらない言葉だった。


 それを泊は「分かりました! 続行ということですね!」と勝手に解釈するから、晴明は笑うこともできない。


 成が今度はカメラを持ったまま、スマートフォンへと向かう。また、音楽が変わった。


 鳴き声の後に、オーケストラの演奏が響く重厚な音楽だ。桜子が何かに気づいたように、唇を噛んでいる。


 やはり音楽の転換は合図になっていたらしく、今度は部室のドアから、ちらっと黄緑色の物体が見えた。それは指のない手のように晴明には見えた。


 「お、おい、来るぞ!」という佐貫の声に押されて、それは動き出す。全身が明らかになると、晴明はすぐに思い出す。入学式で陸奥の横にいた、亀のキャラクターが立っていたのだ。


 目元に赤いフェルトをつけて、恐怖を演出しようとしていたが、黒いつぶらな瞳には全くもってアンバランスだ。


 亀が小さい歩幅で、慎重に敷居をまたぐ。晴明は知らず知らずのうちに壁の方に避けて、動線を開けていた。


 四人は「おい、早くカメラ回せ!」「もうすぐ中継受けます!」と、大いに慌てふためいている。


 立ち止まり対峙する四人と亀。泊のカウントで、佐貫が喋り出すと、亀はゆっくりと動き出した。


「こちらは現場の実況放送班であります! 怪獣Tはただいまこの放送を送っておりますテレビ塔に向かって進んでまいりました! もう退避するいとまもありません! 我々の命もどうなるか……」


「いや、これウチの学校のマスコットですよね?」


 とうとう耐え切れなくなり、晴明は突っ込んでしまう。だが、四人と亀は気にするそぶりを全く見せない。晴明には黙って見ていることしか許されていなかった。


 そうこうしているうちに、亀は四人にどんどん近づいていく。その距離はあと二メートルもない。


「ますます近づいてまいりました! いよいよ最後です!」


 成が身を乗り出している。泊が両手を組んで祈っている。桜子はかすかに体を揺らしている。


 佐貫の言葉をきっかけに、亀は右前足を空中に掲げて、何かを掴む仕草をした。佐貫が、分かりやすく後ろにのけぞる。


「右手を塔にかけました! もの凄い力です! いよいよ最後、さようなら皆さん、さようならー!」


 亀は左前足も掲げて、また何かを掴んでいる。そして、茎をへし折るみたいに両前足を横に下ろし始めた。


「ああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!」


 四人が一斉に叫び声を上げて、後ろに倒れる。桜子までしっかり染まっている。


 倒れたまま動かない四人と、立ち尽くす亀。


 晴明がようやく状況を理解したのは、一分が経ってからだった。


「え? もしかして終わりですか?」



(続く)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ