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【第13話】最近学校はどうだ



「南風原は似鳥のアテンドをしてくれ。俺たちもついて行くから」


 声が途切れると、晴明の視界に成が現れた。トータルくんと化した晴明の手を取って、「じゃあ、行くよ」と告げる。


 晴明が小さく頷いたのを確認して、成はゆっくりと歩き始めた。


「正面を向いてたら、ドア通れないから横になって」


「そこ段差あるから気をつけて」


 成に言われるがまま、晴明はおそるおそる足を動かしてみる。一歩一歩確かめるように慎重に。靴底が床を擦る音がした。


 外はきっと涼しい風が吹いているのだろう。だが、トータルくんの中は、蒸籠で蒸されているように暑い。吐いた息が循環し、また自分の鼻に入ってくる。放射される熱がじわじわと、着ぐるみの中の温度を上げていく。


 晴明は顔から汗が噴き出してきて、白地のシャツがべっとりと肌に張り付くのを感じる。


 後ろから足音が聞こえてくる手前、平気なふりをしたが、晴明の頭の中には「暑い」と「転ばない」という二つの言葉しかなかった。


 部室棟をぐるりと回る。この時間帯はあまり人がいないが、それでも限られた視界に、いくつかの制服は目に入る。皆、明らかにトータルくんを意識していた。


 少し嫌気もしたが、中の晴明にまでその意識は向けられていない。自分が見られていないという実感からか、少し足さばきが軽くなる。半分透明人間なんだなと、晴明は思う。


 部室棟の最後の角を曲がる。アクター部の部室が見えてきた。ゴールはすぐそこだ。


 だが、視界の外から、タートルくんに駆け寄ってくる足音がする。成に言われて、音の鳴る方を向くと渡がいた。恥ずかしそうにしながらも、タートルくんをぺたぺたと触り、握手を求めてくる。


 きっと佐貫あたりから。キャラクターに駆け寄る子供を演じてくれと言われているのだろう。


 触られた感触が体の広い範囲に伝わってくる。右手を差し出す。トータルくんの手は丸まっていて指がない。


 渡に手を掴まれて上下に振られると、腕だけが離れて揺れているようで、晴明はまた大粒の汗をかいた。


 部室棟の周回を終え、成のアテンドで何とか部室に戻る晴明。すでに汗だくで着ぐるみの中は蒸れに蒸れ、かすかに臭ってすらいる。


 頭部を外されると、久しぶりの冷たい空気が晴明を迎えた。それでも、汗は留まることを知らない。


「どうだった。初めて着ぐるみに入って動いてみた感触は? 疲れたか?」


 着ぐるみを全て脱いで、晴明が半袖になって汗が引くのを待っていると、佐貫が聞いてきた。一応は気遣うような声で。


 壁にかけられたアナログ時計は、まだ一〇分しか進んでいなかった。ざっと三〇分ほど経ったように晴明には思えていたので、愕然とする。


「すごく疲れました。頭も重いし、足元は見えないし、なによりサウナみたいに暑くて。思っていたよりもずっと大変でした」


「これから先やっていけそうか?」


 そう聞かれても、晴明の前には一つの言葉しかない。「はい、何とかがんばります」というおぼろげなファイティングポーズを取るのみだ。


 皮膚を流れる汗が少しずつ乾いてきて、その代わりに寒気がする。鳥肌も立ち始めた。


 ごまかすように、晴明は文字通り胡麻をすった。


「先輩たちはこんな状況下で三〇分も外に出ていて、本当に凄いと思いました。入ってみてはじめてスーツアクターの難しさが分かりました。尊敬します」


 いささかあからさま過ぎただろうか。それでも成はまんざらでもなさそうで、佐貫も少し眉を上げながらも、悪い感情は抱いていない様子だった。


「まあいつかお前にも慣れる日が来るって。そのために来週からは、週一でトータルくんの中に入ってもらうから。あと、疲れてるだろうから、今日のランニングはお前はなしな。終わったら呼びに来るから、それまでは泊に消臭の仕方とか、着ぐるみの片づけを教えてもらってくれ」


 佐貫は念を押し、晴明が頷いたのを確認すると、成と渡を連れて部室の外に出て行った。


 泊と桜子と一緒に残された晴明は、普段とは勝手の違う組み合わせに何をすればいいのか迷い、縋るように泊に視線を送る。桜子も加えた二人分の視線を浴びながら、泊はおもむろに話し出した。


「じゃあ、着た後の手入れを始めよっか。今日は私がやるけど、二人にもいずれやってもらうことになるから、ちゃんと見てて」


 そう言って泊は窓際に干されている雑巾を手にし、水道へと向かった。


 帰ってくると、硬く絞った雑巾で着ぐるみの内部を拭き始め、消臭スプレーを満遍なく吹きかける。香りがなく、除菌効果が高いものが好ましいらしい。


 そして、開けっ放しにした窓のそばに、折り畳み式のハンガーラックを設置して着ぐるみを干せば、とりあえず手入れは完了とのことだった。


 泊の手際を見て、晴明はなんとなく頷く。対照的に、桜子は逐一メモを取っていた。


 トータルくんの胴体が風を受けて、表面が波打つ。


 もうすぐ四月が終わろうとしていた。





 ドアを開けた瞬間、デミグラスソースの匂いが鼻を突き抜ける。


 靴を脱ぎ終える前に、奈津美がリビングから出てきて晴明を迎える。黒いチュニックを着て、「おかえり」の後に「今夜はビーフシチューだから」と、夕食のメニューを告げた。


 制服からカーキ色のパジャマに着替えて、ダイニングへと向かう晴明。ドアを開けると、既に冬樹と奈津美が座っていた。底の浅い皿にビーフシチューが注がれ、有名ベーカリー謹製の食パンが三人分置かれている。中央のサラダにはベージュ色の胡麻ドレッシングがかかっていて、グラスに注がれた赤ワインがルビーのように光っている。


 晴明が椅子を引いて座ったのを確認すると、冬樹が「いただきます」と告げ、二人は後に続いた。


 晴明はビーフシチューを一口飲んで、すぐさま奈津美に「美味しい」と伝える。冬樹も同じ言葉を口にしていた。


 二人からの褒め言葉を受け取って、奈津美の顔はほころぶ。赤ワインが早くも効いているのか、頬がかすかに赤い。白熱灯の光が料理をささやかに照らし、三人を暖かく包む。


「もうすぐゴールデンウイークだよな。今年はどこ行こうか?」


 冬樹がグラスを置いてから、口を開いた。


「今年は晴明も高校生になったからねぇ。勉強も大変でしょうし、まるまる海外でというわけにはいかないでしょ」


 そう答えてから、奈津美は牛肉を口に運ぶ。国産牛だと晴明は聞かされていた。


「そうだな、近場で済ませたいよな。晴明はどうだ。どこか行きたいとこあるか?」


「別にないよ。いいよ、どこでも」


 あっさりと答える。食パンの口触りが良すぎて、晴明は少し怯んだ。


「そっか。じゃあ俺の考えを言うと、今は二つ考えてる。山がいいなら軽井沢。海がいいなら鎌倉。二人はどっちがいい?」


「ちょっと、お父さん。それだとどっちも混雑しちゃうじゃない。もっと空いてる場所行こうよ」


 奈津美が笑いながらつっこむと、冬樹も「それもそうだな」と白い歯を見せて笑った。


 両親が仲睦まじくしていることは、多くの子供にとっては歓迎すべきことなのだろう。だが、晴明は自分が蚊帳の外にいる気がしてならなかった。


 注がれていたオレンジジュースで、疎外感を飲みこむ。無添加なのに、どこか硬い味がした。


「ところで、晴明。最近学校はどうだ。今日も小テストあったんだろ?」


 冬樹が笑顔のままで聞いてくる。この父親の関心事は、息子がクラスに馴染めているかよりも、テストで良い点を取れているからしい。


 晴明は、料理に視線を落としたまま答える。


「うん、まあまあだったよ」


「そうか。後で見せてくれよな。それと気になったんだけど、最近お前帰り遅くないか? もしかして部活に入ったりしたんじゃ……」


 必要もなく、晴明の心臓が早鐘を打ち始める。潤したばかりの喉が渇く。


 晴明は平静を装うとしたが、口にした言葉は揺れていた。


「違うよ。学校や駅前の図書館で勉強しているだけ。家でやるより集中できるんだ」


 動揺を抑え込むように、ビーフシチューを口に運ぶ。しかし、少し服にこぼしてしまった。


 二人が心配そうに見てきたが、こんな染みは洗濯すれば落ちるだろう。


「そうか。ちゃんと勉強してるんだな。偉いぞ。上総台は授業のペースも速いし、そのなかで一番になろうと思ったら、部活なんてやってる暇ないからな」


 おそらく冬樹の言葉には、何の他意もない。


 だが、その言葉は晴明の表情筋を硬直させ、ぎこちない笑顔を作らせる。小さくこぼした笑い声が、霧となって空気に溶けていった。





 見えない海に向かって歩く。道路には県外ナンバーの車が並び、歩道には英字のTシャツを着た人々が待ちきれないというように、足早に二人を追い越していく。


 背面にずらっと並んだ単語たち。晴明にはそのどれもが見覚えがなかった。


 桜子がアジカンだとかキュウミリだとか、聞き慣れない言葉をかけてきても、何のことかさっぱり分からず、晴明はただ自分とは違う世界に住んでいるような人々の流れに乗るだけだった。


 GOOD WILL FESTIVAL。千葉市蘇我レクリエーションパークで毎年開催される、音楽フェスである。文字通りゴールデンウィークに開催されるこの音楽フェスは、毎回県外からも多くの人を集めることで有名だ。


 二人がそこにアクター部も参加すると聞いたのは、二日前のことだった。


 一一時に現地集合。蘇我駅西口を出て真っすぐ歩いていけば、会場には一〇分程度で辿り着く。それだけ伝えられて、二人は当日を迎えていた。


 チェーン店のカレー屋を通り過ぎると、二人の目の前には見慣れない建造物が現れる。それがスタジアムであることを理解するのに、晴明は少々時間を要した。


 はじめて見たスタジアムは、円形の屋根が空に向かって開かれていて、どことなく古代の競技場を思わせる。広場には屋台が出店していて、この早い時間でもすでに行列ができていた。


「ここがフカスタかぁ。思ってたよりも大きいなぁ」


 信号を待っている間、桜子が呟いた。


「フカスタ?」


「フカツ電器スタジアム。通称フカスタ。SJリーグ・ハニファンド千葉の本拠地ね。ほら千葉中央駅にもポスター貼ってあるでしょ」


 そう言われても普段駅の壁をことさらに意識しない晴明には、ピンと来ず、「ごめん、知らない」と答えるしかない。


 桜子も「まぁ私も来るのは、はじめてなんだけどね。ほら、蘇我駅ってめったなことがないと行かないでしょ」とあっけらかんと言うので、何とか千葉の知名度はそこまで高くないようだ。


 耳をたててみても、誰の口からもフカスタの名前は聞こえなかった。


 信号を渡ると、花が枠を飾る正方形の巨大なパネルが目に入った。もちろん書かれている文字は「GOOD WILL FESTIVAL」。


 待ち合わせ場所に利用されているようで、何人もがスマホを見て時間を潰している。その中に成と五十鈴がいた。


 黒いTシャツの上に、黄緑色のSTAFFと書かれたビブスを着ている成。二人を見かけると大きく手を振っていた。


 若干の恥ずかしさを覚えながらも、四人は落ち合う。


「二人とも、おはよう! ちゃんと時間前に来てくれたんだ! ありがと!」


「あの、他の先輩はまだ来てないんですか?」


「ああ、今日はゴールデンウィークの真っ只中でみんな忙しいからね。佐貫先輩ととま先輩とマトはメッシェの方に行ってるし。五十鈴先生もいるけど、今回は私たち三人だけで活動するから」


「私たち三人だけで大丈夫なんでしょうか」


「うーん、私も不安じゃないって言ったら嘘になるけど、今日入るのは私だけだから。二人も見学くらいなら何とかなるでしょ?」


 成は相好を保ったまま聞いてくるので、晴明はたとえ先行きが不透明でも、頷くしかない。今さら帰るわけにはいかないのだ。


「まぁ見学ぐらいでしたら。それで今日、成先輩はどんな着ぐるみに入るんですか?」


 桜子の質問を受けて「それはね」といったん溜める成。スマートフォンを手に取って画像を表示して、二人に見せる。


 そこにはライオンをデフォルメした、二人のキャラクターが映っていた。二頭身と三等身の間の身体は、肉食動物とは思えないほど丸みを帯びていて、目が縦に大きく、白いよだれのような牙が覗く。たてがみを帯びたオスの頭には星の髪飾りがかけられていて、少し背の小さいメスの頭には牡丹の花が咲いている。赤いユニフォームがなんだか猛々しい。


「男の子の方がライリスで、女の子の方がピオニンっていうの。十年以上も前からハニファンド千葉で活動しているマスコットね。今日は私がピオニンに入って、ライリスの方には大人のスーツアクターさんが入るから。二人は私たちの周りで声をかけたり、チラシを配ったりする仕事をお願いしたいんだけど、大丈夫?」


 ふと目が合ったのは、桜子も晴明を見たからだ。


 桜子の目はかすかな戸惑いを浮かべていたが、晴明は見上げる目線で説得した。今は自分たちにできることをやるしかない。


 無言のメッセージに桜子も納得したようで、二人は同時に頷いた。


 見守っていた五十鈴が三人に歩み寄って、口を開く。


「では、さっそく控え室に行きましょうか。出番は一二時からですけど、いろいろと説明がありますからね」



(続く)

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