バレンタイン閑話:IF私メリーさん今貴方の……
ぎゅむりと、何かやわらかいものが潰される音が聞こえた。幻聴だろうか。いや、その思考こそが現実逃避だろう。つかまえましたとおっしゃる金髪は、悲しいことに何処までも知り合いだった。人違いなら逃げれたんだけどなぁ。
こうなれば逃げることは叶わない。ついでに言えばこの圧力は他の知り合いの誰でも敵わない。いかん、思考が汚染され始めている。なんという胸囲、もとい脅威。くそ、正面からなんてなんて卑怯な、いや、正々堂々か、ちくしょう。
対面した以上逃げ場は無い。何かデジャビュを感じる。詳しくは平行世界を参照しよう。ああ、だめだ、何処かから怪しげな電波が飛んでくる。そこに逃げ場はあるだろうか? 多分現実に復帰した時に大惨事になっていること請け合いだ。
理性が危険が危ないので、なんとか隙間を生み出せないか考えて、ほんの少し力が入った段階で。ハイライトの消えたエメラルド色の瞳がこちらをじっと見つめていた。水属性の女は情念が深いなんて血液型診断みたいな話が脳裏を過る。
そっと背中に手を回せば、途端に輝きを取り戻してにこやかに微笑む姿はそれだけを見れば確実に愛らしい。言葉は不用か。そんなことは無い。もっと人間はコミュニケーションを取るべきだ。スキンシップではなく言葉で。
私の顔を見るのがそんなに楽しいのだろうか、にこにこと微動だにしないメリーであるが、このまま永遠に現状維持出来るとは考えていない。恐らくはどこかのタイミングで攻勢に転じるだろう。具体的には他の2人が到着した頃に。3人に勝てるわけないだろ!!
故に、起死回生の一手を打つのであればこちらから攻撃を仕掛けるほかにない。捕捉されたという事は既にこの場所がばれている可能性も高い、つまり最初の一手はとりあえずこの場を離れるべきであり、その手段は実質一つであった。
極めた、とは未だ到達しない境地であるが、それでもなお体術においてはそれなりの物があるという自負がある。伊達に主人公を目指していない。瞬間的に、お姫様だっこの姿勢へと移行は完了している。デートに行こうか、などと嘯いて建物の影を縫うように宙を駆ける。
ふと、耳に入る言葉に足を止められる。お慕いしているんですと、それまで直接に言葉にされなかった好意を告げるそれ。聞かなかったふりをするには、その想いは真剣に過ぎた。人として、越えてはいけない一線。
嫌われていても良いから、傍に居てはいけませんかと、切なそうに、痛みを堪えるように、哀しみに張り裂けそうになりながら、それでも好きなんですと、そんな言葉を無視できるほど、私の人間性は擦り切れていなくて。
目を合わせる。伝える想いがちゃんと伝わるように。無意識に、抑えていた感情が乗せられたそれは、きっと正しくメリーに届いて。頬を伝う涙は、先程までの悲しみの涙ではなく、想いが通じていたことへの喜びの涙。
姿勢的に、近かったのだから、不意を打たれて反応が遅れて、そんな感想より一瞬早く、唇に感じる柔らかさ。ついでに言えば胸にも感じる柔らかさ、いや、そもそも女の子は前進が柔らかくて、この姿勢はダメな奴だ。脳が茹る。
気の緩んだタイミングで、えいと脱出される。メリーは耳まで真っ赤にして、今日はこれで勘弁すると言っていた。他の2人は私が留めておきますと。全部わかってますからなんて言って、それでも悲しみではなく、どこか嬉しそうに。
――こんなプレゼントをもらったら、しょうがないです。ちょっと独占したくなっちゃいます――
そんな呟きが、風に溶けて。




