間章 妖狐の話
<青梨村 妖狐>
「あーあ、もりとがいなくなってもう6年かあ」
深いお里の谷間の川で、あたしは着物の裾を巻き、膝まで水に漬け込んで、爪でひっかけ鮎を捕る。
今夜のお月様は上弦の月。
空中に打ち上げた鮎は撥ね、月の光でキラキラ光る。
岸辺にはすでに5匹目。3人家族のご飯には十分だ。
もりとと、まりの姉妹が居た時は、狩りが下手くそなくせに大食らいなもりとの分まを捕らなきゃいけなかった。
けれど、獲物が少なくてすむのならその分、友達の不在が寂しく感じる。
もりと、そして、まり。
2人はお里で保護された妖怪狸だ。
元々病弱だった母狸が病気で死んでしまい、生まれたばかりのまりと、それを必死に守ろうとしていたちっちゃいもりと。
父狸は行方不明だ。
母狸の死とともにどこぞへ行ってしまったらしい。
遠い西から駆け落ちしてきたという2人に身よりはなく、残された子供を村は持て余した。
しかも、行方不明の父狸が村にいた時に、あちこちに問題を作っていたのも災いした。
駆け落ちの夫婦が里にたどり着いた時。
当時のお里は閉鎖的で、なかなか入村の許可が降りなかった。
そこで、当時の村長だった天狗が気を利かせて、父狸と力比べをして周囲を納得させることにしたのだ。
だが、強すぎた父狸はぎりぎり天狗に負ければいいものを、一撃で倒してしまう。
しかも力比べの前に、天狗が母狸の容姿を褒めたものだから、そりゃあ残虐にとどめを刺した。
その様子は、未だに大人たちの話に上るくらいだ。
結果として。
夫婦は村民にはなれたものの、すっかり浮いてしまったのだ。
そんな夫婦の捨てられた子供。
周囲の妖怪たちはとりあえず世話はするが、どこも長くは居させなかった。
家々をたらい回しにされる2人。
獣型の妖怪は生命力が強いので、すぐ飢え死にすることはない。
だが、どんなに山に自然が溢れているように見えようが、多くの生命が生きる世界。
森の恵みにも縄張りというものがある。
一匹狼とは1人で生きる実力があるから成り立つ言葉なのだ。
乳幼児にはとても無理だ。
特にまりには乳も必要だったから、もりとは頭を下げてお願いをして歩いた。
―——おねがい。まりはおちちがひつようなの。
最後に狢の家からもりとが叩き出されるのを見かねた私が、両親にお願いした。
―——おねがいかあちゃんとおちゃん、あたしはもりととまりとあそびたいの!
ようやくあたしの家に居候することになったもりとは、とても大人しい子だった。
そりゃあそうだよね。
ここで追い出されたら、人間の里にまで降りなければならない。
人間は、狸や狐を毛皮にするし、妖怪だったらすぐに退治しようとする。
もりとの怯える理由を当時のあたしは理解できず、遊びにも消極的な姿にイライラしたものだ。
一方的にあたしが勝つような喧嘩も多かった。
ただでさえ吹けば倒れそうな風情の子だったが、目に怒りを溜めている時は、自分の意見をはっきり言うし、私を真っ正面から見てくれる。
それが見たくてしょっちゅう挑発したものだ。
とうちゃんもかあちゃんも、あたしが2人を世話する様子に、娘の良い教育になると受け入れてくれた。
だから、そのまま3人でお里で育っていくものだと思っていたのに。
姉妹の父狸は本当にあちこちに敵を作っていたようだ。
ある日はるか西からやってきた父狸に恨みをもつ人間の一団に、もりとたちは襲われた。
巻き添えを食らったあたしは、自分で逃げるのが精一杯で。
まりをくわえて逃げるもりとが、森の狭間に落ちていくのを見ていることしか出来なかった。
森の狭間は、神隠しの一本道。
その先は誰ともしれぬ世界に繋がっていて、その先にある道を辿って、帰ってこられたものはほとんどいない。
偶然帰って、かつ正気を保っていられた者も、証言がばらばらで全く参考にならなかった。
お里に希に現れるその狭間には、誰も近寄ってはならない。
その言いつけを、もりともあたしのかあちゃんから聞いていた。
知って、それでも飛び込んだ。
あいつの突然の思い切りの良さというか、無謀さにはあたしは未だにめまいがするのだ。
そして6年。
まだ2人は帰ってこない。
藁を通した鮎を吊して、あたしは月夜の一本道を歩く。
振り返り振り返り、後ろのお山の暗緑に、また狭間が現れないか気にしながら。
―——-あいつらが帰ってくるのを、ずっとずっと、待っているのだ。




