記憶の入口
あまりにも勢いよく紅茶を吹いたので、トリシアの方が驚いた。
紳士的な印象がこれですべて帳消しになる勢いだ。
気管に紅茶が入ったようで激しく咳こんでいる。
トリシアは複雑な気持ちで咳がおさまるまで彼の背中をさすってあげていた。
彼は彼でこのような姿を見せるのは不本意だった。ポーかフェイスが自分の売りのつもりだったのに…!
どれもこれも、トリシアのせいである。ぎりぎりと歯ぎしりをして時間を巻き戻したい勢いである。
いや、それよりも、だ!!!
「逆鱗を見た?!いつ!どこで!!」
咳がおさまるなり彼はヒステリックに詰め寄った。華奢な肩に手をかけて揺らす。
彼女は目を泳がせ曖昧に笑うしかない。
「え、えーっと、どこだったかなー」
要は正確に覚えていないということであるわけだ。
けれど、彼女はあいまいな記憶を必死にたどる。
「小さい頃に、これを…あげると言われた…のよ女の人に、…たしか」
目をつむって、彼女の顔を思い出そうとする。
しかし靄がかかってうまくいかない、他の記憶に引っ張られてしまう。顔は分からないけれど体つきは。
彼女のお腹は柔らかく膨らんでいた…。
「その人は妊娠していたわ、赤ちゃんはいつ生まれるの?って私は言ったけれど赤ちゃんを私は見ていない。…妊娠していたのに、ね…なんで覚えてないんだろ、う」
そう、だ…私はその女の人に本を読んでもらうのが好きだった。
いつも決まって、おなかの赤ちゃんの事を聞いた。
いつ生まれてくるのか、どんな子なのか、私と友達になってくれるだろうかと。
でも、この逆鱗を彼女が身につけているところを私は一度も見ていない。
そう、見ていない。覚えもない。なのにどうして、どうして彼女のものだと、確信を持っているのか、自分でも気味が悪くて自分の肩を抱いてさすった。
なぜ、この逆鱗が彼女のものだと思ったのだろう?
なぜ、彼女がこれを持っていたのだろう。
いや、彼女はとうに赤ちゃんを産んでいるはずだ。なぜその子が今私の傍にいないの…?
父とも母ともとても仲がよさそうに話していたし少なくとも母の訃報を聞いても何もしないでいるような人ではない。
そう、あの時はまだ母さんが生きていた。
母さんが、生きていたのは私が5歳のころのはずだわ、あの人は今どこにいるの?
赤ちゃんが生まれていないわけがない、私が忘れ去っているわけがない。
あれはいつだ?
あれからいったいどのくらいの時間がたっている?あの人は、あの赤ちゃんは、どこにいる、の…?
都合の悪い部分だけモザイクのかかった記憶に違和感が生まれる。
思い出せ、思い出せと強く念じる。
服装、窓から見えた景色、頬にあたる風の温度。
なぜ顔が思い出せないのだろう、焦りが頭痛を引き起こす。
日影が心地よく、太陽がさんさんと照っていた。窓から見えた木の葉の色は鮮やかな緑。
景色ばかりが鮮やかで、その人から強引に視線をそらされてしまう。
「夏、何か大切な話をしたの…きっと会っていたのは一度どころじゃないはずなの、はずなのにっ」
「おもい、だせないのっ」
「もういい止めるんだ」
頭痛に顔を歪める私をギアはすかさず止めた、無理をさせてはならないと止めさせるだけの力があるのだ。彼女の瞳の思わず息をのむような鋭い光、その一つを取っても…彼女は本気だ。
つたない自分の言葉をギアは何一つ逃すまいと聞いて、断片的な情報をつなげていく、そして彼はひとつの仮説を導き出した。
「…そいつはシャルロッテだろう」
片手で額を覆う、浮かべた笑みは皮肉がこもっていた。
「…シャルロッテめ、まったくやってくれるな」
彼が思うに、その女性はシャルロッテだと言う。
「シャルロッテってドラゴンじゃないの?」
「前にも言ったけども、ドラゴンは魔法の塊なんだ。その気になれば人間にも蝶にでもクジラにだってなれる」
トリシアは再び記憶をたどる。
肝心の彼女の名前が一度も出てこないからだ。
彼女がシャルロッテだという証拠がない。
手のひらにある、宝石…否、逆鱗を見つめる。
紐は貝殻のように扇が広がった位置に空けられた穴を通って結び付けられている。
紐だけをつかんで、そっと持ち上げる。
全く重みを感じない。
度の強い眼鏡のレンズのように鱗の向こう側は歪んで見えた。
不意にそれは何度もきらめいた。まるで、覗き込んでと誘うように。
惑わされたように一か八かそっと逆鱗のふちを指でかこみ、右目に引き寄せ覗き込む。
歪んで見えにくい景色に目を凝らし何度もまばたきをした。
電灯にかざして眩さに目を細めてみる。
しかし、特に変わった事は無かった。
期待は裏切られたのだ。我ながら子どもっぽい、馬鹿な真似をしてしまったな…と笑ってしまう。
そんな魔法なんて存在するはずないのに、信じちゃってさ。
そう思って、鱗を目から離そうとしたそのとき、声がした。
「リタ、ねえリタ!あたしこの子が良い!この子しかいない!絶対よ!」
鈴のように美しい声が母の名前を呼んだ。
「はいはい、もう何度も同じ事聞くのはうんざり。ロッテったらトリシアにすっかりに夢中なんだから」
トリシア、その名前を読んだのは母さんの声だった。
手は脱力して、持っていた鱗が床に音をちりばめて落ちた。
5歳の時に死んだ母の顔は生気に満ちて、とても、とても愛おしかった。
「リタこそ私の話ちゃんと聞いてよ。その答えもう4度聞いた」
「じゃあ、4度はあなたも同じ事言ったんでしょ」
二人の軽口に父さんが笑う。
私は思わず振り返り、そして瞳に涙をためてもう二度と会えないと思っていた顔に泣き笑いの笑みを向けた。
「おとうさんっ!」
ロッテという女性と父さんと母さんが楽しげに会話している。
不意に私を温かい腕が包み込んだ。
ロッテという女性の腕だ。見上げて彼女の顔を覗き込むと、はっきりとその無邪気で愛らしく…なのに老成して見える瞳に魅入られた。
「リタは本気にしてくれないからこの子に聞いちゃおう。ねえトリシアはどう思う?」
「トリシアはね、シャルロッテのことだいすき!」
唇が勝手に動き、驚きに言葉が出ない。今私は彼女の事を何と呼んだ…?
私の視点は低く、まるで子どもの背丈ほどで、抱きしめるシャルロッテを見上げていた。
胸の奥の方からとめどなく熱いものがあふれて広がって…記憶が蘇ってくる。
そして合点がいった。
ここは私の記憶の中、子どもの頃の私の記憶なのね…。
あーやっとシャルロッテが出てきた!!
ドラゴンの姿じゃないけど!←
遅々として進まない話、驚きの展開もない、衝撃の第○話!とも言えない。
筆者だけが燃えている
これはいかん!
と思うのだけれど、話したい事たくさんあるの!
納得のいくところまで思う存分話させてくれ!!
読んでくださりありがとうございました
次話も乞うご期待☆




