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sheath‐鞘姫‐  作者: 肇川 七二三
誘拐(DParty編)
162/225

澄幸 300日目

「なあ姫さん、最近親方と話してねえじゃねえか。ケンカしたか?」

「してないよ」

「じゃあ何かあったか?」

「…何かあった」


気まずそうに目を伏せて、それだけ言った。


「それってどうにかならんもんなのか?」

「…分かんない…」


雪は解け、若葉が芽吹き、柔らかい緑が覆い茂ようとしていた。

季節は春だった。

寒気はリボンをほどくように綻び、庭先では桜が狂いざいていた。


3月の誕生日には振袖を着て盛大に誕生日を祝ってもらった。

振袖の丈を珠姫が嬉しそうに直して着つけてくれて、あの桜が7分咲きの頃には桜の木の下で写真を撮ってくれた。


あなたの20歳の姿を大切な人から盗ってしまったからせめて、と出来ることは全てしたいと言われて胸に詰まるものがなかったというと嘘になる。

縁側を開け放して庭を眺めていたトリシアの横に基彦が腰を下ろしたところだった。


「…澄幸に基彦たちのこと聞いた」

「そっか」

トリシアは会話の多くを英会話から日本語に切り替えていた。

深く追求すると、深く語り合うことなく他愛ない日常会話しかしていなかったので日本語を使っていたというだけなのだが。

珠姫も暉臣も基彦もはじめて日本語で会話した時はそれはそれは喜んだのだが、それが喜ばしいことだけの話ではないことはすぐに分かった。

澄幸にべったり日本神話を聞かせてもらいに通っていたのに、トリシアがぱったり止めてしまったのだ。

はじめは黙って見守っていたのだが、仲を取り持とうとすればするほどこじれてしまった。

どうしてこじれてしまったのか基彦たちは知らない。

そして今やっと事情を吐露してくれた。


「私は、龍のことをどうするためにここに留まっているのか、どうしたくてここにいるのか分かんなくなって、澄幸と距離を置いて考えてみた」

「…そうだったか」

基彦はやや安心したように笑った。

「で、分かんなくなったことって分かったか?」

トリシアは首を横に振った。

白い髪がそれを無力に追いかける。

「じゃあ、親方のとこ行ったっていいんじゃないか?珠姫が心配してるぞ」

「私って、澄幸に本当に必要だったのかな」


基彦は鳩が豆鉄砲を食ったように驚いた顔をして、それからこれ以上ないくらい嬉しそうに相好を崩した。

「ばっかだなあ、そんなの当たり前だろう」

「ほんと?」

「ああ、ちょうどいいから豊倉さんとこ行こう」




基彦に連れられて初めて洋館の外に出た。珠姫は心配そうにうろたえたが、基彦がひとつ残らず説明すると笑って見送ってくれた。

つづら折りの道を下って行くのは思ったよりも遠くよく歩いた。

ちなみにシュトは置いてきている。

あの泉のところには基彦が言ったように「豊倉さん」というおばあさんがポリタンクに水を汲んでいた。


「豊倉さん!お久しぶりです!」

「ああ、あんたあ元気にしとったんかい。隣のお嬢ちゃんも元気にしとったかい?」


少したじろきながらも「はい」と頷くと豊倉さんはしわくちゃの顔をなお一層しわくちゃにして笑った。


「日本語しゃべれるようになったんね」

「豊倉さん、今日はこの子にここの龍神さまの話をしていただいてもいいですか?」


基彦の言葉に彼女は快く頷いた。

まあ座りんさい、と豊倉はポリタンクの上に腰掛けて座るようにすすめた。

「長い話になるけんね」





彼女が生まれた時はこの集落には働き手のほとんどを戦争に送りだして女子どもと年寄りだけで田畑の切り盛りをしていた。

戦争は結局男たちを返してはくれなかったが、それでも村は残っていた。

川があり井戸があり森が豊だったおかげで彼女たちはそれほど苦労をした事がなかったのだ。

もともとこの土地には水を護る龍神さまを奉ったお社があって、当然篤く慕っていた。祖母のそのまた祖母のころからあるというのだから、ずっと昔からあったに違いない。

洪水も日照りも無く、豊かな村だったと思う。

戦争が終わった後、しばらくして水道を引く話が持ち上がった。

あれは彼女が世帯を持って子どもが何人かいた時だった。

はじめは必要ないと村全員で首を横に振っていたのだが、金を積まれたのか、何人かぱらぱらと村の人間の意見が割れた。


ここには飲み水がある。水に困る事もなかったではないか、だって龍神さまが護っているのだから。


金を払ってまで水を買う、耕してきた田畑を掘り返されて木を切って水道管追を通す必要がどこにある。


しかしある日、村で集団食中毒をおこした。


医者には井戸水が悪いんじゃないかと言われるとみるみるうちに水道を通すという話は一気に受け入れる形に傾いてしまった。

今になって思えば、井戸水の所為なわけがなかったのだが、全員が全員呆然と受け入れてしまった。

近代化が進み、龍神さまの信仰は廃った。

こんこんとわき出る泉や木々を放っておいたことが祟ったのだろう。井戸が枯れてしまった。

山の上の方から流れ出る川も細ってしまった。

日照りを起こして、田畑が荒れた。

彼女がひとりこっそりと源泉の元に神酒を持って山を登ったのはそれからいくらも経たないうちだった。

お社は柱が腐って今にも崩れそうなぼろくてみすぼらしいものだった。

神酒を奉って必死に願った時、声が降ってきた。


「大丈夫だ、すぐに雨も降るしきっと井戸だって川だって元通りになる」


男の子が裸足で泉の中に立っていた。

枯れ葉まみれのその少年もみすぼらしい格好だった。


「ちょっと枯れ葉が詰まっちゃっただけなんだ」


少し困ったように悲しそうに笑ってみせた。


「そういえば全然井戸水も泉も使わなくなってしまったけど、どうかしたの?」


唖然と、口を間抜けに開いて突っ立っていた彼女がやっとのことで言葉を紡ぐ。


「…水道が引かれてしまって…」

するとなお一層悲しそうに笑った。

「そうかそうか、井戸が必要なくなってしまったのか…」


状況はよく分からないが慌てて否定した。


「川も細って井戸も枯れて村中困り果ててるし、日照りが続いて田んぼも畑も荒れちゃって、大変なんだよ、水がないと困るんだ」


彼は一瞬、考え込んだけれどすぐに、


「しかと聞き入れよう、何とかする、神酒も頂いたし、数日経てば川は太るし雨も降る、あなたはもう帰りなさい」


その口ぶりに、この少年が龍神さまなのではないかしら?とはじめて思った。

しかし言われるままに、暮れる空に追い立てられるように山を下った。


数日のうちに雨が降った。

この年の収穫や収入さえ危ぶまれたが作物は無事だった、しかし間一髪と言っていいほど村は追いつめられていたことは誰の目から見ても明らかだった。

それから、誰から言い出したわけでもないが、飲み食い以外に使う水は井戸と川の水を使うようになった。

農業用水路を元の通りに川から引いて手入れをするようになると、川も井戸も見る間に蘇った。


龍神さまの信仰も、季節の祭事はなるたけ行うことに決まり、村のあたりの山や川はいたずらに人の手をつかせようとしなかった。


ダム建設や村の合併の話も持ち上がったが運良く、この辺りはそのようなことを免れた。彼女はあの日見た男の子の事をはっきりと今でも記憶している。




「私はね、その男の子のことを龍神さまに違いないとおもっとるんよ。年寄りが馬鹿をいっとると笑ってもらってもかまんがね、でもあれは龍神さまに違いない」

「そうですね」


トリシアは頷いた。

澄幸のことだとすぐに分かった。

彼の話だ。川も泉も井戸も雨も、全部彼の話だ。


「ここは廃れん。県をあげて地方の文化や信仰や行事を保護すると言って動き始めたらしゅうてね、ここも保護されるんと、さっき偉い人が会いに来たよ」

「本当ですか!」


嬉しそうに声を上げたのは他でもない基彦だった。飛び上がりそうな勢いで身を乗り出して握手を求める。豊倉は苦笑いでそれに応えた。

しょうがない子やね、というような嬉しそうな苦笑い。


「嘘は言うてどうするんね、あんたあの屋敷の御主人にも言うといてね」

よっこらしょと腰を上げて豊倉さんはポリタンクを抱えて山を下る。

「…おばあさん!」

黙ったままで躊躇っていたトリシアが呼び止めて追いかけた。


「なんね」

「持って降りるの、手伝います。…お話聞かせてもらったから、お礼がしたくて」


尻すぼみになる声と俯きそうになる顔を必死にもちあげた。


「感心な子なねえ」

しわくちゃの顔をさらにしわくちゃにしてからからと笑った。


基彦がなぜ彼女の話を聞かせようと思ったのか、彼の意図ははかりかねる。

でも、少なくとも、この話を聞いてよかったと思った。

トリシアの知らない澄幸のことを理解した気になれた。

たぶん、それだけで十分だったんだろう。

今の自分にはそれが必要だったのだ。

澄幸に自分が必要な理由が明確でないように、理由なく今の自分に必要だったのだ。




さてさて

トリシアは龍の事を主に澄幸に訊いているのだけど

澄幸は絶対に自分の事を語ってくれなさそうだなあと思い、

豊倉というおばあさんに大役を担っていただくことにしました(笑)


この豊倉さんはトリシアが誘拐されてきたはじめ頃に登場しているので

気になった方は是非そちらの方も合わせて読んでみてください


次回の更新は一度お休みさせていただいて

来週の金曜日に更新の予定です

今話も読んでくださってありがとうございます!

では次話も乞うご期待☆

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