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sheath‐鞘姫‐  作者: 肇川 七二三
萌芽(出会い編)
10/225

彼女は全てを知っていた

昏々と眠る彼女の脇で彼、ギアは憔悴しきっていた。

あの封筒に魔法がかかっていることははじめから分かっていた。

中身が特別…逆鱗であったことも分かっていた。


なのにどうして、この展開を予期できなかったのか。

小娘だと侮ってたかをくくっていた自分の浅はかさに吐き気がする。


彼が持ち得る魔法やまじないはことごとく無力にかえり、手の施しようがなかった。

薬を盛られて眠っていたディブは魔法で強制的に覚醒させた。

ギアの行為に憤るよりもただただ彼女が無事に目覚めることを祈っていた。失いたくない、もう誰も、誰ひとりとて…

男の祈りがギアを罪悪感と自己嫌悪の渦へと突き落とす。



彼らは知らない。

彼女が至福の夢を見ている事、夢の中の世界で幸福に溺れ目覚めを望んでさえいない事を…。






…私は彼女の膝の上でまどろんでいた。

彼女が話すおとぎ話や昔話はどの本に残っていない古い古い物語ばかりで、当時の私は彼女が本を読み聞かせてくれていると思っていた。

けれど、ひょいと彼女の手元をのぞきこむと彼女は真っ白な紙の本を開いていただけ。


これは記憶だからだろうか?


ロッテの顔を見上げるととろるような頬笑みを向けていた。

心臓を鷲づかまれるような喜びが全身を駆け巡ったのがわかった。


全ては彼女が正確に記憶していた、忘れ去られたおとぎ話。

印刷技術も本も紙も文字さえもなかった時代の口伝によって人々が紡いだ遠い昔の物語。

彼女はいつものように静かに口を開く。




「むか~しむかし、遠い昔にドラゴンがいました。一匹ではなくたくさんのドラゴンが自由に空をはばたいていた時代です。そこには魔法が息づいていました…」




魔法が息づいていた時代で、ドラゴンは自由の空を駈け、魔法を使い雨を降らし太陽で地表を温め、草木を芽吹かせ、生物が生きる手伝いをしていました。

そこには人間がいて、人間も魔法が使えたけれどドラゴンから見ればほんのわずかの蝋燭の火程度の微々たるものだったけれど…しあわせでした。


あるとき、ドラゴンのもとに人間がやってきて。


「魔法を教えてほしい」


人間はそう願ったのでドラゴンはそれに応えました。

魔法を教え、魔法を自由に使えるようにと人間に魔法をかけました。

けれども残念なことに人間が満足に魔法を使える頃になると、すぐに死んでしまうのです

人間の寿命は短すぎた事はドラゴンたちの知るところではなかったのです。

魔法の力は大きく、ひとりで扱うには時間が足りませんでした。

しかし、人間は自分の子どもに孫に、子孫に、魔法を教え、魔法は受け継がれてゆくのです。

代を重ねるごとに魔法を扱う術に長けていく。

その様子は強くドラゴンの興味を引きました。

個に執着し、長い時を己ひとりで過ごしていたドラゴンは本当はとてもとても羨ましかったのです。

そしてあるときドラゴンは赤ちゃんを産みました。

彼女もしあわせを知りました。


しかしそれと時を同じに、人間を束ね統治していた「王」と呼ばれる人間が魔法を意のままに操るドラゴンを妬み魔法を奪おうとしていました。


ドラゴンは温厚で、乞われればいくらでも魔法を教えたけれど。

王は満足しませんでした。彼は既に欲に溺れて我を見失っていたことにドラゴンは気付きませんでした。

ドラゴンから魔法を奪うために人間は魔法を使いたくさんのドラゴンを殺しました。


本意ではない殺人を重ねて、身を守ることに必死だった荒んだ時代を過ごして。

人間に憧れ、産んだ子どもはまだ未熟で、幼いままに命を奪われて。

見回せば空を飛ぶドラゴンはもういなかった。

ドラゴンは数を減らし両手の指で数えられるほどまでに少なくなって。

彼らは集まり、あるひとつの決断をします。

貪欲で己の事しか顧みない人間たちがこのまま魔法を使い続ければきっとドラゴンはおろか人間自身も滅ぼし、世界も滅んでいってしまうでしょう。

この美しい世界が滅んでいくのは彼らには耐えがたい痛みでした。


「この世界から魔法を消し去り、我々も身を隠そう、まるで魔法など初めから存在さえしなかったかのように」


ドラゴンたちは世界に魔法をかけました。

原始の世界に戻るように、淘汰し淘汰される、原始の姿に戻るよう…しあわせだった頃に戻るよう。

魔法は成功して願った通りになりました。

ドラゴンたちは散り散りに身を隠し、あるものはクジラにあるものは雲にあるものは岩に姿を変えて世界中を旅します。

それから数千年孤独な時間を、誰とも関わらず、誰とも交わらない毎日を過ごします。

人間と関わってきたドラゴンにとって、ドラゴンも魔法も忘れ去った人間の姿を見続けるのは悲しかった。


寂しいという感情を知ったのはこの時だったでしょう。

それからまた数千年がたったとき、ある少女がドラゴンのもとにやってきます。


身じろぎもせず、そこに居続けたドラゴンの体は草が芽吹き土に覆われ、元の形を自分自身さえ思い出せない。

少女は背中に登り尾をなぞり、花を摘んで遊びます。


「あなた、寂しくないの?」


不思議なことに、この土くれのかたまりの正体がそうではない事を彼女は知っていました。

無邪気に何度も彼女は話しかけました。

交わる事を禁じた自身が、その言葉を無視する事には大変な意志の力が必要で。

けれどある日、それは寂しいと答えている事と同じだと知りました。

彼女は村の貧しい娘でした。

答えることなどなくとも、彼女は話しかけ続け、毎日やってきます。

孤独が和らいでいくことが、凍りついた心が溶けていくのがひとりぼっちのドラゴンはたしかに感じていました。


「あなたのそばはいつも風が吹いてるね、背中に生えた草木も素敵、だけどきっと寂しいのでしょう?」


気まぐれだった、あまりにも彼女がしつこく話しかけてくるのがうっとおしかったのかもしれません。


「お前は、よく飽きもせずしゃべるものだ。分かっていながら話しかけているのか?」


口を動かすとミシリと音を立てて体に付いた岩がひび割れました。


「わからない、でもとても素敵な出会いの予感がするの」


彼女はちょっとだけ驚いただけで、そう言ってのけます。

それがなんだか面白くなくて、彼女はむっとしました。


「見ていろ」


彼女に姿を見せても記憶を消せばいい、久しぶりに体に力を入れれば、まとわりついた草木や土や岩などは簡単に剥がれおち、

四肢を動かし立ち上がると自分の形を思い出した。翼を広げ久方ぶりの外気を受けると、美しい坡璃色の体が現れます。


恐れをなして逃げればいい、そう思ったけれど。

彼女は恐れて立ち去るどころか、笑みを浮かべて抱きついたのです。


「やっぱりあなたとっても素敵よ!」


予想を裏切る彼女の様々な行動は新鮮で人間らしさがたまらなく愛おしい。

こうして、ドラゴンは孤独に別れを告げて少女と話をするようになり、ある日は猫に、ある日は野兎に、ある日は鹿に姿を変えて会いに行きました。

彼女はそのたび喜んで、笑顔を見るだけでなぜだかドラゴンも嬉しくなるのです。


「ねえ、人間にはなれないの?」


望みに応えて人間の姿になってみせました。


「これなら、あなたと好きなだけ遊べる!」


頑なに山の上に留まっていたドラゴンを少女は村や町、色々なところへ連れてまわります。

世界は色鮮やかになり、一層少女を、人間を慈しんで過ごしました。

しかし一瞬に近い日々は想像するよりもはるかに人間にとって長い時間だったことをドラゴンは後になって気付きます。

彼女は小さな貧しい娘から見違えるように美しく成長し、村長の息子と結婚の約束をする年頃にまでなっていました。

人間の姿でいる事の方が多くなったドラゴンは彼女の前でつぶやきました。


「あなたもやがて家族を持ち、子を生し、孫を持ち、そして死んで行くのだろう。…私はまたひとりになるのか」


少女はドラゴンを抱きしめ首を振って否定しました。


「そんなことはさせない、ひとりになんてしないわ!」


けれど死んで行くのは抗えない摂理だと彼女にも分かっていました。

彼女がドラゴンを受け入れてはくれても、他の人間は受け入れてくれはしないだろう。

孤独な時代が再びやってくる、その足音にドラゴンは怯えました。


「私はいいのだ、お前が子を生せば私も喜びその子が子を生せばまた喜ぼう。お前の子どもにお前の面影を見て私はお前を思い出せばいいのだから、何の心配もすることはない」


強がってみても言葉はむなしく彼女はそのまま身じろぎせずにドラゴンに身を寄せ続けて涙を流します。

彼女の想像を絶する時間の流れに、やはり自分の生命としての死は抗えない事を思い知らされ、娘は考えます。

どうすれば、ドラゴンをひとりぼっちにさせないでいられるかを。

ちっぽけな少女の想いだけでは、どうにもなりません。

しかし彼女は言います。


「あなたを孤独に奪われるのは嫌よ…私が死ぬというのなら私の子どもがあなたに寄り添う、その子どももそのまた子どもも、ずっとずうっとそばにいる、ひとりぼっちにはならないの、もう戻ったりなんかしないで」


ドラゴンは人間の姿から元の姿へ戻る。

翼を広げ、少女の背丈よりはるかに高いこうべを垂れて彼女に近づけました。


「おまえのその心だけでも、わたしはこの先永遠に孤独になどなったりはしない」


そうは言ったものの、人間のぬくもりを知った後の孤独は恐ろしかったし覚悟はできません。

それからやはりすぐに、彼女は母になり祖母になりました。

死が近づいているのが分かる、彼女の足が遠のいて、死の足音が近づいてくるとドラゴンの顔にはいつも影が差すようになりました。

そんなある日ドラゴンは心臓が止まったかと思うほど驚きました…彼女の子どもがドラゴンの元にやってきたのです。

彼女は約束を覚えていたのだ、と分かった時電流が体を痺れさせるほどドラゴンは嬉しかった。






「…それからずっと、ドラゴンはひとりぼっちになる事はありませんでした。最後の最後まで幸せになったとさ…」

長い長い話を私はずっと聞いていた。


「シャルロッテは、もう、さびしくない?」


私には、そのドラゴンが彼女だと分かった。


「ええ、ちっともさびしくない」


ロッテは眉一つ動かさず、驚いた素振りもない。淡々と返事をした。

彼女は私を抱き起し、立ち上がるように促す。


見上げたロッテの顔は見たことのないほど真剣で、真摯で、切なそうに陽のひかりを背にしていた。

「ろ、て?」

つよい風が吹いて、思わず目をつむった。強く足を踏ん張っていないと足元をすくわれて吹き飛んでしまいそうな強い風だった。

再び目を開いたとき、目の前には大きなドラゴンが立っていた。

鱗の一つ一つが宝石のようにきらめいて、日の光を反射した。色は七色。硝子や水晶に色が無いように煌めいて、輝きを放つ。


「わああっ!」


恐怖ではなく歓喜の声をあげたのは本当の自分だった。


「ロッテ!ロッテすごい、大きくて翼があって、それで、それで!すごくきれい!!」


なぜだか彼女が微笑んでいるのが分かった。




「トリシア、わたしが赤ちゃんを産んだらあなたに一番の友達になってほしい。約束してくれる?」


私は……頷いた。

「絶対、絶対に約束破ったりしない!」

彼女がこうべを垂れる。


「その時まで、今日の話は忘れてほしい。その時、きっと私はトリシアに祝福を贈るから…」

私が彼女の頭を抱きしめる。短い腕では受け止めきれないほどの大きな頭を腕をちぎれるほど広げて頬をすりよせた。


まばゆい光が全身を包んで指の端から粒子になって消えてしまう。

私は記憶を忘れるために彼女に身をゆだねて目をつむった。



「トリシア、大好きだよ。愛してるよ。」

ぬくもりに包まれながら、声を聞いた。頬を涙が伝う。

幼い約束は、決心に変わる。

「やくそく、守るよ…シャルロッテ」





そして静かに私は目を覚ました。

空っぽの天井が雫のレンズであふれて、胸を占めていた幸福な夢が…覚めてしまったことに秘かに絶望して。


はい、今日は風が強く私は吹き飛ばされてしまうから家から出ないようにと言われました。

ちょっと心外です。

 

ようやっとドラゴンが出てきました

これで少しはドラゴンが出てきます!と胸を張って言える!!

ありがとう!そしてありがとう!

 

今回も読んでくださりありがとうございました

次話も乞うご期待☆

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