唐揚げ
屋上へと続く扉の前。
「……えー。 は、はじめまして。 春野蒼太です……、本日はお招きいただき、お、お招きいただき? えーと、なんて言おうとしてたんだっけ?」
「お招きいただきって……、かた過ぎじゃないの? ていうか、緊張するの早いってば。 まだ茉瑠奈と顔すら合わせてないってのに」
大きなため息を吐き出しながら、私は春野の頭を小突く。
「し、仕方ないだろっ。 女の子と一緒に昼ごはんを食べるのなんて、初めてなんだから……」
頭を抱える春野が恨めしそうにこちらを見ているけど、知らんぷりでそっぽを向いてやった。
本日は茉瑠奈の念願だった、春野蒼太とのお昼ご飯の日。
面と向かうのは初めてだから、最初の挨拶が大事だろうと、こうして予行練習をしている次第なんだけど……。
「あ、あなたのように、可愛らしい……、人に誘っていただき、大変光栄で……、あー、えーと……」
「はあっ……!?」
なんとも不安が拭えない有様で、さっそく暗雲が立ち込めているのだった。
きっと扉の向こうでは、お弁当箱を抱えた茉瑠奈が今か今かと待ちわびていることだろう。
あまり待たせるのも良くない。
「あー、もうっ、埒があきやしないっ。 もうさ、ノリでいっちゃおうよ」
「だ、大丈夫だろうか……!」
「男なんだから、どしっと構えてりゃなんとかなるって! じゃあ行くよ!」
言いながら、ドアノブを捻って勢いよく開ける。
爽やかな風で髪がなびく。
よく晴れあがっていて、抜けるような雲ひとつない青空はまさにお弁当日和。
その下には、愛らしいキャラクターがプリントされたレジャーシートの上に、ちょこんとあひる座りをしている茉瑠奈がいた。
こちらに気がつくと、こっちこっち、と言いながら手のひらをひらひらさせている。
そして、私の背後にいる春野の存在を視認すると、次第に顔を上気させていった。
「お待たせ、茉瑠奈! ……ほらっ、挨拶」
背後の春野に軽く肘打ち。
ああ、と消えいりそうな声で返事をすると、春野はゆっくりと前に歩み出る。
「は、はじめまして! ……春野蒼太です。 えっと、俺なんか誘ってくれてありがとね」
頬を指で掻きながら、震える声でなんとも心もとない挨拶だ。
覇気がない。
それと挙動不審だし。
はあ、さっきの練習がまるで意味を成していないじゃないか。
対する茉瑠奈はというと、
「あっ……雨宮、茉瑠奈です! 今日はっ、来てくれてありがとう、春野くんっ」
挙動不審さでいえば、こちらもあまり大差なかった。
開幕はなんともいえない踏み出し。
せめてもの救いといえば。
お粗末な挨拶をされても、気にせずに茉瑠奈が幸せそうにしていることだ。
ぺこり、と頭を下げている茉瑠奈の足元に敷かれたレジャーシート。
もちろん、二人でお弁当を食べている時には存在しないもの。
これは相当気合いが入っている証拠だな。
「いやいや、こちらこそ……って、あれ? きみ、どこかで会ったこと——」
「——わっ!」
なにやら惚けた顔でつっ立って、茉瑠奈の顔をまじまじと見つめている春野。
穴が空きそうなほどに観察されて、顔を真っ赤にさせている茉瑠奈。
視線を遮るように、あせあせ、と両手を逸らした顔の前に持っていく。
……なんていうか。
好きという感情がだだ漏れていて、彼女に隠す気はあるのだろうか。
そしてそれを見せられて、自分に向けられた好意に気づきもしない春野は、どんだけ鈍感なのか。
なんとも形容し難い、可笑しな生き物が二体もいる不思議な光景。
馬鹿馬鹿しいやり取りが繰り広げられているのを他所に、私は茉瑠奈の隣に腰を下ろした。
「そんなとこでつっ立ってないで、とりあえず座れば?」
「……ああ、うん。 お邪魔します」
なにやら釈然としない表情の春野は、軽く会釈を交えて私たちの正面に座る。
さて、と。
私と茉瑠奈は、巾着に入れたお弁当箱を取り出して蓋を開けた。
おおっ。
予想はしていたけど、一目瞭然だ。
やや大きい二段重ねのお弁当箱には、色とりどりのおかずが詰め込まれているじゃないか。
並々ならぬ気合いを感じる。
「……今日は一段とすごいねっ」
春野には聞こえない声量でこっそり耳打ちをする。
「……えへ。 昨日の残り物も入ってるんだけどね。 でも、チーズ入りの卵焼きとか、唐揚げは早起きして作ったんだっ」
瞳を輝かせながら、茉瑠奈も耳打ちで返してきた。
昨日の残り物というのは、だし汁が良い具合に染み込んでいる切り干し大根の煮物だろうな。
一緒に入れられた人参が、色味においては良いアクセントになっている。
家庭的な唐揚げも揚げ具合がばっちりで、横には抜け目なく添えられたカットレモン。
瑞々しいレタスとミニトマトの隣には、付け合わせのパスタサラダ。
綺麗に焼かれたチーズ入りの卵焼きは、本来空くはずだったであろうスペースをしっかり埋めている。
見ているだけで、よだれが垂れてしまいそう。
見栄えもさることながら、食欲を存分に掻き立てる献立。
ケチをつける隙すらない。
料理上手な茉瑠奈が作ったお弁当だから、もちろん味も保証済み。
眠い目をこすりながら、春野のためだけにこれを作ったんだ。
なんだか妬けてしまうな。
「すごいね、雨宮さん……! いつもこんなにいっぱい食べてるの?」
それだというのに、こいつはのほほんと余計なことを言いやがる。
体重に敏感な茉瑠奈が弱々しく喉を鳴らすと、赤くなった顔を俯かせてしまう。
女の子の気持ちというものに、微塵の理解もないというのかこの生き物は……!
ペットボトルのキャップを指で弾いて、春野の額に直撃させてやる。
あてっ、と言いながら私を睨んでくるものの無視してやった。
「……それにしても、二人は弁当持参だったのか。 俺のはこんなだから、なんだか気後れしちゃうな」
苦笑いを浮かべている春野は、購買の袋からペットボトルの緑茶とひとつの焼きそばパンをカサカサと取り出した。
「いやいやっ。 男なんだから、それだけじゃ足りないでしょ!?」
いくら線の細い春野といえども、彼だって食べ盛りの男子だろうに。
鳩の餌かと思ってしまうほど少ない昼食に、私は思わず驚愕してしまった。
まあ、比較対象が剣道部の男子だからなのかもしれない。
けど、これはさすがに少な過ぎるだろう。
「少食なんだよね、俺。 小さい頃からこんな調子」
「そう。 少食なら、仕方ない、か……?」
「弁当も作れたら経済的なんだろうけど、一人暮らしだからさ。 朝に弱くて」
「えっ、一人暮らししてるんだ! すごっ」
上手いこと茉瑠奈にパスをしたいのだけど、またも驚かされてしまう私。
「実家からだと、この学校はちょっと遠いからさ。 親をなんとか説得して、真庭市の格安アパートに引っ越して。 これでも家賃は自分で稼いでるんだ」
「はー。 わざわざ一人暮らしを選んでまで、こんな山の上にある学校を選んだのか。 なんで?」
純粋な疑問を解決させたくて、これまた純粋な子どものように、つい問いを投げてしまう。
私は単純に家から近かったし、真庭高校の剣道部はそこそこ強かったし、それなりに勉強していれば入るのには苦労しなさそうだったし。
なにより、茉瑠奈がここにすると言っていたから、必然的にそうなったってだけ。
だから、数ある選択肢の中から、自分の意思で選んだ春野の気持ちがすごく気になったわけで。
「……んー、山の上に建ってるのが素敵で、心惹かれたから」
うーん。
わからん。
「あっ、それわかるっ! 私も、素敵だなって思ったのっ」
「ああ、雨宮さんも」
「うんっ。 山の上に建ってる校舎が夕日に照らされてる景色とか、とっても綺麗で心が落ち着くんだあ」
ずいっ、と横から茉瑠奈が同意する。
やっぱり美術に長けている者同士の中で、なにか通づる感覚というものがあるのだろうか。
偶然にも共通の話題らしきものが上がって、二人の距離が心なしか近くなったような。
「あと、登下校で小山を上り下りできるのも良いよね。 歩くの好きなんだ、俺」
「……えぇ、マジか」
正直それには共感しかねる。
寝ぼけまなこであの長い坂を歩いて登校していると、この学校を選んだ自分を恨む時さえあるんだから。
茉瑠奈と談笑しながらの登校が、私にとってどれだけ救いになっていることか。
けど、春野は自分で選んで決めて、自分の力だけで生活しているという。
それはなんというか、立派だ。
周りが知らないだけで、すごくしっかりしているやつなんじゃなかろうか。
「すごいなあ、春野くん。 自分で家賃を稼いでるってことは、アルバイトとかしてるんだよね?」
「そりゃあもちろん」
「はぁー、すごいや。 私なんて、自分でお金を稼いだことなんかないのに」
行儀良く頷く春野。
そんな彼を見て、感嘆の吐息を漏らしている茉瑠奈。
自分で家賃を稼いでいるなら、当然っちゃ当然か。
でも、春野がバイトに勤しんでいる姿は想像が難しい。
感心しっぱなしの茉瑠奈は機会を得たのか、
「……あ、あの、春野くんっ。 もし良かったら、一緒にこのお弁当食べる!?」
豪勢なお弁当を突き出して特攻をかける。
「ちょっとだけ、作り過ぎちゃったんだ。 ……それだけで足りないようなら、どうぞ?」
言わずもがな。
最初からこうするつもりで作り過ぎたんだろうけど。
学校中の男子が血の涙を流しながら羨むような光景だ。
「え、いやっ、さすがに悪いよ」
そんな彼女の気持ちをつゆ知らず。
春野が申し訳なさそうに断ると、茉瑠奈はしゅん、と肩を落とした。
あー、こいつは本当にもう。
「あんたねっ、茉瑠奈が気を使って一緒に食べようって言ってくれてるんだよ? なら、一口くらい食べてあげるのが男ってもんでしょ!?」
助け舟で出した言葉を肯定するように、隣の茉瑠奈が何度も頷いている。
「そ、そうか。 じゃあ、お言葉に甘えて、いただこうかな」
「うん、どうぞどうぞっ」
ぱぁっ、と表情が明るくなった茉瑠奈は、あらかじめ用意していたであろう春野専用の箸を手渡す。
受け取ってあらかた見渡したあと、唐揚げを選んで口に運ぶ。
もぐもぐと咀嚼して、ほどなくすると驚きの表情に変わった。
「……美味しいなあ。 こんなに美味しい唐揚げは初めてだ。 雨宮さんって、料理上手なんだね!」
そうだろう、そうだろう。
茉瑠奈の手料理は、ほっぺたが落ちるかと思うくら美味しいのだ。
「うぅっ……、嬉しいっ! もっと食べてっ、この卵焼きもおすすめ!」
幸せを噛みしめるように身を震わせると、茉瑠奈はもっと食べるように勧めている。
その間際、私は春野に耳打ちをした。
「茉瑠奈、料理上手でしょ? それに胸もでかいんだよ。 ……ちなみにカップ数は——」
「——ぶふッ!」
驚愕のカップ数を前に、春野は卵焼きを喉に詰まらせる。
慌てて、緑茶で流しこんでいた。
うん、気持ちはわかるぞ。
あのサイズを聞けば、私だって戦慄してそうなってしまうだろう。
「は、春野くんっ、大丈夫!? ……友恵、今なにか言った?」
「あははー、内緒っ!」
料理上手な女の子で、胸も大きいときたらどんな男でもいちころ間違いなし。
二人の未来も、これで多少は明るくなっただろう。
「……ふぅー」
お弁当を食べ終えて、三人揃って一息つく。
お腹をさすっている春野は、結局半分以上も食べさせられていた。
「それにしても、こんな絶好のスポットがあるなんて知らなかった。いいね、ここ」
柵の向こうの景色を眺めて、ぽつりと呟く春野。
山の上に建っているので、屋上からは真庭市の全貌をぐるりと一望できる。
特に澄んでいる今日なんかは、となりの吾妻市まで薄っすらと見えるから面白い。
「超人気スポットだよ。早めに場所取りしておかないと、あっという間に座る場所がなくなっちゃうくらい」
周りをぐるりと見てみると、下級生から上級生まで入り交じって、各々確保した場所で談笑しながらお弁当を食べている。
平和な風景が辺り一面に広がっていた。
「そうなんだね。 今日はありがとう。 おかげで楽しい昼休みになった」
言いながら、春野は深々と頭を下げた。
「あ、あのっ! 春野くんが良ければ、また一緒にお弁当食べよ!」
胸元で両手を強く握りしめながら、声を大にしている茉瑠奈。
大人しくて、ちょっと引っ込み思案な子なのに。
本当に、春野が好きで好きでたまらないのだろうな。
「もちろん。 俺なんかで良ければ、また誘ってよ」
「うん! ありがとう、春野くん」
最初はどうなることかと不安だったけど、最終的には多少距離が縮まったらしい。
まあ、それなりに有意義なお昼休みになったようで何よりだ。




