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かの船は雪の海に沈む

 シリウスとミスティの襲撃を受けてから三日後。

 蒸気式万能武装図書館アイオロス号は、目的地に到着した。当初の予定通りである、とスティーブンソンは言い張っていたが、フロージアの反応が芳しくなかったので、その当初の予定に比べればかなり時間が掛かったのだろう。

 焦土が二人と出会ってから、今日で六日目を迎えたが、日数に比べて内容が濃かったせいか、何年も一緒に過ごしてきたかのような錯覚を覚えてしまう。

 それもこれも、焦土の寝床に潜り込んできたフロージアの記憶をエーテルを介して見てしまったからである。恋に焦がれる少女の心理なんて想像も付かない世界だったが、体感してみると、フロージアが焦土にちょっかいを出してくるのは、慣れない感情に振り回されているせいだと解った。自分自身の気持ちを処理しきれないから、焦土に接する際もやり方が何かと不器用になってしまうのだろう。それは、焦土も解らないこともない。

 だが、そのせいで気まずくなったのも事実だった。あの夜以来、フロージアは焦土と目を合わせようとしなかった。話しかけてもすぐに逃げてしまうし、氷の塊が飛んでくる。ほとぼりが冷めるまでは近付かない方がいいよな、と焦土は思うのだが、フロージアの初々しい恋愛感情を直接流し込まれたせいで、フロージアが気になって仕方なくなっていた。だから、つい目で追ってしまうし、話しかけたくなるし、近付きたくなってしまう。

「せっかく目的地に到着したのだから、もうちょっと喜んでくれてもよろしいのだよ? いや、むしろ喜んでくれないと、我が輩としても労力が報われないというかであってね」

 スティーブンソンはため息の代わりに蒸気を漏らしながら、顔を背け合っている焦土とフロージアに向き直る。スティーブンソンの背後には、巨大な構造物が氷に埋もれていた。遠目で見た時に山のように思えたが、接近すると、直線的な形状で人工物だと解る。但し、それが何なのかまでは判別が付けられなかった。

「で、これが一体……」

 焦土はやりづらさを堪えながらも目線を上げ、構造物を仰ぎ見ていくと、記憶が紐解かれていった。氷から突き出しているのはプラズマスラスターを備えた船尾で、スラスターだけでもアイオロス号の十倍以上はある。焦土はやや後退り、目線を巡らせていくと、地球統一政府のエンブレムが積年の雪の下から覗いていた。

「────移民船」

 焦土は浅く息を呑む。

「イミンセン? 違うわ、これは箱舟よ」

 フロージアはつま先を伸ばし、背伸びをする。

「覚えはあるのだね、焦土よ。我々はこれを箱舟と読んでいるが」

 スティーブンソンに詰め寄られ、焦土は目線を揺らす。

「覚えているが、それは外側だけだ。移民船には近付いたこともなければ、乗り込んだこともない。俺にはその資格はなかったから」

「ふうむ、なるほど。ちなみに、この船はだね、君の移送先になるはずだったのだ。ほれ、あっちを見てごらん。労働者の居住区が造られているだろう?」

 スティーブンソンが太い指を掲げたので、その先を辿ると、移民船の資材を剥がして作ったであろう小屋が軒を連ねていた。そればかりか、資材を加工するための工場や倉庫までもがある。しかし、一人も労働者の姿はなく、ひっそりと静まり返っていた。

「なんで誰もいないんだ?」

 焦土が目を凝らしていると、スティーブンソンは雪原を見渡す。吹き付ける風が雪を均しているが、うっすらと轍が残っていた。スティーブンソンはその轍を辿っていき、雪原の先にある氷山を赤い単眼に捉える。

「至って簡単な話だとも。箱舟の近場で生活している盗賊が、労働者達を丸ごと盗んでしまったのだ。今頃、彼らは盗賊になるべく教育されているか、盗賊達の生活を支える小間使いにされているだろうがね。もっとも、それをどうにかするつもりはないのだが」

「盗賊なぁ……。そいつらも移民船の積み荷を狙っているのか?」

「それもないわけではないだろうが、盗賊達が狙いを定めているのは、箱舟を調査するべく近付いてきた貴族や魔女達だ。箱舟は何かと頑丈だし、入り込んでも迷ってしまうし、見つかるのは使い道の解らない道具ばかりだから、労力の割に得るものが少ないのだ。盗賊というものは、大雑把なようでいて合理主義であるからな」

 焦土の呟きに応じてから、スティーブンソンは胸を張る。

「だがしかし、今、我が輩の元には焦土がいる!」

「俺は移民船の構造なんて知らねぇぞ」

「旧世界の文字が読めるではないか! ならば、箱舟の見取り図も解るというもの! 充分すぎるではないか!」

 スティーブンソンにぐいぐいと迫られ、焦土はやや腰を引く。

「けど、移民船なんて電子機器の塊だぞ?」

「大丈夫よ。適度に熱した後に急激に冷やしてしまえば、大抵のものは壊せてしまうのだわ」

 フロージアが進言すると、スティーブンソンは頷く。

「うむうむ! というわけだから、二人は箱舟に潜り込んではくれまいか! 我が輩は外から二人を見守っているのである!」

「要するに今回も留守番だろうが。まあ、スティーブンソンはアイオロス号から離れられないから、仕方ないとは解っているが。それで、俺達は具体的に何をすればいいんだ? 闇雲に中に突っ込んでいっても、迷子になるのがオチだぞ」

「うむうむ。オリハルコンの材料となる合金を持ってきてほしいのだ。焦土の義手を作ったから、我が輩の手持ちのオリハルコンが尽きてしまったのでな。その合金は電子機器に使用されているのだが、エーテルに反応するのですぐに解る。まあ、なんだ。焦土の義手の代金だと思ってくれたまえ。あと、書籍のデータチップだな。我が図書館にはまだまだ蔵書が足りんのだ」

「代金か。だったら仕方ない」

 焦土が渋々了承すると、フロージアは杖を握り締めた。

「本当に? 二人だけで?」

「やろうと思えば我が輩もエーテルを遠隔操作して端末を動かせるのであるが、それをするにはアイオロス号だけでは情報処理能力が足りなさすぎるのだ。というわけだから、よろしく頼むのだ」

 スティーブンソンに念を押され、フロージアはちらりと焦土を窺ったが、弱く答えた。

「……解ったわ」

「お弁当は忘れてはならないぞ。食糧を見つけても、手出しはせぬことだ。低温で保存されているから状態は良く見えるだろうが、そこはやはり一万年前の代物であるからな」

「解っているわよ」

「焦土はともかく、フロージアはしっかり着込んでいくのだぞ。エーテルが足りなくなると、体温の意地が出来なくなって冬眠状態に陥ってしまうのであるからな」

「言われるまでもなくってよ」

「帰り道を見失わないように、気を付けるのだぞ。迷ったと思ったら、一旦引き返してみるのも大事なのだぞ」

「いちいち細かいわね、解っていてよ」

「それから、ニンゲンが住み付いているかもしれんぞ。万が一遭遇したら、無理に倒そうとはせずに逃げたまえ。他の魔女の心臓を喰ってエーテルを操る力を底上げしているとはいえ、それにもやはり限界があるのだ」

「解っているから、それ以上言わないでくれる?」

 しつこくってよ、とフロージアはつんと顔を背けると、足早にアイオロス号に戻っていった。弁当の用意をするのだろうが、だとすれば焦土も手を加えなくては。凍り付いた生肉を丸ごと持っていて、弁当だと言い張られる可能性も否めない。

 人間について問い質すべきだったか、と焦土は逡巡した。墜落した原因は解らないが、一万年前に墜落した移民船の中には人類の生き残りがいたのだろう。もしくは、冷凍睡眠から目覚めてしまった者がいたのかもしれない。そんな者達が今も生き延びているとしたら、人類が滅んだ世界でも長らえようと細々と命を繋いでいるとしたら、焦土はそれを助けるべきなのだろうか。

 だが、今の自分は人間とは言い難い状態だ。姿形こそ人間に近いが、エーテルを操って炎が出せるのだから、常人であるはずがない。そんな自分が人間に近付いたら、恐れられるだけだ。焦土は左の拳を固め、右の硬い拳に当てた。

 過去なんて、振り返っても無駄だ。



 墜落した移民船には、出入り口は見当たらなかった。

 ハッチはあるものの、頑丈に閉ざされていたので、焦土の熱とフロージアの氷を交互に浴びせてびくともしなかった。仕方ないので、別の侵入ルートを探して歩き回った。ざくざくと雪を踏み締めながら、弁当の入ったバッグを提げつつ、焦土はちらりとフロージアを見やった。厚着をしているので、全体的に丸っこい。

「あの、さ」

「私としては、あの出来事は思い出したくないのだけれど」

 フロージアは口角を歪め、杖で焦土を指した。

「これ以上蒸し返すというのであれば、脳の芯まで凍らせてやってもよくってよ?」

「いや、そうじゃない。そうじゃないんだ。すまん」

「だったら何よ、本題から話してごらんなさい」

「貴族と魔女ってのは、二人一組でチームを編成するのか?」

「あら、そんなこと」

 フロージアは杖を下げると、明らかにほっとした様子だった。

「貴族と組まされる魔女は、ゴフェル大公から実力を認められた証であってよ。エーテルの扱いに関しては魔女の方が遥かに上だけど、戦闘の技術や指揮能力は貴族には劣るから、互いを補える能力と実力を持った相手が選ばれるのだわ。……私の相手は散々だったけど」

「だったら、スティーブンソンにも相棒の魔女がいたのか?」

「ええ、いたわ。でも、今はいなくなってしまったわ。次の魔女を選ぼうともしないで、ずっと一人で研究に没頭していてよ」

「その魔女は死んだのか? それとも、赤道国家から逃げ出したのか?」

「解らないわ」

「同期の魔女じゃなかったのか」

「それもそうだけど、私、他の魔女には大して興味がなくってよ。心臓を喰った相手の名前は覚えてあげることにしているけど、それ以外は思い出しもしなくってよ。ミスティは性格も能力も鬱陶しいから、忘れがたかっただけであって」

「そうか、そうだよな。フロージアだもんな」

「でも、スティーブンソンから聞かされているから、彼の相棒だった魔女の名前は覚えていてよ。────“鉄の魔女”シュタール」

 フロージアはそう言ってから、ふと目線を上げた。

「ねえ、焦土。あれって」

「ん?」

 焦土はフロージアの視線の先を辿り、目を凝らすと、移民船の頑丈な積層装甲に穴が開いていた。スペースデブリの衝突か、或いは船内での爆発事故か。いずれにせよ、これが移民船の墜落を招いたものであるのは間違いないだろう。この事故で何人の人間が死んだだろうか、と思う一方で、好都合だとも思ってしまう。

「あそこから入ろう」

「無論だわ」

 フロージアは事も無げに氷の足場を成し、とんとんと軽い足取りで昇っていった。焦土はその後に続こうとしたが、内心の乱れによって金属製のブーツが過熱気味だったので、方法を変えた。かかとに付けられた噴出口から炎を出し、体を発射する。が、勢いが付き過ぎて回転してしまったので、手から炎を出して方向を修正しつつ上昇すると、件の穴に辿り着いた。

「あら、早かったわね」

 丁度、フロージアは穴に到着した頃合いだった。焦土はふらつきながらも穴に入り、炎を収めた。穴に溜まっていた雪がじゅわりと溶け、水溜りとなる。その水を振り払ってから立ち上がると、穴の奥から冷え切った風が吹いてきた。焦土から生じた熱気が内部に入り、淀んだ空気が掻き乱されたのか、黴臭い匂いが鼻を突いた。

「うわ、ほとんど垂直だ」

 穴の側面から中を覗き、焦土は臆した。移民船が船首を下にして雪原に埋まっているので、当然ながら内部もそれに従っている。なので、穴に面した通路も縦になり、底が見えない。通路に面した部屋でもないか、と炎を明かりにしつつ見回してみると、斜め上方にドアがあった。

「あれ、壊してみるか」

「まずは私がやってみるわ」

 フロージアは手のひらをくるりと回し、氷の塊を作ると、それを無造作にドアに投げ付けた。途端にめぎょりとドアが折れ曲がり、くの字になって室内に転がり込んでしまう。

「外側はあんなに頑丈なのに、中はそうでもないのね」

 拍子抜けしつつ、フロージアは氷で橋を掛け、通路を横切ってドアへと向かっていった。焦土も先程の要領で移動し、部屋に入ると、その中は個室だった。ベッドも本棚も壁に作り付けられているが、今はどちらも下にある。

「えーと、なんかないかな」

 焦土は本棚を漁るが、出てくるのは書籍のデータが保存されたチップばかりだったので、手当たり次第にバッグに詰めた。それを再生するためのタブレット端末もあったが、やはり壊れている。

 リストバンドもないかと探してみたが、それらしいものは見つからなかった。それさえあれば、この部屋の主の市民ランクぐらいは解ったのだが。若干落胆しつつも机の引き出しを開けてみると、ピンクの背表紙の冊子が出てきた。

「なあに、それ」

 フロージアが興味を示したので、焦土は中身を確かめてからフロージアに投げ渡した。

「紙のアルバムだ。電子媒体のデータじゃなくて物理的に写真を保存しておきたい、っていう文化は根強く残っていたようだな」

「同じ服を着た子の写真ばかりだわ」

「ああ、そりゃあれだ。クラスメイトの友達との記念写真だな。といっても、部屋の主が誰か解らないから、どれが部屋の主なのかは判別が付けられないが」

「ふーん……」

 フロージアはアルバムをまじまじと眺めていたが、焦土の提げているバッグに突っ込んできた。

「そんなもん、持って帰ってどうすんだよ」

 焦土が辟易すると、フロージアは尻尾を振る。

「紙は貴重品なのよ」

「そうかもしれんが」

 フロージアの真意を測りかねつつも、焦土は次の通路に移動するべく、個室の壁を焼き切って穴を開けた。すると、細い通路の向こう側には同じ構造の個室があり、更にその先にもあり、とずらりと個室の列が連なっていた。横列で二十もあり、縦列はどう見積もっても百を越えている。

「にじゅうかけるひゃく」

 焦土が呟くと、フロージアが答えた。

「二千戸も部屋があるのね」

「えーと、そうだな。段々思い出してきた。で、これは船尾部分だから三等船室のブロックだ。こっちは左舷後方だから、右舷後方にもまた二千戸の部屋がある。んで、二等船室はちょっと部屋が広めだけど数は同じだから、更に四千戸。一等船室は五百戸前後。上層階にある特一等船室は百戸、だったかな」

 焦土が指折り数えると、フロージアがまたも答えた、

「六千六百戸の部屋があるのね」

「個室に住んでいたのは一人だけじゃないだろうから、実際にはその倍以上がいただろうな。でも、これでもまだ少ない方だ。万単位の人間を載せていった移民船もあったから」

「考えただけで息苦しそうだわ」

「俺もそう思う」

「狭い船に押し込められて暗い宇宙で生き延びるのか、誰もいなくなった星の上で死ぬのか。それって究極の選択ね」

「フロージアはどっちを選ぶ?」

「そうねぇ。その時に考えるわ」

 フロージアはようやく焦土と目を合わせ、笑みを見せた。嫌われていないのだ、と焦土は訳もなく安堵したが、そう思った自分に動揺してしまう。フロージアの記憶を見てしまったからといって、彼女の感情に流されすぎだ。なんだかんだで世話になっているし、無下には出来ないのだが、しかし。

 今度は、焦土が目を合わせづらくなった。



 居住区、店舗、娯楽施設、医療施設。

 人々が快適に暮らすために作られた設備を横目に、二人は進み続けた。手当たり次第にドアを破っては中に入り、目当てのものがないかと探ってみる。だが、エーテルに反応する電子機器はなかなか出てこなかった。フロージアは機械を見つけるたびにほんのりと凍らせるのだが、焦土はうっかり燃やしてしまうことが何度もあった。まだまだ力加減を覚えられていないからだ。

 人々の成れの果ては、そこかしこに散らばっていた。船体は無事でも中身はそうでもなかったらしく、墜落の衝撃で壁や天井に激突して死んだ者達の骨が転がっていた。初めて目にした時はぎょっとしたが、何度も目にすると慣れてしまう。フロージアも似たようなもので、一瞥するだけだった。

 散々動き回った上に力を使いすぎて疲れたので、ひとまず食事を摂ることにした。腰掛けるのに丁度良さそうなものは、既に見つけてある。それは、真横になったプールの飛び込み台だった。

 冷めきったナンと金属製のジャーに入れたスープを炎で軽く暖めてから、焦土はそれを口にした。フロージアがちょっと羨ましそうにしたので、彼女の食事である生肉もさっと炙ってやった。

「俺は便利な男だよ」

「ええ、全くだわ」

 フロージアはにこにこしながら、焦げ目が付いた肉を丸呑みした。

「これも作ってみたんだが、喰うか?」

 焦土は自分の食事を終えてから、パンケーキを差し出した。もちろん、これも冷え切って固まっているので、弱火で温めてやるとふっくらとした弾力が戻ってきた。

「これ、知っているわ。パンケーキよね?」

「なんだ、喰ったことあるのか」

「一度だけ」

 フロージアは湯気の昇るパンケーキを受け取ると、齧り付いた。丸呑みにはせず、歯のない口で噛み締めている。

「材料は、グライダーから奪った小麦粉と獣の脂身から取った油脂と水と砂糖だ。それをよく混ぜて、油を引いた鍋に生地を流して、気泡が出てくるまで弱火でじっくり焼いて、また裏返してじっくり焼くと出来上がる」

 焦土もパンケーキを齧り、その甘さに感じ入る。獣の油脂はコクが強いがクセも強いが、脂が使えるだけマシだ。卵を入れるレシピもあるのだが、そこまで贅沢は言えまい。

「味が解ればいいのに、なんて思ったのは初めてだわ。良い香りがするから、尚更よ」

「甘いだけじゃ物足りないのか」

「だって、あなたが作ってくれたのだもの」

 フロージアは三つ編みの毛先をいじりながら、恥じらいつつ呟いたので、焦土は声にならない声が漏れそうになった。ああ、ダメだ。このままじゃ、俺はトカゲの魔女に絆されてしまう。それだけはダメだ、人間としてはアウトだ。

 せめてフロージアから意識を逸らそう、と焦土は空っぽのプールを見下ろしたが、不意に頭の芯がぢりっと熱した。力を使う直前のような、濃いエーテルを炎に変えてしまう瞬間のような、あの感覚だ。フロージアもそれを感じ取ったのか、表情が変わっていた。

「もしかして、あれか?」

 焦土は身を乗り出し、空っぽのプールの更に奥、数十メートルも下の物体を凝視する。半透明の卵のような形状で、中には機械と座席が付いている。それが十数基も並んでいる。確か、量子コンピューターを用いた電脳空間に意識をダイブさせて遊ぶゲーム機だ。その名は────。

NOAH(ノア)だ!」

 焦土が声を弾ませると、フロージアはきょとんとする。

「あれ、そんなにいいものなの?」

「いいも何も、一度もプレイしたことなかったんだよ、あれ。俺の住んでいた居住区には筐体が配置されなかったし、家庭用のソフトも機器も高いし、おまけにNOAHの運営会社は移民船団ごと宇宙に出ちゃったからサービスが終了しちゃうしで、遊びたくても遊べずじまいだったんだ。あー、こんなところでそんなものに出会ってしまうとは……」

「あの卵に入ると、いいことがあるの?」

「説明するのが難しいが、要するに凄く良い夢を見ることが出来る。んで、その夢の中で遊ぶことができる」

「ぴんと来なくってよ」

「だろうな。だが、NOAHの筐体は運び出せないな。勿体ないけど。オリハルコンの材料は基盤に入っているだろうから、壊す必要があるな。勿体ないけど」

 焦土は弁当を片付けてバッグに戻してから、身を躍らせる。足の裏から炎を噴出して落下速度を調節していると、フロージアもまた氷の滑り台を作りながら降りてきた。器用なことをする。

 程なくしてNOAHの元に辿り着き、基盤を取り出すべく、焦土は卵型の筐体を調べ始めた。フロージアは不思議そうに眺めていたが、尻尾の先を忙しなく動かした。

「どうした?」

「ニンゲンがいるの。焦土はそこで仕事をしていて。私も仕事をしてくるわ」

 フロージアはそう言い残すと、素早く飛び去っていった。氷の足場を作って身軽に飛び跳ね、あっという間にプールから出ていった。焦土は彼女を追うべきか否かを迷ったが、オリハルコンの材料に専念した。人間と鉢合わせしたら、生き残りの人間と出会ってしまったら、自分の気持ちがぐらつかない自信がない。フロージアを裏切りたくない、という思いと、自分以外の人間に会いたいという欲求が渦巻いていたが、ぐっと堪えて基盤を取り出した。

 遠いところで、氷が砕ける音がした。



 侵入した穴に戻ると、彼女は先に戻っていた。

 蒸気釜の付いた杖に縋るように抱き締めていて、穴の側面に腰掛けていた。焦土は十数基のNOAHの筐体から取り出した基盤をバッグに詰め込んでいたので、入る時よりも慎重に飛んだ。

「あら、終わったのね」

 フロージアは少し乱れた羽毛を整えたが、声色は弱かった。

「倒したのか、人間を」

「ええ、ニンゲンをね」

 フロージアは淡い夜を迎えつつある雪原を望み、尻尾を垂らす。

「帰りましょう。男爵が待っているわ」

 フロージアは氷の階段を作り、一歩一歩踏み締めながら降り始めた。焦土はその後ろ姿を見、得も言われぬ気持が込み上がってきた。魔女殺しだけなら、まだ容認出来る。それは魔女の世界の話だからだ。だが、彼女が人間まで殺しているとなると、話は違う。けれど、フロージアに感じている好意のようなものを切り捨てたくない。そんなことをすれば、心の芯が冷えてしまう。

 少しばかり逡巡した後、焦土はフロージアの作った階段を下りていった。気を抜けば滑ってしまいかねないので、一歩ずつ、しっかりと踏み締めていく。

 前に進み続けるために。

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