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淡き黄昏

 あれ以来、フロージアは不機嫌だった。

 自分の所有物だと言い張っている焦土が呆気なく攫われたのが、余程面白くなかったらしい。魔女としてのプライドが高いのか、単純に子供じみた意地によるものなのか。いずれにせよ、フロージアはリビングでだらだらする時間を減らし、アイオロス号の外で氷をひたすらぶん投げていた。憂さ晴らしをしているのだ。

 巻き添えを食いたくないので、焦土はなるべく大人しくしていた。あの戦闘の後、“剛腕子爵”シリウスと“霧の魔女”ミスティは、自身の雪上蒸気船と共に姿を消したので、上手く逃げおおせたのだろう。フロージアは追撃しようとしたが、スティーブンソンに窘められて引き留められ、アイオロス号も迅速にその場を離れた。恐らく、それもフロージアにとっては面白くなかったのだろう。

「とどのつまり、俺は赤道国家と敵対する形になっているわけか」

 リビングにて、焦土はスティーブンソンと対峙していた。蒸気男爵はいつものように蒸気式計算機を器用に操っていたが、その手を止めて焦土に赤い瞳を向けた。そういえば、シリウスの瞳の色も同じ色だった。

「それについては申し訳ないとは思うがね」

「全くだよ。どいつもこいつも、俺の意思とは無関係に物事を進めていきやがる。大体、俺はなんでこの俺になっちまったのかも解らないんだ。一万年前の俺は、C級市民の高校二年生に過ぎなかったんだ。……でも、昔の俺と今の俺は別物だ。それは確実だ」

 焦土は義手を見つめると、スティーブンソンは蒸気を零す。

「精神と肉体が別物、ってのは俺に限った話じゃないのか? 霧の魔女がそう言っていたんだが……」

「うむ、うむうむ。その現象については、我が輩も研究していたのだ」

「本当か?」

「大公からの頼みであったから、無下には出来なかったのだ。もっとも、我が輩としては旧世界の書籍を解読して宇宙ロケットの研究にだけ没頭していたかったのだが、その当時は貴族の座に付いていたものだから、無下には出来なかったのだ」

「蒸気男爵ってのは、ただの通称じゃなかったのか」

「我が輩的には、通称だと思っているがね。一千年ばかりの歴史はあれども、赤道国家は国と呼ぶには足りないものが多すぎるのでね。だから、その名に重みを感じたことはないのだ。蒸気卿、スティーブンソン卿とは呼ばないでくれたまえよ」

「安心しろ、俺はあんたに親しみは覚えても敬意を抱いたことはない。今のところは」

「それは誉め言葉として受け取っておこうではないか。さて、本題の続きだが、旧世界の記憶と思しきものを持って生まれる個体は焦土が初めてではない。というか、赤道国家を立ち上げたのは、その旧世界の記憶を持った者なのだ。────その名もゴフェル大公」

「一千年も生きているのか?」

 焦土が目を剥くと、スティーブンソンはぎちぎちと肩を揺する。

「なあに、我が輩もざっと五百年は稼働しているとも。かつての人類や生物は脆弱であったが、我らは過酷な環境に耐えるためにエーテルを活用しておるから、そう簡単には老いぬのだ。ああ、フロージアは見た目通りの幼い娘であるがね。確か、今年で十五歳になるのであったかな」

「道理で、フロージアは言動が子供っぽいと思ったよ」

「んで、そのゴフェル大公が言うにはだな、旧世界の人類が滅びたのは必然であって悲劇ではなく、文明と科学に驕った者達が星の営みに織り込まれたに過ぎない、と。それについては我が輩も似たような考えを抱いているが、文明と科学が傲慢を招くとは、砂鉄の一粒たりとて思ったことはないよ。ああ、そこからして我が輩とゴフェル大公は気が合わんのだ。思い出すと蒸気圧が上がってきた。ああ、うん、話を戻そう。んでもって、ゴフェル大公は記憶を引き継いだからには地球の歴史をやり直すことが出来る、高度な文明でありながらも穏やかな世界を築こう、と言って赤道国家アラトトを作ったわけなのだが……」

 スティーブンソンはぶしゅうと蒸気を吐き、顔を横に振る。

「歴史は繰り返すとよく言ったものだよ。御多分に漏れず、ゴフェル大公は徐々に権力に酔いしれていき、魔女を掻き集めるようになった。有象無象の者達を束ね、国土を広げるためであったのだが、それがよろしくなかった。────ニンゲンが現れたのだ」

 人間。その言葉に、焦土は心臓を握り潰される思いがした。

「我が輩が考えるに、魔女達が各所に散らばってエーテルを適度に消費していたから、ニンゲンは大人しくしていたのだろうね。あれはエーテルが濃ければ濃いほど反応する、ということが判明しているのでな。氷の下で静かに過ごしていたのだが、魔女達が赤道国家に集められると、それに惹かれて氷上に現れるようになってしまったのだ。その結果、赤道国家はニンゲンとの戦いが避けられなくなり、我が輩達と魔女達は戦い続ける羽目になった。そこで魔女を手放せばいいものを、ゴフェル大公は頑として譲らなかったのでなぁ……。んで、我が輩はその辺のことでゴフェル大公に意見したのだが、聞き入れてはもらえなかった。それで追放処分を喰らったわけだが、解体されなかった辺り、腹積もりがあると見える」

「なるほどなぁ。で、フロージアが主戦力の魔女達を殺したのはなんでだ?」

「それは我が輩にもなんとも。心臓が魔女の大好物なのは確かであるがね」

「ただの気まぐれにしては、えげつないな」

 焦土は頬杖を突き、窓の外を見やった。件の魔女が、まだ暴れていた。氷を生み出しては降らせ、雪を膨らませて氷塊を作り、作った傍から壊している。その度に震動が起き、アイオロス号ががたがたと軋んだ。

「して、君が出した答えだが」

「なんだよ、悪いかよ」

 焦土が気恥ずかしさを紛らわすために髪を乱すと、スティーブンソンは単眼にレンズを填めて焦土を凝視する。

「いやいや、我が輩からすれば眩しくて仕方ない。根拠に欠ける行動理念、本能に身を委ねた無謀さ、視野の狭さ。いずれにしても、我が輩が年月を重ねると共に失ってきたものだとも」

「それは一切褒めてねぇだろ」

「そうでもないのだぞ?」

 スティーブンソンはにやついていたが、一際大きな氷塊が降ってきた。さすがに進行方向には落とされなかったが、船体の端を掠めていった。フロージアの憂さ晴らしがエスカレートすれば、どうなることやら。焦土は腰を上げ、リビングを後にした。

 ひとまず、御機嫌取りをしなくては。



 デッキよりも更に上、艦橋の屋根に魔女は立っていた。

 焦土は苦労しながら環境まで昇るが、フロージアは杖を手にして背筋と尻尾を伸ばし、気の強い面差しで雪原を睨んでいた。日も暮れかけてきたので、広大な雪原は茜色の西日に染められていた。光と影が加わると、平坦に見える雪原も障害だらけだと解る。起伏もあればクレバスもあり、クレーターもある。だから、アイオロス号も真っ直ぐ走っているわけではない。スティーブンソンが前方の障害物を感知し、事前に回避しているおかげだ。

「暴れるだけ暴れて、気が済んだか」

 焦土が声を掛けると、フロージアはむっつりとしながらも杖を下ろした。がん、と杖で屋根を叩くと、びっしりと付いていた霜が剥がれ落ちていく。

「文句でもあるの?」

 フロージアが焦土を見やったので、焦土は肩を竦める。

「アイオロス号が壊されたら、お前だって困るじゃないか」

「大丈夫よ。加減しているもの」

「風船女に負けたことがそんなに悔しかったのか?」

「……それもあるけど」

 フロージアは腰を下ろし、屋根に座る。髪に似た羽毛が強い風に巻き上げられたので、四本指の手で押さえる。

「ねえ、昔の話を聞かせて?」

「なんだ、いきなり」

「私、旧世界のお話は好きなの。同じ星の上で起きたことなのに、別の世界みたいでわくわくするのよ」

「もしかして、旧世界の文化が好きな奴ってのは自分のことだったのか?」

「あら、いけない?」

 フロージアは上体を逸らし、焦土を見上げてくる。

「俺が話せることなんて、大したことないぞ」

「それでもいいのよ。旧世界の本は字はまばらにしか読めないし、あの小さな機械の中身を見ることも出来ないから、あなたの口から話を聞くのが一番解りやすくってよ」

「なんだ、読めなかったのか」

「失礼ねぇ。これでも学はあるのよ。それでも読めないから、せめて読んだ気分になりたいから本を広げていたのよ」

「可愛いことをするもんだな」

「……笑うなら笑えばよくってよ。許可してやらなくもないわ」

「馬鹿になんてしてねぇよ」

「とにかく、お話を聞かせてちょうだい?」

 フロージアに詰め寄られ、焦土は彼女の隣に腰掛けた。猛烈な風が襲い掛かってきたので、吹き飛ばされないように屋根の端を掴む。

「せめて中に入らないか?」

「嫌よ。船の中だと、スティーブンソンに全部聞かれてしまうもの。全てのパイプが伝声管みたいなものだから。これまでは私とスティーブンソンだけだったから、気にならなかったけど、焦土がいるとそうもいかなくってよ」

「考えてみればそうだな。あいつはアイオロス号が本体だもんな」

「だから、ここでよくってよ」

 フロージアは瞬膜を瞬かせ、赤い目で焦土を見上げてきた。尻尾の先は軽く左右に揺れていたが、動きは穏やかだったので、すっかり機嫌が直ったらしい。安堵する一方で、こんな子供に国を守らせていたのか、と赤道国家とその支配者に対して苛立ちを覚えた。そう思ったからか、焦土はフロージアの頭に左手を乗せていた。

「ちょっとぉ」

 フロージアは首を竦めたので、焦土は我に返る。

「すまん、思わず」

「それ、どういう意味があるの? いきなり急所に触るなんて、余程のことだわ。まあ、気が抜けていたのは事実だけど」

「ええと……そうだな。確かに余程のことだ。至近距離に近付けるほど親しい相手じゃないと、しないことだ。ごめん」

「よく解らないけど、首には触らないでくれる?」

「ああ、うん。気を付ける」

 焦土が平謝りすると、フロージアは少し乱れた羽毛を整えた。それから、思い出せるだけ、昔の話をした。積層都市の中での鬱屈とした日々、一人きりで過ごす部屋の寒々しさ、味気ない食事、日に日に減っていく住民、過酷な労働。そんな中で、唯一気を紛らわせるのが高校での授業だった。

 そして、氷川銀花のことを話した。放課後に寄り道をする約束をしたが、それを果たせずに終わってしまったことも。あの後の記憶はないが、火野翔斗は呆気なく死んだのだろう。都市の構造物の落下か、路面の崩落か、何かの事故に巻き込まれたに違いない。一万年も前の出来事なのだから、生きているわけがない。他愛もない出来事だが、だからこそ心残りになっている。そんなことを話していると、焦土は目尻に熱いものが滲んだが、一瞬で蒸発した。

「日が暮れそうで暮れないな。前はそんなことはなかったのに」

 いつまでたっても沈まない太陽に、焦土は訝った。フロージアは焦土の横顔をちらりと窺ってから、太陽を眺める。

「極夜って言うんですって。スティーブンソンが言うには、地軸がおかしくなったせいで、緯度が変わったのが原因だそうよ。あなたと出会ってから、私達は随分と長い距離を移動してきたのよ」

「景色が変わらないせいか、俺には長距離を移動したっていう実感はないな」

「そのうち慣れるわ」

 フロージアの声色がいつになく優しく、焦土は腹の底がむず痒くなる。ああ、解らなくなる。人間とは懸け離れた容姿なのに、同胞であるはずの魔女を殺して心臓を喰う有様を見ていたのに、大量の氷を操る能力の恐ろしさを身をもって知っているはずなのに、フロージアに対する畏怖が薄らいでいく。

 それはきっと、昼と夜の境界が曖昧だからだろう。白夜とはいかないまでも、太陽は沈み切らずに藍色の空を淡くしている。言うならば、永遠の午後だ。過去の自分と現在の自分は別物だと解っていても、隣り合ううちに馴染んでいく。それを恐れずに受け入れろ、とどちらの自分も言う。焦土は鋼鉄の右手を掲げ、天を仰いだ。

 薄い夜空には、僅かばかりの星が散っていた。

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