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白熊嵐

 なんだかんだで、焦土の義手が完成した。

 スティーブンソンは何事も入れ込む性分らしく、義手を組み立てていく過程で改造したくなってしまったため、当初の予定よりも数日遅れて出来上がった。時間を掛けた分、義手の仕上がりは良くなっていたので、この場合は良しとすべきである。金属製のブーツはサイズが丁度良かったので、これからは裸足で歩かずに済む。

 右腕の肩の骨に穴を開けられて突っ込まれたボルトと土台に義手を付けられ、重たい異物に意識を向けてエーテルを流し込むと、徐々に右腕の感覚が戻ってきた。といっても、生身の腕のような皮膚感覚はないが、自由に動かせるだけでも御の字だ。

「んー……」

 ぎちぎちと右手を開閉させ、手首を回し、肘を動かし、右肩を上げて動かしてみたが、骨の穴に突っ込まれたボルトがごりっと擦れてしまった。

「うぐっ!」

 これは痛かった。焦土が呻くと、スティーブンソンは焦土の義手を掴み、動きを確かめてきた。

「エーテルアキュムレーターの試運転もしてみなくては」

「このシリンダーを蒸気圧で打ち出すっていう、あれか?」

 焦土は右上腕に付いた金属製の筒を見、臆する。弁がきつく締めてあるので、うっかりシリンダーを作動させてしまう危険性はないものの、あの手術の後は一度もその弁を開いていない。つまり、エーテルと焦土の熱が溜まりに溜まった状態なのだ。

「一度はガス抜きするべきだったかもしれない」

「いやいや、上限まで溜め込んでみるべきだとも。その方が我が輩の設計の完璧さを知ることが出来るし、何よりも豪快で楽しい!」

「右肩の傷が治り切っていないのに無茶をしたら、アバラと背骨がイカレそうで怖いんだよ」

「その時はまたオリハルコン製のボルトを入れてやるとも」

「その手術が嫌だと言っているんだよ、解れよ。というか、そのオリハルコンってのは、あのオリハルコンなのか?」

 焦土が蒸気男爵を一瞥すると、リビングの隅で本を読んでいたフロージアがきょとんとした。

「オリハルコンはオリハルコンでしょ? 他に何があって?」

「いや、俺が言いたいのはな……」

 焦土は左手で髪を乱し、言葉を探る。かつての自分が知るオリハルコンと言えば、空想世界の産物だ。オリハルコンとはファンタジーものの漫画やゲームに出てくるアイテムで、特に強力な武器の材料となる架空の金属だった。そういった創作物に没頭することで現実の過酷さを忘れることが出来たから、ということもあり、よく覚えている。あれは、この世には存在しない。

「ふむ、そうだな……。我が輩達が知るオリハルコンというのは、旧世界の積層都市から発掘された金属をエーテルで加工し、エーテルに感応するように性質を変えた金属のことなのだ。その加工技術を生み出したのは赤道国家の科学者であり、オリハルコンという名を付けたのもその科学者なのだが、便宜上の名であるぞ」

 スティーブンソンが説明してくれたので、焦土は徐々に理解した。

「ああ、なるほど。エーテルは精神に反応するからか。ということは、その科学者は昔の創作物の文化に明るいのか? それとも、この時代にも俺が生きていた頃と同じような創作物があるのか?」

「赤道国家の住人の中には、旧世界の文化を好む者もいるのよ」

 ソファーにうつ伏せに寝そべっていたフロージアは、スカートの裾からはみ出した尻尾の先をぱたぱたと振っていた。

「国ねぇ……」

 焦土は赤道国家の有様を思い描こうとしたが、情報が足りないせいで、はっきりとした形にならなかった。

「というか、焦土の時代には国はあったの?」

 フロージアはごろりと寝転がる。

「あったような、なかったような」

「何よ、いい加減ねぇ」

「環境の激変の影響で世界規模で人口が減りに減ったから、国という括りに囚われている場合じゃない、人種の壁は取っ払ってしまおう、っていうことで国連主導で地球統一政府が作られたんだ。んで、生き残った人間をひとまとめにして管理しよう、ってことで、世界各地の地下に積層都市が建設されたんだ。俺はその積層都市で生まれた世代で、結果として最後の世代になっちまった。国の括りはなくなったんだが、民族同士や文化や宗教はそこかしこに残っていたから、まあ……色々とギスギスしていたよ」

「魔女は? 魔女はいたの?」

 フロージアが身を乗り出してきたので、焦土は苦笑する。

「いや、いないな。過酷な環境に適応出来るように人間の遺伝子をいじくろう、っていう計画はあったらしいが、それが成功したかどうかは知らない。それに、成功していたとしても、魔女になったかどうかも解らねぇよ。せいぜい、寒さに異常に強い人間になった程度じゃないかな」

「なあんだ、つまんない」

 フロージアは首を竦め、尻尾を丸めてしまう。

「国っていうからには、指導者がいるんだろ? それは王族なのか、それとも元首がいるのか?」

 焦土の問いに、スティーブンソンは工具を片付けながら答えた。

「元首であるな。王族ではないぞ」

「だったら、立法府があるってことか。議員もいるんだな」

「形の上ではあるがね。まあ、ないよりはマシというか」

「んで、魔女達を束ねていたのは軍隊か?」

「赤道国家には軍隊も組織されてはいたが、魔女の管轄は別であるぞ。だが、そこの魔女が狼藉を働いたせいで、しっちゃかめっちゃかになってしまってな」

「で、アラトトはアララトの誤植なのか? アララトはノアの方舟がある山の名前だが、アラトトは聞いたことがない」

「それはあれである、旧世界の言語を読み解き切れなかったせいなのだ。今の我が輩達が使う言葉と、昔の焦土が使っていた言葉は似て非なるものであるからな」

「昔の地球とは、空気の酸素濃度からして違うもんなぁ。言葉なんて特に変わりやすいものだから、変わらない方が変だよなぁ」

 焦土は右手の指をぱちんと弾き、エーテルを僅かに燃やして火の粉を散らした。いつかのフロージアの真似である。

「いちいち細かいことを気にするのねぇ」

 フロージアは二人の会話の内容には興味がないらしく、眠たげに瞬膜を開閉させていた。が、不意に視線を上げた。スティーブンソンも工具箱を閉じ、口を噤んだ。

「どうした?」

 焦土が訝ると、フロージアはソファーから身を起こし、スカートの裾を整えた。

「エーテルの流れが変わったわ。……何かいるのよ」

 もっと具体的に説明してほしかったが、焦土が問い質す前にフロージアはリビングを後にした。

「我が輩もエーテル反射式レーダーである程度は検知しているが、魔女には敵わんのだなぁ。うむうむ」

 さて我が輩も、とスティーブンソンもまたリビングを出ていった。焦土はその場に取り残されてしまったが、ぼんやりしているだけなのは癪なので、フロージアの後を追うことにした。

 目を凝らすと、フロージアの名残である冷えたエーテルの筋が見える。時間を置くと消えてしまうので、それを辿っていく。アイオロス号は構造が複雑なので、迷子になる危険性がある。それに、エーテルの出力を調整し、感度を加減することも覚えられる。

 何事も練習は大事だ。



 行き着いた先はデッキだった。

 フロージアは蒸気釜の付いた杖を握り、いつになく神妙な顔をして広大な雪原を見つめていた。焦土もそれに倣い、目を凝らす。エーテルの流れをはっきりと目視することは出来ないが。絶え間なく吹き付けてくる寒風の中に、風とは異なる力場が混じっているのは解る。皮膚を撫でる感触が明らかに違っているし、焦土に触れた途端に熱が発生するからだ。だが、それが普段とどう違うのかまでは解らなかったので、フロージアに尋ねた。

「エーテルの流れが変わったって、どういうことだ?」

「急に量が減ったのよ。だから、ほら」

 フロージアがこつんとデッキを小突くと、急にアイオロス号の速度が落ち始めた。船体の後方に据え付けられている推進用の蒸気噴出口から吐き出されていた蒸気も、明らかに弱っている。

「ああ、酸素量が減るとガソリンエンジンの出力が下がるのと似たような原理か」

 焦土は理解したが、徐々に困惑する。

「それって明らかに拙くないか?」

「拙いわよ。こういう時、船のアキュムレーターにエーテルを蓄積しておいて噴出して進んで、エーテルの濃度が濃い場所まで移動するんだけど、それも難しそうだし。最近、どこかの誰かさんがエーテルを無駄に消費したもんだから、溜めておけなかったのよ」

「悪かったな! というか、そういう事情があるなら説明しておけよ!」

 焦土がむっとすると、フロージアは尻尾を揺らす。

「てっきり、男爵が説明してくれていると思ったんだけど。まあいいわ、次からは気を付けてちょうだい。問題は、どこの誰がエーテルを奪っているのか、ということよ」

「それが解るのか?」

「ええ、もちろん。でも、この感じからすると……」

 フロージアの声色が沈み、不安が垣間見えた。過剰なまでに自信に満ち溢れている、氷の魔女らしからぬ態度だった。ということは、余程のことなのだと焦土は今更ながら危機感を覚えた。

 不意に、風の流れが変わった。雪煙よりも粒子が細かく、蒸気よりも冷ややかな霧が立ち込めてきた。だが、発生源は焦土ではない。だったらどういうことだ、と焦土が身構えるよりも早く、フロージアが声を張り上げた。

「焦土、いけないわ! 思い切り炎を出して!」

 その言葉が焦土の耳に届いた時には、既に手遅れだった。霧が焦土の体にしっかりと組み付き、動きを封じてきた。そればかりか、持ち上げてしまったのだ。つまり、この霧はエーテルの産物であり、恐らくは魔女の力だろう。

 焦土は懸命にもがいたが、霧の拘束は緩まなかった。そればかりか、恐るべき怪力で焦土の肉体を軋むほど締め付けてくる。フロージアが氷の槍を飛ばして霧を弾き飛ばそうとしたが、穴が開いてもすぐに塞がってしまい、意味を成さなかった。声を出そうとしても、喉をきつく締め付けられている。目眩がするほど濃いエーテルに襲われながら、焦土は上空へと運ばれた。

 アイオロス号を見下ろしたのは、これが初めてだった。



 いつのまにか、気を失っていたらしい。

 焦土はずきずきと痛む頭を持て余しながら、眼球に貼り付いた瞼をこじ開ける。背中には硬い床が触れていて、鉄臭い匂いが鼻を突く。ごうんごうんごうん、と今となっては馴染み深ささえある蒸気機関による駆動音が体に伝わり、真新しい義手を震わせていた。息を吸い、吐き出すと、熱い呼気が喉から零れる。霧に締め付けられた部分は痛むが、それ以外はなんともないようだ。但し、両手足は鎖で縛られているので身動きが取れない。

「あ、起きたぁー?」

 すると、視界にガスマスクが飛び込んできた。

「うおあっ!?」

 焦土がぎょっとすると、ガスマスクを被った人物は小首を傾げる。

「んふふー、そんなに驚かなくてもいいよぉー」

「それは無理な相談だろ」

 焦土は臆しながらも、ガスマスクの主を眺めた。小柄な女性で、全身を黒のラバースーツでぴっちりと包み込んでいる。その上に着込んでいるのは、修道女の衣装だった。濃いグレーのベールと、それと同じ色のワンピースを着ている。肌も髪も一切露出していないのが奇妙で、焦土は彼女を凝視してしまう。

「いやん、えっちぃー!」

 ラバースーツの女は手袋を填めた手で焦土を引っぱたいたが、その感触がいやにふわふわしていた。まるで風船にぶつかったような、頼りない手応えだった。

「エーテル中毒にさせたつもりだったが、見立てが甘かったか」

 すると、別の声が降ってきた。焦土が目を動かすと、白い外套に白い軍帽を被った巨漢が立っていた。その顔は白い体毛に覆われ、赤い目が彫りの深い目元に埋まっていて、軍帽の下には小さく丸い耳が生えていた。首は長く、両手足は太くて短く、両手には皮膚の硬い肉球と鋭い爪が備わっていた。その姿は、紛れもなく。

「クマ!?」

 焦土が再度驚くと、二足歩行するホッキョクグマは目元を歪める。

「意識も明瞭だな。いくらなんでも回復が早すぎる。ミスティ、手を抜いたか?」

「シリウスぅー、ミスティはちゃんとお仕事をしたよぉー? アイオロス号を止めるぐらいエーテルを吸収してぇー、それをこの子にぶち込んでやったんだからぁ」

 ガスマスクの女が拗ねると、ホッキョクグマは顎をさする。

「そうだな、お前はよくやってくれた。恐らく、これがエーテル中毒を防いでいたのだろう」

 ホッキョクグマの爪が、焦土の上腕のエーテルアキュムレーターを小突いた。そういえば、中の圧力が上がっているようで、心なしか右腕が重たかった。

「蒸気男爵の仕業かなー?」

 ラバースーツの女も焦土の右腕を覗き込んできたので、焦土は腰を引く。

「あんた達はスティーブンソンを知っているのか?」

「というか、お前は我らを知らないのか。その方が意外だが」

 ホッキョクグマが片耳を曲げたので、焦土は言い返す。

「生憎だが、俺はついこの前目覚めたばかりなんだ。右腕を切り落とされた状態で雪原に全裸で立っていて、そこにフロージアがやってきたんだ。だから、俺はそれよりも前のことは知らない。一万年前であれば、話は別だが」

「初期化されちゃった感じー?」

 ラバースーツの女がホッキョクグマを見上げると、ホッキョクグマは腕を組む。厚手の上着を着込んでいて、その腕は筋肉でぱんぱんに張り詰めていた。この腕で殴られたら、ひとたまりもない。

「かもしれんな。だとすると、事態は思っていたよりも厄介かもしれんぞ。この個体は、蒸気男爵と氷の魔女の思い付きで奪われたものだとばかり考えていたが、そうではないかもしれん」

「えぇー? フロージアに限って、そんなことはないでしょー?」

「フロージアは何も考えていないかもしれんが、蒸気男爵はそうではないさ。例の反乱を起こしたのも、蒸気男爵がいたからこそだ」

「えぇー? そうなのぉー?」

「まあ、これは私の推論に過ぎんから、断定は出来ないが」

 などとホッキョクグマはもっともらしく話していたが、おもむろに焦土の襟首を掴み、ずるずると引き摺っていった。当然ながら床が擦れ、痛かったが、首が締まっているせいで反論も出来なかった。意識が集中出来ないせいで、エーテルを適当に発火させてホッキョクグマの手を振り解くことも出来そうにない。これでは、逃げることもままならない。

 ホッキョクグマに喰われてしまうんだろうか。



 ホッキョクグマは、“剛腕子爵”ウルサス・シリウスと名乗った。

 そして、ラバースーツの女は“霧の魔女”ミスティだと名乗った。二人は焦土の肉体を一通り調べた後、リビングにて水と食事を振る舞ってくれた。その際に自己紹介を受けたので、焦土は躊躇いながらも名乗り返した。

「俺は焦土だ」

「焼却騎士ではなく?」

 シリウスに訝られ、焦土は声を裏返す。

「なんだよ、その中二病臭い名前は」

「いや……その、赤道大公から君に与えられるはずだった爵位はそれだったんだが」

「初めて聞いたぞ」

 焦土は水を少し舐めるだけに留めた。変なものでも混ぜられていたら、後が面倒だからだ。

「ていうかさー、やっぱり無謀だったんじゃないのー? フロージアが暴れたせいでニンゲン退治の戦闘部隊が戦力不足になったからってー、適当に誘拐してきて戦力にするっていうのはさぁー。アイディアは良かったけどぉー、結果はこれだしぃー」

 ミスティはシリウスの肩にぽよんと腰掛けると、尻が弾む。彼女は肉体が霧の粒子で出来ているため、重量がほとんどないのだそうだ。それなのに、普通に会話が出来ているのが不思議でたまらないのだが、それはきっとエーテルのおかげだろう。と、焦土は自己完結した。

「いや、そうじゃなくて! 人間退治ってなんなんだ!?」

 焦土が声を裏返すと、シリウスは平坦に述べた。

「言葉の通りだ。奴らは赤道国家を脅かす存在であるが故、我らと魔女がニンゲンを討伐して防衛している」

「でもねー、それねぇー、全然終わらないのー。赤道国家が出来てからは一千年は過ぎているんだけどー、ずうーっと戦っているのにちっとも減らないのぉー。ねー、飽きるでしょー? フロージアの気持ちぃ、ミスティにもちょーっと解るなぁー」

 ミスティがうんうんと頷いたので、シリウスが辟易する。

「お前まで裏切るというのか」

「そうじゃないってー。思うってだけぇー」

 ミスティはくすくす笑う。

「まあ、そうだな。お前は特にエーテルの消費量が多いから、赤道国家を離れては生きられんからな……。とにかく、捕虜にしたからには連行させてもらうぞ」

 シリウスに凄まれ、焦土は臆しつつも問うた。

「ああ、そうかい。ところで、俺の腕を切り落としたのは誰だ?」

「私も件の輸送部隊に加わっていたのだが、お前は輸送車両に搬入されてきた段階で、既に腕を欠損していたようだったが」

「はい?」

 焦土が面食らうと、シリウスは片耳を曲げる。

「右腕は赤道国家に輸送されたとは聞いたがね。だが、本当に何も覚えておらんのか?」

「ていうかさぁー、この子、中身が別物なんじゃないのー? エーテル中毒で記憶の混濁を起こすことはあるけどぉー、それ以前の問題っぽいしぃー。事前の情報とは性格が全然違うんだもーん」

 ミスティはかくんと首を曲げる。骨も肉もないから、どんな方向にも関節を曲げられるのだ。

「あんた達は、俺が俺じゃなかった頃の俺を知っているのか?」

 知れるなら知るべきだ、と焦土が尋ねると、シリウスは焦土の前に手を翳した。肉球の間から体毛が生えている、分厚い手だった。話さないつもりか、と焦土は苛立ちかけたが、猛烈な衝撃が襲い掛かった。と、同時に蒸気船が傾き始めた。

「うお」

 当然ながら船内も斜めになり、焦土はずるりと滑り落ちる。めきめきばきばきごきごき、と嫌な音が船の真下から聞こえてきたが、船体の傾斜がきつくなるにつれて窓が塞がれた。みるみるうちに分厚い氷が重なっていき、船室の空気も冷え込んでいく。それが誰の仕業なのか、考えるまでもない。

「うわー、デタラメなことするぅー」

 ミスティは肩を竦めたが、シリウスに促された。

「もう追い付かれたらしい。相手をしてきたまえ」

「へいへーい」

 ミスティはするりと身を浮かばせて船室を抜け出していったが、程なくして氷が船内にも侵入し始め、ドアが硬く凍り付いた。シリウスはドアを殴りつけるも、びくともしなかった。

「参ったな」

「滅茶苦茶怒っている」

 焦土は頬を歪ませる。氷から滲む冷気には、フロージアの怒りが漲ったエーテルが含まれていた。帰らないとなぁ、帰っても怒られそうだなぁ、と焦土は懸念しつつ、手足を拘束する鎖を解くべく熱を込めた。だが、フロージアの氷にエーテルを奪われているせいで、思うように温度が上がらなかった。ぢりっ、と火花を零すのが精一杯だった。それを繰り返していると、火を起こすことに集中したせいか、頭の芯が急速に冷えてくる。

 人間の討伐とは何なんだ。人類は滅亡していたのではなかったのか。それ以前に、フロージアや目の前の連中は何なんだ。一万年も経てば生態系が変わるから、高い知能を持った恐竜人間や動物が文明を築いていてもおかしくはない、エーテルを操る力を得ても不思議ではない、というだけでは納得しきれない。あまりにも乱暴だ。 

 スティーブンソンの言っていたことが、今になって身に染みてくる。フロージアとスティーブンソンに同行してアイオロス号に乗り続けていたのは、他に頼る場所がなかったからだ。見渡す限りの白い世界で、自力で生きていける気がしなかったからだ。

 だが、フロージアは魔女だ。外見通りの幼さとナチュラルな邪悪さが混在している、グロテスクな人格の持ち主だ。スティーブンソンも、言動こそユーモラスだが中身は底知れない。善良な者が正しいとは限らないが、あの二人はどちらかと言えば悪党だ。

「でも、なぁ……」

 焦土は、その悪党の悪事に加担した。赤道国家所属のグライダーを落とし、その積み荷を奪い、食べた。だから、焦土はフロージアとスティーブンソンを非難出来る立場ではない。しかし、シリウスとミスティを信用するのも危うい。どちらを選ぶべきかを迷っている最中にも、氷が侵入して増大する。痺れるほどの冷たさが足を固め、肉と骨を戒め、命の源たる熱を奪う。

 答えは出た。



 一方、その頃。

 蒸気船の外では、フロージアが苛立ちを爆発させていた。焦土が目の前で奪われたのが、思いの外悔しかったからである。蒸気ではなく氷を推進力にして強引にアイオロス号を動かし、シリウスとミスティの乗る雪上蒸気船を見つけて襲撃を仕掛けたのだが、相手が悪かった。

「ああっ、もうー!」

 アイオロス号の屋根に立ったフロージアは、杖を振り回して氷の槍を飛ばすが、アイオロス号を包囲している濃密な霧を突き抜けていくだけだった。

「やはりなぁ。フロージアとミスティは相性が悪すぎるのだ」

 フロージアから距離を取りつつ見守っているスティーブンソンは、首を横に振る。フロージアは大量の氷で押し切るのが得意だが、対するミスティは霧と化した状態での撹乱と、エーテルを消費して相手の火力を削ることが得意だ。だから、フロージアがエーテル切れを起こすか、ミスティが逃げ続ける限りは決着は付かない。だが、フロージアはやろうと思えば雪の中からでもエーテルを採取出来るし、ミスティも似たようなものなので、蹴りが付けられない。

「なんでもいいから返しなさいよ、私の所有物!」

 フロージアが喚き散らすと、ミスティが霧で上半身を形作る。

「えぇー? 男の趣味ぃ、悪ぅーい」

「馬鹿なことを言わないでくれる?」

 フロージアは言い返すついでに氷塊を投げ飛ばすが、ミスティの上半身はふっと掻き消えた。

「それはあながち間違いでもないような、あぉうっ」

 スティーブンソンが口を挟もうとすると、別の方向から飛んできた氷塊に潰されてしまった。フロージアは尻尾で荒っぽく床を叩いてから、杖のアキュムレーターの弁に手を掛けた。

「面倒臭いわ、辺り一面を凍らせてしまえばいいのよ! そうすれば、ミスティの動きも封じられてよ!」

「ああっ、それはちょっと勘弁願いたいのだな! 我が輩の本体の蒸気釜の温度が下がってしまって、しばらく動けなくなるのだ!」

「黙らっしゃい、私を誰だとお思い!」

 フロージアは杖の弁のハンドルを掴み、力任せに開こうとしたが────雪上蒸気船から炎の柱が立った。続いて凄まじい衝撃波が駆け抜け、霧を一瞬で消し飛ばしてしまった。

「ひゃうんっ」

 中身のないラバースーツがぱたぱたと宙を舞うが、程なくして膨れ上がって女の形になり、ミスティは雪原に着地した。フロージアは弁から手を外し、炎の柱を見上げる。すると、炎の柱が途絶え、悲鳴を上げながら焦土が降ってきた。

「あれはだね、右腕の機能を初めて使ったはいいけど、威力に負けて吹っ飛ばされてしまったのだなぁ。うむうむ、格好悪いのだなぁ」

 スティーブンソンがにやついていると、フロージアは杖を構える。

「世話の焼ける男だこと!」

 炎の熱が残る中で、氷の塔を次々に立てて彼を受け止めた。エーテルが不足気味だが、そこは魔女の底力でなんとかする。一段目の塔は焦土に触れた途端に蒸発し、二段目の塔は背中に触れたが蒸発し、三段目の塔はでろりと崩れたが、落下は止まった。

「……よお」

 溶けかけた氷の塔に背中を埋め、焦土が弱々しく挙手すると、フロージアは腕を組む。

「いいこと? 次はこうはいかないんですからね?」

「ああ、自力でなんとかする」

 焦土は余熱の残る右腕を氷に浸し、じゅわりと冷まさせた。

「ミスティがいたということは、剛腕子爵もいたということね? あの二人から、何かを言い含められなかった?」

 フロージアが若干目を逸らしながら問うと、焦土はよろけながらも雪原に足を付けた。

「色々と。で、ちょっと悩んだ」

「それで?」

「俺はクマよりも恐竜が好きだなぁ、と」

「何よ、それ」

 フロージアは拍子抜けしたのか、噴き出した。そんなことで決めていいものかね、とスティーブンソンが呆れていたが、焦土は笑うだけだった。二人と行動を共にする動機にしては弱すぎるが、今のところ、自分の直感ぐらいしか判断材料がないのも事実だ。

 義手の威力も試せた。自分の気持ちも定まった。だったら、その次にやることは解っている。赤道国家を脅かす人間の正体を知り、どちらに付くかを決める。

 行く先に道はない。だから、自分で探すしかない。

挿絵(By みてみん)

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