イン・ザ・スープ
グライダーが運んでいたコンテナの内訳はこうだ。
食糧、水、薬品、調味料の類、植物の種子、何らかの機械の電子部品、そして件のチップ。人間の親指の爪ほどの大きさではあったが、このチップが最も厳重に梱包されていたので、余程の価値があるのだろう。スティーブンソンが執心する理由も、そこにあるのかもしれない。
焦土とスティーブンソンが荷物を検分している傍らでは、フロージアが殺した魔女を捌いていた。テンペスタという名の風の魔女は鳥人で、焦げた羽根が哀れだった。フロージアは躊躇いもなく氷の刃でテンペスタの胸を切り開き、彼女の体温による薄い湯気が昇る中、内臓に手を突っ込んで心臓を引き摺り出した。
「うげ」
本当だった。焦土が声を潰すと、フロージアは血まみれの手でぶちぶちと血管を千切った。
「何よ、その反応は」
「我が輩はすっかり慣れてしまったからなぁ、フロージアの食事風景には」
スティーブンソンはチップを眺め回しつつ、肩を軋ませる。
「せめて火を通すとか……」
焦土が目を逸らすと、フロージアは大きく口を開いて心臓を口に入れ、ごきゅりと飲み下した。
「なんでその必要があるのよ? 手間が増えて煩わしくってよ」
「火を通さないと雑菌やら何やらで腹を下すじゃないか」
「そんなこと、一度もなくってよ」
「血抜きをしないと苦いし」
「血の匂いは好きよ、瑞々しくて」
「最低限、雪で血を洗ってから肉を喰ってくれ」
「私が肉をどう食べようと、私の自由じゃないの。あなたに指図される筋合いはないわ。増して、私の所有物の分際で進言しようだなんて、身の程知らずにも程があるんじゃなくて?」
フロージアは四本指の手に付いた血を舐め取ってから、焦土を忌々しげに一瞥する。
「だったら、俺は俺のやり方で食事をさせてくれないか」
焦土が言い返すと、スティーブンソンが笑う。
「なるほど、それは道理だ! 焦土よ、君は冴えているなぁ!」
「……む」
フロージアはそれが面白くなかったのか、魔女の死体をざくざくと意味もなく切り裂いた。焦土は調味料の入った瓶を確かめつつ、嘆息する。
「フロージアが用意してくれるのは、食事とは名ばかりの獣の肉と内臓だけじゃないか。あと、砂糖と水」
「腹を満たすだけなんだから、それだけで充分じゃなくて?」
フロージアは反論するが、焦土は首を横に振る。
「ダメに決まっているだろ。塩と野菜が欲しい。あと、炭水化物」
「塩なんて、たまに舐めるだけでよくってよ」
「人間はそうじゃない。というか、この体は炎を撒き散らすせいで消費するカロリーの高さが半端じゃないから、食事の量を増やさないとまたぶっ倒れちまう。だが、生臭い肉を胃に詰め込むだけの食事しか出てこなかったら、気が滅入って仕方ないんだ」
「変なことばかりを言うわねぇ」
フロージアが首を傾げたので、焦土は辟易する。
「トカゲと違って、人間は味覚が鋭敏なんだよ」
「そこまで言うなら、もう食事の用意をしてあげなくってよ。勝手にしなさい」
フロージアはつんと顔を背け、尻尾で雪原を叩いた。拗ねてしまったらしい。焦土は安堵しつつ、手に入れた物資をアイオロス号へと運び入れた。スティーブンソンは率先して運んでくれたが、フロージアはすっかり機嫌を損ねてしまい、早々に自室へと帰っていった。
フロージアに対しては若干気は咎めるが、食事は重要だ。かつての自分も決して豊かな食生活を送っていたとは言えないが、フロージアに合わせた野性味が溢れすぎた食事に比べれば雲泥の差だ。調味料も手に入ったことだし、温室で食べられるものが栽培されていないかどうかを確かめよう。干乾びた肉片と骨が散らばる炊事場を片付けて、まともに使える調理器具も探し出さなくては。
それもこれも、真っ当な食事のためだ。
アイオロス号の温室に入るのは初めてだった。
焦土はガラス張りのドアに手を掛け、慎重に引くと、暖かく湿った空気がふわりと漂ってきた。以前、フロージアにアイオロス号の中を案内された時は、外から眺めるだけだったからだ。植物の有機的な匂いが押し寄せると、得も言われぬ感情が込み上がる。
「……これは」
植物がデタラメに生い茂っていた。焦土は腰を屈め、天井から垂れさがるツタを払った。土の入ったプランターと水耕栽培が混在しているのだが、どれもこれも飢えっぱなしで手入れがされていないので、枯れた葉が淀んだ水に没して腐りかけている。
「あれ、本気だったの?」
すると、フロージアが背後から顔を出した。
「当たり前だ」
焦土はフロージアを一瞥してから、床に這いずり回っている草を足で払った。が、力を入れ過ぎると燃えてしまうので、手近な鉄の棒で代用した。
「ところで、この植物はどこで手に入れたんだ」
焦土が尋ねると、フロージアは三つ編みの先をいじった。
「それは私の機嫌を取るよりも重要なこと?」
「何十倍も重要だ」
「……んむ」
フロージアはむっとしたが、尻尾を丸めた。
「赤道国家から逃げ出す時に、適当に持ち出したのよ」
「バイオプラントでもあるのか」
「まあね。で、私としては売り払うつもりだったんだけど、男爵に言われて温室に放り込んだのよ。でも、私は植物の育て方なんて知らないし、男爵も水やりはするけど手入れはしないから、この有様ってわけ。どう、気が済んだ?」
「魔女だからといっても、薬草から薬を作るわけじゃないんだな」
「何それ」
「いや、すまん。俺の古臭い固定観念だ」
焦土は平謝りした。そんなことするのは、大昔の児童文学に出てくる魔女だ。一万年も過ぎたのだから、魔女のイメージも変わっていて当然だ。なんだか恥ずかしくなってきたので、焦土はそれを誤魔化すためにも、有象無象に生えた植物を掻き分けていった。
水耕栽培のプラントでもじゃもじゃと茂っているのは、恐らくはリーフレタスだろう。成長したはいいが収穫されていないので、葉が筋張っていて硬いものばかりだった。傷んでいたり、枯れた葉を取り除いていき、まだ食べられそうな葉を収穫する。
土の詰まったプランターの中でぎゅう詰めになっているのは、サイズが半端なジャガイモだった。タマネギと思しきものもあったのだが、こちらは既に腐って土に還っていた。それでも、ジャガイモが得られたのは大きい。種芋を残しておいて植え直せば、ジャガイモを更に増やすことが出来るのだから。
「昔のあなたって、何を食べていたの?」
フロージアが退屈紛れに問うてきたので、焦土は答えた。
「パッキングされた保存食と栄養剤」
「それ、おいしいの?」
「いや、全然。俺が喰っていたのはC級市民用のものだったから、味付けなんてひどいもんだった。一応、動物性蛋白質は入っていたんだが……原材料は考えちゃいけない」
「どうして?」
「海が氷の下に沈んで漁業が壊滅して、農地も凍って畜産もダメになったんだから、動物性蛋白質の出所なんておのずと察しが付く。だが、喰わないと腹が減って死ぬ」
「それはそうね」
「だから、自分の手で作って喰うのが精神的に一番楽だ。そう思ったから、自炊するようになった」
「ふーん」
フロージアは興味をなくしたのか、手近な花をぶちっと千切り、尻尾を振りながら温室を後にした。その後姿を横目に見つつ、焦土は収穫を終えた。A級市民だった氷川銀花は何を喰っていたんだろうか、とちらりと思ったが、そんなことを考えても無駄だ。今となってはそれを知る手段はないし、知ったところで何の意味もないのだから。
他には何かないのか、と雑草の如き植物を掻き分けて進んでいくと、日当たりのいい場所に赤い実が成っていた。その実を摘んで齧ると、甘酸っぱい果汁が口に広がった。本物のイチゴだった。
この味も、魔女には解らないのだろうか。
料理とは科学であり、文明の極みである。
焦土はそんな心構えを抱きながら、炊事場に立った。材料を掻き集めた後、焦土は炊事場を一通り片付けた。骨と血がこびりついた作業台を洗ってから炎で殺菌し、切れ味の悪いナイフをスティーブンソンに研いでもらい、分厚い鉄製の鍋をコンロに据えた。もちろん、火は自前だ。
雪を溶かして作った水で鍋を一度煮立たせて、鍋自体の鉄臭さ
と汚れを取り除く。それから、獣の肉片から削ぎ取った脂肪を熱して油脂を出させ、鍋の内側に擦り付けて染み込ませる。そこに、コンテナから拝借した小麦粉を練ったものを貼り付け、焼く。ナンの出来上がりである。
小麦粉を練ったものが焼き上がった後は、切り分けたジャガイモを入れて炒めてから、別の鍋でじっくりと煮込んで柔らかくした肉も加える。灰汁を取り、塩と香辛料で味を付け、細かく刻んだリーフレタスを散らす。最後に、フロージアから拝借した砂糖でイチゴを煮る。これはデザートとなる。
以上が、現時点で作れる料理である。炭水化物がもっと欲しいところだが、一度に食べ尽くすのは無謀なので、一度に作るナンは三枚程度が限度だろう。出来上がったものは、セラミック製の器に盛った。
「ん」
焦土は炊事場の作業台を片付け、それをテーブル代わりにしてジャガイモと肉のスープとナンを食べようとしたが、ドアの隙間から覗かれていたので手を止めた。
「喰いたいなら、そう言ってくれ」
焦土が手招くと、フロージアがドアを開けて顔を出した。
「そういうわけじゃないわよ、ちょっと気になるだけであって」
「ちょっとは分けてやるから」
「いいの?」
フロージアは尻尾をぴんと立てると、軽い足取りで入ってきた。焦土はもう一つの器を出し、スープを盛ってやった。
「熱いから気を付けろよ」
「平気よ、冷ますから」
フロージアは作業台に手を伸ばすが、つま先立ちになった。焦土の髪を結った時のように
焦土は見るに見かねて椅子を寄越してやった。自分だけであれば立ち食いで充分なのだが、フロージアはそうもいかない。
「綺麗な色ね」
フロージアはリーフレタスの浮くスープが満ちた器を手にし、湯気を吸い込む。だが、やはり熱かったらしく、小さな氷を浮かばせて温度を下げた。スプーンを渡してやると、フロージアはそれを掴むが、使い慣れていないので上手く掬えなかった。何度掬っても斜めになるので、肝心のスープが器に戻ってしまう。
「零されると勿体ない」
焦土はフロージアの手からスプーンを取り上げようとするが、フロージアは譲らなかった。
「大丈夫よ。私を誰だとお思い?」
「だったら、拳で握るんじゃなくて下から握った方がいい」
こうしろ、と焦土はフロージアの手を開かせ、スプーンを握り直させた。それでも手付きは危なっかしかったが、最初に比べればマシだった。
「ん、んう」
フロージアは顎を上向けて喉を開き、スープを具材ごと飲み下した。それから舌で舐め回したが、首を捻る。
「肉が煮える匂いがして、熱くて塩気がするけど、なんだかよく解らなかったわ」
「俺は割と旨いと思うが」
焦土はナンを齧る。久々に味わう炭水化物が懐かしくも愛おしく、しみじみと噛み締めたが、あまり長引かせると口の中で焦げてくるので嚥下する。
「じゃ、これはどうだ」
焦土は甘く煮たイチゴを千切ったナンに載せ、それをフロージアの口に突っ込んだ。フロージアはそれをほとんど噛まずに飲み込んだが、瞬膜を開閉させる。
「甘いわ!」
「甘いのは解るのか」
「ええ、それはもちろん。果物は好きよ。甘いから。ねえ、甘いのはもうちょっと食べてもいいかしら? いいわよね?」
「俺が喰うために作ったんだけどな」
「凍らせてしまうわよ?」
「全部焦がすぞ」
焦土がイチゴの入った器を遠ざけると、フロージアは尻尾の先を下げた。
「意地悪な人ね」
「気が済んだなら、もういいだろ」
「そうね、今日のところは勘弁してあげるわ。気が向いたら、あなたの食事に付き合ってあげてもよくってよ?」
器に残ったスープを流し込んでから、フロージアは椅子から下り、ふわふわとした足取りで炊事場を後にした。焦土はスープを味わいながら、口角を歪める。
「素直じゃないな」
いや、それはお互い様かもしれない。焦土はなんともいえない気持ちを持て余しながら食事を続けていたが、またドアが開いた。フロージアが戻ってきたのかと目をやると、スティーブンソンがじっと焦土を凝視していた。
「うわ、見てたのか」
焦土がぎょっとすると、スティーブンソンはにやつく。
「いやいや、我が輩のことは気にしないでくれたまえ。これで我が輩の楽しみが一つ増えたというものだ。うむうむ」
「何を期待されているのか、想像すらしたくないんだが」
「うふふ、若さとはなんと素晴らしい! 珠玉の如し! 我が輩、楽しくて仕方ないぞ!」
焦土が炎を撃ち出す姿勢を取ると、スティーブンソンは笑みを零す代わりに蒸気を散らしながら去っていった。何を馬鹿げたことを想像している、あいつはトカゲの魔女だ、そんなものに妙な気を起こすわけがない、と焦土は反論しようとしたが、それすらも煩わしくなってきたので食事を平らげた。
最後の一滴まで、スープは冷めなかった。