オリオンは死んだ
焦土の右肩に、義手が付けられることになった。
その上腕部には、円筒形の容器が備え付けられる。その名もスチームアキュムレーターといい、蒸気を蓄積させるための装置だそうだが、改造を加えてエーテルを蓄積出来るように強化してあるので、厳密にはエーテルアキュムレーターとでも言うべきだ、と蒸気男爵は豪語していた。光沢のある金色の円筒で、溜まったエーテルの圧力を一気に噴出するための弁も付いていた。
それを付けてくれるのは件の蒸気男爵であったが、その際の施術が猛烈に痛かった。右腕の根元の切断面は綺麗なもので、神経も筋肉も骨も滑らかに切り落とされていて、自身の能力のせいで切断されると同時に焼け付いたので出血はほとんどなかった。だが、そこに直接義手を付けるわけにはいかないので、まずは義手を付けるための土台を付ける手術をすることになったのだが────。
「軟弱な男ねぇ」
手術台に横たわる焦土を見下ろしながら、トカゲの魔女は唇を尖らせる。焦土は舌を噛み切らないようにと金属の布を噛ませられていたが、それは涙と涎でぐちゃぐちゃに汚れていた。
「無理だろぉこれっ、無理無理無理っ、本当に無理だからこれ! この時点で痛すぎて気絶しそうだ! いやもう気絶させてくれ! その方が楽だぁっ!」
思わず布を吐き出して焦土は喚いたが、フロージアは焦土の口の中に金属の布をぐいっと押し込んで黙らせた。
「右腕の根元を切開して肩の骨を出して、神経も引っ張り出して、それをオリハルコン製の土台にくっつけて、肩の肉を縫い合わせるだけじゃないの。大したことないわ」
「せめて痛み止めとか、麻酔とか」
焦土が懇願するが、フロージアは肩を竦めた。
「そんなもの、あるわけないでしょ?」
「お願いだから、あんまり興奮しないでくれるかね? 君の血が蒸発して傷口を塞いでしまうものだから、神経が見つけづらくて……。これかな、ええと違うな、こっちかもしれんなぁ」
スティーブンソンは太い指で細いメスと鉗子を使い、ぐちゅぐちゅと焦土の肩の肉を掻き回した。肩の肉を切開されるだけでも痛かったのに、肩の骨から肉を剥がされ、肩の骨の内側に隠れていた神経を引き摺り出されるのだから、何もかもが痛い。痛すぎて吐き気すらするが、あの砂糖水以外は口にしていないし、唾液も胃液も蒸発してしまうので一滴も吐き出せなかった。
「────っ!」
神経が引っ張られたせいで、全身に凄まじい激痛が駆け抜けた。焦土はびくんと痙攣して手足を突っ張らせるが、その手足が凍り付いて手術台に固定された。
「いちいち手間を掛けないでくれる?」
更に氷を成してから、フロージアは不愉快そうに言い捨てる。
「ええと、まずは肩の骨に穴を開けて、オリハルコン製のボルトを捻じ込んでだね……」
スティーブンソンの言葉の後、ごりごりごりごりごりっ、との嫌な音と振動と共に、焦土の肩の骨に手回しドリルで穴が開けられた。その振動は背骨から脳天に響き、否が応でも恐怖を呷ってくる。その後に異物が突っ込まれ、ぎりぎりと締め付けられて肩の骨に埋められた。
「うううううう」
今、正に骨が砕かれている。焦土が声も出せずに呻いていると、ボルトが埋まった骨の周囲の肉に鋭い針のようなものが突き立てられた。
「エーテルを吸い上げるためのパイプを埋め込んで……」
「うぐうううう」
「二本じゃ足りないかもしれんなぁ。うん、もう一本」
「んぐうううう」
「で、エーテルから出る無駄な熱を排熱するための排気筒も付けて……」
肩の骨の後ろ側にも筒が突っ込まれ、ぐりぐりと押し込まれる。
「ん、そうだな……。この構造だと、アキュムレーターは付けられても、肘から先の部品を付けたら上腕ごと肩の骨が折れてしまうぞ。となると、その重量を分散させるために支えが必要だな。ふーむ」
スティーブンソンは焦土の肩の傷口を覗き込んでいたが、彼の背後でかちゃかちゃと歯車が組み合う音がした。例の蒸気式が独りでに稼働し、計算しているのだ。スティーブンソンは蒸気式計算機が算出した数字を確かめると、少し考え込んだ。
「うむ、そうだな。肩甲骨に別のボルトを貫通させて、そこを軸に動くようにしよう。うむうむ、我が輩は優秀だなぁ!」
「んぐぐうううう」
やめてくれ、これ以上は耐えられない。焦土は見苦しく呻いたが、スティーブンソンは喜々として焦土の右の肩甲骨に手回しドリルを添え、無情にも回し始めた。がりがりがりっ、ごりごりごりごりごりごりっ、と骨が穿たれていく。漏らさなかったのは、膀胱の中身が蒸発していたおかげとしか言いようがない。
地獄だった。
右肩が痛い。痛すぎる。
スティーブンソンによる施術は終わっても、傷口がすぐに塞がるわけではないし、体力の消耗が戻るわけでもない。なので、焦土はリビングの一角で横たわっていた。切開された肩の肉はワイヤーで縫い合わされていたが、これもいずれは抜糸するのだろうと思うと、その痛みを想像してしまって気が遠くなる。
「ああ……うう……」
痛みに次ぐ痛みで脳が痺れ、呂律が回らない。焦土が焦点の定まらない目で天井を見上げていると、トカゲの魔女が覗き込んできた。
「つまんないわねぇ」
「無理言うな」
焦土が余力を振り絞って反論すると、フロージアは焦土の髪を一束抓んだ。
「これ、無駄に長いわね」
「ああ……うん……」
焦土が首を捻ると、背中の下に挟まっていた髪が出てきた。施術前に鏡を見て、今の自分がどんな容姿なのかは把握している。赤銅色で、背中の中程までの長さがある。肌も褐色というよりは日に焼けたような肌色で、瞳の色はフロージアのそれによく似た赤だった。派手な出で立ちである。
「ちょっと遊ばれなさい」
フロージアは焦土の髪を掴み、強引に立たせた。小柄な体格に見合わない怪力で、ずるずると引き摺られていき、椅子に座らされた。といっても、彼女が愛用しているソファーではなく、廃材で作ったであろう武骨な鉄製の椅子である。大きさからして、本来はスティーブンソンが使っている椅子なのだろう。
「うふふ」
フロージアは氷で足場を作ると、焦土の背よりも高い位置に腰掛けた。それから氷で櫛を作り、焦土の髪を梳こうとしたが、すぐに突っかかって氷の櫛が溶けてしまった。
「いてっ」
その際に、数本の髪が抜けた。焦土が首を竦めると、フロージアは手のひらに残った髪をまじまじと眺めた。
「毛羽立っていないわ」
「髪が毛羽立つわけないだろ。大体、お前も髪があるじゃないか」
「これ、髪じゃないわよ。羽毛よ。そんなことも知らないの?」
フロージアが訝ったので、焦土は少し考え込んだ。
「それじゃ、お前は人型の羽毛恐竜ってことか?」
「正確にはディノサウロイドよ」
「恐竜人間か」
「俗っぽい言い方をしないでくれる?」
「意味は同じだろうが」
そう言い返してから、焦土はふと気付いた。
「俺達って、具体的に何語で話しているんだ?」
「変なことを気にするのね」
フロージアは焦土の髪をぽいっと投げてから、氷の櫛を新しく作った。
「俺としては日本語で話している感覚なんだが、頭の中に浮かぶ単語を口から出すと、別の音として耳に入ってくるんだ。それが微妙に噛み合っていなくて、据わりが悪いんだ」
焦土が違和感を述べると、フロージアは焦土の髪を梳く。
「私達が使っている言葉が何語かどうかなんて、気にしたことはなかったけど、赤道国家の住人達が使っているのは第一公用語よ。で、そこから派生した方言やら何やらもあるけど、私もあなたも第一公用語で話しているわ。通じるんだからいいじゃないの」
「そうだったのか」
「赤道国家で確立された言語を使うのは癪だけど、他に使い勝手がいい言葉もないしね」
「で、その、お前は赤道国家からどんな恨みを買ったんだ?」
「飽きたのよ」
フロージアは、口角の端を吊り上げる。
「物心つく前から、私は赤道国家にいたのよ。で、狭い国土と一握りの住民を守るために戦わされていたの。今の地球上で地面が出ているのは、あの国だけだもの。で、その土地と資源を欲しがる賊やら何やらが絶えないからってことで、魔女が掻き集められたのよ。私はその中の一人で、他の魔女達もそうだった。命令通りにしていれば生活は保障されるし、贅沢も出来るんだけど、それだけでしかなかったのよ。だから、一暴れしただけよ」
フロージアは焦土の髪を梳き終えると、三つに分けた。何をするのかと思いきや、三つ編みを作り始めた。
「あんまり可愛くないわね」
「やったのはお前だろうが」
フロージアに言い返し、焦土は首を振る。半端な三つ編みが解け、髪がばらけた。
「高く結ぶと、もっと可愛くないわ」
フロージアは焦土の髪束をぎゅっと掴み、後頭部の高い位置まで引っ張り上げる。ポニーテールである。
「悪かったな!」
「二つに分けると悪夢だわ」
「いい加減にしやがれ!」
「となると、普通に結ぶしかなさそうね。芸はないけど」
「切るっていう選択肢はないのかよ」
「本当に物を知らないのね、あなたは。髪はエーテルを留めておくことが出来るから、安易に切るべきではないのよ」
「それはどういう理屈なんだ」
「さあ? けれど、そういうものなのよ」
フロージアは焦土の髪を束ね、首の後ろの位置で握った。それから、金属の布の切れ端を使い、一束に結んだ。
「ほら、尻尾が出来たわ」
「……手間を掛けたな」
焦土がよろけながらも立ち上がろうとすると、髪束の先っぽを掴まれてつんのめった。何事かと振り返ると、フロージアが不満げな眼差しを注いできた。尻尾の先も、意味ありげに揺れている。その様に、焦土は少し考えてから言い直した。
「ありがとう、フロージア」
「及第点ね」
んっふふーん、と機嫌のいい鼻歌を零しながら、トカゲの魔女は身軽に氷の台座から飛び降りた。足早にリビングを出ていく後ろ姿を見送ってから、焦土は結ばれた髪を抓んでみた。相手はトカゲではあるが、異性に髪を触られたのは初めてだ。
なんとなく、くすぐったい気持ちになった。
その後も、氷の魔女は何かと焦土を構ってきた。
蒸気式万能武装図書館は雪原を自走し続けていたが、見渡す限りは地平線ならぬ雪平線なので、退屈していたのだろう。体力を回復させるために、とフロージアは食事を持ってきてくれたが、赤い生肉と獣の内臓だった。フロージアは歯が生えていないので、それを咀嚼せずに丸呑みしていた。羽毛が生えていることも踏まえると、彼女の原型となった生物はオルニトミムスのような羽毛恐竜なのかもしれない。
「せめて塩が欲しい」
焦土は生肉を頬張ると、口の中で加熱してから咀嚼した。
「それから、肉が生臭いというか苦い。血抜きしてないのか?」
「そんなこと、する必要はなくってよ」
「煮炊きはしないのか?」
「面倒だわ」
フロージアは肉の汁が付いた指を舐める。
「料理をするという発想すらないのか」
焦土は火が通り過ぎて硬くなった肉をしっかりと噛み締めてから、飲み下す。渋々内臓も口にしたが、肉よりも苦みや生臭みが強く、火が通るにつれて顕著になった。さっさと飲み下すべきだった、と後悔しながら、焦土は力任せに胃の中に落とした。
野性的な食事の後は、蒸気式万能武装図書館の中を案内された。外見通りに内部構造もごちゃごちゃしていて、複数の船舶やら何やらを強引にくっつけて造ったものらしい。蒸気による動力機関は後方の大部分を占めていて、三本の煙突は特大のボイラーに繋がっていた。そして、そのボイラーから伸びる極太の配管を辿っていくと、船首部分に二門の大砲が据え付けられていた。
「あれは砲弾を込めるのか?」
動力部分と居住区を繋ぐ通路の途中で立ち止まり、焦土は船首を見下ろす。
「エーテルに決まっているじゃないの」
フロージアは船首を一瞥すると、居住区に向かっていった。スティーブンソンの頭脳である超特大の解析機関だけを収めた部屋、スティーブンソンの工房と倉庫、フロージアの部屋、炊事場と風呂場と便所、温室、そして書庫である。
中でも興味を惹かれたのが書庫だったので、焦土は分厚い扉を開けて入ってみたが、思い描いていたものとは違う光景が広がっていた。本がみっちりと詰まった本棚が壁全体を覆っているのではなく、記録媒体であるチップが詰まった箱が詰まれていた。そして、部屋の中央には、厳かに機械仕掛けの小振りな板が置かれていた。
「タブレット型の情報端末だ」
焦土は液晶画面の付いた長方形の板を見下ろし、思い出した。通信ネットワークに接続し、文書だけでなく映像や音声を再生することが出来る端末で、学習には欠かせないものだ。ということは、集められたチップをこの端末で再生して読むのだろう。そう思い、焦土は端末の側面に付いた電源ボタンを押してみるが、反応はなかった。
「それ、動かないのよ」
フロージアがちょっと笑ったので、焦土は端末から手を離す。
「昔は動いたってことか?」
「スティーブンソンはそう言っていたわ。でも、アレのせいで、電子機器は全部ダメになっちゃったんですって」
フロージアが窓の外を示すと、冴えた青空が藍色の夜空に移り変わっていた。その一角には、月明かりとは異なる光が見えた。焦土は書庫から出ると、底冷えする夜風を浴びながら夜空を仰ぐ。星々の光を打ち消しながら、花弁のようなガスの星雲が宇宙に広がっている。恒星の末路だ。
「超新星爆発!」
焦土が目を剥くと、フロージアもまた夜空を見上げる。
「へえ。物知りねぇ」
「一万年も過ぎているから星の位置が変わっているが、それを踏まえて考えてみると、超新星爆発を起こしたのはベテルギウスか。オリオン座が、オリオン座じゃなくなっている」
「ベテルギウス? オリオン?」
「電子機器が壊滅したってことは、ガンマ線バーストが直撃したってことか? だが、地球には影響がないとの仮説が立っていたような……。ああ、そうか。地軸がずれて地球の軌道が変わったから、ガンマ線バーストが掠めちまったのか」
「何をごちゃごちゃ言っているの?」
「だから、スティーブンソンはあのディファレンス・エンジンを使っているのか。となると、他も似たようなものか。だとすると、人工衛星も全部死んでいて……」
更に記憶を辿ろうとしたが、焦土は頭の芯がずきりと痛んだ。かつての自分が持っていた記憶が時間と共に薄らいでいる影響であり、その当時の文明を支えていたものが失われたことに絶望を抱いたからだ。超新星爆発を目の当たりにした喜びは程なくして萎み、焦土は冷え切った鉄板の床に座り込んだ。
人類は滅んだのだ、と悟った。
焦土に与えられたのは、古いコンテナだった。
ボイラーからも書庫からも居住区からも遠い、船の端だった。炎を際限なく出す能力に慣れていないので、うっかり燃え上がったら何もかもが灰燼に帰してしまうからだ。船の主であるスティーブンソンの判断は正しいし、コンテナでも部屋があるだけマシだ。
錆びて軋むドアを開けると、古い空気が籠っていた。放置されて久しい部品やら何やらが入った箱が片隅に置かれていたが、それを蹴って押しやり、空間を確保した。
「ううう」
右肩の痛みに負け、焦土は座り込んで背中を丸めた。フロージアと歩き回っている間は気が逸れていたが、一人きりになるとそうもいかない。右腕の根元に接続されたエーテルアキュムレーターが煩わしいこともあり、左腕を下にして寝るしかなさそうだ。
「焦土、起きているかい?」
がんごんっ、とコンテナのドアを殴ったのは蒸気男爵だった。焦土がのっそりと上体を起こすと、スティーブンソンが入ってきた。その手には、金属で出来た右腕が携えられていた。
「それらしいものが出来たから、仮付けしてみたまえ」
そう言いつつ、スティーブンソンは義肢をエーテルアキュムレーターに付け、ボルトを軽く締めた。肘から先に棒が突き出ていて、拳を覆うナックルガードも付いている。
「これは?」
焦土が肘から出た棒を指すと、スティーブンソンは得意げに胸を張る。
「よくぞ聞いてくれた! それは蒸気圧式シリンダーだ!」
「つまり?」
「エーテルアキュムレーターに蓄積させたエーテルと蒸気圧を一気に噴出させ、凄まじく強力なパンチを繰り出すことが出来るのだ!」
「その機能は、俺には必要ないのでは?」
「いいや、大いに役に立つとも。同じ構造のパイルバンカーは船にも搭載しているのだが、大きすぎて精密な作業には向いていないのだ。我が輩も聖人君子ではないからね、我が輩の元に留まるというのなら、それ相応の働きをしてもらわなくては」
スティーブンソンは頭部に付いたランプを灯し、焦土の顔を照らす。
「分厚い氷河と雪の下に眠る、旧世界の遺物を発掘してもらいたいのだ。フロージアに君を奪ってもらったのは、そのためでね」
「何のために」
「その理由を話せば長くなるのだが……」
「だったら、要点だけでいい」
「ならば、結論から述べよう。────我が輩は月に行きたいのだ」
スティーブンソンはコンテナの外に目を向け、ベテルギウスのガス星雲とは別方向に視線を据えた。細く痩せた三日月が、星の海に浮かんでいた。
「さて、君の腕の調整をしなくては。寝ておきたまえ」
スティーブンソンは焦土の右腕を引っこ抜くと、コンテナから出ていった。蒸気の噴出音交じりの重たい足音が遠ざかっていくと、焦土は再び横になった。なるほど、合点がいった。赤道国家から焦土を奪うように仕向けたのはスティーブンソンであり、明確な目的があってのことだったのだ。何の理由もなく、助けられるはずがないからだ。まだまだ疑問は尽きないが、ひとまず、今の自分がやるべきことは見出せた。
今のところは、それだけで充分だ。