氷の魔女と蒸気男爵
巨大な蒸気船の内部は、獣の内臓じみていた。
血管のようなパイプラインが複雑に絡み合い、継ぎ接ぎの船内を這いずり回っている。外見通りに蒸気機関で賄っているのか、むわっとした熱気が籠っていて、パイプからはしゅうしゅうと白い蒸気が零れていた。
「石炭か木材を燃やしているにしては、煙たくないな」
天井が低い通路に至り、焦土が腰を曲げて歩いていく。その少し前を、トカゲの魔女が尻尾を振りながら進んでいく。蒸気釜の付いた棒を、大事そうに両手で抱えている。
焦土の少し前を歩くフロージアは、小さかった。初めて会った時は、焦土は立ち上がれもしなかったので認識し損ねていたが、彼女の身長は焦土の肩よりも低かった。人間とトカゲでは違いはあるだろうが、どう見積もってもティーンエイジャーにしか見えない。年齢を訪ねようか、だがしかし、と焦土が逡巡していると、フロージアが振り返った。
「随分と古いことを知っているのね」
フロージアが赤い瞳を向けてきたので、焦土は額を押さえる。
「ああ……うん、思い出していないと忘れそうになるんだ」
「じゃあ、話してごらんなさいよ。あのトンチキな男爵に会うまでは時間が掛かるし、退屈なのよ」
「男爵?」
「それは後でね。で、あなたは何を知っているというの?」
フロージアに好奇心の宿った眼差しを向けられ、焦土は記憶を手繰り寄せる。雪と氷で滅びに瀕した世界と、それでも普通の高校生でいようとした自分のことを思い出す。
「俺は……今の俺よりも、いや、この肉体よりも一回りは体格が小さかった。氷河期が訪れて以来、日照時間がほとんどない上に栄養状態が悪かったし、その上できつい仕事をさせられていたから、中学生辺りで肉体の成長が止まったんだと思う」
「その仕事って?」
「配管の製造と整備。俺が住んでいた街は、氷河から逃れるために地下に造られた積層都市だったんだが、年々氷河が分厚くなっていったせいで下へ下へと増設していくものだから、下層の方が数字が若くて居住性も高くなっていった。俺は、その積層都市を繋げるパイプラインに使うパイプを作っていた。本来はオートメーション化された工場だったんだが、製造ラインのロボットを稼働させるエネルギーが不足してきたから、人間を使うようになったんだ。石炭と石油は、少しだけ余っていたものを使わせてもらったことがあったんだ」
「それから?」
「労働量が増えても配給される食糧は増えなかったから、両親は死んだ。兄妹もいたけど、工事中の事故で死んだ」
「あらまあ」
「死体は政府の衛生局に運ばれていって、戻ってきたのは個人情報を管理するためのリストバンドだけだった」
「あら、誰かが食べたの?」
「たぶん。工場に運ばれて、食用に加工されたんだと思う」
思い出せば思い出すほど、気が滅入ってくる。焦土は項垂れたが、その途端に目の前のパイプに激突し、仰け反った。があんっ、と良い音がした。
「ぐえっ」
「気を付けなさいよ。配管を一つでもへし折ると、男爵の機嫌を損ねてしまうわ」
「お、おう」
強かにぶつけた額を押さえながら、焦土はよろよろと歩いた。
「他に話すことはある?」
フロージアに問われ、焦土は考え込む。
「ええと……そうだな。俺は二一九九年生まれで、十七歳だったから……」
「単純計算で一万年前ね」
「いっ、いちまんねんっ!?」
焦土が声を潰すと、フロージアはぐっと拳を固める。
「さっきのって西暦よね? 古い単位を使うのねぇ。となると、手に入れただけの価値があったってものね! 偉い! さすがは私! 地球一の魔女! 魔女の中の魔女!」
いえーい、とフロージアは小さな拳を振り上げたので、焦土は何の気なしの彼女の指の本数を数えてみた。四本しかない。ということは、やはり人間ではないのだ。いや、外見からして人間からは掛け離れているのだが、確証を得たかったからだ。
「他には思い出したことはある?」
フロージアは振り返り、蒸気釜付きの棒を向けてきた。
「────放課後に、寄り道をするはずだった」
他愛もない約束をしたことは覚えているのに、それを交わした相手の顔も名前も思い出せない。脳のどこかが凍り付いているかのように、それに連なる記憶の糸口すら見つからない。ずきずきとした鈍い頭痛と、目眩と、息苦しさだけしかなかった。
不意に、膝から力が抜けた。
暖かくて生温く、肌触りが柔らかい。
首から下に籠った過剰な熱が抜けていく感覚がひどく心地良かったが、頭痛までは収まらなかった。肌を舐める泡がくすぐったくて、血流が良くなって汗が浮き、滴り落ちると爽快感さえある。濃密な湯気が立ち込める中、焦土は目を覚ました。
「あ……」
どうやら気絶したらしい。うっすらと瞼を開き、呼吸をするために口を開いたところで、氷の塊を突っ込まれた。
「んごぁっ」
「下手に閉じようとしないでよね? 歯を折りければ、別だけど?」
フロージアだった。彼女は氷の塊を焦土の口に押し込んできたので、その冷たさと痛さに辟易しながらも、焦土は口を開けた。が、舌に触れた途端に氷が解け始め、あっという間に一握の水と化して喉の奥に滑り込んでいった。その際に、舌に懐かしい感覚がこびりついた。
「甘い」
「貴重品なんだから、ありがたく味わいなさい」
ほらもう一つ、とフロージアは焦土の口に氷の塊を捻じ込んできたが、今度もまた氷の芯には甘いものが隠れていた。実質的に砂糖水を飲まされながら、焦土は状況を確認した。
「俺は今、風呂に入れられている……?」
焦土は目線を落としたが、湯はぐらぐらと煮えたぎっていた。明らかに沸騰しているのに、自分がなんともないのが奇妙だった。むしろ、ちょっと温いぐらいだ。
「通路で卒倒したから、氷漬けにして広い部屋まで運んできてやったのよ。そうしたら、氷が全部溶けちゃったから、結果として風呂になっちゃっただけよ。大方、低血糖でしょ? エーテルの扱い方をろくに覚えていないのに荒っぽい扱い方をしたから、脳が働き過ぎたのよ。よくあることよ」
「俺が反撃する必要に駆られたのは、お前のせいでは?」
焦土が言い返すと、フロージアはむっとする。
「意識が混濁しているせいで暴走でもされたら困るから、ちょっと黙らせるだけのつもりだったのよ」
「明らかに殺す気だった気がするが」
「いいじゃないの、なんともなかったんだから」
フロージアは瞬膜を開閉させ、ルビーのような瞳を瞬かせる。縦長の細い瞳孔を備え、瞼も睫毛もない目ではあるが、吸い込まれそうな美しさがある。白一色の雪原に見飽きたせいで、緑色の肌と赤い瞳が新鮮だったせいかもしれないが。
「エーテルって、SFに出てくるあのエーテルか? だが、あれは空想の産物だろ」
焦土は濡れた髪を掻き上げるが、すぐさま乾いた。以前の自分は短髪だったのだが、この肉体の髪は長く、背中の中程まで伸びている。
「あなたが知るエーテルと私達が知るエーテルは、厳密に言えば同じものではないけど、縁遠いものではないわね」
「どっちなんだよ」
「かつての人類にはエーテルは観測出来なかったけど、私達はエーテルを観測出来るし、扱うことも出来る。こんなふうに」
フロージアはぴんと指を弾き、細かな氷の結晶を撒き散らす。さながら、火打石を打ち付けて火花を散らしたかのように。
「それ、どうやったんだ?」
焦土が身を乗り出すと、フロージアは手のひらに残った氷の結晶をぞんざいに払う。
「そりゃ簡単よ、エーテルを変質させたのよ。あなたの炎も同じ原理よ。酸素を燃焼させているわけじゃなくて、エーテルを燃焼させているのよ」
「変質って、どうやって」
「どうって……具体的に言うのは難しいわね。凍ってしまえ、って思ってエーテルに意識を向けると、ほら」
フロージアが窓の外を指すと、がらごろと巨大な氷塊が転がり落ちていった。ごわんっ、と太いパイプに激突して砕け散った。
「理解出来るような、出来ないような……」
焦土は腰を沈めて湯に浸り、眉根を寄せた。背景は通路ではなく、広い空間だった。天井が高く、それに応じた高さの窓もあり、壁は無機質な金属ではなくレンガで出来ている。暖炉もあるが、その中には大きな蒸気釜が突っ込まれていた。調度品らしいものはなかったが、奇妙な物体が据えられていた。
一見しただけでは、パイプオルガンのように見えた。金属の円柱が規則正しく並んでいて、四角い枠に収まっている。注視すると、円柱を成しているのは膨大な数の歯車であり、その全てに数字が刻まれている。その側面には、円柱に繋がる大きな歯車があり、それを稼働させるための動力源と思しき蒸気釜が付随していた。
「あれは蒸気式計算機よ。階差機関、解析機関、或いはディファンレンス・エンジンともいうわ」
「フロージアが使っているのか?」
「まさか。あんなもの、私には必要ないわ」
フロージアは手のひらに氷を作ってから、手元の瓶からスプーン一杯の砂糖を掬い、手のひらの氷に落とした。そこに新たな氷を作って砂糖を包み込むと、焦土に喰わせてきた。
「そうとも! この城と計算機は、我が輩の肉体にして頭脳なのだ! その魔女は居候に過ぎない!」
唐突に力強い声が響き、焦土はぎょっとした。氷の塊を落としかけたが、砂糖が勿体ないので強引に頬張って溶かし、飲み下した。焦土が声の発信源を辿ると、暖炉の中から蒸気釜が抜け出してきたその蒸気釜には手足が生えていて、頭部も付いていたが、背中からは一本のチューブが伸びていた。さながら、胎児のへその緒だ。
「ようこそ、蒸気式万能武装図書館アイオロス号へ!」
蒸気釜から人型ロボットと化した者は、舞台俳優のように両腕を広げた。
「我が輩の名はボイラー・アイオロス・スティーブンソン! 人呼んで、“蒸気男爵”とは我が輩であるぞ!」
「俺は……焦土だ」
まだ馴染みのない名で、焦土が名乗る。
「居候とは失礼ね。あなた一人じゃ、この船を維持することなんて不可能じゃないの。私が部品や資材を手に入れなければ、ろくに修理も改造も出来ないくせに」
フロージアが冷ややかに言い捨てると、蒸気ロボはため息の代わりに蒸気を噴出した。
「いいではないか、我が輩が我が輩を認めずして何になる」
「もしかして、あの変なロボットがあの計算機を使うのか?」
焦土が蒸気男爵を指すと、フロージアは次の氷の塊を作り、焦土に喰わせてやった。
「そうよ。でも、あれは血の通った生き物ではないのよ。一から十まで機械の塊で、魂も知性も作り物なのに、最初からあんな感じなのよ。面白いでしょ?」
フロージアが口角の端を歪める。トカゲなりの笑みだった。
「いいこと、スティーブンソン? これは私が苦労して手に入れたんだから、私の所有物にするわ。文句はないわよね?」
フロージアが指先を向けると、スティーブンソンは唸る。
「ううむ。だがなぁ、魔女よ」
「こいつを赤道国家の輸送部隊から回収するのは、一苦労だったのよ? あなたは私の友人ではあるけど、雇い主ではないわ。それ相応の報酬がないと、割に合わないのよ」
フロージアが言い返すと、スティーブンソンは考え込む。
「右腕はどうした?」
「赤道国家の魔女に切られて、持っていかれたわ」
「となると、ううむ」
スティーブンソンは頭部に付いたレンズをがちゃりと組み換え、虚空を睨む。
「なるほど、彼のエーテルの筋がまだ消えていない。だとすれば、赤道国家は右腕だけで当面の動力源を補うつもりのようだな。まあ、理論の上ではイケるかもしれんが、本体が持つかなぁ」
「こいつ、私より燃費が悪いから、身が持たないわ」
フロージアもまた虚空を睨み、スティーブンソンの視線を辿る。恐らく、どちらも空中に漂うエーテルの筋を捉えているのだろう。焦土もじっと目を凝らしてみると、湯気や蒸気とは異なる淡い光の筋が伸びていた。しかも、焦土の右腕の根元から。
「だとすれば、うん、そうだな。供給源を絶つべきだ。元より、我が輩の作戦の肝はそこなのだ。となると……」
スティーブンソンは重たい足音を響かせながら、仰々しい計算機に辿り着いた。ペダルを踏み、ハンドルやギアを切り替えてから、歯車を忙しなく回転させて数字を組み替えていく。かちゃかちゃかちゃかちゃっ、と小気味いい金属音が続いたが、それが途切れるとスティーブンソンは顎と思しき部分をさする。
「うむ、至って簡単な話だ。彼の腕の根元を塞ぎ、エーテルの流出を止めてしまえばいいのだ」
そうと決まれば仕事が出来たぞ、とスティーブンソンは喜々として計算機を操り始めた。大量の数字を用いた複雑な数式を書き記しては、それを打ち込んで計算していく。何をやっているのか、焦土には見当もつかなかった。それはフロージアも同じなので、氷の塊で砂糖を包んではひたすら焦土に喰わせ続けていた。
解らないことだらけだが、砂糖の甘さは本物だった。
つまり、こういうことらしい。
氷に支配された世界にも国家が存在していて、その名は赤道国家アラトトという。息をするだけでも大量の熱を発する焦土は、その赤道国家のエネルギー源として捕縛されて連行される途中だったようだが、氷の魔女たるフロージアが焦土を奪取しようとした。だが、その際に右腕が切り落とされ、赤道国家直属の魔女に奪われてしまった。だが、焦土が生きている限りは右腕も生き続け、炎を発し続けるので、それは赤道国家にとって都合が良すぎる。そこで、焦土の右腕の根元に蓋をして兵糧攻めじみたことをしよう、と蒸気男爵は思い立った。というのが、事の次第だ。
「お前達はその国家と敵対しているのか?」
右腕の根元に太いパイプを繋がれ、無尽蔵に出てしまう炎とエーテルを吸引してもらいながら、焦土はぼりぼりと砂糖の塊を齧った。
パイプはリビングの壁を伝って壁を貫通しているので、どこに繋がっているのかは知る由もない。
ちなみに、焦土の右腕の根元を配管に繋げたのはスティーブンソンであり、その作業を終えるとリビングから出ていってしまった。丸出しだった股間を隠すために、とスティーブンソンからは鉄板を寄越してもらったが、その鉄板を抱えるために胡坐を掻く形になり、余計に恥ずかしいが、この際文句は言えなかった。
無駄な熱量を抜いてもらうと体温が少しは下がるので、フロージアに手間を掛けてもらわなくても、焦土は砂糖を食べられるようになった。といっても、すぐさま口の中で溶けて焦げてしまうので、実質的にはほろ苦いカラメルではあったのだが。
「そこまで大業なものじゃないわよ。スティーブンソンはともかく、私が赤道国家に睨まれているのは確かだけど」
フロージアはソファーにゆったりと腰掛け、膝の上に本を広げていた。蒸気式万能武装図書館、というだけのことはあり、リビングには本棚が備え付けてある。背表紙をざっと眺めてみたが、焦土の知る言語と知らない言語のものが混在していた。
「他の魔女を捌いて、心臓を食べちゃっただけなのに」
フロージアはちょっと面倒そうに、焦土を見やる。
「大したことだろ、それは!」
焦土が目を剥くと、フロージアは事も無げに返す。
「だって、私は魔女だもの」
「それだけの理由で、仲間の心臓を食べちまうのか?」
「あら、ひっどい。他の魔女達は私とは同類ではあったけど、同列ではないし、増してや同調したことはないわ。それに、私なりに彼女達の心臓のおいしさに敬意を払っているわ」
「もしかして、お前の名前の意味って」
焦土は血の気が引く思いがしたが、体温が高すぎるせいで顔色は変わらなかった。
「御察しの通り。フロージアは本来の名前だけど、フリージア、フロスティ、グレイシャー、コールドストーンは私が心臓を食べた魔女の名前よ。エレガントでしょ?」
にやにやするフロージアに、焦土は胸が悪くなりそうだった。どこがエレガントだ。言葉は通じるし、二足歩行するが、やはり人間とは根本的に違う生き物なのだ。だから、倫理観も価値観も根本的に異なっている。その違和感には、当分馴染めそうにない。
「俺の心臓も喰うのか?」
焦土が左手で胸を押さえると、フロージアは頬杖を突く。
「さあ、どうかしらねぇ。男の心臓って筋力が強いから噛み応えがあるけど、喉越しが今一つなんだもの。でも、あなたがおいしそうであれば、考えてやってもよくってよ」
「……魔女め」
焦土が侮蔑を込めて吐き捨てると、フロージアはくすくす笑う。
「お褒め頂き、光栄だわ」
砂糖の塊を食べ終えたことで血糖値が上がり、風呂で心身を休めて余剰分の熱を抜いたおかげで、焦土はようやく落ち着きを取り戻していた。
一万年後の地球、エーテルが実在する宇宙、人間ではない者が跋扈する世界、そして我が身に宿る炎。どれもこれも、かつての自分では持て余すことばかりだ。ただの高校生に過ぎなかった頃に好んで読んでいた空想世界の領域であり、現実だと認識したくないと心のどこかで思っている。だが、これが紛れもない現実であり、受け入れていくべきだ、と焦土と名乗った自分は叫んでいる。
どちらも正しいから、やりづらくてたまらない。
魔女に比べて、蒸気男爵は親切だった。
それも下心ありきなんだろうな、と焦土は早々に悟っていた。蒸気機関で動く肉体を持つ者からすれば、底なしの炎を発する男は何物にも勝る燃料だから、親切にしないわけがない。しかし、それぐらいの打算があった方が焦土としても気が楽だ。出会って間もないのに、何の根拠もなく親切にされる方が余程怖い。
スティーブンソンが寄越してくれたのは、数枚の銀色の布だった。どちらも本来は宇宙服に使っていた素材だそうだが、無理矢理宇宙服から剥がしたらしく、原形を止めていない。
「うーん……」
焦土は金属の糸で出来た布を羽織ったが、指先に熱を集中させてなぞった。すると、それに合わせて銀色の布が裁断された。
「お、上手くいった」
更に銀色の布を体に合わせ、もう一度指でなぞって溶接すると、服らしい形にはなった。金属の布を張り合わせ、似たようなことをしてズボンも作った。それから、余った布地をくっつけて手袋も作り、左手に被せた。そうでもしないと、触ったものを全て燃やしてしまいかねないからだ。気休めでしかないが、ワンクッションでもあるとないのとでは大違いだ。
「さすがに靴までは無理か」
素足のままでは心許ないが、そこまで贅沢は言えまい。焦土は右腕の根元にも金属の布を巻き付け、片方の布の先を銜えて引っ張り、結び目をきつく縛った。
「ありがとう、随分と楽になった」
焦土が礼を述べると、リビングに戻ってきたスティーブンソンはぶわっと蒸気を噴いた。
「お、おお……! 君は御礼を言えるんだね! 御礼を!」
「ということは、あの魔女は無礼で不躾なのか」
そうだろうなぁ、と焦土が納得していると、フロージアが尻尾でびたんびたんと床を殴った。拗ねているらしい。
「失礼ねぇ。目下の者に気を遣う魔女がいるもんですか」
「ならば、義手のついでに足を補強する器具も作ろうではないか! 我が輩、頑張っちゃう! 頑張らずにはいられんぞ! あっ、嬉しすぎて二度も言ってしまった!」
そう宣言するや否や、スティーブンソンはどたばたとリビングから駆け出していった。その際に背中に接続したチューブが抜けるのだが、すぐさま廊下から別のチューブが伸びてきて刺さるので、便利なものである。蒸気式武装図書館こそが本体ならば、分身を操る必要もない気もするのだが、そこは彼なりにこだわりがあるのかもしれない。
「理由はどうあれ、フロージアが俺を助けてくれたのは確かだ。ありがとう」
焦土が魔女に向き直ると、フロージアはぴんと尻尾を立てた。
「────っ、ばっ、馬鹿ね! 助けたんじゃないわ、私が手に入れるべきものを手に入れただけよ! 思い上がらないことね!」
若干声を上擦らせながら言い切り、フロージアは身を反転させてリビングから出ていこうとしたが、途中でつんのめった。尻尾の挙動がおかしいせいで、足がもつれたのだ。その拍子に氷の破片を撒き散らしたが、勢い良くドアを開けて出ていった。
「変なトカゲだなぁ」
焦土は変な感覚が込み上がってきて、顔がひきつったが、筋肉が強張っていた。胸の辺りがくすぐったいような、むず痒いような感覚があるが、不快感はない。可笑しいのだと気付いたが、かつての自分以上に今の自分は感情表現が下手なのか、頬の筋肉が奇妙に歪むだけだった。
窓の外は相変わらずの雪原で、遥か彼方でちかちかと日光を撥ねているのは、氷山か何かだろう。この蒸気式万能武装図書館は、ソリと同じ方法で推進しているのだそうで、時折氷塊に乗り上げては船体が揺れていた。
蒸気男爵の内部はどこもかしこも鉄臭くて油臭いが、不思議と無機質さは感じなかった。そこかしこでパイプが唸るからか、物理的に温度が高いからか、或いはスティーブンソンの妙な人間臭さのせいか。いずれにせよ、事態を把握するまでは、ここに身を置くのも悪くない。トカゲの魔女は不気味だが、理由はどうあれ、助けられた恩義があるのだから無下には出来ない。
自分が何者なのかを知るためには、彼らの助力が必要だ。