狩らねば狩られ、喰わねば喰われ
人数が増えた分、食糧の減りが早くなった。
アイオロス号の新たな搭乗者、ブリガンドは焦土よりも身長も高ければ筋肉量も多い獣人なので、その分だけ摂取する食事の量も多い。自分で喰う分は獲ってくる、と彼自身は述べていたが、“剛腕男爵”シリウスと“霧の魔女”ミスティと交戦した際の負傷と体力の消耗から回復するまでには、数日の時間が要した。
機械の体故に飲み食いしないスティーブンソンはともかく、フロージアは自分に対して恨みを抱いているブリガンドをあまり好いていないが、食糧を出すことを渋りはしなかった。なので、焦土はブリガンドの食事を見繕ったのだが、彼もまた生肉を丸呑みするタイプだった。調理する手間が省けたが、一人分だけしか作らないのは、それはそれで物足りないような気もする。
「というわけで、狩りをしましょうか」
フロージアの提案に、体力が回復したブリガンドは応じた。
「それは構わんが、赤道国家でぬくぬくと育てられた魔女に狩りなんて出来るのか?」
「あら、言ったわね? 出来るからこそ、言ったに決まっているじゃないの」
フロージアはむっとしたが、身を翻してリビングを後にした。
「焦土も行かねばならんよ。君は何かと燃費が悪い」
蒸気式計算機を操っていたスティーブンソンにせっつかれ、焦土は苦い顔をする。
「それはそうなんだが……」
狩りなんて、一度もしたことはない。それ以前に、生き物を仕留めて殺して食糧に加工することに抵抗がある。今まで喰っていたものはれっきとした獣の肉じゃないか、これからも肉を喰わないわけにはいかないだろ、とは思うのだが、腰が上がり切らない。
「したことがないのなら、教えてあげるわ。簡単よ」
フロージアが左手を引いてきたので、焦土は渋々立ち上がり、リビングを後にした。ブリガンドは何か言いたげではあったが、焦土から目を逸らした。どうやら、ブリガンドの中での焦土は、同族でもないトカゲに欲情する変態野郎に位置付けられたらしい。はっきりと文句を言われはしないのだが、フロージアと一緒にいる時に限っては、彼の態度は明らかに辛辣だった。
否定したいのだが、否定しきれないのが悔しいところだ。焦土は狭くて歩きづらい通路を進みながら、少し前を歩くフロージアの背を見下ろしていた。髪に似た羽毛を束ねた三つ編みと長い尻尾が、上機嫌に揺れている。焦土の左手を掴む手は冷たくて小さいが、年相応に柔らかい。────あのことを思い出してしまう。
「なあ」
「仕留めた獲物の捌き方も教えてあげるわ。特別よ」
「ああ、うん」
焦土が曖昧な返事をすると、フロージアは声色を弾ませる。
「生のままでもいいけど、火を通して食べるのも悪くないわ。作ってくれるなら、食べてもよくってよ」
「まあ、そうだな」
焦土は語気を濁した。エーテルの共振によってブリガンドの感情を得てしまい、焦土はそれに煽られるがままにフロージアに対して憎悪と共に執着を覚えてしまった。それだけならまだしも、勢い余って彼女を押し倒して、それから。
不意に、焦土の手を掴むフロージアの手に力が入った。それ以上考えるな、とでも言いたげだった。なんで解った、と焦土は言いかけたが、手を繋いでいるせいで、意識せずとも互いの体内のエーテルが共振してしまうのだと察した。そして、フロージアが敢えて言及しないので、焦土もキスのことは言及すべきではないと判断し、思考を逸らした。
とりあえず、狩りのことを考えた。
現在、アイオロス号は氷床の端に至っていた。
スティーブンソンによれば、焦土がフロージアと出会った場所からは一〇〇キロ以上は移動してきたのだそうだ。この世界の陸地と化している分厚い氷床は一枚に繋がっているわけではなく、大きな氷床が何枚も海の上に浮かび、流氷を零しながらゆっくりと移動しているとのことだった。
「おお、本当に海がある」
アイオロス号から下り、焦土は目を凝らした。雪と氷が途切れていて、その先には紺色の液体が波打っていた。鼻を突くのは潮の香りで、得も言われぬものがある。そして、波間には流氷が散らばっていて、その上では丸まっこい獣が伸びていた。晴天なので、ひなたぼっこをしているようだった。
「よかった、イエティは来ていないみたいね」
フロージアが安堵すると、ブリガンドも目線を配らせる。
「奴らの狩り場からは離れているのかもしれんな。連中がいたら、狩りどころじゃない」
「イエティって、あのイエティか?」
焦土が思い浮かべたのは、雪深い山岳地帯で目撃されたというUMAの姿だった。雪男とも呼ばれる大柄で毛むくじゃらな猿人で、謎の多い存在だが、その正体はヒグマの見間違いではないか、というものである。つまり、人間の空想の産物なのだが、シャドウピープルやスカイフィッシュといった変なモノがいるのであれば、イエティがいてもなんら不思議ではないのかもしれない。だが、しかし、でもなぁ、と焦土が首を捻っていると、フロージアは神妙な顔をした。
「イエティに会ったら、戦わずに逃げなさい」
「そんなにヤバいのか?」
焦土が訝ると、ブリガンドは頷く。
「あれは魔女でも無理だろうな」
「えぇー……?」
魔女が一番強いわけではないのか。焦土は困惑したが、それもそうか、動物だって上には上がいるもんな、と思い直した。例によってスティーブンソンには留守番をしてもらいながら、三人は硬く締まった雪原を歩き、進んだが、不意に海面が割れた。
「あ」
フロージアが足を止めると、ブリガンドもびくりと身構えた。ざばぁっ、と盛大に海水を撒き散らしながら伸びあがったのは、赤黒い筒状の巨大生物だった。つるりとした皮膚は蛇腹状に溝が走り、先端には円形に歯の生えた口がある。言うならば、ヤツメウナギとミミズを組み合わせたような生物だった。
「うぉあっ!?」
焦土が後退ると、フロージアは呟いた。
「モンゴリアン・デス・ワームの縄張りだったのね。道理でイエティがいないわけだわ」
三人の目の前では、モンゴリアン・デス・ワームが流氷の上で寝そべっていた獣にかぶりつき、ぼりぼりと齧ってしまった。海中で泳いでいた獣にも喰らい付き、がりぼりと砕いて飲み下してしまう。あっという間に十数匹の獣を喰い漁り、雪原と海中には獣の鮮血が垂れ流された。
「血の匂いがするとなると、今度はチュパカブラが来るぞ」
ブリガンドの言葉に、焦土は面食らう。
「あれって実在しているのか? いや、それ以前にどこから?」
「どこって、海からよ」
フロージアが荒れ狂う海面を指すと、モンゴリアン・デス・ワームが去り、それと入れ替わる形で小型の生物が海中から飛び出してきた。大きな赤い目に背中から棘が生え、手足には水掻きが付いている。群れを成して現れたチュパカブラは、びょんびょんと跳ね回りながら、モンゴリアン・デス・ワームの食べ残しである血を啜り始めた。
「他にも何か来るのか?」
焦土が臆すると、ブリガンドが苦々しげに零した。
「モンゴリアン・デス・ワームの縄張りともなれば、似たような生態系を持つシー・サーペントが来るのも時間の問題だ。連中は、普段は氷の下でじっと身を潜めているからな」
「後は?」
焦土がフロージアに問うと、フロージアは指折り数えた。
「モケーレ・ムベンベもたまに出てくるし、日当たりのいいところにはトリフィドが生えているし、雪に混じってケサランパサランも降ってくることがあるわ。そういう奴らが多いと、シャドウピープルも増えるのよね」
「ツチノコは? ツチノコはいないのか?」
焦土が食い下がると、フロージアは鬱陶しがりつつも答えた。
「いるけど、あれはおいしくないわよ? 氷の上にいる連中は、どいつもこいつも食べるところがなくってよ。モケーレ・ムベンベは血に毒があるし、トリフィドは硬いし、ケサランパサランは毛の塊で肉もないから食べようがないし、シャドウピープルとスカイフィッシュに至っては食べる以前の問題だし。ツチノコは少しは肉があるけど、骨ばっかりで食べづらくってよ」
「評価する基準が解りやすいというか、なんというか」
焦土が半笑いになると、ブリガンドは海面を指した。
「ところで、あれはどうする?」
彼の爪が示した先では、新たな巨大生物が出現していた。モンゴリアン・デス・ワームよりも一回りは大きい、凄まじく巨大なウミヘビだった。その頭部や側面にはヒレが生えていて、一対のツノを振り翳してモンゴリアン・デス・ワームをしきりに攻撃している。これこそが、シー・サーペントだった。
チュパカブラの群れは悲鳴を上げて逃げ惑ったが、シー・サーペントはチュパカブラの群れを喰い散らかしながら、モンゴリアン・デス・ワームと絡み合いながら争い始めた。両者はぎいぎいと不快感を掻き立てる鳴き声を上げながら、長い体をくねらせ、巻き付け、噛みつき合う。勝負は互角で、なかなか決着が付きそうにない。
「仕留めたところで、喰い切れなくってよ」
フロージアが呟くと、ブリガンドは肩を竦める。
「だったら、さっさと狩り場を変えようじゃないか」
「やっぱり、食い切れるか否かが判断基準なんだな」
踵を返した二人に続き、焦土も歩き出した。フロージアやブリガンドのような獣人達は元を正せば移民船から現れたように、UMA達もまた移民船から生まれ落ちたのだろうか。それにしては、どれもこれも都市伝説の通りの姿なのが不思議だ。いかなる種であろうとも、生物は環境にに合わせて外見や能力が変化するものではないのだろうか。彼らもまたエーテルを得ているのだろうから問題はないのだろう、と考えようとしたが、なんとなく解せなかった。
ところで、UMAは旨いのだろうか。
結局、狩りは上手くいかなかった。
それというのも、イエティの群れが現れたからである。アイオロス号を走らせ、別の海辺に移動したのだが、流氷や海中で暮らす獣達はことごとく狩られた後だった。モンゴリアン・デス・ワームもまた狩られたようで、巨体を輪切りにされたばかりか、内臓を引き摺り出されて捨てられていた。その内臓にも鳥が群がっていて、喰い散らかされていたのだが。
焦土達はイエティと遭遇することはなかったが、その痕跡はたっぷりと残っていた。大きな足跡が雪原に刻まれ、凄まじい怪力で氷が見事に砕かれていた。イエティ達の移動手段なのか、ソリの跡と共に獣の足跡も付いていた。だが、それを追おうとは誰も提案しなかった。
というわけで、今回は魚を狙うことにした。フロージアは不満げで、ブリガンドも物足りなさそうだったが、焦土はほっとしていた。獣を殺すのには躊躇いがあるが、魚はそうでもないからだ。しかし、地道に釣るわけではない。増して、フロージアに海水ごと魚を凍らせて回収するわけでない。もっと手っ取り早い方法があるからだ。
「狩りって、これでいいんだろうか」
疑問を抱きながらも、焦土は海面に炎の塊を放り込んだ。直後、水蒸気爆発を起こし、激しい水柱が上がる。と、同時に魚が吹っ飛ばされて空中に放り出されたので、それを空中で待ち構えていたブリガンドが次々に回収していく。
「楽でいいじゃない」
フロージアがけらけらと笑ったので、焦土はちょっと笑う。
「といっても、捌くのは俺だけどな」
「なんで? その必要はあるの?」
「一度に全部は食べられないだろ。保存するには、内臓を取り除いて雪で洗って血を抜いておかないと」
「そうすると、どうなるの?」
「日持ちする。冷凍しておくとはいえ、下処理するとしないのとじゃ大違いだからな」
「ふうん。ねえ、魚ってどんな料理になるの?」
「焼いたり、蒸したり、煮たり。まあ、色々とある」
「おいしいのかしら」
「頑張ってみるさ」
焦土は海水の飛沫が舞う空を仰ぎ見ると、ブリガンドが大きく弧を描いていた。彼の両腕には十数匹の魚が抱えられていて、銀色のウロコが白く輝いていた。焦土は魚を調理する手順や味付けを思い出しつつ、フロージアを窺うと、目が合った。が、すぐにどちらも目を逸らしたので、鼓動が跳ねることはなかった。
何はともあれ、腹が減った。