少年の夢は駆動する
補給と休息を兼ね、アイオロス号は移民船の傍で身を休めた。
といっても、休むのはアイオロス号だけであって、スティーブンソンは忙しなく働いている。図体の大きい本体を管理維持するのは、そう簡単なことではないからだ。部品に注油し、摩耗したギアやシャフトを交換し、血管のように張り巡らされたパイプを全て点検して整備し、彼自身の脳でもある蒸気式計算機の調整を行う。そして、蒸気機関に欠かせない真水を調達するために、雪を融雪槽に入れてから塩分除去装置で濾過し、蒸気機関の水と生活用水を作る。広大な地表ならぬ氷床を形成している氷は元を正せば海水なので、塩分や不純物が混じっているのだそうだ。
フロージアはあまりやる気はないようだったが、氷の人形を作って代わりに働かせていた。氷の人形は氷のスコップを作り、雪を掻き出しては融雪槽に投げ込んでいく。焦土は融雪槽に詰め込まれた雪を早く溶かすために、小さな種火を融雪槽に投げ込んでいた。
「あんなもんでよかったのか?」
焦土はアイオロス号の脇に積み重ねたガラクタを示すと、船体の下部に潜り込んで整備していたスティーブンソンが顔を出した。両手には工具を握り、全身が雪と機械油にまみれている。
「うむうむ。上出来だとも。火山はあれども鉱山が乏しいから、金属は希少価値が高いのだ。故に、その金属をふんだんに使った肉体を得ている我が輩は贅沢の中の贅沢をしているわけだが……うふふふふ」
「もう一度箱舟に潜れと言われて潜るのは、あなたぐらいなものだわ」
デッキに立つフロージアは、氷の人形達の作業風景を眺めつつ、焦土を窺ってきた。その視線に応じるべきか否かを一瞬迷ったが、焦土は変な笑いを浮かべた。
「まあ、色々と思うところがあってな」
旧世界の痕跡に触れて人類の存在を感じ取りたかった、というのも嘘ではないが、本音を言えばフロージアと人間の戦いがどんなものだったのかを知りたかった。だから、フロージアと人間が交戦したであろう場所に向かってみたが、血みどろの氷が散乱しているだけだった。肉片らしき物体も転がっていたが、既に冷え切って固まっていたので、それがただの獣の肉なのか人間の肉なのかは判別が付けられなかった。人間の逃走経路と思しき血の筋があったので、それを辿って氷に没した船首部分に向かってみたが、船首は浸水していたので、それ以上は追えなかった。その後は、スティーブンソンから命じられた通りに、資材の回収を行ったわけだが。
「ん? アイオロス号の推進装置ってキャタピラなのか?」
焦土はスティーブンソンが外した部品を見、首を捻る。長方形の金属板が連なっているので、戦車の履帯の部品に似ている。
「原理としてはスノーモービルであるな。んで、水に入る時はキャタピラを引っ込めて船腹で覆うのだ」
「ケツから蒸気圧を噴出しているだけじゃなかったのか」
「当たり前である。飛行機ならともかく、雪上ではそうもいかないのでな。他の雪上蒸気船も似たような構造ではあるのだが、それに乗る魔女や貴族の能力に応じて細々と改造を加えてあるのだ」
「ああ、この前のクマと風船女が乗っていたやつか。あれもスティーブンソンが造ったのか?」
「御明察である。赤道国家で使われている機械の大半は、我が輩の設計に基づいて造られたものなのだ。その設計図は残してきたし、兵士達には整備する技術も授けたのだが、それが活用されているとは思い難いのである。剛腕子爵の蒸気船も、駆動こそ出来ていたが、整備不良のような音が聞こえていたからな……。ああ、でも、それは焦土がぶっ壊してしまったのであるが」
「あの二人、どうなったんだろうな」
焦土が疑問を零すと、フロージアが肩を竦める。
「シリウスもミスティもしぶといから、心配するだけ無駄よ」
「しかし、スノーモービルか……」
焦土が呟くと、スティーブンソンが赤い瞳を向けてくる。
「おや、興味があるのかね?」
「乗り物っていいよな」
焦土がしみじみと頷くと、スティーブンソンはにんまりする。
「そうとも。そうなのだとも。力強く駆動する機械は美しいのだ」
「そうかしら?」
フロージアが冷めた目を向けてきたが、焦土はそれに構わずに感じ入る。
「乗り物はな、格好いいんだ。スノーモービルやバイクや車みたいな、移動と輸送を目的とした乗り物は機能美という言葉を体現しているんだ。人型多脚重機や人型戦闘機のような大型工作機械は、それ自体が最高なんだ。移民船みたいなデカいだけの船とは訳が違うんだ。乗り物ってのは走ることに特化した形状と機能しか付いていないんだが、それがいいんだ。いいんだよ」
「うむうむ! そうなのだよ、焦土! ならば、我が輩が君の乗り物を作ってみようではないか! 専用機であるぞ!」
「専用機!」
焦土が身を乗り出すと、スティーブンソンも蒸気を噴く。
「もう一度言おう、専用機であるぞ!」
「専用機……!」
焦土はその言葉の快感に痺れ、にやついた。
「訳が解らなくってよ」
フロージアは嘆息し、二人に背を向けた。だが、そんなことで二人の勢いは収まらない。焦土は憧れていた乗り物に乗れる嬉しさで、スティーブンソンは乗り物の良さを共感してもらえた喜びで、並々ならぬ力が湧いてしまった。それに任せ、二人はスノーモービルの製作を始めた。といっても、綿密な設計図を引いてから制作に取り掛かったわけではなく、部品の寄せ集めではあったが、そこはスティーブンソンの才能と機転で補われた。そして、焦土は部品の資材集めに奔走し、何度となく移民船の中を出入りした。
何かを作るのは楽しいからだ。
更に三日後。
スティーブンソンの創作意欲と焦土の憧れを詰め込んだ、蒸気式スノーモービルが完成した。要するにアイオロス号のミニチュアのようなもので、構造自体は変わらない。エーテルで加熱した蒸気によって動く履帯が備わり、先端が曲がった板を付け、ハンドルと座席も付いている。
「おお、おおおお……!」
焦土が目を輝かせると、スティーブンソンが胸を張る。
「どうだね、我が輩の才能は! もっと褒めてくれてもいいのだ!」
「ありがとう、最高だ!」
「そうだろうとも、そうだろうとも!」
スティーブンソンと手を取り合い、焦土は満面の笑みを浮かべていた。その様を遠巻きに見ているフロージアは、明らかに不機嫌そうだった
「私は面白くもなんともなくってよ」
「試運転はしたし、実走試験もしたので、さあ乗るがいい!」
スティーブンソンがスノーモービルを示したので、焦土はぐっと拳を固める。
「言われずとも! 俺の専用機に!」
「付き合っていられなくってよ」
ああ馬鹿らしい、とフロージアは背を向けてアイオロス号の船内に戻っていった。解らないのであれば、それはそれで構わない。焦土は子供のようにうきうきしながら、スノーモービルの座席に跨ってハンドルを握る。焦土から生じる炎を受けて蒸気機関が加熱し始めてから、アクセルレバーを軽く握ると、蒸気圧によって履帯が回転して前進した。
「うおおおお!」
「計算上、最大時速50キロである!」
「あ、割と普通だ」
「但し、それはスノーモービルの耐久力の上での話であるぞ! 焦土がエーテルを燃焼させて爆発的なパワーを与えれば、その出力は無限大である! だが、その代償としてスノーモービルは爆発してしまうのだ!」
「うおああああ!」
「とても大事なのでもう一度言うのだ、爆発してしまうのだ!」
「うおおあああああ!」
焦土が興奮に任せて叫ぶと、フロージアがドアの隙間から冷え切った眼差しを注いできた。かと思うと、焦土の後頭部に氷の塊が降ってきた。
「解らん奴には一生解らんさ、ふはははは」
氷の塊が強かに激突した後頭部をさすりながら、焦土はスノーモービルに跨った。スイッチを入れてからハンドルを握り、アクセルレバーをぐっと握り締めた。途端に車体の下で履帯が回転し、車体が進み始めた。蒸気圧が足りないからか、出力はそれほどでもなかったが、一気に数メートルは前進した。
「試運転の続き、してくる!」
焦土は更にアクセルレバーを握り締め、加速させた。ブレーキレバーの使い心地も試しながら、平坦なようでいて段差のある雪原を走り始めた。蒸気圧によって動く履帯は力強く、硬く締まった雪を噛みながら車体を押し出してくれる。蒸気釜もエーテルアキュムレーターも容量は充分にあるし、アイオロス号が視認出来る場所で走り回ればいい。
「最高……!」
焦土は感嘆する。尻の下からは履帯の駆動が伝わり、骨を震わせてくる。頬を切る風の感触は鋭く、髪が舞い上がると火の粉が散るのは高揚しているせいだ。澄み渡った青空と果てしない雪原は、この上ない解放感を与えてくれる。スノーモービルの車体が温まり切った頃合いで加速すると、一気に景色が流れていく。その爽快感たるや、身震いするほどだった。炎を足から噴出して飛行する時は加減しているので、ここまでの速度は出せないのだ。
ああ、生きていてよかった。こんなに楽しいことがあるなんて、想像もしていなかった。涙が滲むほどの感動に襲われたが、その涙も一瞬で蒸発してしまう。焦土はハンドルを切って方向転換し、アイオロス号に進路を定めてから、一旦緩めたアクセルレバーを握り直した。一旦戻って、スティーブンソンに礼を伝えなくては。
ふと、頭上に影が過ぎった。焦土が目を上げると、上空から何かが降ってきた。真っ直ぐに、迷いもなく、焦土に狙いを定めている。それも一つや二つではない、複数の影が迫ってきた。
「うわっ!?」
途端に高揚が引っ込み、焦土はスノーモービルを発進させた。そのおかげで、謎の物体は雪原に突っ込んだので直撃を回避した。だが、雪原に突っ込まなかったものが翼を広げ、焦土を追ってくる。大きく翼を広げて滑空してくるのは、人間のような体形と体格の鳥だった。頭部は茶褐色で、顔の下半分と首に掛けての羽毛は白く、翼と胴体もまた茶褐色だ。毛元は黄色く、黒いクチバシは太い。鳥人達は飛行の妨げにならない程度の衣服を身に付けていたが、先頭を行く鳥人だけは武装していた。
「せぃあっ!」
武装した鳥人は身を転じ、焦土に爪の生えた足を叩き込んだ。反射的に炎を出したが、彼はそれに臆することなく、焦土の肩にぎぢっと爪を喰い込ませてきた。寄りによって、右肩を。
「痛ぁっ!」
まだ手術痕が治り切っていないのに。焦土が脂汗を滲ませると、武装した鳥人は力強く羽ばたき、上空へと舞い上がっていく。それに従い、他の鳥人達もぎゃあぎゃあと鳴き喚きながら上昇し、焦土を逃がすまいと周囲を巡り始めた。
「あんたっ、なんなんだよ!」
十数メートルの高さにまで運ばれ、焦土が苛立ちと痛みを紛らわすために叫ぶと、武装した鳥人は鋭い眼差しで焦土を見据えた。
「奪われたものを取り戻すだけだ」
「俺はあんたなんか、知らなぁ、ああああっ!?」
怒鳴ろうとしたところで、無造作に空中に放り投げられた。視界が捻じれて二転三転し、平衡感覚を失いかけたところで、鳥人達が群がってきた。彼らは焦土を容赦なく蹴り、翼で殴り、クチバシで啄んでくる。落下したかと思えば投げられ、上昇したかと思えば放り出されるので、空と雪原がぐるぐると巡る。目眩を通り越して酩酊し、焦土は喉の奥に胃液が込み上がってきた。
その直後、タイミングを狙い澄ましたかのように腹部を蹴られた。当然ながら胃の内容物が逆流し、消化されきっていなかった朝食の名残が空中に散らばる。と、同時に炎も吐き出してしまったため、瞬時に胃液が熱されて蒸発する。
「なんだこいつは?」
武装した鳥人が戸惑いを示すと、他の鳥人達にも動揺が広がっていった。おかげで鳥人達の間で弄ばれることはなくなったが、落下が始まった。解放されたのはよかったが、このままでは雪原に激突する。焦土は右腕のエーテルアキュムレーターの弁を解放し、蓄積されたエーテルと蒸気圧を噴出する。
「うおあっ!」
猛烈な炎が発生し、その勢いで焦土は吹き飛ばされた。落下の勢いは軽減されたが、まだ安心出来ない。両足に意識を集中して、ブーツのかかとから炎を出して姿勢を安定させた後、雪原に背中から突っ込んだ。衝撃が全身に響いたが、雪が解けて水と化したので、ダメージはいくらか分散された。
「痛い……」
だが、それでも痛いものは痛い。鳥人達に攻撃されたせいで、皮膚が何ヶ所も裂けている。出血する代わりに炎が出てくるのは、右腕を切断された時と同じだが、火傷させて傷口を消毒させるついでに塞いでいくので、痛みが何杯にも増している。
「ううう」
痛いし熱いし、散々だ。焦土は水溜りに身を沈め、少しでも痛みを紛らわそうとした。スノーモービルに乗って楽しんでいただけなのに、なんでこんな目に遭わなくてはいけないのだ。理不尽である。
「だが、こいつがテンペスタを殺したのは間違いない。間違っていないのであれば、殺すだけの理由がある」
武装した鳥人は焦土の傍らに舞い降りると、腕と一体化した翼を窄めた。獲物を狩るための爪で焦土の頭を掴み、体重を掛けてくる。がぼっ、と水の中に没したが、程なくして蒸発したので溺れることはなかった。だが、頭蓋骨を握られるのが痛くないわけがない。
「げあっ」
しかし、ここで音を上げるのは情けない。焦土は義手で武装した鳥人の足を掴み、過熱させると、武装した鳥人の足が撥ねた。火傷したからだ。
「ぐぁっ!」
武装した鳥人は火傷の痛みに驚いて足を振り回したので、焦土はその力を利用して振り飛ばされた。またも背中から雪原に落下したが、今度はちゃんと着地した。それと同時に左手を振り下ろし、炎の球を作って投げる。義手でエーテルを溜めたものよりも火力は低いが、こっちの方が手っ取り早い。それを雪原に着弾させて湯気を発生させ、鳥人達の視界を塞いでから、焦土は駆け出した。
「俺の、俺の専用機!」
愛しのスノーモービルを助けなくては。焦土は足の裏からも上腕からも炎を噴出し、滑空しながら走り、スノーモービルへと一直線に向かっていく。幸い、スノーモービルは横転しているが無傷だった。ああ、俺の、俺だけの。焦土は安堵しながら手を伸ばし、スノーモービルへと辿り着こうとした。
が、右腕が届く寸前、黒い影が降ってきた。それはスノーモービルに直撃し、めぎょっ、と嫌な音を立てた。無残にパイプが折れて蒸気釜とエーテルアキュムレーターに残っていた蒸気が漏れ出し、白い湯気が漂う。それが晴れると、武装した鳥人が破損したスノーモービルの上に立っていた。
「俺から逃げるとは、大したものだ」
「あああああああっ」
「これでお前は逃げられん。我が一族の誇り、テンペスタを滅ぼした報いを受けよ!」
「おっ、俺の、俺の専用機になんてことをするんだぁあああああっ」
悲しくて悔しくて情けなくて、焦土は武装した鳥人に殴りかかる。だが、感情が高ぶり過ぎたせいか、炎の出力が制御しきれなかった。炎を纏った拳が武装した鳥人の兜を抉ったが、その拍子に飛び散った火の粉がスノーモービル付近に漂うエーテルに着火し、そして────大爆発を起こした。
漫画みたいなオチだ、と妙に冷静に思った。
爆発の衝撃で、焦土はアイオロス号付近まで戻っていた。
目が覚めると、フロージアが心配そうに覗き込んでいたので、焦土は平気なふりをしようとしたが、予想以上に精神的なダメージが大きかったせいでめそめそと泣いた。男らしくないとは思ったが、誰かに泣きつかずにはいられなかったのだ。
「馬鹿ねぇ」
フロージアは困惑しつつも、焦土を慰めてくれた。
「ちょっと泣かせてくれ……」
焦土はフロージアの小さな肩に縋り、肉体の痛みを上回る心の痛みによって涙を流すが、出した傍から蒸発した。フロージアは焦土の傷口に氷を張り、冷やしてやりつつ、ぎこちない手つきで背中をぽんぽんと叩いてきてくれた。
「泣くほどのことかしら?」
「泣かずにいられるかよ」
「あなた、意外と子供っぽいのね」
「うるせぇ、俺の中身はまだ十七歳なんだ」
「でも、私より年上よ?」
「未成年だ」
「はいはい」
「……で、あの鳥人はなんなんだ? テンペスタの知り合いか?」
ひとしきり泣いたので落ち着きを取り戻し、焦土が尋ねると、フロージアは言った。
「あの羽根の色とエーテルの濃さで、すぐに解ったわ。あれは盗賊団の首領、ブリガンドよ。テンペスタの親族だって話を聞いたことがあるけど、本当だったみたいね」
「盗賊なんているのか」
「もちろんいるわよ。ブリガンドはトウゾクカモメの鳥人族で、盗賊が生業なのよ。例の労働者達を攫ったのも、あいつらよ」
ひとまず帰りましょう、とフロージアに促され、焦土はよろけながらも立ち上がった。スノーモービルの破片を回収してやりたかったが、盗賊達がどこに潜んでいるかもしれないから後にしなさい、とフロージアに宥められた。
「ねえ、殺してきましょうか」
フロージアが事も無げに述べたので、焦土は首を横に振る。
「鳥を喰う気分じゃない」
「あら、そうなの。じゃ、夕食は他のものにしましょう」
フロージアはすんなりと納得し、焦土の右手を掴んで引いた。かちゃりと金属製の手が鳴り、力の抜けた指がフロージアの小さな手に噛み付く。彼女の控えめな体温が感じ取れ、焦土は訳もなくほっとした。また涙が出てきたが、今度は蒸発しなかった。
その理由は、まだ解りそうにない。