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LUMINA―世界の命運を託されたAIと僕の物語』―  作者: ガスケ
2巻

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18/45

第18話 君は誰を見捨てる

残された移動電源・中継車は一台。中央駅地下、海浜医療校舎、旧南小学校から、同時に救援要請が届いた。


人数、電源が切れるまでの時間、代替経路、そして端末名簿に反映されていない四十七人。全員へ同時には届かない状況で、凛は「選ばない二か所で何をするか」も問う。

三つの避難地の人数が画面に並んだ。


【中央駅地下 4,800人】


【海浜医療校舎 930人】


【旧南小学校 620人】


 水瀬凛が膝の上の紙を開くと、旧南小学校だけは、画面より四十七人多かった。


 局地攻撃五日目、午後十一時五十八分。


 午後十一時四十二分に始まった六時間の接続枠は、まだ有効だった。複数機関の鍵とLUMINA本人の継続意思は確認されている。それでも、その認証は現場の資源を増やさない。


 青凪市南部の臨時運用所には、夜を示すものが窓の外の暗さしかなかった。


 壁面画面と机上端末の光が消えず、発電機の低い振動が床から椅子へ伝わってくる。救援電話の呼出音、無線の雑音、紙をめくる音が、途切れずに重なっていた。


 凛は避難所の責任者でも、車両を動かす指揮官でもない。


 昼から、端末へ入らなかった避難者情報を紙の名簿と照合するため、地域支援員の補助としてここにいた。


 膝の上にあるのは、旧南小学校から午後十一時前に運ばれ、その後の照合結果を無線で追記した紙名簿の写しだった。印刷欄の下と裏面へ、手書きの行が四十七本増えている。


 端末を持たない高齢者。


 一時滞在で地域登録が間に合っていない人。


 介助が必要なのに、避難支援区分が更新されていない人。


 家族と別に到着した人。


 どの行にも、確認した時刻と確認者の略号があった。


 南部緊急運用責任者の稲村由紀が、壁面画面を見上げた。


 四十代に見える彼女は、その日の朝、西浜臨海区へ低帯域の通信窓と六機を残す案を承認していた。


 西浜外縁で六機の運用を支える移動車は転用できない。その結果、今回使える車両は一台しかなかった。稲村は、自分の署名が残る画面でその条件を確認していた。


「使える移動電源・中継車は」


「一台です」


 車両担当が答える。


「西浜外縁に一台、北部救援線に二台。返せる車両はありません。残る一台も、警戒時間帯に使える地上回廊へ進入するには、午前零時七分までの出発が必要です」


 三地点へ同時に送ることはできない。


 一か所へ着いたあと、別の場所へ回ることも、次の警戒時間帯が終わるまではできなかった。


 要請から一分後、共同緊急監査会から送られた比較表が開く。


【中央駅地下 推定4,800人/自家電源残余90分】


【海浜医療校舎 推定930人/人工呼吸・酸素供給残余38分】


【旧南小学校 登録620人/設備状態一部未確認】


【残余時間の基準 23:59】


【選択可能 1地点】


 右端に、白青い細い輪が浮かんでいた。


 LUMINAは、この臨時運用所の認証済み端末へ分析結果を返している。だが、車両の運行鍵も、道路の通行許可も持っていない。


 湊の通信窓も、監査会側の一角にあった。


 彼は何かを言いかけ、凛の手元にある紙を見て口を閉じた。


「人数だけなら、中央駅です」


 稲村が言った。


 車両担当の手が、中央駅への仮配車欄へ動く。


「待ってください」


 凛の声は大きくなかった。


 それでも、その手は止まった。


「旧南小学校は六百二十人ではありません。ここに、端末へ入っていない四十七人がいます」


 凛は紙を机へ広げた。


「いつの確認ですか」


「午後九時五十一分から十時四十八分。最後の追記は十一時三十七分に無線で照合されています。高齢者と、移動に介助がいる人が含まれています」


「端末へ反映できる確度は」


「全員が今も校内にいるかは分かりません。でも、いないと消していい確認もできていません」


 稲村が、地上回廊への進入期限を見た。


 八分余り。


「何分、必要ですか」


 戦争が始まる前の地域避難支援拠点で、凛は十五分だけ止めてほしいと言った。


 七年前の避難訓練でも、見落とされた一人を確かめるために出発を止めた。


 一人でも見落とされたと言ったら、止まって確認する。


 確認して、違ったら進む。


 名簿を見る。場所を見る。別の人にも聞く。


 あのとき決めたのは、止まり続ける約束ではなかった。


 いま十五分止めれば、車両はどこにも出せない。


「四分ください。三地点とも、人数だけじゃなく、電源が切れたあとに何が残るかを確認してください」


 稲村は一秒だけ目を閉じた。


「四分、確認を優先します。零時三分まで。各地点への準備は止めない。車両は発進位置で待機」


【判断保留 4分】


【異議提出 水瀬凛/現場名簿差異】


【最終決定者 未記入】


 凛が止めたのではない。


 凛が求め、権限を持つ稲村が四分の確認を決めた。その違いを、記録は消さなかった。


 日付が変わった。


 局地攻撃六日目は、誰も新しい日を迎えた顔をしないまま始まった。


* * *


 四分は、画面の数字より速く減った。


 中央駅地下へは、駅員が携帯無線で応答した。


『非常灯は稼働中。南側階段は瓦礫で使用不可。北側の保守通路は手動解錠できます。地上出口まで約六百メートル。歩ける人から誘導可能です』


「担架と車椅子は」


『保守通路の途中に段差が二か所。駅員と避難者で搬送班を作ります。照明が落ちる前なら動けます』


 中央駅の欄が更新される。


【代替経路 北側保守通路/人間による徒歩誘導】


【制約 段差2/移動困難者の搬送要員が必要】


 旧南小学校には、地域防災無線を介して連絡した。


 最初の呼出しには応答がなかった。


 二回目に、息を切らした女性の声が返る。


『西棟の配電盤が落ちました。体育館は携帯灯に切り替えています。西側道路から煙。正門側へ流れ始めています』


 凛は紙名簿の端に書かれた配置を見た。


「裏門は開きますか」


『手動なら開きます。倉庫の簡易斜路もあります』


「換気は」


『体育館上部の排煙窓は手動索で開けられます。二人必要です』


「端末にいない四十七人を確認できますか」


 無線の向こうで、紙をめくる音がした。


『います。別紙の四十七人。いま点呼します。車椅子七、歩行介助十二。ほかは自力移動できます』


 六百二十という表示が消えた。


【旧南小学校 確認667人】


【紙名簿追加47人/現地再照合】


【代替経路 裏門/簡易斜路】


【代替設備 手動排煙】


 海浜医療校舎の回線には、短い警報音が混じっていた。


『非常電源の残り、三十四分。校舎全体ではありません。人工呼吸器、酸素濃縮、吸引、医療区画の通信だけを残した値です』


「携帯電源へ切り替えられますか」


『人工呼吸器の内蔵電池はあります。ただ、患者ごとに残量が違います。中央酸素が止まれば、手作業だけで全員を維持できません』


「建物から退避する経路は」


『歩ける避難者は東棟へ移動中です。人工呼吸と高流量酸素が必要な人は、受入車両と電源が来ない限り動かせません』


 LUMINAの白青い輪が細く明滅した。


——受信した三地点の報告を、確認時刻と発信者署名に関連づけました。閉鎖回線の内部を直接確認したものではありません。


 新しい比較表が開く。


【中央駅地下 4,800人/残余86分/徒歩退避路あり】


【海浜医療校舎 930人/残余34分/生命維持停止は代替困難】


【旧南小学校 667人/手動排煙・裏門退避/煙流入の不確実性】


【車両出発期限まで 4分】


【00:05出発時の到着見込み 中央駅00:21/海浜医療校舎00:28/旧南小学校00:24】


【電源接続・中継確立 到着後4~7分】


 凛の要求で稲村が確認に使った四分は、三地点すべての残り時間から引かれていた。


 確認したから、時間が戻ったわけではない。


「LUMINA。どこへ送れば、いちばん多く助かる」


 稲村が尋ねた。


——一つの人数だけでは比較できません。中央駅は対象人数が最大です。海浜医療校舎は電源停止後の不可逆性が最大です。旧南小学校は未登録者と煙流入により結果幅が大きくなっています。


「最適な一か所は」


——目的を定めれば順位を示せます。しかし、人数、死亡危険、回復不能性、代替経路のどれを優先するかは価値判断です。私は車両の配分を決定しません。


「電源と中継機能を分けて、二か所へ運べないのですか」


 車両担当が尋ねた。


——電源蓄積部と通信部は一体運用です。現地で分離できません。蓄電池だけを別車で運ぶ場合、積替えと適合確認に最短二十六分を要し、海浜医療校舎の生命維持余裕を超える可能性があります。


「三地点をすべて救える、まだ表示していない案は」


——確認できません。代替策はありますが、どの案にも残る危険があります。


 答えを拒んだのではない。


 答えの形を偽らなかった。


 湊の窓から、低い声が届いた。


『凛。四十七人は、これで比較表に入った』


「うん」


『あとは——』


「私に選ばせないで」


 凛は湊の言葉を止めた。


「私は、消えている人がいるって伝えた。止めて確認してもらった。でも、車両をどこへ送るか決める権限はない」


 自分が十九歳だからではない。


 成人していても、現場の証言者と緊急運用の責任者は同じではなかった。


 権限のない優しさを、権限のある命令のように使ってはいけない。


「ただ、選ばない二か所で何をするかも、一緒に決めてください」


 どこへ送るかという問いは、画面の上では一行で済む。


 待つ側から見れば、それは、自分たちの場所を誰が見捨てるのかという問いに近かった。


 けれど、選ばれないことと、何もしないことまで同じにしてはいけない。


* * *


 午前零時四分。


 稲村は、更新された三つの欄を上から読み上げた。


「中央駅地下。四千八百人。自家電源は八十五分。北側保守通路から徒歩退避可能。段差と混雑による負傷危険あり」


 次の欄へ視線を移す。


「海浜医療校舎。九百三十人。生命維持系の非常電源は三十三分。歩行困難者と、電力・酸素を切れない患者がいる。停止後の代替は困難」


 最後の欄。


「旧南小学校。六百六十七人。四十七人は紙名簿で再確認。裏門、簡易斜路、手動排煙が使用可能。煙の流入時刻は未確定」


 誰も、人数を小さく表示しなかった。


 四千八百人も、九百三十人も、六百六十七人も、同じ大きさだった。


「昨日、西浜へ一つの経路を残す決定に署名したのも私です」


 稲村が言った。


「あの車両がここにないことも含めて、今回の条件です。昨日の決定をLUMINAへ返すことも、今日の決定を水瀬さんへ渡すこともしません」


 凛はうなずいた。


 稲村は正しい答えを知っている顔をしていなかった。


 ただ、答えがないことを理由に、選択者名の欄を空白のまま残そうとはしなかった。


「中央駅と旧南小学校は、人間が使える退避経路が残っている。海浜医療校舎は、電源が切れたあと人の手だけでは置き換えられない」


 稲村は署名欄を開いた。


「移動電源・中継車を、海浜医療校舎へ送ります。基準は人数ではなく、停止後の不可逆性。中央駅は北側保守通路で徒歩退避。旧南小学校は手動排煙を開始し、裏門から介助者を先に退避。両地点へ人員応援を回します」


【優先先 海浜医療校舎】


【判断基準 生命維持停止の不可逆性】


【決定者 青凪市南部緊急運用責任者 稲村由紀】


【決定時刻 00:04】


 稲村は、電子署名の横に自分の氏名をもう一度入力した。


 端末が本人認証を求める。


 指紋と職務鍵が一致し、選択者名の空欄が埋まった。


 その署名だけで車両が動いたわけではない。


 配車担当が行き先を復唱し、道路担当が地上回廊の通行を承認する。運転担当者が車体と接続具を確認し、自分の運行鍵を差した。


 午前零時五分。


 移動電源・中継車が臨時運用所を出た。


 稲村は中央駅と旧南小学校の回線を同時に開いた。


「車両は海浜医療校舎へ送ります。中央駅には来ません。北側保守通路の誘導班へ、地上側から十二人を向かわせます」


 中央駅の駅員が、一度だけ息を止めた音がした。


『了解。徒歩退避を開始します』


「旧南小学校にも車両は来ません。消防班二組と福祉搬送車を裏門側へ回します。電源供給はできません。手動排煙と退避を続けてください」


『了解しました。別紙四十七人を含めて点呼します』


 選ばれなかった場所へ、選ばれなかったという事実を伝えるのも、人間の仕事だった。


 LUMINAは到着予測と安全な経路候補を更新したが、ハンドルも信号機も操作しなかった。


 大型車の赤い尾灯が、運用所のカメラから消える。


 選ばれなかった二地点の欄が灰色にはならなかった。


【中央駅地下 人間誘導へ移行】


【旧南小学校 手動退避へ移行】


 凛は旧南小学校の紙名簿へ、一本ずつ短い印を付け始めた。


 画面では人数を一度に更新できる。


 紙では、一人ずつしか消せない。


 その遅さが、今は必要だった。


* * *


 車両が海浜医療校舎へ着いたのは、午前零時二十八分だった。


 校舎の設備担当者が接続盤を目視し、系統を生命維持区画へ限定する。車両側の技術員が電圧と接地を確認し、医療責任者が切替えを承認した。


 午前零時三十三分。


【生命維持系 外部電源接続】


【非常電源停止見込みまで 4分】


 人工呼吸器と酸素供給の表示が、赤から黄色へ戻った。


 中継機能が立ち上がり、受入可能な病院、搬送車両、患者ごとの電源条件が照合される。


 九百三十人を一度に運んだわけではない。


 移動できる避難者は人間の誘導で東棟へ移り、生命維持を切れない患者は医療担当者が順序を決めた。中継車は、その移送に必要な時間と連絡経路を作っただけだった。


【海浜医療校舎 生命維持継続】


【段階移送 開始】


【全員の転帰 未確定】


 運用所の一角で、誰かが息を吐いた。


 凛は、安堵してよいのか分からなかった。


 中央駅の画面では、北側保守通路へ入る人の列が、駅員の携帯灯に照らされていた。


 監視映像は途中で切れ、あとは無線の報告だけになる。


『第一群、地上へ到達』


『車椅子、段差一を通過』


『中央付近で転倒。救護班を回す』


『押さないでください。前の人との間を——』


 四千八百人という数字は、画面の上で少しずつ二つに分かれた。


【地上退避確認】


【地下残留・移動中】


 午前一時二十四分、地下残留の欄がゼロになった。


 点呼の重複を直し、救護所の記録と照合した結果、登録されていた四千八百人全員の所在が確認された。


 負傷者は二十六人。


 うち四人が、転倒と搬送中の負傷で入院を必要とした。


【中央駅地下 退避確認4,800】


【負傷26/入院4】


【死亡確認 0】


 多数が助かった、という一行で終わらせれば、二十六人の痛みは消える。


 だから記録は、両方を残した。


 時間を少し戻す。


 旧南小学校の欄だけは、途中から更新が遅くなっていた。


 午前零時十九分。


 手動索が引かれ、体育館上部の排煙窓が開いた。


 裏門には簡易斜路が置かれ、歩行介助が必要な人から移動が始まる。


 端末の六百二十人とは別に、凛の紙にいた四十七人にも担当者が割り当てられた。


 だが、午前零時三十七分、風向きが変わった。


 西側道路の変電設備から出ていた煙が、校舎と体育館の間へ流れ込む。開けた排煙窓の一部が、逆に煙を吸い込んだ。


『上部窓、南側だけ閉めます!』


『裏門の列を止めないで!』


『保健室、二人反応が弱い!』


 凛は運用所から、誰の手も引けない。


 聞こえる無線へ答えを返す資格もない。


 現地の避難責任者が排煙窓の閉鎖と退避継続を決め、消防班が煙の薄い東廊下から保健室へ入った。


 紙名簿と端末名簿の番号が、ばらばらの順序で読み上げられる。


 凛は聞こえた番号へ印を付けた。


 端末の六百二十人にも、紙で加わった四十七人にも、所在の確認が入っていく。


 退避できた人には一本線。治療へ回った人には三角。搬送中で確認が途切れた人には、消さずに時刻を書く。


 画面の合計は、退避と搬送を同じ「所在確認」にまとめた。凛の紙は、同じ印にしなかった。


 午前二時十二分。


 二人の死亡が、搬送先の医師によって確認された。


 二人の氏名と名簿区分は、閲覧を許可された記録にだけ残された。端末登録の有無で、結果の重さを分ける表示は作られなかった。


【旧南小学校 確認667人】


【退避・搬送665】


【死亡確認2】


【負傷9】


 六百二十人という最初の数字にも、六百六十七人という訂正後の数字にも、二人の死を軽くする力はなかった。


 凛は、死亡確認を受けた二つの行へ、退避完了と同じ線を引かなかった。


 点呼は終わっている。


 所在も分かっている。


 それでも、確認済みという一つの印で、助かった人と同じにしてはいけない気がした。


「私が、四分止めてほしいと言いました」


 誰へ向けた言葉か、自分でも分からなかった。


 湊の窓は開いたままだった。


『四分で二人が亡くなったとは、記録からは言えない』


「言えないから、なかったことにするの?」


『しない』


 湊は、短く答えた。


 LUMINAの声が続く。


——停止要求は、各候補への最早到着可能時刻を四分遅らせました。旧南小学校は優先先に選ばれていないため、実際の車両到着との差は定義できません。確認によって四十七人が退避計画へ追加された事実と、停止が全候補の余裕を四分使った事実を、分けて保存します。


 凛を責めなかった。


 凛を正しかったとも言わなかった。


 そのことが、いちばん苦しかった。


「止めなかったら、二人は助かった?」


 凛は聞いた。


——確定できません。四分早い時点では、紙名簿の差異の現地再照合、裏門、手動排煙、煙の流入方向の確認が完了していません。旧南小学校が選ばれた可能性も、中央駅が選ばれた可能性もあります。どちらの場合も、実際とは異なる被害が生じた可能性があります。


「海浜医療校舎を選ばなかったら」


——生命維持停止後の結果は、現在の記録より悪化した可能性が高いです。ただし、何人の転帰が変わったかは確定できません。


 正解だったと言える数字も、間違いだったと言い切れる数字も出なかった。


 凛はそれを、逃げ道にはしなかった。


 確認は判断を変えた。


 確認しても、全員は救えなかった。


* * *


 午前五時三十一分。


 午後十一時四十二分に始まった接続枠が失効するまで、あと十一分だった。


 次の六時間枠を審査する前に、三地点の事後記録が共同緊急監査会へ提出された。


 監査資料へ添える最初の内部説明案は、短く整いすぎていた。


【AI分析に基づき海浜医療校舎を優先】


【生命維持を確保し、三地点の避難を実施】


【確認済み人的被害 死亡2/負傷35/海浜医療校舎の全員転帰は未確定】


 誰が読んでも、一度で分かる。


 その代わり、誰が何を確かめ、誰が決め、何が選ばれなかったかは分からない。


「この書き方なら、判断した人間を守れます」


 記録担当者が言った。


「LUMINAの分析結果として統一すれば、現地担当者への非難も分散できます。公開資料ではありませんが、配布先が増えるほど説明は単純な方が——」


——その記載には同意しません。


 白青い輪が、静かに明るくなった。


——私は比較表と予測幅を提示しました。海浜医療校舎を優先する最終決定は行っていません。車両、排煙、退避を実行したのも私ではありません。


 稲村が、机の前へ戻った。


「私の名前を残してください」


 疲れた声だった。


「海浜医療校舎を選んだ理由も、中央駅と旧南小学校を選ばなかった条件も。結果を知ったあとで書き換えないでください」


 凛は、自分の紙を見た。


 四十七本の手書き線。


 四分の停止要求。


 端末登録の有無で重みを変えずに保存された、二人の死亡確認。


「私の名前も残してください」


 声が震えないように、一度息を吸った。


「止めて確認してほしいと言ったこと。四十七人が確認できたこと。四分を使ったこと。全部」


 監査記録が作り直される。


【分析 LUMINA/三地点の時間・不可逆性・代替経路・不確実性】


【停止要求 水瀬凛/紙名簿47人の差異確認/4分】


【現地確認 中央駅・海浜医療校舎・旧南小学校の各成人責任者】


【優先決定 稲村由紀/海浜医療校舎/生命維持停止の不可逆性】


【実行 車両・道路・医療・避難・消防の各担当者】


【結果 海浜医療校舎・段階移送継続/中央駅・負傷26/旧南小学校・死亡2、負傷9】


【未確定 海浜医療校舎の全員転帰】


【反実仮想 各不採用案の転帰は確定不能】


 成功だけでなく、選択と代償が同じ文字の大きさで並んだ。


 凛は七年前、見落とされた一人がいると言ったら、止まって確認すると決めた。


 その約束は、止まれば全員を救えるという意味ではなかった。


 止まった時間で見つけた人も、止まったあとに選ばれなかった場所も、どちらも消さないという意味へ変わっていた。


 監査資料の配布先が、画面へ並ぶ。


 共同緊急監査会、地域救援機関、設備運営者、医療調整機関。


 異なる文書管理系へ、同じ署名付き記録が複製されていく。


 送信前の最終確認で、LUMINAが言った。


——この決定を、私の名前だけで保存しないでください。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


稲村由紀は、生命維持停止後の不可逆性を基準に、移動電源・中継車を海浜医療校舎へ送ると決定しました。生命維持は継続し、段階移送が始まりましたが、全員の転帰は未確定です。中央駅では四千八百人の退避が確認され、負傷者は二十六人でした。旧南小学校では死亡二人・負傷九人が確認されました。


凛が求めた四分の確認により、端末名簿に反映されていなかった四十七人は退避計画へ加えられました。一方、停止要求は全候補の余裕を四分使いました。四分の停止要求と二人の死亡との因果も、不採用案を選んだ場合の転帰も確定できません。記録は、確認で得たものと使った時間を分けて残します。


LUMINAは比較と予測を示しましたが、優先先を決め、各地で実行したのは人間でした。判断者と実行者の名を消さずに配布された監査記録は、次の問題へつながります。

次は第19話「英雄の正体」です。


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