閑話 残された者たちの記憶【セシリア=ローゼン視点】
薄曇りの王都の空の下、セシリア=ローゼンは冷え切った指先で銀のカップを持ち上げた。
冷め切った紅茶の香りがわずかに鼻腔をかすめるが、どこか渋みが残り、苦い味が胸の奥にまで広がるようだった。
周囲では、白いテーブルクロスを囲む貴族たちが、笑い声を弾ませ、気取った仕草で談笑している。
笑いの輪の中にいるはずのセシリアもまた、口元には微笑みを浮かべていた。
だが、耳に届く声は遠く、霞がかかったように、どこか別の世界の出来事のようだった。
「……そういえば、あのレイ=グランとかいう子、今どうしてるのかしらね?」
「魔力ゼロの恥さらし?死んだんじゃない?」
「ふふ、きっと何処かで野垂れ死んでるわよ。」
――場の空気が、ひやりとした嘲笑で満ちる。
セシリアも頬を引き上げ、作り物の笑みを形作る。
けれど、その笑顔の裏側で、心臓の奥がずきりと痛んだ。
胸に残る重みが、じんわりと滲み出し、冷たい紅茶の味よりも苦く、深く心を締め付けていく。
ふと、あの少年の顔が、脳裏に鮮明に蘇った。
泣きそうな瞳を必死にこらえ、歯を食いしばり、誰にも頼らずに立とうとしていたあの日のレイ=グランの姿。
あの瞳の奥にあった、消え入りそうな光を、どうして自分は見ようとしなかったのだろう。
――……終わりにしましょう。あなたは私の婚約者ではなくなったの
自分が放ったその言葉は、今も耳の奥で響いている。
あの時、周囲の視線が怖くて、家の名を守るため、自分の立場を守るために、冷たい声で彼を突き放した。
けれど、それが本当に望んでいた答えだったのか。
胸の奥に巣食う疑念が、今さらになって膨れ上がり、冷たい滴のように心に落ち続けている。
あの頃、自分はレイの隣に立つ未来を疑いもせずに夢見ていた。
幼い頃、家同士の縁談が決まった時、彼の隣にいる自分を当たり前だと思い、むしろ誇りに感じてさえいた。
彼の小さな背中が成長していく様子を見て、自分も一緒に強くなれる気がしていた。
不器用で、どこか頼りなく、それでも一生懸命で、泥だらけになって剣を握りしめる彼の横顔。
転んで泣きそうになりながらも、必死に歯を食いしばって笑おうとしていた彼の顔。
その姿が、今も胸の奥に焼き付いて離れない。
あの時、そばにいた自分は何をしていたのだろう。
どうして、その手を取ってやれなかったのだろう。
「どうして、あの時……」
声にならない吐息が喉の奥で震え、冷え切った紅茶の中に映った自分の顔が、どこか知らない人のように見えた。
目の奥に宿る空虚さに気づき、思わずカップを置く。
指先が微かに震え、震えを隠すように膝の上で手を重ねた。
「……何をしているの……私」
誰にも届かない小さな声が、空気の中に消えていく。
周囲の談笑は続き、取り繕った笑顔の下で、セシリアはただ、心の奥底に沈む後悔と、言葉にできない痛みを抱え続けていた。
――あの日、自分が失ったものの重さを、今になってようやく理解し始めていたのだった。




