20
朝日を浴びて目が覚めてしまった。惰眠をむさぼろうと、1日ベッドから出ないでいように、サイドテーブルには水の入ったペットボトルが置かれ庶務課からもらってきた期限切れ間近のレーションが積み上がっている。
はっきりと目が覚めてしまう悔しさ。ソラはのそりと起き上がって大きく伸びをした。 2日間の警戒待機シフトは、いつ終わるともしれず続いていた。5人でシフトを組み、基地から離れたソリドンブルグ郊外の荒野で1日中地平線を見るだけの時間。歩兵たちは三交代だが、可変戦闘車は一度出撃すれば2日間は戻ってこれない。操縦室の中では暇のあまり、同級生から中継放送される授業風景をパルで眺めていた。
待ちに待った非番の日。1日ずっと寝ていよう、そう思ったにもかかわらず目が冴えている。
他の仲間達は警戒待機シフトで出払っていて不在。ニロのいびきもフェイフェイの足音も聞こえない。
しん、と静まった寮だがドアの向こうにぴりりとした殺気を感じた。空気がピリッとする感覚──オーゼンゼのときと同じ。アヤカが言うには大気中の水がオゾンに変わったときの匂いらしい。
「アーシャ? 遊びに来た? 僕、まだ寝ていたいんだけど」
のんきに声をかけていたが片方の手では武器になる長柄のナニかを探していた。雑然とした部屋の中にそんなものはあるはずもなく、ドアまでの短い距離で手に掴んだものは小さなティーカップだった。昨日の夜 飲もうとしたアガモール茶のインスタント粉末が入ったまま、湿気てこびりついている。
ドアはすっと手前へ開かれた。そして予想よりも小さな人影が立っていた。
「久しいのぉ、小童」
「ネネ……さん?」
戸口に立つネネは、近衛兵の徽章が入った黒スーツを着ている。それでも袖口や衿口を飾る白いフリルが目立つ。左手にだけ黒の手袋をしている。あのとき、オーゼンゼで見た青く輝いていた方の手だ。予想外のネネの登場にソラは言葉を失ってしまった。
「小童はレディの顔に股間を突きつける趣味があるのか?」
「いやっ、これは! 寝起きだから!」
まだズボンを履いていない。うっかりしていた。
「妾は、トランクスよりブリーフのほうがよいのだがな」
ネネはなおもソラの股間と会話していた。
「で、一体何しに来たんだ? 朝早く、というわけじゃないけど。というかどうやって入口の鍵を開けたんだ?」
ソラは大慌てで制服の戦闘服兼作業用ズボンを履き寝巻き用のヨレヨレTシャツから手頃なきれいなシャツに着替えた。その間、ネネは瞬き一つせず目を皿のようにして生着替えを眺めていた。
ネネを連れて寮の談話室に向かった。適当な椅子に座らせて冷蔵庫の中を見てみたが、自然と子供向けのジュースやソーダを探していた。フェイフェイの名前が書いてあるソーダのボトルを手に振り返ったが、
「アガモール茶のほうがよかった? インスタントしかないけど」
しかし背後からの返事がない。ネネは額に汗を浮かべ、うつらうつら船を漕いでいる。
「気に、せんでもよい」
「暑い? もしかして」
フェイフェイの名前が書いてるソーダは冷蔵庫に戻して、ソラはキッチンペーパーを畳んでネネに渡してやった。
「ふむ、やはり妾も歳よ。年々、この力を使うのが辛くなりおる」
「侍従長は最強のブレーメンで長寿だって噂だけど」
「1000年。詳しくは思い出せぬが、そのくらいじゃ」
「ブレーメンってそんな長く生きられるものなのか」
「妾は神と契約した身。ゆえに長生きなのだ」
「巨大なテウヘルを風船みたいに破裂させたのも? 突拍子もない事だけどさ、実際に見て臓物を浴びたんだから信じる他ないか」
うんうん、とネネはうなずいた。動悸が収まるのを確認するように胸に手を当てている。ソラはコップにミネラルウォーターを注ぐとネネの横に置いてやった。
「どう? 落ち着いた」
「うむ、だいぶ。今日は訳あってここに来た」
「訳あってって、オーランドからだろう? 大陸を横断するほどの用事?」
「いかにも。歩いてきたという訳では無いが。ほれ、小童。抱っこじゃ」
「どういう意味?」
つん、とネネは両手両足を伸ばした。1000歳を超える老婆というより見た目相応の幼女だ。
ソラは一瞬ためらったが、くるりと背中を向けておんぶした。
「恥ずかしがり屋め。小童はどーてーじゃな」
「小さい子供相手になんとも思わないっての」
「ククク。いい。それでこそブレーメン。それじゃ、いただきます」
何?──確認するよりも先に首筋に鋭い痛みが走った。そして生暖かい感触がじゅーじゅーと生血を吸い上げている。
「痛っ! また噛んだな!」
ネネはぴょんと飛び降りて振り払うソラの腕から逃れた。
「む、美味しくないが、まあないよりはマシだろうね」
ソラは我に返った。今の今まで寮の談話室にいたはずなのに、足元は短い化学繊維のカーペットが敷かれ、コンクリートがむき出しの壁は窓のひとつも無かった。天井もコンクリート製で継ぎ目に沿って発光半導体素子が埋め込まれて白い光が降り注いでいる。空調ダクトは化学フィルターまで付いている軍用の規格品だった。ジャガーにも搭載されているのをオーバーホールのときに見たことがある。
「お待ちしていました」
ネネがてけてけと走り去った先にカミュがいた。田舎の清楚な箱入り娘、といった出で立ちでふわっとした白い綿のドレスを着てちらりと覗く胸元には赤い宝石が輝いていた。
「やぁ、カミュ」ソラはどう声をかけるべきか迷ったが「陛下殿」
「フフ、それじゃ儀礼の仕草が全然だめですね。最敬礼は片膝を着いて頭を垂れるのです。でもあなたなら大丈夫。なんといってもあたくしのファン1号なのですから」
「そうだったね。それで、ここはいったい? どうやってここに?」
「ここはセーフハウスです。皇族にもしものことがあったときの退避先です。ネネが1000年前からずっと用意しておいてくれているのですが、ここはソリドンブルグのセーフハウス。街の外れの地下にあります。そしてここへは、ネネの力で転送してきました。あたくしも、あなたも。あたくしたちはネネの力を萬像と呼んでいます」
「なるほど。転送ね。量子のゆらぎとかいう」しかし2人はクスリとも笑わなかった。いたって大真面目らしい。「じゃあ、このあいだの巨獣騒動も?」
「あのメス犬のせいだ」カミュの後ろに控えていたネネがひょっこり顔を出して「妾の力、そして解読した旧人類の知識。それらを解析したのだろう。あやつとの最後の会話がそれだったからな。忌々しいフラン・ランめ」
「わるい、やつだね」
少しも理解できなかったが、ネネに話を合わせておいた。
「おい、小童。適当な返事は時として仇となるぞ」
「ご、ごめんなさい」
1000歳の凄味につい怖気づいてしまう。
「もう、ネネ。今日はお説教をしに来たわけじゃないでしょ! 今日はお礼を言いに来たんです」
「お礼? この間の? 僕はただ言われたとおりに仕事をしただけだよ」
「人類、いえヒトを代表してお礼を。ヒトはブレーメンに酷い仕打ちをしました。しかしあなたはそれにもかかわらずヒトのため身を挺して戦ってくださいました」
「それは、たしかに僕はブレーメンで、20年前の事件の現場にいて、ヒトは許せないと思う。だけど、だからって一個人には関係ない話だと思う。だから僕はみんなのために戦えた」
たくさんのヒトに会ってきた。駐屯地の教官、兵士、整備士、調整員のルナ、学校のみんな、街の住人。悪者はいない。みんな善人だ。恨むなんて筋違い。
「本来であれば公式の場で表彰したいのですが、軍務省の慣例とか規則とかで、あたくし独自では叙勲できません。ですが、せめてこれはそのお礼です」
カミュの隣で、ネネが一抱えの布包を差し出した。その中には2振りの刀があった。不思議だ。初めて見たはずなのに、どこか記憶に引っかかる。
「この間、オーランドに財団の幹部が集まってな。いろいろ話したのじゃ。で、小童。財団に言ったそうだな。『従軍するかわりにブレーメンに遺された刀を返してほしい』と」
「あ、ああ。そういえば。言った気もする。ずっと前のことですっかり忘れていた」
しかし、この2振りの刀を見て記憶から蘇ったのは、戦いの高揚感、血の暖かさ、悲鳴、血の海に映る恍惚とした自分の表情だけだ。
「20年前、ブレーメンのゲットーで虐殺事件が起きたとき、遺体の山の中からこれを発見した。襲撃に加担した暴徒をたった一人で切り結んだブレーメンがいた。それ以来、この刀はオーランドで保管しておったのだが、小童、この刀の由来を知っているか?」
「刀の製法が途絶えて以降、唯一残された刀、とだけ」
ネネは憮然と鼻を鳴らし、その刀の鞘を撫でた。
「これは、500年前 皇キエを支え第1次獣人戦役を戦い抜いた老師ニケ・義・サトー将軍の刀だ。本来、ブレーメンの剣は遺体と共に埋葬され、肉体と一緒に分解される。伝説では、肉体と剣は次の世代の剣に生まれ変わるんだそうだ。不思議やの。傷ひとつつかない超硬質の剣であるのに使い手とともに土へ還るなんぞ」
「じゃあ、その刀は一緒に埋葬されなかった?」
「1000年前 まだヒトの尖兵だった獣人とブレーメンは苛烈に戦い、500年前の第1次テウヘル戦役では逆に手を取り合い戦ったが、両者は隔絶された存在だった。その両者を結びつけたのがニケだ。その偉業を後世も忘れぬため、二振りの刀は受け継がれた。反亜人主義の興りとブレーメンの衰退をニケが知ったらと思うと。妾は顔向けできぬ。ソラ、この刀はお前が持つべきだと思う。カミュが進言して陛下も同意なされた。ソラ、受け取ってくれぬか」
ソラは腰をかがめてネネから2振りの刀を受け取った。刀身は銃剣より長くしかし刀と呼ぶには短い直剣だった。鞘は赤黒い漆塗りで、今どきじゃもうこんな品を作れる職人はいないはず。刀の柄に触れると体の内側から熱い血が沸き起こってくるようだった。古い血が入れ替わり、頭を曇らせていた思考が整理され心が静寂を取り戻した。
「で、どうだ、小童。なにか感じぬか」
「すごい。これが、ブレーメンの力。可変戦闘車に乗ったときも同じようにブレーメンの力が現れるようだったけど、まるで桁違いだ」
「ふむ、そうか。それならいいんじゃが。気に入ってくれてよかった」
すると、カミュも一歩前へ進んだ。
「あ、あ、あたくしからも提案が。あの、えっとあたくしの──」
ぴしゃり。ネネに尻を叩かれてカミュの背筋が伸びる。
「あたくしの守護騎士になってくださいまし!」
ほとんど叫ぶような物言いだった。声だけはアイドル並みによく通るせいで同じ言葉が何度も反響した。
「しゅご、えっとなんだって?」
頭の中で軍の組織図を手繰ってみたが、聞いたことがない役職だ。
「カミュが勝手に作った役職ですの。小童を手元においておきたくて」
「あー、ネネ。それは言ってはいけません! メッですよ。あなただって鼻の下を伸ばしているでしょう。粗相はメッです!」
「こういうときばかりキエの記憶が重なるとは。そういえばあの人も同じような経験をしてましたね」
ソラはどちらに聞こうかと首を振ったが、答えはネネから返ってきた。
「皇の補助と護衛は妾が担ってきたのですが、もう歳のせいか1日起きていることができません。なので、代わりとなる者をぼちぼち探そうと思っていたところですの。いかがです? 侍従長代理ですが10年も経験を積めば立派に役目を果たせるはず。何と言っても、ブレーメンなのだから。なに、細かい手続きは婆婆に任せるがよい。財団の連中は弁護士団を引き連れて文句を言うかもしれぬが、連邦法のほうが上じゃ。なんとかできる」
ソラはぎゅっと2振りの刀を胸の前で握りしめていた。またとない機会だ。ギャング街の裏路地で暮らしていたときでは想像もつかない。輝かしい役職に名誉ある仕事。第3師団でどれだけ仕事をしても他のブレーメンの生き残りには会えなかった。でもオーランドで侍従長を務めたら、その名声でブレーメンに会えるかもしれない。
「僕は──」
同じ小隊の面々が順繰りに思い浮かんだ。人生の転機をくれたヨシギ隊長、スケベだが頼りになるニロ、何かと雑だが優しい側面もあるフェイ、ブレーメンの生き方を教えてくれたアヤカ。そして何よりアーシャだ。ずっと一緒にいると約束した。自分一人が抜けて安全な内地で暮らすなんてできやしない。
「ごめん、カミュ。僕、みんなと約束したんだ。仲間の元を離れる訳にはいかない。ごめん」
カミュは手近なハイスツールにぺたんと腰掛けた。
「カミュは、ただ下心だけではないんだよ」
下心もあったのか?
「どういう意味?」
「軍務省でな。会議があったのだ。財閥の財政、軍事、産業担当も合わせて。報復攻撃のため壁を超えて巨獣の領域へ侵攻することが大筋で決まった。一月以内に作戦立案がなされ、北部、中部、南部戦線から同時に侵攻するのです」
「えっと、じゃあ、これが本当の戦争?」
「表向きは、そういうふうに進むであろうな。だが実態は──うむ、小童、お前を信じて話すが、彼らは獣人などではなく、ヒトの……」
「知っている。藍色の肌の人々だ。仲間のアーシャもその一人だ。緑色の、ええとスイリョ──リョクシュと一緒になって巨獣に変身できる」
「それなら話が早い。彼らの宣言した国家の設立。連邦が始まって2000年弱、国という概念さえなかったのに。あれはもともと、500年前 第1次獣人戦役後に獣人領域へ進行した新設第4師団、東部軍閥その成れの果てなのだ。つまり、この500年間の争いにはそういう経緯がある。400年前の第2次戦役のときは国家の建国宣言、100年前の第3次戦役で進化した人類が襲ってきた。どれも連邦の対となる国家を創ろうという藍色の肌の新人類たちの起こした分離独立運動だの」
ネネは淀みなく話してくれたが、ソラの眉間のシワは深くなるばかりだった。
「まさか、それじゃヒトとヒトの権力闘争じゃないか!」
ソラはつい声を荒らげてしまったせいでカミュの髪の毛が逆立った。
「僕は、僕はアーシャから聞いた。彼らがこちら側に現れるのはあくまで土を取っていくため。黒い砂漠の大地では作物が育たない。だから土が必要なんだって」
「旧人類の掲げる文明の回帰。それは人々の集団が国をつくり、明文化された国家をつくり、国家と国家が争いながらも文明の質を上げていく。それが数千年続き「人類」のアイデンティティを獲得する」
カミュはうつらうつら、彼女に似つかわしくない言葉を並べる。ソラには「人類」や「国家」の意味が分からなかったが、反論せずに聞いていた。
「500年前、裏で暗躍したのは反回帰主義と呼ばれる知識層、分離主義を掲げる企業私兵や軍人たち。青年将校のフジ・カゼがそれらを率いて東征し、反回帰主義者の科学者フラン・ランもテウヘルが保持していた旧人類の知識を求めてあの黒い砂漠の大地へ向かった」
ネネが歴史/見聞きした事実を話してくれた。
「じゃあ、その後は? 何が起きてあんな藍色の肌に? 巨獣だって」
「知らん。500年前は戦後復興に忙しかった。何かと口やかましい反回帰主義者と血の気の濃い軍人が勝手に出て行ってくれた。厄介払いができたわけだ」
「そのせいで今、皆苦労している」
しかしネネは肩をすくめるだけで、
「誰も500年後なんて分からぬからな。あまり責めてやるな。苦労も多かったのよ」
馬鹿げている。バカバカしい。馬鹿だ。そういえば、財団の黒スーツも寿少佐も、ヨシギ隊長もこの戦いを戦争とは呼ばなかった。あくまで、時折襲来する巨獣を撃退するだけなのだ、と。
「じゃあ僕は、どうすればいいんだ」
「間違いなく、戦争に駆り出されるでしょうね。財団所属の操縦士とはいえ、戦時徴用は契約上、断れないはず。小童が下っ端の巨獣にやられるとは思えぬが」
「そうじゃない。彼らはヒトだ。いや、たぶん、もう大勢殺しているしいざ戦いになったらそんな倫理観、吹っ飛んでしまうけど。僕が言いたいのは、どうすれば戦争が終わるかってこと」
「ふん、次第に小童の面影がニケに似て見えてきたわい。妾に言えることはただひとつ。戦争を早くに終わらせること。神速で事を運び、連邦の目的を達成する。そうすれば双方の被害が少なく済むだろう。かつてのフジ・カゼは亜人排斥を掲げる急進派、フラン・ランも人類の進化のためなら犠牲を厭わない功利主義者。500年を経てもその意志を継ぐ者がいるはず」
「じゃあそいつらをまっさきにぶっ殺せば、戦争は終わる?」
「ん、政治的には時間が掛かるであろうが、兵士が考えるべきことはそれで全てだ。うむ、カミュ、心配していたが、この小童は無事帰ってくるさね」
「ええ。ええ、そうですわね。安心しましたわ」
カミュは涙ぐんだ目尻を擦っている。そして胸元の赤い宝石を撫でている。
「そういえば、その宝石、肌から生えているみたいにくっついてるけど。痛くないの?」
「これは赤月の印。皇族の証にして人類のアイデンティティ。記憶を保存しかつての皇の記憶も追体験できるのです」
「そ、そうなの」
少しも理解が追いつかない。
「ね、ブレーメンの剣舞。あたくしも見てみたいです。かつての皇にも見せたように。ネネは頼んでも見せてくれないのです」
「妾は剣技を受け継ぐ家系ではないと何度も申し上げましたでしょう。萬像ならいくらでも」
「物を浮かす、弾けさす、別の場所に転移する。それだけでしょう?」
「不老も、一応は萬像なのですけどね。して、小童、剣舞はできるのか?」
不意に話が戻ってきた。
「さあ。アヤカはそんなことを言っていたようだけど。僕は全然わからない。きっと幼い頃はゲットー育ちでそんなこと習ってない。習った記憶があるとすれば、スラムの裏路地でギャングのおっさんに拳銃の早撃ちを教わったくらいで」
話しているうちにネネの片眉がどんどんつり上がっていく。
「ホントだって!」
「まあよい。基礎の構えくらいならニケに教わっているゆえ。ほれ、抜いてみ。“それっぽい”構えならできる」
2振りの短剣を包む布がはらりと床に落ちた。そして鞘を腰のベルトに差し込む。映画の中で俳優はこんな感じだったはず。そして柄を握るとまた全身の血が熱く燃える錯覚を覚えた。
「知っておるかもしれんがの、その刃は何でも容易に切断する。指なぞ簡単に落ちるから気をつけるんじゃぞ」
「わ、わかってるよ」
いや、言ってくれて助かった。すっかり忘れていた。ただの刃物じゃないんだ。
鯉口はブレーメンの力を持ってしても固く閉じてられていた。右手は鞘を握り、親指で鍔を押し出す/左手で柄を握って引き抜いた。
青く輝く刀身が現れた。まるで宝石のような青緑色で、ソラの鼓動に合わせて刀の内側から青い光が脈打っている。間合いの短い剣。しかしそれがまるで手足の一部となって自分の動きに追従してくれる。可変戦闘車の標準装備の短剣と相違ない。
「すごい」
3人そろって青く輝く短剣を見上げた。曇りのないつややかな表面は、しかしこれまでに、一体どれだけの血を吸ってきたのだろう。
きらり。刀身が照明の光を反射して視界を奪われる──
「あれ?」
ほんの瞬きの間、視界が白く染まったが人工の光が降る地下室が消え、いつの間にか生い茂る緑の草地の上に立ってた。ソラは、足元の草を追って視線を遠くに移したが、次第に霞が濃くなって真っ白になって消えた。肌に風を感じるが音という音が一切消えて自分の拍動する命の音だけが鳴り響いている。
「ここは? ここはどこだ。ネネ! また僕をどこかへ転送したのか!」
わけもわからず叫んでみたが、声が反響しない。どこか広い空間にいるのか。そういえば、今しがた腰に指していた短剣も消えている。
「おーーーーーい、ネネ!」
「そう叫ばなくてもいい。安心しなさい」
低くやけに落ち着いた声音が背後から聞こえ、ソラは文字通り飛び上がって身構えた。背後に現れたのは、白髪の老人で髪も蓄えた口ひげも白く変わっている。だがその背筋はまっすぐと伸び老練な風貌だった。瞳は若草色で独特の虹彩だった。
「ブレーメン?」
「いかにも。儂はニケ。ニケ・義・サトー」
「あ、ああ。映画で見たことがある。いや見た目は全然似ていないけど名前なら知ってる」
「そうか、映画か。儂も有名になったものだな。君は、はて、以前会ったことがある気がするが名前をまだ聞いていなかった」
「僕は、ソラだ」
「そうか。久しぶりだな、ソラ」
目の前のブレーメンの老人=ニケ翁は一人でうんうんとうなずいていたが、ソラはニケ翁と距離を一歩だけ取った。
「ここは、どこですか。ネネがまた僕を転送したはず」
「ほう、ネネ! 懐かしい名前だ。ネネの転送術は胃がひっくり返る感覚がするだろう? 儂はいつもあれが嫌だった。カッカッカ」
「で、ここはどこなんです?」
「ここは儂の思念世界。夢の中のようなもの、と捉えてもらってかまわない。君と会うのはこれで2度めなのだが」
しかしソラは首を横に降った。
「はて、どこから話したものかの」
ニケ翁はその場で──いましがたまで存在しなかった──安楽椅子に腰掛けた。鳥の巣のように細いつる植物が編み込まれ、腰掛けた者を包み込んでいる。
「あなたは、あの、伝説では500年前の第1次獣人戦役の頃の戦士のはず」
「ほう、“外”ではもうそんなに時間が経ったのか。なんと、“1次”だと? また戦乱があったのか。もっともヒトの厚顔無恥さを知っている以上は驚きはせんが」
「ええ、2次が第4師団の反乱、第3次が巨大化した巨獣の襲来のはずですが」
ニケ翁は少しだけ顔を伏せたが、すぐに元に戻っていた。
「ここは思念世界。つまり夢のようなもの。夢の中で幾千里も旅をし冒険譚を残そうとも、気づけばもう夜が明けている、ああいった感覚に近い。時間が流れない、時間の感覚がないのじゃ」
「じゃ、あなたはもう死んでいて」
「いかにも。そして自我が現世に囚われている。神と契約し2度 命を救われた。その代償がこれ。しかしまあ、悪くないものだ。はじめこそ魂が囚われ恨みつらみも多かったが、後世の剣の継承者に会える。君も儂の剣を握った。そうだろう?」
「ええ」
「だが握っただけでは儂の意識は呼び起こされない。強い意志が必要だ。たとえば、誰かを救いたいとかな。最初に君に会ったときもそうだった。人々が襲われ殺されている。助けてほしい、と──」
ゾッとした感覚。ソラは生唾を飲み込んでニケ翁にどう言葉を伝えるか思案していた。
「──まだ小さかったな、そういえば。だが即興ではあるが剣技を君に伝えた。思念世界でどれだけ時間を過ごそうとも、“外”の世界ではほんの一瞬のこと。君が無事ということは、危機を乗り越えられたということか」
「ええ、たぶん。しかしあまり記憶がないんです。20年前のあの虐殺事件でブレーメンは絶滅してしまいました」
怒られる、叱責されるそれとも悲しむか? ソラは怖くて視線をそらしたままニケ翁に告げた。ゆっくりと翁に視線を戻すと、ニケ翁はにこやかなままだった。
「そうか」
「えっと、もっとなにかあるんじゃないですか? ネネだって、あなたに申し開きできないと」
「若き戦士ソラ。ブレーメンとは、何だと思う?」
「ブレーメンは、ブレーメンでしょう」
「神に見初められた民。しかしそれはこの惑星へ植民に訪れた人類を見て──」
ソラは目を瞬かせたが、ニケ翁はよどみなく続けた。
「──初めて芽生えたアイデンティティなのだ。二元論的に言えばブレーメンとヒト。しかし、アイデンティティとは“内ではなく外に存在する”。わかるかね? ヒトが一枚岩ではないように、ブレーメンもまた、互いに同族意識があるというわけではない。個が強くたくましいゆえにひどく個人主義なのだ。たとえば、隣の村がヒトと争い皆殺しに遭っても、『その村の住人は鍛錬を怠り弱かった。だから蹂躙された。だが自分たちは違う』そう認識するそうだ。ネネがまだ普通の少女だったころは、そういった風習が当たり前だったらしい」
「じゃあ、あなたも、ブレーメンが絶滅したこと“さもありなん”って受け流すんですか」
「そうは言っていない。我が子のそのまた子どもたちが苦労し戦いそして敗れたんだろう。悲しいことだ。悲しいことだが、形あるものはいずれ滅びる。必定だ。幾度も星々を渡り歩いた人類でさえも、いつかは滅びる運命にある」
ニケ翁の手の上に、霞がうずまき1つの茶碗が現れた。側面にはブレーメン式の文様が刻まれ、ヒトが持つには分厚く重い茶器だ。しかし、みるみるうちにその茶器は風化し、粉となりニケ翁の手の中を流れ──さっきまでなかったはずの──丸い石板の載ったテーブルに降り積もった。
「しかしな、ソラ。希望はある。君が現れた。ブレーメンはまだ生きている」
テーブルの上に降り積もった塵が風で吹き飛び、再び茶碗が現れた。濃い色のアガモール茶が並々と注がれ美味しそうな湯気が立っている。
「さあ、ソラ、かけたまえ。お茶でも飲みながら話そう」
ニケ翁が指差す先に、さっきまでは無かったはずの椅子が現れた。初めて財団と契約したときの会議室にあった、あの安っぽい椅子だ。
「いったいこれは、どうなっているんです? まるで手品だ」
「思念世界ではありとあらゆる物を作れる。記憶にあるものなら何でも。ヒトや生き物は再現できないがね」
ソラはずずっと熱いアガモール茶をすすってみた。舌が痺れるほどの渋みを最初に覚えたが次第に甘みもましてくる。
「すごい、おいしい。もしかして本物の茶葉ですか」
「む、偽物の茶葉なんてないだろうに」
「いえ、ふつうインスタントのアガモール茶しか買えないんです。夜間戦闘なら濃縮液が支給されますがふつうは模造品なので」
「なんと! 時代が変わってしまったのだな。して、これはどうだ?」
ニケ翁が手で示すと、なんとも時代遅れなパッケージデザインの菓子が茶器の横に並んでいた。
「トゥインキー? 知らないお菓子ですね」
「なんと! いや儂の好きな食べ物ではないのだが。ほれ、遠慮せず食べてみなさい」
包の一つを手に取ると残りの数が視界の端で倍増した。薄い銀紙で包まれていて、クリームの挟まったスポンジケーキだった。そして味は、歯が溶けそうなくらい甘く舌の上では体温でも溶けない油が固まっている。口の中の水分が砂糖とぱさぱさのスポンジケーキに吸い取られてしまう。飲み込んだあとも食道に引っかかる感覚が残った。
「あ、おいしい、ですね」
「カハハハ。まずいだろ? 儂の妻が好きだったもので、そして儂の大切なあの子もそれが大好きだった。彼女は強化兵でね。支給される食料の中のトゥインキーを大切に持っていて、賭けカードをしてまで仲間から貰っていた」
「強化兵? ですか」
「後世には、やはり伝わっていないか。炯素基体の人造兵士だ」
「いや、ただ伝え聞いた情報くらいしか知らないので」
馬鹿げた言い訳だとも思ったが、ニケ翁は柔和な笑みのままだった。祖父、という存在を意識したことはないけれど、もしいたらこういう感じなのだろうか。
「君たちの言う第1次戦役の後、猛烈な非ヒトに対する反感があった。いやあれは不信感、と言ってもいいかもしれない。獣人がいなくなった後、次は強化兵やブレーメンがヒトの脅威だという思想が蔓延してね。反亜人主義といったか」
「ええ、20年前の虐殺はそれが原因です。ただブレーメンの血筋が重要な戦力とわかってからは意識改革もあって、差別はすっかりなくなりました。あなたと皇キエの物語も映画化されたんですよ。あ、すみません。余計なことを言ってしまったかも」
「キエ、か。懐かしいな。彼女は何に対しても熱心だった。そのせいで気苦労が絶えなかった。ヒトもブレーメンも、強化兵も平等に愛した名君だ。彼女の意志は受け継がれているかい?」
「僕は、あまり政治はわかりませんが。ブレーメンも強化兵もいなくなった今、今度はヒトとヒトが権力と支配を巡って争っています。連邦も財団──復興財団も、そして国家も。昔の呼び名は第4師団ですっけ。どうして仲良く協力できないのでしょうか」
「それがヒトの本質、なのかもしれぬな。万人による万人への闘争。猜疑心、独占欲、競争心。それらは害をなすが時として進歩もまたもたらす。ブレーメンがこの星で数千年の時を過ごそうとも進歩も発展も無かった。だが人類はその心の内の欲望のお陰で、文明の回帰を経ても、再び星から星へ渡り歩く種族に生まれ変わることができた。そうそうソラ、ヒトは好きか」
「ええ。守ってやりたいとも思います。でも守る価値があるのかと、いつも疑問です」
「ふむ。では一つ、指針をやろう」
「指針?」
「強くなれ、ソラ。儂が義式剣術をお前に伝授しよう。そして強くなれ、ソラ。その後で、よく考えるんだ」
「考えるって、何を?」
「ヒトを救うか、見捨てるか、だ」
ソラは口を半ば開きニケ翁に疑問を投げかけようとしたが、不意に視界がゆらぎ、瞬きを一つする間に、元の地下室に戻っていた。刀身をじっと眺めるソラを、ネネもカミュも不審そうに見ていた。
「僕、戦います。みんなのために。頑張りますから!」
物語tips:ニケ
2振りの刀に宿る自我。記録に残るブレーメンの戦士で連邦の将軍。ひげを蓄えた落ち着きある老人。時間の感覚にとらわれないため思念空間で瞑想と思考実験を繰り返す。対話できるブレーメンは少ない。
ソラとは「再会」を喜ぶが、ソラ自身はその記憶がなかった。
アヤカはブレーメンの伝承に詳しく、ソラにさまざまな伝承と記録を教えてくれた。それによるとニケとはかつて500年前に皇キエ・キルケゴールとともに連邦を救った英雄。第一次獣人戦役後、小説から映画までさまざまな媒体が作られた。ブレーメン排斥運動が落ち着いたあとも映画が作られたが、カミュ曰くおもしろくないらしい。




