15
学園祭2日目。
文化祭は、その準備が早朝から慌ただしく始まった。廊下をペンキを塗る刷毛や、釘とハンマーを持って生徒たちが行き来する。働き者の生徒が半分、シラけて手を抜いている生徒がもう半分くらい。事前におおよその教室の飾りつけは終わっていたが、ソラたちのほうの準備に余念がなかった。
ソラたちの教室の入口には飾った丸っこい字で『おもてなし喫茶』の文字が並び、衝立を立てた裏側では、大量のアガモール茶のインスタント容器が積み上がり、女子生徒たちがパンケーキ生地の仕込みのために業務用ボトルに入った牛乳を洗面桶に流し込もうと待っている──絵面としてはかなり汚い。
教室内も飾り付けをされ、学び舎の面影は残ってはいるものの、電子スクリーンは有色マーカーで彩られその周囲を模様と色彩のアニメーションが乱舞している。
ソラは、鏡に映る自分を眺めて思う──本当にこれが自分なのだろうか。どこからどう見ても女の子だった。メイド服を着た見知らぬ女の子。実は鏡ではなく等身大サイズのスクリーンで、そこに誰かの写真が写っているだけ。そういう可能性を1%ほどあるのではないかと信じた。しかし右手を動かせば鏡の像も同じように動いてしまう
「あんたにこんな素質が合ったなんてね。なで肩だからまだマシだけど、もうちょっと肩幅を縮められない?」
フェイフェイがソラの肩幅を短くしようと力任せに肩関節をつぶす。
「ふっふーん。どうよ私のメイクテクニック! お目々のサイズが普段の125%増し。でもでも素材が良いからナチュラルメイクで済んじゃった」
ニロは自画自賛とばかりにパルで立体写真を記録している。
近年、民主主義という新しい概念が生まれたらしい。つまり正か否か数の多い案を採用するというヒトたちの意思決定の方式で、学校でも事細かに多数決が採用される。男が女装を、女が男装をするという馬鹿げた喫茶店だったがなぜか女子生徒たちの人気が高く、クラスの人数も女子生徒の人数が多いせいか、6対4で可決されてしまった。
体育会系な男子生徒はまだいい。筋骨隆々高身長でフリフリのメイド服を着ていればそれが“ネタ”だとわかるし当人たちも面白がっている。反面、なまじっか女の子に寄りすぎていると自己認知が歪んでしまう。
「やっぱ、変だと思う」
「ね、もうちょっと可愛い声で話せない?」
メイク係のニロに追加の要求をぶつけられた。
「かわいいって、どんな? 自分で聞く声と他人が聞く声は違うんだよ」
「もう少し高い声で。2音階くらい高く。はい、言って『いらっしゃいませ、お客様』」
「い、いらっしゃいませ」
「だーめー。男の声じゃん」
「いや、僕、男だし」
しかし鏡に写っているのは女の子だった。こうなるとわかっていたら駐屯地の理髪店で髪を刈っていたのに。
「むぅ、ニロはわかってない」
アーシャがピトッとくっつく。着替えが終わったらしい。燕尾服に袖を通し、メイド姿のソラに腕を絡ませる。長い黒髪を結い上げて簪で止めている。乳の膨らみは隠せていないが、スタイルの良さは男女ともに目を引いている。
「あはっ! 良いカップル誕生! ね、写真を撮るからじっとしてて」
「ソラはね、ちょっと自信なさげでだけどやるときはやる。そこがいい」
アーシャの堂々とした宣言に空気が一瞬だけ固まった。ニロもフェイフェイも、どう声をかけていいか迷っているようで──。
「きもい」
冷たい言葉が、教室の外に佇む上級生から放たれた。右手に青いペンキの付いた刷毛、左手にはペンキ缶を持っているアヤカだった。しかし言葉の真意を告げずにすぐ歩き去ってしまった。
「おーあれはキレてる。相当にキレてる。しばらくは口を聞いてもらえないぞ、ソラくん」
「ニロ、そう言うんだったっら……」
「はいはい、覚悟を決める! これ、メニューとお盆ね。始まるまでに接客用語とかわいいー声の練習とかしてて。アーシャはソラがサボらないよう見てて」
「むぅ、わかった」
「あはっ、ヨシギ隊長から返信が来たよ! 『行けたら行く』ってさ」
来なくて良い。ソラは心の底から思った。
午前9時ぴったりに文化祭が始まった。この学校の生徒だけでなく、周辺の学校や近所の住人もぞろぞろと遊びに来る。“おもてなし喫茶”にもそれなりに客が来そう。
「これはね、勝負なの」
女装した男子生徒たちの前で、ジャオ委員長は高らかに宣言した。昨日の運動会のとき鼻と額を日焼けしたらしく、ほんのりと黒く変色している。
「いい、あなたたち? 他のクラスに負けないくらい盛大に盛り上げるのよ。売上は明日の打ち上げに使うんだから。わかった? たくさん稼げば好きなだけ食べられるの」
体育会系の男子生徒たちの雄叫び。駐屯地に住んでいる兵士たちと体格が劣らない男臭い集団だったが、ジャオ委員長はそれでも満足していた。
「商売の基本。まずは宣伝!」さすが副専攻で経営学を取っているだけあるが、「ソラくん、このなかで一番デキがいいから、一緒に来て」
有無を言わせず、ぐいっとプラカードを持たせられる。丸っこい字で「おもてなし喫茶」と綴られ、教室の場所、行き方が裏面に描いてある。
これはいささか刑罰じゃないか。ジャオ委員長の左右に揺れるポニーテールを見ながら思った。校庭で、開始早々にやってきた近所の住人&他校の生徒たちの群れの中を、ひらひらのスカートを翻して歩く。
「『おもてなし喫茶』オープンしました! かわいいメイドさん&かっこいい執事が出迎えてくれます! でもでも、女の子、男の子とは限りませんよムフフフ。ほらソラくんも!」
ええい、ままよ。
「い、いらっしゃいませ~♪ おもてなし喫茶でーす♪ きっと楽しいデスよ」
とっさに頭に浮かんだのは専属調整員のルナだった。他の女子連中はお調子者で短気で、あるいは声もしっとりとしたハスキー声なので真似したところで普段と変わらない。一方のルナはいつもハツラツと明るく、ハキハキと話す魅力があった。
「ボボボ、ボクはソラちゃんでーす♪」
「もう、ソラくん、自然な笑顔で」
ジャオ委員長から注文が入る。しかし自然な笑顔の定義がわからない。それに笑顔なんて狙って作るものじゃないだろう。
不満げにしていたらジャオ委員長に見透かされてしまい、ソラはケツを叩かれた。
「むぅ、わたしのソラに、暴力はダメ」
藍色の肌の麗人が傍らに来た。肩を抱き寄せられ、まるでこれは自分のおもちゃだと言わんばかりにジャオ委員長から引き離した。
男装のアーシャと女装のソラの組み合わせに、周りにいた一般客の視線が集まる。縮こまって恐縮しているソラをよそに、ジャオ委員長は積極的にアーシャは簡潔に、自分たちのクラスの場所を一般客へ教えている。
「むぅ。お客さんは集まった。教室に戻るべき」
「うん、そうだね。アーシャさんとソラくんは先に戻ってて。私、生徒会室に寄っていかなきゃ」
アーシャに手を引かれ、来た道を戻る。それにしてもスカートという服装がこうも心もとないと思わなかった。膝上のスパッツを履いているとはいえ、風が吹く度にひんやりとするし特に階段を登るときは落ち着かない。
「ソラ、大丈夫?」
「うん、ちょっと恥ずかしいだけ」
「むぅ、楽しくない?」
「まだ昨日の体力比べのほうがマシだった」
するとアーシャは、ソラをベンチに座らせると、自分の着ていたスーツのジャケットを脱いでソラに着せた。アーシャのワイシャツのサイズが合っておらず、ボタンのひとつが弾け飛んでいる。
「わたし、べんきょう、嫌い」
「う、うん、そうだね。でも文字は書けるようになった」
「それはソラのおがけ。学校って、お金持ちのヒトたちが行くとこと思ってた。勉強もぜんぜんおもしろくない、頭が痛くなる。でもね、わかったの。学校はとっても楽しいし友達もみんないいヒト。わたし、兵士の養成所と部隊の兵舎と訓練場しか知らなかった。仲間だけど、うまくできなかったら蹴られるし殴られるし、ずっと緊張してなきゃいけないの。でもここは違う。学校は違う。わたし、肌の色も違うし言葉も訛ってる。それなのにみんな優しい」
「そっか。学校に馴染めないかと心配してたんだけど安──」
「でもソラが楽しくないなら、わたしも楽しくない。ね、帰ろう」
手が差し出される。細長い指で、最近 爪の手入れを覚えたおかげでピカピカに光っている。ついその細い手を握ってしまった。
「そうか。僕だけじゃないんだ。アーシャも委員長も、ニロもフェイフェイも期待してた。僕、それに応えなきゃいけないんだ」
「むぅ、ソラが嫌はわたしも嫌」
「僕は、アーシャが楽しんでほしいんだ。そのためなら、たぶん頑張れるから」アーシャの細い手を握り返して「よし戻ろう。一番の売上を目指すんだ」
「ソラの笑顔が見られてよかった。えへへ。こういうとき、ちゃんとセリフを用意してあるんだ。『こちらです、お嬢様』」
ハスキーな声音と整った顔の分、張り出た乳を除けば、中性的な魅力のある紳士だった。
ソラとアーシャは店舗/教室の前の呼び込み係として立たされた。通り過ぎるヒトたちの1割位は入店してくれた。
「い、いらっしゃいませー♪ おもてなし喫茶ですぅ♪」
だめだ──声が裏返る。顔が火照って暑い。フェイフェイに冷却シートを借りてくればよかった。隣ではアーシャが男女ともに魅了しているが、一方のこちら側では中年オヤジの視線ばかりが集まる。パルをかざしては立体映像を記録して、ニタニタ笑みを浮かべて去っていく。
「あーだめだめ。タダで写真を取らせちゃ」
ジャオ委員長が店の暖簾をくぐって出てきた。
「でも、写真の料金は設定してないよ」
「やっぱりその瞳ね。ブレーメンの若草色の瞳。カラコンじゃそこまできれいな色がでないから」
「ど、どうも」
あまり自分の目をまじまじと眺めたことはないが、普通 ヒトは深い茶色の瞳をしている。となりにいるアーシャは深い紺色の瞳と黒に近い虹彩を持っている。じっと見ているとニコリと、ポポもいっしょに微笑んでくれた。
「よし、金取ろう」
ジャオ委員長の眼光が今日一番で光った。くるくると手の中で油性ペンが周り、裏面再利用のコピー用紙に飾り文字を書いていく。自信満々に養生テープをちぎって、ソラの胸に押し当て注意事項を追加した。
「この値段、高くない?」
「食うか、撮るか。以上」
がめつい金の亡者め、とソラは店内へ消えるジャオ委員長の背中にこっそりと投げかけた。それでも、ニタニタ笑みの中年オヤジが集まってこないのなら、とソラは胸をなでおろした。
「むぅ、ソラ。いい笑顔。こっち向いて」
「えっ?」
振り向きざまに、アーシャはパルを構え写真を1枚。そして有無を言わさずに腕を絡ませ密着し1枚を撮った。
「ほら、ソラ。いつもの。宣伝文句を言わなきゃ」
「い、いらっしゃいませ~♪」
アーシャも自信満々にポーズを取った。廊下を通り過ぎるヒト全部がパルを掲げ、代わりにアーシャのジャケットと、ソラのエプロンのポケットには硬貨が投げ込まれる。チップとばかりに紙幣をねじ込み、2人と記念写真を撮ろうとする他校の生徒までいた。
昼過ぎになって、重くなったポケットの中身を会計係に預けた。喫茶店側も売れ行き好調で、洗面桶に入れたパンケーキ生地も残りわずかだった。
「むぅ。わたし疲れた。ソラ、肩をもんで」
「はいはい、お疲れ様」
「もうちょっと右。そうそこ。ぎゅーって」
「あまりぎゅーすると骨が折れるよ」
「大丈夫。わたし、丈夫だから」
頼られていることの安心感と達成感と、それらの感謝を込めて親指の先に力を入れた。筋肉の筋にそって上から下へ、肩甲骨周りをほぐす。力を入れるたびにアーシャがうんうんと唸るのでわかりやすい。
「うっわ、イチャイチャしすぎ」ニロがニヨニヨ顔を浮かべた。
「あたしも肩もんでほしいわ。一生分のパンケーキを焼いたんだから」フェイフェイはくたびれ顔だった。
「ふたりともお疲れ様」
「お客さんが少なくなったから、みんなでライブを見に行くんだけど」
「ライブ?」
するとフェイフェイがお手製のプロマイドをごそごそと取り出した。まだ値札が付いている。
「先輩たちのバンドライブ。体育館で。もうすぐ始まるんだってさ」
なるほど。文化祭の他のプログラムは目を通していなかったが、そういう催しもあるのか。
「バンドか。僕はあまり音楽がわからないんだよね。アーシャはどうする?」
「んー、ぱす。ポポも疲れた、だってさ」
アーシャとポポは完全に蕩けていた。空調が効きにくい廊下から、冷房が効いた店内に戻ったおかげか、どこか心地よさそうだった。
ニロとフェイフェイは、バイバイと告げると足早に立ち去ってしまった。窓際に寄せられた教卓ではジャオ委員長が売上の小銭を、自分の財布の高額紙幣と交換している。現金と電子通貨を合算し、几帳面に帳簿を付けている。ソラの背後の電子黒板は、客のいない教室をぴかぴかと照らし、ローテンポなBGMが眠気を誘う。
ソラはそろそろこのフリフリなメイド服を脱いで、元の襦袢と袴の学生服姿に戻りたかった。よくよく考えてみれば、ニロたちにライブに誘われたとしてもこの格好のままでは行けなかった。
「むぅソラ、メイド服が、ええと何て言うんだっけ。この前の文学の授業で習った言葉。“板についてきた”」
「慣れたけど、ずっと着ているのはヤだよ」
「ううん。いい、とてもいい。さすがブレーメン。何でもできる」
「僕の出自とはあまり関係ないと思うけど」
アーシャが結っていた髪を解くと、長くてまっすぐな黒髪がばさばさと揺れた。ソラは渡された櫛で長い髪をすいてやる。フローラルな人工香料の香りが舞う。珍しい黒髪が流れる様を見ようと、廊下を歩く人々も足を止め視線がアーシャに集まる。
「じゃあ可愛い格好をしたかっただけ?」
「それは、無いと思う」
無いと思うが、しかし注目が集まるのは悪い気がしなかった。ブレーメンだからと珍しそうに近づいてくる同級生はいたけれど、それでも畏怖も少しながら混じっていた。自分より力の強い異種族がいたら警戒してしまう気持ちは、理解している。理性とか倫理観とかそういうのじゃなく本能的な反応なのだから。
廊下からの視線も増えすぎるとうざったいな、と思っていたら、群衆の背後をジャンパー姿の男が走り抜けていくのが見えた。“漏れ”そうという感じの緊迫感だった。ヒトを押しのけながら突き進んでいる。
「こらー廊下を走るんじゃありません!」
ジャオ委員長が生真面目さを発揮──しかし
「誰か! その人を止めて! 売上を盗まれた!」
教室に駆け込んできたのは2つとなりの組の学級委員長だった。それと入れ替わるようにソラはバネじかけのように走り出していた。
こういう状況に反応するのは慣れている。ソリヤのドヤ街でマフィアと抗争してたときも、可変戦闘車に乗っているときも、事態の急変にすぐ動けるかどうかが鍵だった。
「ちょ、どいてください。どいてってば!」
腹の底から大声をあげると、そそくさとヒトが通り道を作る。基地で訓練中に教官から言われた改善点「声が小さい」。戦場ではとにかく大声。でなければ仲間と連携が取れない。マフィアたちも同じ節があった。虚勢を張り強く見せるためには大きな声が重要だと。
盗人の姿はすでに見えなくなっていた。階段の手すりから見下ろすと、らせん状になった4階下で盗人が駆けていく姿が見えた。
ソラの瞳が黄色に輝く/ブレーメンの本領発揮。
さっと身を翻して空中へ躍り出ると、自由落下を開始/各階が瞬時に過ぎ去る=そして軟着地。眼前には可愛らしい巾着袋を片手に校門へひた走る男の姿があった。
「待て!」
十分な音量で叫んでみたが、もちろん盗人は止まらない。わかっている。
ソラは地面を蹴った。黄色い瞳の残像が空中に残る。わずか数歩で盗人に急接近すると斜め上の空中から飛びかかった。
なんてことない。中肉中背の男。力もさほど強いわけでもない。地面に押し倒し、背中から膝で押さえつける。利き腕を背中へねじ上げると、男は潰れたカエルのようなうめき声を残してあっけなく観念した。
「あの、すみません。どなたか、職員室に連絡を。あと警察にも……って何してるんですか!」
周囲にわらわらと観客が集まる。丸く円を描くように並んだ彼らは、手にパルを掲げて女装メイドの逮捕劇を3D映像で残そうとしていた。
「だめ! ダメです写真はダメです! スカートの中もダメです!」
十分な大声のはずだったが、犯人を抑えたままでは動けず、何かのイベントと勘違いした観客たちの写真撮影会は警備の警官が来るまで続いてしまった。
おまけ♪
「こちらです お嬢様」




