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ブレーメンの聖剣 第2章 慟哭(どうこく) 上 (上下2巻)  作者: マグネシウム・リン


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 挿絵(By みてみん)


 60の瞳と30の頭が一斉に僕を見ている。たかが学校、たかがヒトの子どもたちの学び舎(まなびや)と思っていたが──あんがい緊張するものだな。襦袢(シャツ)の襟元がチクチクするし、袴(はかま)は動きづらい。斜めに掛けた緑色の襷(たすき)はときどき手と指が引っかかってしまう。

 学校へ通う準備はだいたい整っていた。そしてテウヘルとの騒動がなければ2週間前に通学が始まっているはずだった。ニロやフェイフェイと教科書を一緒に読んだり、こまごました書類を記入したり……住民登録がないのだからこれまでの学歴も0。読み書きと計算をどこで習ったか定かではないが、これまでなんとなくこなせた(・・・・)。ブレーメンの思考能力の高さに感謝しつつ、とりあえず、ニロとフェイフェイと同じクラス、第2学年に編入となった。

「ソラ・イトーです。よろしく。みなさんとお会いできて光栄です──」

 始祖の名前──ヒトの姓に当たる部分なんて覚えていない。ずっとひとりで生きてきたのだから。なのでアヤカの入れ知恵で、姓をでっちあげた。ブレーメンの伝承の中で彼女が一番好きな武士(もののふ)の家系らしい。

「──楽しい学園生活を送りましょう」

 そして深々とお辞儀。こんなシーンを映画で見たことがある。マフィアの拠点に中身の分からない荷物を持っていった時、半地下の薄暗い部屋で用心棒たちがポップコーンを片手に映画を見ていた。その一場面しか目にしていないだけに記憶にはっきりと残っていた。

 新たな同級生の拍手/ホームルームの担当教師の当たり障りのない挨拶。

 ささやかな緊張感を携えて、あてがわれた机と椅子に座る。教室の一番後ろのその中央。30人の生徒たちの後ろ頭がよく見える。見渡すとフェイフェイは無言でじぃっと見つめてくるし、ニロはいつものニヨニヨ顔だった。他の同級生たちも、好奇心を抑えきれずにちらちら見てくるが、ここはニロに教わった通り口角を持ち上げた笑みを返す。

 なかば記憶の抜け落ちた人生で、これまでに会ったヒトはスラムの物売り、いかついタトゥーのギャング、基地の屈強な兵士と神経質そうな財団の職員。そして新たに出会った高校生という集団は、どこか純粋で抜けていて、しかし頭は良かった。

 衣食住に困らない暮らしの上、清潔でおおよそ安全なソリドンブグルの中で飼いならされた羊たち。そういう印象を受けた。そういう思ったことをすぐ口に出さないよう、唇の先に力を込める。

 教師は1科目ずつ代わる代わる教室へやってきた。まるで自分の機体の迫撃砲弾のよう。1科目が60分で、さっきのホームルームの教師は2限目の文学のクラスで来た。数十年前に書かれた小説の、その美しさとか修辞法(しゅうじほう)のテクニックとか延々と語り、それを聞いてメモするだけのつまらない時間だった。

 社会学はただ法律や慣習を覚えるだけだし、数学も理屈さえ分かればパズルみたいなものだった。となりで頭を抱えている同級生をよそに、ブレーメンとヒトの違いについてまじまじと見せつけられた──いや見せつけてしまっていたかも。

 そのせいか2時間ある昼休憩が始まると、いきなり興味津々な同級生たちに囲まれた。まだ名前は半分くらいしか覚えてないが、

「ねぇ、ブレーメンってホント?」

「ブレーメンっておとぎ話の中だけの存在だと思ってた」

「みてみて、瞳。めっちゃきれい。緑……えっ若草色っていうの?」

「さっきの数学、楽そうだったね。ね、おねがい。明日の宿題を写させて。今月忙しくて」

 がやがやと机の周りを包囲され身動きが取りづらい。そしてみな一様に昼食を一緒にしようと誘ってくれた。

「僕、昼食は一人のほうがいいんだけど」

 昼食なんてひとりでも食べられる。否、ひとりのほうが落ち着いた。基地の食堂ではいつも終業間際ギリギリに通っていた。スタッフには、食べ物の残りがほとんど無いから早く来るように言われたが、やはりヒトの群れの中で好奇の視線に耐えるのが辛(つら)かった。

「はいはい~どいて」フェイフェイが小柄な体を群衆にねじ込ませて道を開ける。

「ごめんあそばせ。もうソラくんは予約済みだから」ニロがソラに腕を絡ませ、その腕力でソラの身体を持ち上げる。

 不満を垂れる同級生をよそに、接地感のない靴底を引きずりながら教室から連行される。

 食堂のカウンターの列に並び、3人はそろってリサイクル容器に入った弁当を買った。蒸した雑穀と鶏肉のソテー、半分に切った柑橘類が載っていた。ヒトの青少年向け栄養満点の食事。

 3人一列で、ソラを間に挟んで座った。

「待望の学生生活はどう?」ニロがニヨニヨ笑みを浮かべた。

「つまんないでしょ。でしょ?」フェイフェイのプリン頭が揺れる。

「まだわかんないよ。初日だし」ソラは弁当の穀物をスプーンでかき分けながら「でも、教科書に書いてあるとおり。たったそれだけで教師は褒めてくれる。数学も文学も。午後は、ええと確か体育と……」

「あーそれは。私たちは見学だから。私やソラくんが走って飛べばプロ選手並みの記録が出せるし、フェイフェイだって、一般人と比べればかなり体力があるほう」

「ああ、そういえば。駐屯地の体力錬成会もそうだったね」

「そうそう、隊長が安請け合いしちゃって。歩兵部隊と一緒に1時間走して」

 ニロも一緒に膝を叩いて笑っている。

「筋肉の塊の歩兵たちよりニロのほうが足が速くて。あたしは、女子隊員の中では平均かちょっといい方」

「じゃー、アヤカも体育は見学してるの?」

「あの子は、ブレーメンの因子が頭脳と乳に集まってるせいで、体力はヒト並ね。練成会のとき、終わってそうそうにゲーゲー吐いてたでしょ」

 乳?

「ともかく、午後はサボれるの。ラッキーね」

 ニロは弁当をさっそうと平らげ、ソラの分にも手を伸ばした=いつものこと。大量の食事が不要なブレーメンにとって、この弁当は量が多すぎる。

「サボっちゃおー。ね、どこ行く?」

 ニロはさっそくお出かけの候補を上げる。老舗デパートから流行りのショッピングモールまで。

「あたしはナナホシデパートかな。あんたは、どこ行きたい?」

「え、僕も? まずいでしょ」

「まずくないって。体育の後は選択科目だし、学校にいなくたっていいの。自由時間は自由に使うべきでしょ」

 フェイフェイに言い丸められてしまう。

「それに、この間の作戦の危険手当がもう振り込まれてるたい。財布はホクホクなんでも買えちゃう」

 ニロはニタニタ笑顔を隠せていない。

 反論の余地なし。ソラは追い立てられるように昼食を終えるとカバンをひっつかみ制服のまま学校から最寄りのモノレールに乗り込んだ。

「ナナホシデパートはね、500年前からある老舗デパートなんだよ」

 モノレールの車窓越しに目的地が見えてきたとき、ニロはなめらかな解説を加えた。

「たしかに、あの入り口の周りは大理石造りだね。でもすぐ背後に巨大なビルが建ってる」

「本館は、500年前の第1次テウヘル戦役のときに焼け落ちちゃって、正面の構造だけを移築して建てたんだよ」

「よく知ってるね」

「さっきパルで調べた。サイバーネットは、誰でもなんでも図書館なんだよ」

 そういう理屈なら、褒めて損した気分になった。

 ビルとビルの構造体に橋渡しされ、大通りの真上に位置するモノレール駅は上下構造に分かれていて、それぞれが空中回廊で直接デパートに繋がっていた。

 デパートの入り口は高いドーム天井で、暖色の光が上から横から問わず柔らかに降ってくる。少し低めの温度の空調にわずかに不快にならないような香水の香りも漂ってくる。なるほど、これが老舗の風格か。

 平日ともあって買い物客はまばら。その間をテケテケとフェイフェイは走った。制服姿のままだったが誰も見咎めない。

「で、何を買いに来たの?」

「何も。だけどこうしてブラブラするのが楽しいの」

「でもさっきお金をパーッと使うって」

「やだなー。お金を使うよりみんなと一緒のが楽しいんだよ」

「だよねー。それが友だちってものだし」

 ニロも、フェイフェイと一緒になってクルクル舞っている。拒否権はなさそうだった。目的地は分からないが、2人について歩いた。

 エレベーターに乗りながら、パルで自分の銀行口座のアプリを開いた。駐屯地の中では、最低限の食事は無料だし、一般兵のように嗜好品を買うこともない。そのせいで残高を確認するのが初だった。──桁の数を確認し、そして考える。

「あと1年は働かなくて良さそう」

 お金って案外簡単に手に入る物なんだな。確かに2度の戦闘をくぐり抜け、財団と軍の意のままに動かなくちゃならないが、この程度でこれだけの額が手に入るのは悪くない。ヨシギの言う通りだ。

「なになに? そんなにお金持ちなの?」

 フェイフェイがソラの腕の中に入り込んでパルを覗き込んだ。

「フェイも同じぐらいもらってるでしょ? お金って意外と近くにあるものだね。でもストリートで暮らしてたときはそうでもなかった。ギャングたちは、商売(シノギ)やら裏稼業やらに精を出す。いつだったか、まとまった金額を手にするために現金輸送車を襲おうとした若いマフィアのグループがいたんだ。年寄衆(としよりしゅう)に止められたのにもかかわらず、トラックで現金輸送車を襲撃し、そしてあっけなく返り討ちに遭った。遺体は放置され市営の火葬場で焼かれ砂漠に散骨された。そんな惨めな最期だったのを覚えてる」

「なにそれ? 映画みたい」

「事実さ。ソリドンブルグにいたら想像しにくいかもしれないけど」

「だいじょーぶ。お金は大切ってわかるから」

 フェイフェイはソラの腕からするりと抜け出ると、しかしそのままソラの手首をしと(・・)と掴んだ。

「あたしもお金のために操縦士をやってるから。あたしの出身、アレンブルグって言ったよね? 家があんまお金持ちじゃなくてさ。きょうだいも多いし。だから一番給料の良い財団に雇われた、ってわけ」

 疑問──フェイフェイは混血(クォーター)なら、きょうだい全員が戦士の素質がある。

「じゃあフェイのきょうだいも──」

 しかしニロに反対側から腕を引っ張られた。

「はい、ソラくん、個人の事情は──」「別に隠すことじゃないし」

 ソラの両側から同時に声が飛ぶ。

「親はどちらもヒトで再婚だから、きょうだいとは血が繋がってない。ま、それでも弟や妹たちはかわいいけど。だからお金を送ってあげてる。でも怖いね。お金ってありふれたものなのに手に入れにくい、呪いみたいに」

 つい/すぐそばのプリン頭を撫でていた。ヤンキーっぽいのに苦労してるし気遣いもしている。

 フェイフェイはまんざらでもなさそうだし、ニロはその光景をパルで写真を撮っていた。

「パックアイス?」

 12階のフードコートの一角に、行列ができていた。学生服と会社員のようなスーツ姿が目立つ。その列に並びながら、訊いてみた。

「そ。いま若者に流行りのパックアイス」

「そう、今人気」

 そして追加でフェイフェイも教えてくれた。

「あたしはね、食べる量は少なくていいの。これもブレーメンの因子かも。でもね、ニロは食いしん坊だからよく食べる」

「私はね、よく食べる。だからお乳も大きい」

「ふーんだ。可変戦闘車(ジャガー)がガタガタ揺れるとき、長い乳じゃ揺れて痛いし邪魔だなだけでしょ」

 なるほど=体型でも操縦士の優劣が決まるのか。というかさっき昼食を終えたばかりなのにまだ食うのか。

 列が進み、注文の仕方が見えてきた。パックアイスという名前だけあって、軍のレーションのようにプラスチックバッグに詰められる。最初にアイスクリームの味をを選び、トッピングとシロップを入れる。そしてスプーン付きストローで食べる。エネルギー量で言えば、これ1つだけでブレーメンの1日分に相当しそうだった。

「好きなものをどんどん追加するのよ」ニロはニタニタ顔だった。すでに追加料金を払ってパックはパンパンで、「食べることは楽しいこと。楽しいことは幸せなこと」

 円形のテーブルに3人で座り、食べる前に散々、パルで写真を撮り、各自のブログにアップロードしたあとでやっとスプーンをパックに差した。ニロのは蒸し芋にはちみつと胡麻がかかっている甘さマシマシパックアイス、フェイフェイのは青色のソフトクリームで、甘い酸っぱい系フルーツがどっさりのさっぱり味。ソラは、よく分からなかったので店員に勧められるがまま甘酸っぱい木苺の砂糖漬けが載っているシンプルなものだった。

「どうせなら、アヤカも誘ってあげればよかったね」

「あの子は1学年上だし特待生だから。きっとオーランドの大学教授の講義をネット越しに見てるよ」

 つまんなそうに言うフェイフェイだが、事情はよくわかっていた。

「でも、誘ってほしそうな顔してるし」

「ほんとーそれ? ったく、男の前では色を売りやがって」

「フェイ、それ口悪い。それにたぶん、意味を間違えて言ってる」

 フェイフェイはちらりと自分の右腕のパルに視線を落とし、そしてスプーンを咥えたまま赤くなった。

「アーシャにも何か買って帰ってあげたいね。最近は営倉(えいそう)から出て散歩できるようになったけどさ。それでもまだあの独居房の中で暮らしてる」

「あー優しい」ニロが小突く「作戦中、ずっとふたりきりで何かしたのかな」

「何かしたと思ってるの?」

「そうね。例えば、まぐわい」

 ニロの隣で、フェイフェイが右腕のパルに視線を落とし、そして顔が真っ赤になる。広い額に冷却シートを貼ったがそれでも足りず両手でぱたぱたと風を送っている。

「するわけない」

「ソラくんさ、あのアーシャちゃんをやたら気にかけてるみたいだし。乙女の私たちでさえ、いろいろ勘ぐっちゃうの」

 そしてニロの下品な指の動き。

 わたしたちを助けてほしい、というアーシャのメッセージはブレーメンである自分に直接届けられた。それが気になるせいで“裏切り者の敵兵”という評価には疑問を抱かずにはいられない。だが、財団に雇われただけの自分にそれを進言する権利はない。

「わかったー。恋だ! あの藍色の肌、よくよく見ると魅惑的だし。細いのにお乳もパフパフだし。見た? あのウェストの細さ。ありえないって」

「まあ、たしかに。スタイルはいい」

 ニロはニヨニヨ/フェイフェイも手で顔を覆った指の隙間からじぃっと見てくる。

「あー♪ した(・・)んでしょ、やっぱり」ニロがニヨニヨ笑う。

「あーあ、してた(・・・)んだ。幻滅」フェイフェイのジト目が突き刺さる。

「そんな! わけないだろ。はい、この話はおしまい。早く帰ろう。駐屯地の門限を過ぎるよ」

 言葉を濁したがニロにはずっと疑われたまま、2人が化粧室に歩いて入る寸前までジロジロ見られた。

 でも/案外 嫌じゃないかも。2人の姿が見えなくなって、ふと思った。かつて大きな組織に嫌悪感があった。自分は孤高であり馴れ合わないのだと意固地になっていた。それでも軍の精鋭部隊に迎えられ、しかし日常の大半は代わり映えしない訓練と、学校と、仲間たちと思いつくままに喋って楽しんでいる。ブレーメンというだけで畏怖と好奇の込もった目で見られることも多いが、アーシャは信頼を寄せてくれた。彼女の気持ちに応えてあげたい。

 そしてその先──まだわからない。寿少佐は、軍での地位は何かと便利だと言ってくれる一方でヨシギは、昇進するだけ苦労が増えると現場勤務を勧めてくる。アヤカは、ブレーメンの知能を活かして勉強をすべきだと言ってくる。頭がいいのに興味が向かなければ知ろうとしない、というのはブレーメンの悪い癖だとも指摘してくれた。なるほど、そういう客観的な分析は助かる。

 一応、組織では実績を残しているが、それが大々的な広報に繋がっていない。もっと活躍すればきっと生き残っているブレーメンが現れてあわよくば子孫を残せる──いやこれはまだまだ先のことだ。ニロは「ソラくんの発情期はいつかな~」とか鼻の下を伸ばして訊いてくるが、あいにくまだその兆候はない。お手洗いから、中年女性がいやいや期の女の子の手を引っ張って歩いて出てきた。大変そうだな、子育てってのは。

 白髪交じりの髪を紫がかった黒色で染めている中年女性は、息を荒げながら子どもの手を引いている。子供の方は小綺麗なブランド物の服だが、母親らしき彼女はずいぶんとくたびれた服だった。子どもを優先した結果なのか──香水も、安物のキツい匂いのものだった。

 違和感。

 考えるよりも先に手が動いていた=戦場帰りの闘争本能。

「すみません、その子、嫌がってますよ。無理はよくありません」

 ソラは、女の子の手を引く中年女性の腕を掴んだ。

「なによあんた! 関係ないでしょ」

 呼吸の乱れ、瞳孔の拡張、異様な発汗──ヒトの臭いと安物香水の匂いが交じる。

「自分は軍関係者です。これが身分証。聞きたいんですけど、その子、あなたの娘ですか」

 中年女性は軍の写真付き身分証を凝視し、一瞬だけたじろいだ。ソラの手を振り払おうとしたが、細いヒトの腕の力じゃブレーメンの束縛から抜け出せない。

「あたりまえでしょう。いいから手を離して。さもないと軍にクレームをつけるわよ」

「この子から、あなたと同じ香水の匂いがしません」

 ソラは女の子の方を見た。5,6歳くらいか。涙を我慢して、何かを口ごもっても言葉にならない。それでもフルフルと小さく首を横に振っている。

「まさか、誘拐?」

「そんなわけないでしょ!」

「じゃあ、その子から話を聞くので、一旦、手を離して」

 女は目を見開いてぴたっと止まった。

 女の子の口が小さく動く──たすけて/それをかき消すような女の、狂気のような叫びが続いた。

「てめぇ、良くも台無しにしてくれたナァ!」

 下町の労働階級訛りの言葉でわめき、ハンドバッグから折りたたみ式ナイフをとりだし、それをソラに向けて突き出した。

 ソラの瞳が黄色に輝く──なんて緩慢な攻撃なんだ。

 喉元に一直線で伸びたナイフの切っ先は、ソラに手首を掴まれてその寸前でピタリと止まった──そのままひねり倒した。

 女の体が空中で1回転して地面に倒れると、カエルを踏んづけたような鳴き声を上げた。ごそごそと取りこぼしたナイフに這って行ったが、ソラはナイフを蹴飛ばし女の腕を背中に回して制圧した。

「おいコラ、離せガキがぁ」

 ソリアの貧民街でよく聞いた罵詈雑言──このハイソなソリドンブルグではめったに聞くことのない言葉遣い。傍らにぽつんと立つ女の子は、まだ涙を浮かべているがどこか安心したふうだった。

 この騒動に、周囲にヒトだかりができていた。手にパルをかかげ写真を撮る野次馬まで。厄介事に興味はあるけど関わりたくないヒトの群れ。その群れを押しのけて若い女性が飛び出した。

「ママ? ママ―!」

 女の子が駆け出す。母親らしい女性も半狂乱で女の子を抱きしめた。

「すみません、すみません。私がすこし目を離したすきにいなくなってしまって」

「この女性とは知り合いですか」

 ソラは落ち着いた声で状況を確認した。アヤカに詰め込まれるように教えられた法務規則が教科書のページごと頭の中に浮かぶ。

「いえ、全然知りません。私の娘を誘拐するなんて。ありがとうございます、兵隊さん? でいいのかしら」

「えっと、とりあえず警備員に身柄を渡すので、警察にも連絡してください。僕は、じゃあこれで」

 誘拐犯の女は警備員に両脇を固められ、連行された。母娘(おやこ)も、女性警備員の付き添いでデパートのバックヤードへ消えた。周囲の群衆は一部始終をパルに撮り終えると、さも偶然通りかかった無関係を装ってその場からばらばらと離れていった。あとに残されたのはソラと、お手洗いから帰ってきたニロとフェイフェイだった。

「あら、私たちがおしっこしてる間、なにかすごいことを見逃しちゃった?」

「いや、ニロ。大丈夫。大丈夫、なんともない」

「あーあ。私も加勢したかったな。フェイのうんこが長いせいだよ。ちなみに長いってのは物理的にじゃなくて……」

 それ以上いわなくて良い──となりでフェイフェイが顔を真っ赤にした。

「ヒトのために力を使えてよかった。これもブレーメンらしい生き方」

 帰りのモノレールは、やはり夕方だけあって混雑していた。順番待ちの列が、モノレールが発車するたびに短くなり、次の便でやっと3人が乗れる位置まで来た。

「誘拐ってよくあるの?」

「そーゆーの、アングラで生きてきたソラのほうが詳しいんじゃない?」

 ソラの質問を、フェイフェイはポケットに両手を突っ込んだまま質問で返した。まだすこし不貞腐(ふてくさ)れている。

「よくある話だけどさ、確かに。対立するマフィアのボスを誘拐してさ。敵の戦闘員をおびき出して、腕っぷしの立つ用心棒がそれを一網打尽にする」

「そんな映画みたいな展開、あるの?」

「うん。見た覚えはある。ソリアのスラム街ならまだしもソリドンブルグで白昼堂々誘拐があるなんて思いもしなかった」

「大都会だからね」ニロがパルを操作しながら「ふむふむ。ソリドンブルグの犯罪発生率は1.5%。殺人認知件数は10万人あたり10.5人」

「それって、いいの? 悪いの?」

「みんな治安が良いと思ってる。特に財団の管理下の街じゃ、監視が厳しいし。ね、フェイフェイのふるさとはどう? アレンブルグでしょ?」

「ふつーよ、フツー」フェイフェイは口をとがらせて「危ないところに近づかなきゃ大丈夫。オーランドみたいに汚水とスラムに囲まれてるわけじゃない」

「もし悪いやつに出会ったら?」

「歯医者が儲かる」意味がわからない、というふうにソラとニロの目が合った。「つまり悪人なんてぶっ飛ばしてしまえばいいの。ぶっ飛ばして歯を折っちゃう」

 フェイフェイは好戦的だった。

「はーい、フェイちゃん。一般人相手にブレーメンの腕っぷしを試すのやめようね」

 ニロは、小柄なフェイフェイを抱え、ちょうどホームに滑り込んできたモノレールに乗り込んだ。

 たくさんのヒトに囲まれて、摩天楼の空中を走る。ここにいる大半の人は善良でそれでいて弱い存在だ。それならば、守ってあげないと。ブレーメンの生き方。筋を通すべきだ。

「僕、頑張ってみんなを助けるよ」

「何? 政治家にでもなるつもり」

 フェイフェイは肩をぶつけたが、ニロはどこか賛同してくれたようで、

「いいんじゃない。みんなヒーローが好きだもん。強くて賢いブレーメンのヒーロー」

 んーヒーローになれるとは思っていなかった。そのせいで体がむず痒くなった。

物語tips:混血のブレーメン

 500年前の第1次テウヘル戦役後、ヒトの間には(ヒトから見た)亜人種(あじんしゅ)への恐怖心があった。強化兵の廃止は当時の皇(おう)の主導のもと、特に大きな混乱もなく達成できたが、ブレーメンへは風当たりが強いままであった。

 ブレーメンはそもそも繁殖力が弱い生き物で、数年おきの繁殖期が重なった男女が(女側が選ぶ)子どもを作り集団で子育てをする文化であった。しかし1000年前からオーランド政府による統治が始まり、ヒトと同じく1組の男女で家庭を築き子どもを作るよう強要されていた(婚外子の禁止)。そのせいで人口を減らしていた。

 100年前 遺伝子を改変しヒトとブレーメンとの間に子どもが作れるようになったが、これに保守的な部族、特に東部部族は反抗し、第3次テウヘル戦役の混乱のさなかに武装蜂起をした。

 しかし物量で勝る連邦軍に鎮圧され逆にブレーメンの刀狩りとゲットーへの強制移住が余儀なくされた。

 現在ではブレーメンは絶滅してしまったものの、可変戦闘車(ジャガー)の戦力として混血のブレーメンが重宝され、また500年前の皇とブレーメンの友情物語が映画化されるなど人々の意識は変わりつつある。

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