番外編 悪戯しないのでお菓子をください
緋命石奪還後
「ちょっとお願いがあるのだけれど」
その騒動は、シャロンのこの一言から始まった。
ここしばらく姿を見ないと思っていたら、どうやら研究棟に入り浸っていたらしい。
ものすごい困り顔をした研究員と共にやってきた友人に、フィオドラは執務机から顔を上げて首を傾げた。
「前に人間の街で肥料の研究をしているところがあったでしょう? その作物に合った成分調整をすることによって、土壌の合わない地域でも生産ができるようにしようってやつ。その技術を魔界の技術でもっと効率よく出来ないかなと思って」
「シャロン殿から、相談を受けたのですが……」
「その結果が、この状態なのね」
「……はい」
悄然と項垂れる研究員たちに見えない位置で、シャロンが両手を合わせる。一応は謝罪の動作だが、浮かんでいる表情には反省の色がない。むしろこの状況を面白がっているようだ。
フィオドラは項垂れる男たちから、目の前の光景に目を戻した。
「……とりあえず、しばらく城での食事は『これ』尽くしね」
研究棟の裏庭、多様な研究のため広大な敷地を確保されていたその場所は、小さいものでは人の頭程度の、大きいものでは小さな小屋ほどもありそうな、数えるのも嫌になるほどのコルキュンテ(かぼちゃ)で埋め尽くされていた。
コルキュンテを使ったサラダ、スープ、煮物、チーズ焼き。魔王城のシェフたちが知恵を絞り腕によりをかけて作る美味しい料理も、連日続けば嫌気も差す。
研究者たちが新しい知識と発想に触発されてやる気を出しすぎた結果、大量生産された野菜は地味に城勤めの者たちの胃袋を攻撃していた。
あまりにも量が多いため、市場へ卸すか食糧不足を起こしている地域へ配布するかという案もあったが、肥料を作るに当たってちょこちょこ魔法を使っていたせいか、出来上がったコルキュンテには強い魔力性が備わってしまっていた。
魔人は総じて魔力が高いが、まかり間違って魔力に耐性がない者の口に入った場合、重度の魔力酔いを起こす可能性がある。
魔力を回復させる効能があると言えば聞こえは良いが、安易に民間人にばらまいて良いものではない。よって城の者で消費することになったのだが、一週間近く経ってもまだまだ終わる気配がなかった。
だが、辟易する大人と違ってこのコルキュンテ尽くしの日々を喜ぶ者が居た。城勤めをする者たちの子供たちだ。
魔王城では、城働きをする人々の子供は希望によって親と共に城内の出入りを許可している。もちろん自由に行ける区画は決められているが、それでも休憩中の文官や武人と接することで普通の子供ではできない経験をすることが出来る。
そんな子供たちにとってコルキュンテで作られた菓子は大変好評だった。
そしてもう一つ、子供たちは使い終わったコルキュンテに夢中になった。
誰が初めにやり始めたのかは分からないが、中身をくりぬいたコルキュンテに頭を突っ込み、目の位置に穴を開け、顔を分からないようにして城内を練り歩く遊びが流行り始めたのだ。
政務が一段落ついたフィオドラは、少し外の空気を吸おうと中庭を臨める回廊へと出た。
秋風に目を細めていると、さざめく笑い声が聞こえてくる。発信源を探して視線を巡らせれば、中庭を飾る垣根に身を潜める子供たちがいた。コルキュンテを被った彼らは、巡警している衛兵を驚かそうと狙っているらしい。
思わず口元を緩めたフィオドラは、前方から近づいてくる気配に顔を上げた。
「アレクシス、おかえりないさい」
「ああ。……なにやってんだ?」
回廊の真ん中で立ち止まっているフィオドラを訝しむ彼に、人差し指を自分の口元に、もう片方の手で隠れている子供たちを指さす。この回廊は中庭よりも高い位置にある。柱の陰になっていることもあって、中庭にいる相手からはこちらの存在は気づかれにくいだろう。
彼女の指先を追ったアレクシスは、子供たちの姿に眉を寄せた。
「なんだ、あれ」
「ふふふ」
ここしばらく農村からの魔物退治の要請に応じて出向していた勇者に騒ぎの経緯を話して聞かせていると、ちょうどやってきた衛兵に子供たちが飛び出した。
二人組の衛兵は、若い方が驚き声を上げ、年嵩の衛兵に注意力不足を嘆かれている。流石に熟練の兵士は子供たちの気配に気づいていたようだ。
「まったく、平和な奴らだな」
「いいじゃない。賑やかで」
呆れたように言うアレクシスに、フィオドラはくすくすと笑った。
「それに元はと言えば、シャロンのせいよ」
「……まったく」
旧友がやらかしたことだと言えば、彼はさらに眉間の皺を深めてため息を吐く。
だが言葉や表情ほどにはアレクシスが不快を感じていないことは雰囲気で分かる。実際、子供たちを見る紫紺の瞳は穏やかだ。
長閑な光景、穏やかな日々。多少の胃もたれを起こそうと、コルキュンテの消費と共に何事もなく終わる非日常だと、このときは思っていた。
問題が起きたのは子供たちが遊び始めて五日も経った頃だった。
誰彼構わず驚かすせいで、洗濯物を運んでいた侍女が籠を落として洗い直しになったり、花瓶を落としたり、お茶を零しそうになったのを堪えたせいで火傷を負ったりと、微笑ましい段階を過ぎるようになってきた。それに加え
「立ち入り禁止区域への侵入に器物破損」
「悪戯の範疇を超えちゃったかぁ」
フィオドラの説明に、シャロンが困ったように呟く。
彼とアレクシスに珍しく誘われ、フィオドラは中庭に席を作ってお茶を飲んでいた。
いつかと同じ秋晴れの空。過ごしやすい陽気に、けれど子供たちの声は響かない。
「決定打になったのが、数日かけて作った大事な官文書を駄目にしたのよね」
もちろん故意ではない。子供たちは目に入った大人を驚かそうとしただけだ。
ただ、その大人が大事な文書を運んでいて、かつまだ新人の侍従で、初めての大役に極度に緊張していたのだ。
結果、想像以上に驚いた侍従が文書を取り落とし、勢い余って踏んで破いてしまったのだ。
シャロンが納得したように頷いた。
「ああ、それで執政官がぶち切れたんだ」
「自業自得だな」
冷えたアレクシスの言葉に、フィオドラも肩を竦めた。
顔を隠して悪戯をするというのは、人に常ならざる高揚感と大胆さを与えるらしい。やって良いことといけないことの区別を出来なくなった子供に大人のカミナリが落ちるのはフィオドラも当然のことだと思うが、連日はしゃいでいた子供たちの声がなくなり、罰として菓子は禁止、代わりに与えられた雑事を項垂れて行っている姿を見かけると、どうにもこちらの気分も落ち込む。
「そういえば、子供たちへの罰則は昨日で終わりよね」
にも関わらず、今日は子供たちの姿を見ていない。まさかこれに懲りて城に来るのも嫌になってしまったかと眉を寄せたフィオドラは、横の垣根からひょこりと出てきた橙色に目を丸くした。
すでに見慣れた被り物だ。質の良さそうな平服に大きなコルキュンテの頭を乗せた子供が数人、その姿に似合わない恐る恐るといった仕草で近寄ってくる。
近くの衛兵が気づいてやってこようとするのに、シャロンが手を振って止めた。
「あの、フィオドラ様……」
「なぁに?」
躊躇うような高い声に、なるべく柔らかな声音で聞き返す。
「お……」
「お?」
「お菓子くれなきゃ、悪戯しますぅっ!」
「え?」
裏返った声が思い切ったように叫ぶのに、フィオドラは首を傾げた。
「あ、もしかして菓子禁止令……?」
大きな頭たちが縦に振られる。バランスが悪いのか、首がもげてしまいそうだ。
カミナリついでに出されていた菓子禁止令は、子供たちの心に思った以上の衝撃を与えていたらしい。
フィオドラは笑ってポットに残っていた紅茶に砂糖を大量に投入させた。
「おい」
見ているだけで胸焼けでも起こしたか、アレクシスが嫌そうに声を低める。
フィオドラは愉快な気分で喉を鳴らし、魔法を使った。ポットの紅茶を宙に浮かし、幾つもの液体に分け、それを氷結させる。
「口を開けなさい」
慌てた様子で被り物を脱ぎ、素直に開けた子供たちの口へ氷を入れる。途端に頬を赤らめ相好を崩した子供たちに、フィオドラも微笑んだ。
「アレク様、シャロン様。お菓子くれなきゃ……」
「鉄骨喰らわされたくなきゃ、さっさとほか行け」
言い切る前に一蹴したアレクシスの横で、ちゃっかりとシャロンが用意していたらしいお菓子をあげている。
全員が菓子を受け取ったのを確認して、シャロンが片手を上げた。
「はい、唱和。人に迷惑をかけない」
「人に迷惑をかけない」
「驚かす人は選んで」
「悪戯は時と場合により」
「お菓子を無理に強請らず」
「怒られそうならすぐ逃げる!」
「よく出来ました」
「分かったら、さっさと散れ」
「はーい!」
ここで自信を得たのか、子供たちが三々五々駆け出していく。
フィオドラは給仕のために控えていた侍女に、城の者に菓子を持っておくよう伝えるように命じた。
一連のことを微笑ましげに見守っていた侍女は、一礼し嬉々として下がる。
子供たちのしょげた姿は、やはりみな堪えるものがあるようで、密かに厳しく叱りすぎたかと落ち込む者もいたのだ。今日の子供たちの姿を見れば、表面上はそれぞれの対応をしながらも安心することだろう。
「あれは、二人の入れ知恵?」
「入れ知恵なんて人聞きが悪いなぁ。僕たちは悪戯の極意を教えただけだよ」
にんまりと笑うシャロンに、フィオドラは吹き出した。
今日中庭へ彼女をお茶に誘ったのも、子供たちがあまり気負わず襲撃できるようにという心遣いだろう。
「悪戯をして怒られるのなんて子供の特権でしょ。叱られたら次はもっと上手くやることを覚えなきゃ」
「一度叱られた程度で止めちまうなんざ、軟弱に過ぎる」
「貴方たちの幼い頃は、さぞ大人を困らせる悪童だったのでしょうね」
「そんな対したことはしてないよ」
「ふん」
にこにこと笑うシャロンと目を逸らすアレクシスに、かつての彼らの周りにいた人へ微かな同情を覚えて忍び笑った。
「それにしても、いつの間にか随分子供たちと仲良くなっていたのね」
笑いながら言うと、アレクシスは嫌そうに顔を顰めた。
「なってねぇ」
「親しげに呼ばれてたじゃない」
「うるせぇ」
むきになって否定するが、実は面倒見の良い彼は案外子供に好かれるのだ。
ぷかぷかと空中に浮かんでいる、残った紅茶の氷を口に入れる。口内の温度で溶ける即席の菓子はとても甘い。
くすくす笑うフィオドラに舌打ちしたアレクシスは、しかし次の瞬間なにかを思いついたように悪どい顔でにやりと笑った。
「菓子か悪戯か」
「え?」
「俺は菓子は要らねえな」
勇者の指が彼女の頬に伸びてくる。目の下を撫でてくる指先に彼の言う悪戯がどういった種類のものかを察し、かっと熱を上がった。咄嗟に残っていた氷菓をアレクシスの口に投げ込む。
喉の奥にでも当たったのか鈍い声が上がる。文句を言おうと睨んできた目が、奇妙に歪んだ。
「――ッ、くっそ甘っ! なんだこれ、馬鹿じゃねえのか!」
「馬鹿はアレクシスよ! 悪い大人には鉄槌っ」
「上等だ、てめぇ。悪ぃ大人の本気、覚悟しろよ」
「悪戯反対!」
武器になる菓子を使い切ったフィオドラは、涙目になって立ち上がった。
こういった方面での攻防は、大抵アレクシスに軍配が上がる。免疫のないフィオドラには今のところ、逃げるが今できる精一杯の手段だ。
追いかけっこを始めた友人たちを横目に、無糖の紅茶に口をつけたシャロンがしみじみと呟いた。
「ほんと、甘いねぇ」
全ての元凶であるはずの青年が、一番普段通りに過ごす日々である。
この騒動はいつの間にか子供たちの口から城下に広がったらしい。
次のコルキュンテが収穫できる時期になると、街のいたるところで「お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ!」と言って菓子を強請って練り歩く子供たちが現れるようになり、菓子を用意してある家は玄関先に中身をくり抜き顔を作ったコルキュンテの灯籠を飾るという、変わった行事が流行るようになった。
ハロヴィンネタでした!
ふわっと読んでくださると嬉しいです。




