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異世界で奴隷と開業を  作者: 佐々木 篠
6章 雪山での遭難
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9話 黒猫族の意地。

「凍ってます! 氷の湖です!!」


 山を下るに連れて調子も戻って行き現在はすっかりと元気を取り戻したようで、湖を見付けたクロはいきなり走り出した。


「おいおい、そんなに走ったらーーーー言わんこっちゃない」


 クロはずるり、なんて可愛らしい転び方ではなく、後頭部をガツンと直撃するほど派手に転ぶ。氷がここまで滑るものと知らなかったのだろう。あれは痛そうだ。


「うぅ〜」


 頭を押さえて涙目になるクロは可愛らしくて思わず笑いそうになったが、何とか背を向けて耐える。……背を向けたという事は耐えられていないのだが、気付かれていないためセーフとする。


「大丈夫か?」


「……なんとか」


 クロはカムイの差し出した手を取り、改めて湖を覗き込んだ。その格好は四つん這い状態で、先ほどの一撃のダメージが推し量られる。


「これって、魚も凍っているんですか?」


「いや、表面だけだよ。目を凝らせば魚が泳いでる姿が見えるかもな」


「本当ですか!?」


 比較的凍りの薄い部分に顔を近付け、言われた通り目を凝らす。カムイは万が一クロが湖の中に落ちそうになっても対応出来るように、後ろで待機する。


 どうせ見えるわけないしすぐに飽きるだろ、なんて思っていたカムイの予想に反してクロが喜びの声をあげる。


「あ! 見えました! 魚が泳いでます!」


「え、マジ?」


 水の底が見えるような浅い場所ではないため、見えるのは真っ黒な湖だけのはず。だが余程水面の近くで泳いでいればその姿は捉えられるのかも知れないと考え直し、クロの後ろから湖の底を覗く。


(……何かいるな)


 確かに何かがいた。暗い水底よりもさらに『黒い影』がゆらゆらと揺れている。だがそれが仮に魚の影であるとして、カムイが思ったのは大き過ぎるという事だった。


 それはイルカくらいの大きさはあるだろう。ここが海ならおかしくはないが、水面みなもの凍った湖にイルカはいないはずだ。


(魚? いや、あれは……人間か?)


 ぞわりと鳥肌が立った。この感じは先ほど味わったものと寸分変わらない恐怖。であるならあれは魚などではなく、穢神。


 その恐らく穢神である存在はこちらに気付いたのかもの凄い勢いで浮上しーーーーガンッ! と凍った水面に顔を張り付かせた。


「ひっ!?」


 今まで人間の姿を模倣した存在ばかりであったが、今回の穢神は見た目だけなら人間の男の姿をしていた。下半身が蛇だったり狼だったりするわけでもなく、本能が鳥肌を立ててまで逃げろと催促しなければ、助けてあげようと思ってしまうほど完璧な人間だった。


 だが冷静に考えて湖を泳ぐ人間がいるだろうか。しかも凍った湖を、全裸で。


「クロ」


 腰を抜かしているクロの手を引いて無理やり立たせる。穢神の相手をするにはレベル……特に精神の値が全くと言っていいほど足りていない。無事に帰る事が出来れば技の指導をしてやるか、と企むカムイの後ろでバリバリと音を立てて氷が割れる。


「……まあ戦うしかないよな」


 カムイはクロを庇うように前に立ち、刀以外の荷物をその場に置く。


 そして一歩踏み出し抜刀。切っ先を湖から出てくる穢神に向ける。


 クロは耳をぺたりとへたらせ、目を覆っていた。


「アアアア、サムイ、サムイ……サムイサムイサムイィ……!」


 穢神は身体をガタガタと震わせ、寒い寒いとぶつぶつ呟くだけで襲いかかって来るような素振りは見せない。


 攻撃のチャンスどころか、いつでも首を斬り落とす準備は出来ている。だが穢神とは未知の存在だ。今までの共通点といえばおぞましい姿と魔法を使えるという点だけだが、果たして本当にそれだけなのだろうか。


 このファンタジーな世界でそれだけとは思えず、カムイは動けなかった。ここで相手が攻撃をしてくれば安心して反撃出来るのだが、何もして来ないという事が逆に不気味であった。


「アアア……」


 ぺりぺりぺり……と普段聞き慣れない不思議な音がした。まるで何かが剥がれるような音ではあるが、それにしてはやや湿った音がする。


「アアア……」


 穢神が呻く度に、その音は大きくなる。


 ぺりぺりぺり……。


 穢神が唸る。


 ぺりぺりぺりーーーーぼとり。


 穢神の身体から何かが落ちた。


「うっ」


 カムイは反射的に口を押さえ、込み上げて来る吐き気を呑み込んだ。


「アアアイイイイタイイタイ……イタイ…………イイイイ」


 ぼとりぼとりと、穢神の腕の中から湧き出たウジ虫が氷の上でのたうち回る。どうやら先ほどの何かが剥がれる音とは、身体を食い破って出てくるウジ虫たちが出した音であったようだ。真っ白な雪と氷が真っ赤に染まり、その後どす黒く変色していく。


(……あれに触れるのは不味いか)


 黒く変色した氷からは、また別の新しいウジ虫が湧いて出てくる。あれに触れたら最後、カムイも内側からウジ虫に食い破られてしまうかも知れない。


「……っ」


 後ろを振り返る。クロは縮こまって満足に動く事も出来なさそうだ。となれば下がる事は出来ない。本当に危ない時は荷物を捨てて撤退するべきだが、荷物がないとそれはそれで困る。というか食材も各種道具もない状態で生きて行けるとは思えない。ならばやる事は一つで、カムイは決意を固めた。


(一撃で首を落とす)


 首を落として果たして絶命するのかは不明だが、希望的観測で多少は動きが鈍るはずである。その隙に荷物とクロを回収し、この場から可能な限り遠くへ離脱する。作戦は決まった。


 カムイは大きく息を吸うと一旦そこで止め、ゆっくりと息を吐く。そして吐き終える直前に再び息を止める。この瞬間は肺が十分に酸素を確保出来ており、なおかつ余計な力が入っていない理想的な静止状態である。ここで酸素を消費してしまえば逆に身体が震えてしまうのだが、それまでの数秒間はカムイが最も集中出来る……無に近付ける時であった。


「ーーーーはっ!」


 残りの酸素を吐き出すように一歩を踏み出し、腰を入れた逆袈裟切り。その一閃は自らを守るために首を庇った右腕ごと、穢神の首を斬り落とすーーーーはずだった。


「うっ!」


 穢神の右腕に刃が触れた瞬間、肉を断つ感触ではなくぶちぶちと弾力のある虫を潰すような、不快な手応えが帰って来る。


 カムイはぷちぷちとウジ虫を潰しながら穢神の右腕を斬り落としたが、そこで力を弱めてしまい……結果、放った一撃は首を斬り落とす事に失敗し、穢神の首の中程まで食い込んで止まった。そしてそれを好機とばかりに無事である左腕がカムイに触れんとばかりに伸ばされる。


「しまっーーーー」


 触れられたらそれでおしまいだ。だが今のカムイに逃げ場はない。


 穢神の左腕がカムイに触れる…………その刹那、投擲されたナイフが左の手の平に直撃し、その勢いのまま穢神の心臓に突き刺さる。


「ギィヤアアアアアアアアアアア!!」


 右腕を斬り落とされ、左腕を胸に縫い付けられた穢神が絶叫しながら氷の地面をウジ虫と一緒にのたうち回る。その動きに続く、ぐちゅぐちゅと響く虫の潰れる音が気持ち悪くて仕方がない。


「ご主人に触れていいのは私とハル姉だけです!」


 そう啖呵を切るクロの足は震え、顔面は蒼白であった。しかし穢神の『狂気』をはね除け、確実に一撃を与えた事は確かだ。



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