2話 黒猫少女のトラウマ。
@shino_novel
ついったーやってます。創作オンリー垢です。
基本的にこの小説の事とか進捗とか呟いています。
「いやーその娘強いですね」
カムイは揉み手する勢いで笑顔を浮かべながら奴隷商に近付いた。
「ん? ああ……。最初は黒猫族の奴隷なんて見た事無いから、高く売れると思ったんだよ。実際先払いでもかなりの額で売れたし、札付きになってもやっぱり売れるしで、結構良い暮らしが出来てなあ……だけどここまで札が付いたらもう駄目だ。こいつどころか俺の名前まで悪い意味で売れちまって、もう奴隷商は廃業だよ……」
「それは災難でしたね……ちなみに奴隷たちはどうするんですか?」
「そりゃ、残ったのはツテに頼って、二束三文で買い叩かれるだけさ。黒猫族のこいつは、もう処分するしかないな。買い取り手はいねえし、放したら俺の命が危ねえ」
その身勝手さに斬り殺したくなるが、この世界で奴隷とは文字通りペットでしか無いだろう。買い手がいないなら殺処分しかない。
「へぇ……ちなみにその黒猫の娘、俺が引き取るってのは?」
「兄さんがか? 止めとけ止めとけ。無駄死にするだけだよ」
「いやいや、ちょっと試してみるだけですよ。どうせ処分するなら俺が貰ってもいいわけでしょ? 万が一くたばったら、処分はそこにいるツレに任せて良いんで一回だけでもどうかチャンスを!」
ハルはこいつ……と文句を言いたげな顔でカムイを見た。奴隷商からすると「面倒事を任せるなよ……」という表情に見えたのだが、実際は「さり気なくタダで奴隷を入手するつもりなんだね……」という呆れ顔であった。
「はあ……そこまで言うなら構わねえけど、俺を恨むなよ?」
「それはもちろん」
奴隷商の男は胡散臭そうにカムイから血を採ると、少女の下に向かった。
(そう言えばさっき、準備がどうたら言ってたな)
何をするのか見ているカムイの前で、奴隷商は何かを呟いた。それはどうやら隷属魔法であったらしく、少女は震えながら地に伏せる。
何故か男も苦しそうな顔をしながら少女の背に、カムイの血で奴隷の紋様を描いていく。
「……ふぅ」
どうやら終わったらしい。汗を拭いながらカムイのところへ戻って来る。
「兄さん、武器はどうする?」
「あの子か? さっきみたいな壊れかけじゃない、新品を頼む」
「あ? 正気か? しかもあれの武器じゃなくて、兄さんの武器だよ。自前でいいのか?」
「俺はなー……なんか非殺傷武器ある?」
殺すわけにもいかないし、かと言って恐怖を植え付ける事が必要なら手加減も出来そうに無い。そのため持っている刀を使うわけにはいかなかったのだが、奴隷商は可哀想な人間を見る目でカムイを見ていた。
「一応木製の武器はあるが……」
「どれどれ……お! 木刀あるじゃん。俺これでいいや。あの子はこれね」
カムイは木刀を取って軽く振ると、近くにあった新品のダガーを檻の中に投げ入れた。
「ちょ! 兄さん、勝手な事やられても困るんだけど」
「まあまあ。……確認だけど、無事に俺が……何? 契約? まあ何でもいいけど、取り敢えず主人になれたら無料で譲ってくれるよね?」
「はあ……もう何でもいいから、さっさと終わらせてくれ」
奴隷商が檻の鍵を外し、即座に鎖の範囲外へと逃げる。
少女は疲れたような顔で外に出ると、胡乱気な瞳でカムイを見た。
カムイは引き締まった身体をしているが、服の上からだと線の細い青年にしか見えない。先ほどの男のように見て分かる膂力や体格をしていれば少女は多少警戒したかも知れないが、見てくれは貴族の坊ちゃんのようなカムイにどう対応していいか少し迷っているようだった。
しかしどちらにせよ殺す事に変わりは無いと決心したのか、少女はダガーを構えて重心を前に傾けた。
(そういえば対人って久々だな。死なないくらいには手加減出来るといいけど)
基本的に対人は日本一と呼ばれた祖父が相手であったため、そのノリで戦ってしまえば木刀といえども少女の一人や二人は瞬殺出来る自信があった。故にカムイは敢えて動かず、自ら後手に回った。
少女はそれを隙と見て、下半身のバネを爆発させた。
「ーーーーな!?」
その驚きの声はどちらのものだったか。
カムイは少女の一撃を避けたがその速さに驚き、少女は渾身の一撃を躱された事に驚愕した。
(おいおいおい、さっきの比じゃねえぞ! 下手すると……っていうか確実に、俺より速いじゃねえか!!)
少女は満足に食料を与えられていないため本調子じゃない。しかも先ほどの疲れもあるはずだ。だというのにその速度はカムイを超えていた。
そんな一撃を避けられたのも全ては祖父のおかげ。ありとあらゆる面に於いてカムイに勝っていた祖父との試合のおかげで、格上との戦いには慣れている。少女がカムイより優れている点は速度のみであるため、なんとか不意を突かれた形となった今も、辛うじて避ける事が出来たのだ。
「ヒト種の分際で、私を愚弄するというのですか……ッ!」
何故攻撃を避ける事が愚弄する事になるのかは不明だが、それだけ避けられた事が屈辱だったのだろう。少女は呼吸する間すら与えずにダガーを振るう。
カムイはその技の初動を見て剣筋を的確に予測し、わずか半歩分の距離で全ての攻撃を躱し、あるいは去なして行く。
少女は疾かった。だけどカムイと比べると絶望的なまでに技術が拙く、また精神面も未熟であった。
少女の技は躱されれば躱されるほど精細さを欠き、より単調な動きへと変わって行く。
それは最早致命的とも言える雑さだ。速度を上回りダガーのレンジで戦っていても、カムイに容易く反撃させてしまう程度には。
「避けろよ?」
ダガーによる一撃を去なしたカムイは、その切っ先を少女の腹に向けた。
キスをしようとすれば楽々と出来るような近さで戦っていた二人である。その刀と少女との距離はわずか一寸……約三センチメートルの距離しかない。そんな距離で突きを放ったとしても大した威力にならないだろう。特にカムイの武器は真剣では無く、殺傷力の無い木刀なのだから。
少女はそう思って構わず攻撃を続けようとしたが、ゾクリと今まで体験した事の無い恐怖に晒されて反射的に回避の行動を取った。
それは本能に従って咄嗟に行ったものであったが、何よりも正しい行動であった。
「ーーーーぐッ!?」
寸勁。
中国武術の一つであるその技は、その名の通りわずか一寸の距離でも巨体を吹き飛ばす威力を発揮する。
上半身ではなく主に下半身の動きで繰り出すその技は、突きというよりも体当たりの方が近い。
そして普通は拳で行う技を木刀とはいえ先の尖った武器で、しかも魔力を使って放ったのだ。その威力は絶大で、少女の肩を貫通しその衝撃は内臓にも大きなダメージを与えた。
「ごぶっ!」
吹き飛ばされた少女は立ち上がろうと四肢に力を入れた瞬間、口から真っ赤な血を吐いた。内蔵をやってしまったのだろう。
しかしカムイの一撃が当たった場所は肩。少女には何故内臓にまでダメージが及んだのかが全くもって不明であった。そして生物とは、理解の及ばないものに恐怖するように出来ている。
「ぅ……あ」
「なあ」
わざと足音を響かせながら少女へと向かう。
そしてカムイは、血まみれで地に伏せる少女の髪を掴んで上を向かせた。
「俺の故郷ではな、雌猫の腹をかっ捌いて作った楽器は、高値で取引されるんだよ」
木刀の先を腹部に固定した。この距離で、この体勢で、少女は避ける事は出来ない。そしてその技が生み出す威力は身を以て経験していた。
それ故に少女は自分の腹が捌かれ楽器になる未来を想像してしまい、張りつめていた糸が切れてしまった。
「あ……あぁ」
じょろ……と黄金色の液体が流れる。
カムイはそれを見て首を傾げたが、その液体が何かを理解した瞬間顔を引き攣らせた。
きちんとした武術を嗜んだわけでも無い、中学生くらいの少女を脅して失禁させたのだ。鬼畜もいいところである。
「……お兄ちゃん、流石にやり過ぎじゃないの?」
ハルが非難の目を向ける。言い訳する余地など一切なく、カムイはただ目を逸らした。
「えーと……あ、これってもう契約出来てる感じですか?」
目が合ったので目だけでは無く話も逸らすため奴隷商に問うと、男はカムイから目を逸らしつつ答えた。
「あ、ああ。多分。背中の紋様が消えていれば、その楔が心に打ち込まれた証明だ。確かめてさっさと帰ってくれ」
男もそそくさと帰る準備を始める。
取り敢えず背の紋様を確かめようと少女に触れると、尻尾の毛が凄い勢いで逆立った。
「おーおー、すっげえ嫌われてるわ。当たり前ですね、はい。…………うん、消えてる」
これでカムイは少女の主人、つまり所有者である。しかしこれからどうするべきなのだろうか。
少女はそう簡単に死なないだろうが重傷で、しかも血と尿の臭いで凄まじい事になっている。
「ほら、お兄ちゃんちょっと退いて」
カムイが途方に暮れていると、ハルが水袋と濡れタオルを持って来た。
言われるまま退くと、ハルは回復魔法で少女を癒しつつテキパキと血の汚れと下の汚れを拭って行く。
(ハルがいて良かった……)
カムイは心身共に強い。しかしそれは主に戦闘面での事であり、この世界での常識や、ましてや女の子に対する対応などは最悪と言っても良かった。故にこの場での主君はハルであり、カムイは従順な奴隷であった。
「よし、あとは薬湯を飲んで身体を暖めて眠れば、数日で治るはずだよ。……というわけでお兄ちゃん。今日はもう帰るから、この子をちゃんと運んでよね」
「さーいえっさー!」
背負って帰るのもちょっと憲兵に止められそうだったので、カムイはお姫様抱っこでの帰宅を選択する。
少女は腕の中で震えているが、それは血の減少で身体が冷えている所為では無く、単純にカムイが怖いからであった。
「……いいなぁ」
「何か言った?」
「ううん。早く帰ろうって」
「そうだな」
自分でお姫様抱っこを選択したのはいいが、突き刺さる好奇の視線が少し痛かったカムイは、少し歩調を早めた。
「さて、ここが今日から君が過ごす部屋になる」
部屋を開け、一つしか無いベッドの上に少女を降ろすとカムイは言った。
ちなみに部屋は変わっていない。値段はもちろん一人分プラスして支払う事になるが、まあ生粋の戦闘民族と言われていた黒猫族ならそれ以上稼いでくれるさ、と期待しておく。
「ふむ」
少女はベッドの上で縮こまり、カムイの一挙一動を観察している。
隷属魔法は奴隷が主人に反抗しようとした際に発動するものなのだが、少女の場合よほどの恐怖であったのか反抗しようとしているのではなく、ただ単にカムイに怯えていた。
それを見たカムイは考えた。
「ここは胃袋を掴むしか無いな」
「あの子、内臓やってるから今日は薬湯だけね」
「……頼んだ」
美味しいご飯を作るのは得意だ。もちろん胃に優しいお粥も作れるだろう。しかし薬湯なんてものは作った事が無かった。そのためカムイはハルに頼らざるを得なかった。
「安心して。これはただの薬湯だから」
少女はカムイを警戒しながらハルの薬湯を受け取った。自分より年下であるし、同性で同じ獣人だ。信用に値すると思っているのか、ハルの薬湯を全く警戒せずにちびちびと飲む。どうやら猫舌であるようだ。
「……なあ」
びくり、と少女が震える。
(……我ながら微妙な脅し文句だと思ったんだけどぁ)
何故そこまで怯えているのだろうか。そう言えば心が折れた野菜王子も酷かったしな……と勝手に納得し、カムイはベッドに腰掛けた。少女の尻尾は天に向かって一直線だ。
「少し早いけど、今日はもう寝るか」
少し小腹が空いているが、寝てしまえば気にならなくなる。それよりも今日は一旦寝て、少女の疲れを取るべきだとカムイは判断した。ハルもその考えに異論は無いのか、了承すると就寝用の着物に着替える。
一方、殺されないか不安だった少女は寝るという言葉に、自分が奴隷である事を思い出したのか震えが一段と大きくなる。ベッドが一つしかなく、しかもカムイはそのベッドに腰掛けているのだ。そういった事を想像するなという方が無理だろう。
「んじゃ、おやすみ」
「ひっ!」
カムイも手早く着替えると、横になった。少女はベッドの上で可能な限り離れようとするが、二人用のベッドとはいえ距離が稼げるような大きさでは無い。手を伸ばしたカムイに容易く捕われてしまう。
少女は絶望しか待っていない自分の未来に涙する。無論カムイは中学生ほどの女の子を無理やり手込めにしようなんて思うわけもなく、その考えは杞憂に過ぎないが、カムイの事を知らない少女がそう思うのも仕方が無い。
カムイもそのくらいの事は分かっている。だから敢えて少女を掴まえて抱き締めると、ゆっくりと背中を叩いた。耳は胸の辺りに持って行き、なるべく鼓動で落ち着くように。そしてぽんぽんと優しく背中を叩き、自分が怖い存在では無いと伝える。
それでも少女の恐怖が薄らぐ事は無い。その程度で警戒心が解けるような甘い人生は送っていないからだ。
しかし体力の低下、恐怖による精神の摩耗、薬湯に含まれる睡眠を誘発する成分が少女を襲い、やがてすぅすぅと寝息を立て始めた。
「寝た?」
「ああ。ぐっすりだ。……ハルもおいで」
「…………うん」
寂しかったのか、ハルは素直にその言葉に従う。
カムイは両腕に年下の少女を抱きながら、こんな状況を生み出した自分の数奇な人生を不思議に思うのだった。




